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4件
ヤノマミ
著者 国分拓 (著)
ヤノマミ、それは人間という意味だ。
ヤノマミはアマゾン最深部で独自の文化と風習を1万年以上守り続ける民族。シャーマンの祈祷、放埒な性、狩りへの帯同、衝撃的な出産シーン。150日に及んだ同居生活は、正に打ちのめされる体験の連続。「人間」とは何か、「文明」とは何か。我々の価値観を揺るがす剥き出しの生と死を綴ったルポルタージュ。
ヤノマミ
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ヤノマミ
2011/06/15 22:45
人も動物も、生も死もすべてが大きな空間の中で一体となっている世界
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ろこのすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルの「ヤノマミ」とは、ブラジルとベネズエラにまたがる深い森に生きる先住民の部族の名前であり、「人間」という意味である。
1492年にコロンブスがやってくる以前、南米大陸には多くの先住民が暮らしていたが、多くの部族は「文明」側によって持ち込まれた病原菌によって絶滅した。
「ヤノマミ」は「文明」による厄災から免れた奇跡的な部族である。それはアマゾンの奥の奥、未踏のジャングルで暮らしていたため、虐殺や病原菌による絶滅から逃れることができたのだ。
著者は2007年の11月から2008年の12月にかけてドキュメンタリー番組を作るため今なお原初の暮らしを続けている「ヤノマミ」族と150日間同居した。本書はその150日間のドキュメントである。
赤道直下の未踏のジャングルの中の生活は、朝6時きっかりに陽は昇り、夕方6時きっかりに陽が沈む。あとは漆黒の闇。森の奥の暗闇には、巨大なムカデ、噛まれれば二時間で死ぬと言う毒蛇がすんでいる。
便意をもよおして茂みに入っても、毒蛇におびえ、吠え猿の声や、肉食獣のジャガーのうなり声の中、速攻でしなければならない。
「ヤノマミ」族との暮らしは、事前に同居の了解を得ていたにもかかわらず、目の血走った男に「お前たちは敵なのか、災いを持ってきたのか、敵なら殺す」と凄まれる中での生活がはじまる。
アマゾンの未踏のジャングルに原初のままの生活をしている部族の生活ぶりが刻々と描かれていて、言葉を集めて理解すること、意思の疎通を図ることからはじまり、男の役割、女の仕事、狩の様子(猿狩り)、名前の付け方、結婚と性、シャーマンの存在と祈祷、精霊と出産、文明がもたらしたものなど章だてて150日間の生活がドキュメントされている。
最も印象的な場面は出産である。ヤノマミの女は必ず森で出産する。ヤノマミにとって産まれたばかりの子供は人間ではなく精霊なのだという。精霊として産まれた子供を人間として迎え入れるのか、それとも精霊のまま天に返すのか、それは母親が決めるのだ。
産まれたばかりの子を殺めてしまう母の決断はいったい何なのだろうか?女たちは習慣とか伝統とか経済といった小さな理由でなく、もっと大きな理由。善悪を超えた大きな理の中で決断している。その理が何かと問われれば、森の摂理としか言いようがないと著者は言う。「文明」側からのものさしで彼らの理をはかることはできない。
子供のなきがらはシロアリの巣に納められ、シロアリがすべてを食いつくしたあと、巣と共に燃やされる。
文明社会では殺すもの(家畜)と食べるものとが別人だから、何を食べても心が痛まない。しかし、彼らは、生きるために殺し、感謝を捧げてから土に還す。「死」が身近にあって、いつも「生」を支えているのだ。
ヤノマミにとって死後は精霊となって「ホトカラ」(天空)(宇宙)という「第二の生」を送る場所に行くと信じられている。
彼らには、人間と精霊、天と地、生と死がつながっているのだ。人も動物も、生も死もすべてが大きな空間の中で一体となっている。優劣とか善悪とか主従ではなく、ただあるものとして繋がっているのだ。
未踏のジャングルの中の部族にも、「文明」が侵食してきだした。このドキュメンタリー製作もそうであるが、文明の利便性や、シャーマンの祈祷では治せない病を文明人の薬で治ることを知ってしまった彼らが、ナイフを捨てて石器にもどることができるだろうか。
本書によって、彼らの固有の文化や伝統、生活を知ることができたが、彼らの生活がこれからも営々と原初のままでいられるだろうか。
知らない世界を覗かせてもらった感動にひたりながら、未踏のジャングルに入ってしまった「文明」をひそかに憂う気持ちになった。
ヤノマミ
2011/05/03 21:59
ヤノマミの森での壮絶な150日の記録
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Shinji@py - この投稿者のレビュー一覧を見る
死者の弔い方は文化の鏡と言われるが、ヤノマミは遺骨を食べる。
本書は、生まれたばかりの子供を白蟻の巣の中に入れる衝撃的な場面が話題になったNHKのドキュメンタリー『ヤノマミ』を制作した著者の渾身のルポタージュ、南米アマゾンの先住民族ヤノマミの村で生活を共にした合計150日にもわたる命がけの取材の記録、映像にできなかった多くのエピソードを含む貴重な学術的資料である。囲炉裏に埋めた死者の骨を食べる「死者の祭り」は撮影が許されなかったそうだ。
「ナプ急げ!」狩りの取材では、子供たちにそう言われながら、取材スタッフたちは必死で森の中の彼らを追う。「ナプ」とはヤノマミ以外の人間、もしくは、人間以下のものという意味だ。けっして批判の目を向けない取材姿勢が、ドキュメンタリー『ヤノマミ』を生んだことがわかる。
生と死、自然と人間が混然一体となった世界が広がる。それは、私もかつてやみつきになったガルシア=マルケスの『百年の孤独』の世界だ。例えば、4年と11か月と2日雨が続いたという挿話も、ヤノマミの森では違和感がないと著者は言う。
本書終盤では、徐々に「文明」側からの視点に移り、ファンタジーの世界から引き戻される。ブラジルでの先住民保護の運動にも触れ、政治の世界で戦うヤノマミも紹介される。町に研修に来ていたヤノマミを、著者が取材の帰りに訪ねたとき、脇に置いてあった弓が空港の土産物のようだったそうだ。森ではあれほど頼もしく見えた物が。余計な劣等感を感じないで森に帰ってほしいと著者は願う。
映像ではあまり印象になかった「偉大なシャーマン」の言葉の意味や製作者の意図が本書を読んでわかった。オマム(神)の知恵を「ナプも知らねばならない」とシャーマンは言う。ヤノマミの村がこのままであってほしいと私は思った。
ヤノマミ
2016/05/25 22:12
母親が選ぶ「生」
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:tomoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
10年間もブラジル政府と交渉し、取材を許可されたドキュメンタリー。
テレビ番組を見たことがきっかけで本も手に取った。
ヤノマミ族としてはベネズエラとの国境沿いにもいるそうだ。
もっとも衝撃を受ける場面は、ヤノマミ族では、生まれた赤ちゃんを育てるかどうかを決めるのは母親であることを、実際の映像で目にするときだ。
それは、赤ちゃんを人間として育てるか、精霊として天に還すかの選択である。
出産直前になった母親は一人で森の中に姿を消し、出産する。
出産してへその緒がついている状態で、母親が抱き上げるまでは、赤ちゃんはまだ「精霊」だという。
その後「育てる」ことを選択したら、バナナの葉に胎盤をくるみシロアリに食べさせ(出産の儀式)、赤ちゃんを抱いて村に連れ帰る。
しかし、「精霊として返す」選択をしたときは、へその緒がついたままバナナの葉にくるみ、アリ塚に入れる。赤ちゃんはシロアリに食べられるのだ。シロアリが赤ちゃんを食べた後、そのアリ塚を燃やし、神に報告する。
ドキュメンタリーでは、夜の暗闇の中、生まれたばかりの赤ちゃんを足元に置き、見つめている母親の姿もとらえている。「首をしめ、シロアリの巣に入れた」という言葉も紹介する。
精霊に返すことを選ぶ理由はいろいろあるが、狩りで生きる生活で食べさせていけるのか、また赤ちゃんの父親や村の意向も実際にはあるらしい。
ただ、母親が生んだ赤ちゃんと戻ってきても、一人で戻ってきても、誰も何も聞かない。ただ、受け入れる。
赤ちゃんと戻ってきたら、部族の一員としてみんなで育てる。
ヤノマミ独特の世界観に基づく行為だ。
てっきり、精霊になるのが最後なのだと思ったらそうではないらしい。
なんと、精霊もやがて死ぬというのだ。
その後、男はハエやアリとなり、女はノミやダニになって地上に戻る。
地上で生き、天で生き、虫となって消える。
極楽浄土、輪廻転生、神による救済と違う世界。
本も淡々とした筆致で好感が持てるし、ぜひ番組映像でも見て欲しい作品。