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11件
忘れられた日本人
著者 宮本常一著
柳田国男・渋沢敬三の指導下に,生涯旅する人として,日本各地の民間伝承を克明に調査した著者(一九〇七―八一)が,文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し,「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす.「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作. (解説 網野善彦)
忘れられた日本人
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忘れられた日本人
2009/03/14 11:23
昔の日本人の生活ぶり
20人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
忘れられた日本人 宮本常一(つねいち) 岩波文庫
作者は民俗学者で小学校の先生だったそうです。昭和56年に亡くなっていますが、本は48刷まで発行され続けています。
もう60年ぐらい前の日本各地の生活について、古老から聞いた話が綴られています。地域の決め事は全員が賛成するまで延々と何日もかけて話し合われるとか、こどもをもらったりもらわれたりとか、おおらかな男女の関係とか、興味深いものです。
現代人が知らない日本人のかつての姿があります。進歩の影で、退化していくものがある。退化によって、人間という生物は滅んでいく。現代人に対する警告でしょうか。
忘れられた日本人
2007/09/17 22:39
私のひいばあちゃんは、ずいぶんと違う世界に暮らしていたのだ
13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mikan - この投稿者のレビュー一覧を見る
文字のない世界。記録されることのほとんどなかった、日本の農漁村の人々と習俗。
「日本人」プラス「忘れられた」というタイトルは、今の時代では色々と説教臭い意味を付けられてしまいそうですが、ここではシンプルにそういうことを指しているのだと思う。たいていの日本人のご先祖様がおくった田舎の暮らしは、記録しなければあっという間に忘れられてしまう性質のものだったのだ。
宮本常一が老人たちを取材したのは昭和10~20年代。ちょうど、私のひいばあちゃんの世代だから、たいして古い話でもない。それなのに、全然違う。働き方も、楽しみ方も、人と人とのかかわり方も。
娘たちは、世間を知るため、身一つで旅に出た。ひたすら歩いて、宿は毎日民家。どこでも皆親切で、帰る頃には出かけた時より手持ちのお金が多かった。旅の文化や言葉を身につけて、地元でひけらかすのが娘たちの一つのほこりだった。
男と女が歌のかけあいをする歌垣もあった。最後には男は女にそのからだをかけさせる。声のよい若者は、これという美女とはほとんど契りを結んだという。
港をひらくというのは、港のなかにごろごろしている大石を2艘の船にくくりつけて、潮の満干ごとに1個ずつ運び出すということ。漁の合間の根気仕事で、ついには立派な港をひらいてしまった。
山の道は、木がおおいかぶさって見通しのきかない細道。馬蹄の跡を探して進む。歌を歌って、お互いの存在や行き先を知らせる。
飢饉の年には稗や稗糠を食べた。ひりすてた糞は、雨風にさらされてくさみ・ねばりがとれたら、もとの稗糠に戻ってしまった。消化などせず、腹の中を通り過ぎただけだったのだ。
夜這いのテクニックもすごい。「通りあわせて声をかけて、冗談の二つ三つに相手がうけ答えをすれば気のある証拠、夜になれば押しかければよい。音のせんように戸をあけるには、しきいへ小便すればよい。闇の中で娘と男を見分けるのは何でもないことで、びんつけの匂いでわかる」とな。
…あちこち知らないことだらけ。苦労も差別もあるけれど、「素朴でエネルギッシュな明るさ」と宮本常一は書いている。そんな気分に、話し手たちの口調を生かした文章が加わって、記録というより、力のあるブンガク作品という感じで読みました。この口調はなんと言うか良いです。この言葉に触れるために、これからも読み返してしまいそうな一冊です。
忘れられた日本人
2004/08/15 10:38
滋味に富む食事のような。
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とりふね - この投稿者のレビュー一覧を見る
友人に強く奨められて読む。
さすが
私の好きな岩波文庫第7位にランクされるだけのことはある。
圧倒的な「書物」としての存在感。
土佐の山中の乞食小屋に住む盲目の元ばくろうが語った
「土佐源氏」の女性とのマグワイの数々もすごいが、
(映画にしたらおもしろいだろうな)
わたしがとても強くひきつけられたのは
冒頭「対馬にて」の「寄り合い」の方法だ。
今のわれわれの国や組織の物事の決め方とは劇的に違っていて
それは感動的といってもいいほどだった。
もちろん小さな共同体だから可能な方法だとも言えるのだろうが、
一見雑談のようなその話し合いは、大勢の人間が何日も時間をかけて行う。
協議は区長と地域組とのあいだをなんども往復し、
時々に議題はうつりゆき、また元に戻り、
多くの人がそれに関わる過去の体験を持ちより、
やがてゆっくりとひとつの結論に収斂してゆく。
強引な結論は決定後の齟齬を生む。
小さな共同体においてそれは致命的なことだ。
(国家や地球規模で言っても実はそれは致命的なはずだ。
ただその齟齬をないものとして次に進んでゆくだけなのだ。)
対馬の人々が自然にとってきた賢明な方法から
「場のはたらき」ということを考え、
「時が熟す」ということばを思った。
また、「時が熟す」のにじっと寄り添って、
そこに隠された哲学とも呼ぶべきものを
ていねいに拾い上げた著者の精神の深さを感じた。
素朴な食材だが滋味に富む食事を味わっていただいたような読後感である。

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