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ゲド戦記
著者 アーシュラ・K.ル=グウィン作 , 清水真砂子訳
大魔法使いオジオンに,才能を見出された少年ゲド.自分に並はずれた能力がそなわっていることを知ると,魔法の力にさらに磨きをかけようと,魔法の学院に入る.得意になった彼は禁じられた呪文を唱え,自らの〈影〉を呼び出してしまい,〈影〉との果てしない戦いに引き込まれていくことになる.大賢人ゲドの若き日の物語.
アースシーの風 ゲド戦記6
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ゲド戦記 1 影との戦い
2009/07/09 20:47
このお話をファンタジーっていうくくりで評価してしまったから、いけなかったんだと思います。トールキンの『指輪』はファンタジーでいいけれど、『ゲド』は違う。なんていうか分類を拒否するような話ではないか、そんな気がしてなりません。読み返して良かった一冊。
16人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私の中でゲド戦記の評価は高くありません。読んだのがいつのことだったか、トールキンの指輪物語はもう30年以上前に読んでいましたが、ゲド戦記はもっとあと。娘が幼稚園に行っている頃に読み、その後、続巻が出版されるたびに読んできたものの、正直、一度として感心したことはありませんでした。それはル=グウィンのSFにも言えて、どうもピンときません。
ル=グウィンは、ともかく難しい。おまけに登場人物に魅力がありません。さらにいえば夢がない。総じて暗い、としか言いようがない。正直、これを「指輪」にならぶファンタジーの傑作、という人の気持ちが分かりませんでした。私にとって、文学というのは苦しむためのものではなく、あくまで楽しむためのもの、なにが『ゲド戦記』よ!とまあ、思ったわけです。
それは最近書かれた『ギフト』三部作でも基本的には変わりません。ただし、『ゲド戦記』と違って私は『ギフト』三部作を楽しんだんです。感情移入しやすい人物が登場するわけではありません。話にしても楽しい終り方をするわけでもない。陰湿なイジメ、嫉妬、レイプだってある。でも、話の展開が気になってドンドン読める。自分が年をとったせいもあるのかもしれません。
そんなとき少年文庫版で、『ゲド戦記』が出るということを知りました。私は書評を書くために内容を確認することはあっても、それ以外はよほどのことがない限り本を読み返すということがありません。時間がない。一度読んだことを忘れての再読は別にして、純粋に再読、再々読をした本といえば20冊あるかどうか。
脱線ついでに書いておけば、多分一番回数が多いのが小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、次が横溝正史『本陣殺人事件』『蝶々殺人事件』『獄門島』『八墓村』、半村良『石の血脈』、藤沢周平『用心棒月影抄』、江戸川乱歩の短篇、筒井康隆の諸作とまあ、ミステリ主体で純文学なんてすべて一過性。無論、読み直したいなあとは思います。でも、今を追いかけるほうが忙しい。
でも、です。面白くなければ途中で止めればいい。幸い、次女は『ゲド戦記』の4巻以降は読んでいても、肝心の本編3冊を読んでいません。浪人中の身でもあるし、まだ本格的な受験勉強が始っていない。私が読まなくても、彼女が読むかもしれない。一応、『ギフト』三部作は楽しんだようだし、アニメにもなったんだからきっと読むだろう、って。
幸いなことに私は『ゲド戦記』の内容を全く覚えていません。本も持ちやすそうな版型だし、キレイな本で読み直すっていうのもありかな? そんな気持ちで読み始めたのです。そして以前と同様、難しく、登場人物に感情移入できず、ワクワクするような気持ちになることはなかったものの、だから面白くない、のではなく「それでも面白い」と思いました。
詳細は今後、6冊の評を通じて書いていくことになりますが、これは「指輪」とは全く違った意味でファンタジー(この分類が正しいか疑問ですが)の傑作であることを確信しました。でも、これを子どもが読んで楽しむというのはないだろうなあ、中学生でも無理かもしれなくて本当は社会人にならないと、理解はできないんだろうなあ、と思いました。
カバー後の言葉は
アースシーのゴント島に生
まれた少年ゲドは、自分に
並はずれた力がそなわって
いるのを知り、真の魔法を
学ぶためロークの学院に入
る。進歩は早かった。得意
になったゲドは、禁じられ
た魔法で、自らの〈影〉を呼
び出してしまう。
●中学以上
です。内容はこれだけにして、気になるのは、訳者あとがきで、清水が続巻である『2 こわれた腕輪』『さいはての島へ』の筋を書いてしまっていること。これは以前読んだ時は気にならなかったけれど、こうしてあらためて読めばネタバレだろう、私だってこういうことを書評で書いたら出版社から削除指示がであるのに(実際に、全然ネタバレでもないのにタイトルにクレームがあって書評自体を削除しているものもあります)、岩波のこの寛容ぶりはなんだ?なんて思います。
それ以上気になるのが、少年文庫版によせての
ゲドに真の名前を授けた大賢人の通称オジオンの表記です。ogionは作中でもふれられているように、モミの木になる松かさの実をいい、カタカナ表記ではオギオンとすべきところでした。それを訳者の私は日本語版の初版を出すときに誤って表記、まちがいに気づいたときにはすでにオジオンは、その魅力的な人物像のゆえもあって、日本の大勢の読者の方々に迎え入れられており、私は訂正の機会を逸しました。ようやくお詫びがかなったのは二〇〇四年五月に出版された『ゲド戦記外伝』の「訳者あとがき」においてです。この少年文庫発刊はオギオンに改める絶好の機会だったかもしれません。けれど迷ったあげく、オジオンを踏襲することにいたしました。すでに人格をもって歩き出しているオジオンを亡き者にすることができなかったからです。この本で初めてオジオンに出会われる方には誤りを強いることになりますが「オジオン」を受け容れてやっていただけたらと願っております。
です。巻の編成は作者の要望によって今回改めている、それについては何のためらいもないのに、人の名前も誤りを訂正しないというのは、このゲド戦記そのものの精神を否定することではないのでしょうか。名前を知ることはそのものを知ることであり、名前を明かすことは己を相手に差し出すといってもいい重要なことです。
それを過去への執着から、放置する。それを許してしまう岩波の姿勢にも疑問を感じますが、「初めてオジオンに出会われる方には誤りを強いる」と言って恥じない訳者には、疑問を超えた怒りを覚えます。この本を読んでそだった子供たちが、海外の人とこの本について語り ogion にふれた時、なにが起こるか考えたことがあるでしょうか。
多くの子どもは、今回の本で初めて『ゲド戦記』に触れます。それを考えて欲しい。間違っているけれど親しんでいるから直さない、過去の間違ったものを次世代に押し付ける無神経さと傲慢。正直に告白しましたから許しては、あくまで過去のこと。それは構いません。でもごり押しはいけません。語感としてもオジンのようなオジオンには疑問を感じます。
それにしても、ゲドの傲慢なことといったら、どうでしょう。若さゆえ、と許すにはあまりに彼の言動は愚かで思慮に欠けます。そういう点では、まだ新作『ギフト』三部作の登場人物たちのほうが大人というか、地に足がついている気がしてなりません。こういうゲドの設定が、このゲド戦記のあり方を変えていくのですが、それは作者も読者にもこの時点では想像もできなかったわけで、文学が生き物であるということがよくわかります。
ゲド戦記 5 ドラゴンフライ
2009/09/09 19:49
本編とは切り離して読める中短編集です。どれも重いテーマを扱っていますが、話そのものはファンタジー風で、本編よりは手軽です。何度でも読み返せる点が魅力かも・・・
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前、『ゲド戦記外伝』としてでていたものを、作品の発表時期から判断して、本編に組み込み今まで第5巻であった『アースシーの風』と順番を入れ替え、あらたに第5巻にしたものです。先に結論を書いてしまいますが、『アースシーの風』を読み終わると今回の選択が失敗であったことが良くわかります。
むしろ巻番号を外して、単純に外伝としていつ読んでもいい、極論をいえば最初に読んでも構わない、なんて思います。今回の少年文庫版での判断としては、「オギオン」となるべきものを過去の経緯から「オジオン」のままとしたことと、この第5巻への組み込みは、単に翻訳者一個人のメンツや思いつきでなされたもので、『ゲド戦記』にとっては不幸な選択だったと言えます。
ちなみに、特に表題作は「『アースシーの風』と深いかかわりがあり、先に書かれたこちらを読むと理解が早い」といった解説をしているネット書店もあるようですが、理解を早くするだけならば解説書やアニメをみたり、最終巻から読めばいいので、そういう説明は読書を楽しむものにとって一顧だにする価値のないものです。出版文化の発信者としてもっと考えた文を書いて欲しかった・・・
で、作品は本編とは独立したものなので、手軽に読めるといったメリットがあります。ただし、この本を入口にして『ゲド戦記』の世界に入っていこうというのは、難しいかもしれません。本編5巻『影との戦い』『こわれた腕環』『さいはての島へ』『帰還』『アースシーの風』の世界は、時間、空間が大きく変わるものでかなりの読書経験がないと途中で挫折すると思います。
内容紹介は、カバー後の案内を借りれば
ある少女が、自分の持つ力
をつきとめるため、大賢人
不在の魔法の学院ロークを
訪れる。表題作を含む、ア
ースシー世界を鮮やかに映
し出す五つの物語と、作者
自身による詳細な解説を収
録する。
『ゲド戦記外伝』を改題
●中学生以上
とあっさりとしたものです。目次に従って5篇をもう少しこまかく紹介すれば
・カワウソ:ハブナーの港の造船所で働く船大工の息子がみせた力は、海賊と魔法使いの目を惹き、魔実をかけられ魔法使いのために王を探す手伝いをすることになるが・・・
・ダークローズとダイヤモンド:金持ちの商人の息子ダイヤモンドは魔法使いの娘ローズと仲良し。あるひ、息子のもつ魔法の力を認めた父親は子供を魔法使いのもとに預けるが・・・
・地の骨:魔法使いダルスのもとに現れた少年は、彼のもとで学びたいという。それがダルスと一級の職人ダンマリとの出会いだった。忙しいダルスはなぜかダンマリが気に入って・・・
・湿原で:酒飲みの弟と暮らすメグミのもとに現れたみすぼらしい身なりの美しい男オタクは、この地方の病気に罹った動物をなおしたいと言って、彼女の家に宿泊をするが・・・
・ドラゴンフライ:没落した地主アイリアの娘ドラゴンフライは酒びたりの父親の反対を押し切り密かに魔女から名前を付けてもらい、その後ゾウゲという男に出会う・・・
となり、さらにこの本の目玉ともいえるアースシーの世界観について、文化や歴史、伝説などの、作者による「アースシー解説」、訳者あとがき、少年文庫版によせてがつきます。カバー画はデイビット・ワイヤットです。
どの話も密度が濃く、テーマ性が強いものなので甲乙つけがたいのですが、私は「湿原で」が好きです。ある意味、もっとも神話的というか、奥が深い気がします。次は「地の骨」と「ドラゴンフライ」。本編の理解を助ける上では後者に軍配をあげますが、話としてはオーソドックスな前者、いい勝負でしょう。
それと「アースシー解説」ですが、いろいろ組み替えるなら、これこそ本編の最終巻である『アースシーの風』の巻末につけたほうが親切ではなかったのかと思います。それと地図です。巻頭に地図は分かるのですが、この解説をよく理解するためにも、ここに再掲したほうが良かったのではないでしょうか。あるいは地図だけは別紙にしていつでも見ることができるようにするとか。
それと、表題作「ドラゴンフライ」は、このお話が日本で2004年に初めて訳出され『ゲド戦記外伝』として出た時は、「トンボ」というタイトルでした。別の話ではありませんので、一応、断っておきます。
ゲド戦記 2 こわれた腕環
2009/08/06 19:20
一巻とは打って変わって、この巻では舞台が地下になります。そして、ゲドとならんでシリーズの核となるあらたな人物が登場します。また、展開はゆっくりとなり神話の影が濃密になります。
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
少年文庫版が出たのを機に、再読を始めたゲド戦記、第2巻のカバー後の案内は
ゲドが〈影〉と戦ってから数
年後、アースシーの世界で
は、島々の間に争いが絶え
ない。ゲドは、平和をもた
らす力をもつエレス・アク
ベの腕環を求めて、アチュ
アンの墓所へおもむき、暗
黒の地下迷宮を守る大巫女
の少女アルハと出会う。
●中学以上
です。第一巻『影との戦い』に比べると、全体は極めて地味です。動きは殆どない、といってもいいくらいで、それが後半になってやっと動く、そういうものです。これは神話世界に由来を持つ話で、よくル=グウィンについて文化人類学に造詣が深い、といわれますが、それがストレートに出たのがこの巻といっていいでしょう。
そして、この巻を期に全体の主役がゲドからアルハ、というかテナーになっていくらしいのですが、それはあくまで予感に過ぎません。私は全6巻を過去に読んではいますが、前はポツポツと時間をおいて読んでいたので、そういう構造的な変化をうまく把握できていませんでした。
この巻でいえば、確かにゲドの影は薄くなります。だって、彼が登場するのは話が半分ほど進んでからなんです。だから、ごく当たり前に第一巻の延長としてこの話を読んだ人は、ゲドの名前が見える第6章になるまでは首をひねることでしょう。とはいえ、壁画の間でのアルハと囚われの男との会話に漂う緊張感に、男と女、大人と子供、文明と未開とといった新たな物語要素の展開を感じて思わず先を読み進んでしまう、そういうお話です。
それにしても、アルハがゲドに寄せる思いというのが、単なる恋愛感情ではない、すくなくともこの巻では、自分がなぜこの男を殺さず生かしておこうとするのか、というのが判然としないまま物語が展開するというのが、いかにもリアルです。そこらが、そういう話をあっさりと男女関係にしてしまう俗なファンタジーと一線を画しているところと言えそうです。
それとエレス・アクベの腕環です。このシリーズだけではなく、ル=グウィンの多くの著作に言えることですが、彼女はとことん説明をしてしまう、ということがありません。なぜ、こういう話になったのか、といった基本的なところを案外あっさりと書きます。正直、私などはこの腕環の由来をきちんと書ける自信がありません。
むしろ、ル=グウィンはそれをよしとしているところがあります。ですから、最後まで読んで腑に落ちるかというと、必ずしもそうではありません。なぜ? どうして? そういう気持ちを抱かせる、読者が自分で考え自分たちの手でいく通りもの話を編み上げるのを待っている、そういう感すらあります。そこが『指輪物語』とが大きく異なりますし、私が安易にゲド戦記より指輪のほうを高く評価してしまった所以でもあります。
今回は少年文庫になって続けて読むことができるので、全部読み終わったときには、テナーの扱いも含めて、もっと別の理解と評価ができるのではと期待しています。正統的な解釈は訳者の清水真砂子が、あとがきで詳細に書いていますので、読んでみてください。ただし、あとがきは少年文庫版用に書き直された部分は少なくて、旧版のものがメインです。
清水が予感したテナーが中心になっていくという話の流れのありかたと、原作の出版当時アメリカで起きた女性運動が関係しているというのは、以前から言われていることですが、少年文庫の対象読者である少年少女には、少し情報不足の感がします。折角の少年文庫版なのですから、この作品が書かれた時代も含め、もっと丁寧に説明してほしいと思います。
ちなみに、神話のなかでも神殿や迷宮、地下道が好きな私にとって、今回のお話の舞台はまさにうってつけのものでした。子供もこういう場所が好きなんです。胎内回帰願望というのは絶対にある、私はそう思いますし、今回もそれを確信しました。そういう方には、話はまったく違うのですが、久生十蘭『地底獣国』や横溝正史『八つ墓村』をお薦めしておきます。
最後に、参考としてこの巻の目次を写しておきます。
プロローグ
1 喰らわれし者
2 石垣
3 囚われの者たち
4 夢と物語
5 地下のあかり
6 捕われた男
7 大宝庫
8 名まえ
9 エレス・アクベの腕環
10 闇の怒り
11 西方の山
12 航海
訳者あとがき
少年文庫版によせて
さし絵 ゲイル・ギャラティ