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エンデの遺言「根源からお金を問うこと」
著者 河邑厚徳 (著) , グループ現代 (著)
『モモ』『はてしない物語』などで知られるファンタジー作家ミヒャエル・エンデのラストメッセージに導かれながら、実体経済や生活現場から乖離し暴走しはじめている「お金」を根源から問い直す旅に出かけた。忘れられた思想家シルビオ・ゲゼルなどの「老化するお金」の考え方や、欧米に広がる地域通貨の試みの数々をレポートする。
エンデの遺言「根源からお金を問うこと」
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エンデの遺言 根源からお金を問うこと
2008/06/05 00:57
利子がつかぬ通貨が地域に果たす役割
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
モノは、時間がたてば古くなり価値がなくなるのに、通貨は長期間保有するほど利子がついてもうかる。モノやサービスとの交換手段にすぎない通貨が、なぜそんな特権的な機能をもつのか--という疑問が全編にわたって提示されている。
利子が得られるからためる。ためこむから流通がとどこおり、社会全体の購買力が減り、不況をもたらす。「利子」は商品やサービスの価格に付加されるから、けっきょく末端の消費者が損をする。利子で生活ができる金持ちと、微々たる貯金しかできない庶民のあいだの不平等を生みだすことになる。
それを解決するために「地域通貨」が登場する。他のモノと同じように、時間がたつほど価値が減る、あるいは価値が増えない。
「庭掃除」とか「家具作り」とか、会員が自分の提供できるモノやサービスを登録し、その報酬を地域通貨でうけとる。会員の商店やホテルでは、全部または一部を地域通貨ではらえる。
また、1カ月ごとに1%の額のクーポンを買って裏面に貼らなければつかえない、といった価値が減るシステムを導入することで、できるだけ早くつかおうとする。だから通常の通貨の数倍のスピードで流通する。実際、1929年の大恐慌時に地域通貨を導入し、雇用増と活性化に成功した町もあるという。
地域に限定した通貨だから、金・資本がコミュニティの外部に流出しない。大規模店の進出で危機に直面する商店街などでも効果をあげる可能性がある。多国籍企業に対抗する手段にもなりうるだろう。
さらに、個々人が自らの思わぬ能力を開発することにつながるケースもある。地域通貨のネットワークに参加することで、自ら提供できるサービスやモノをかんがえる。普通のカネの世界では仕事とみなされなかったささやかなサービスや品物が新たな仕事として浮上する可能性があるという。
ただ、「減価する通貨」を導入しさえすればいい、と単純に結論づけることはできない。ハイパーインフレの社会では「減価する通貨」があたりまえであり、貯蓄しても意味がないから、すぐにモノを購入し、貯蓄が意味をなさず刹那的に生きるしかない……。
そう考えると、地域通貨はあくまで「地域」に限定するから有効であるととらえたほうがいいのだろう。
いずれにせよ、カネの考え方を180度かえる興味深い本だった。
2017/09/27 06:28
生き方そのものを見直すきっかけに
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:njmknk - この投稿者のレビュー一覧を見る
当たり前と思っている現代の経済社会=お金を増やさなけば生きていけないという思い込みを根本から問い直し、貨幣を交換手段としての役割に回帰させ、相互扶助の理念による充実した生き方の可能性が示される。エンデのエピソードは前半のみ。
エンデの遺言 根源からお金を問うこと
2011/04/29 10:15
本書でエンデが示した地域通貨の可能性によって、今日のデフレ脱却への可能性も見出せる。要はお金は使い様なのである。
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:チルネコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本好きな方が『エンデの遺言』というタイトルの〔エンデ〕という部分でまず始めにピンとくるのはたぶんミヒャエル・エンデだろう。本書の〔エンデ〕というのはまさしく『モモ』や『果てしない物語』を書いたミヒャエル・エンデその人である。しかし、そういう一般的なファンタジー作家というイメージとは違い、【お金】の根源を問うエンデのアプローチを形にしたものが本書なのだ。といってもタイトルにあるように本書はエンデが著したものではなく、お金の根源を問うエンデとドキュメンタリーを作りたいと考え先だってインタビューを行っていたそのテープを元に書かれたものである。なぜ自身で書かなかったのかというと、エンデはドキュメンタリーが製作される前にこのテープを残して他界してしまったのからなのだ。しかし、どうしてもそのテープにあるエンデの遺言ともいえる熱弁を番組にして伝えたいという想いから、ドキュメンタリーが製作され本書が出版されたようである。そして、ここに書かれていることは、エンデが熱心に「お金の本来の形」を語る姿だった。
僕も『モモ』は一応幼少期に読んでいたのでおぼろげながら内容の記憶はあるのだが、実はあの作品にも「お金」を問う問題意識が隠されていたのである。〔灰色の男〕を何かに置き換えてみるとたぶんやんわりとでもイメージが掴めるだろう(思い浮かばなければ再読を)。それほど以前からエンデは「お金」というものに疑問を投げかけ、経済学者などと親交を深め論じてきたようなのだ。その証拠にエンデの本棚にはゲゼル『自然的経済秩序』、ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』、シュタイナー『社会問題の核心』、オンケン『ゲゼル全集』、ビンズヴァンガー『お金と成長』、マルグリット・ケネディ『利子ともインフレとも無縁な貨幣』、トルストイ『お金と何か』、ズーア『付加価値なしのお金』『利子とは泥棒だ』など、数多くのお金を論じた著作が並んでいたようだ。
それらのタイトルを読んでいくと漠然とではあるがいくつか見えてくるものが、はっきりと「利子」というものへの問題提起がタイトルからでも見えてくるだろう。だがまずはエンデが最も影響を受けたであろうゲゼルやシュタイナーの「お金の価値は減らなければならない」「お金は老化しなければならない」というテーゼに注目したい。自然界のものも人間が創造したものもすべて老化を経て消滅するというプロセスを必ず持っているが、お金に関しては老化もせず消滅もしない。人がいるかぎり膨張を続けるという得意な創造物で、これはいつか破綻に突き当たるという。確かにそれは至極最もなことでマルグリット・ケネディも「このままのシステムでいけば100年ないし200年で経済は破綻を迎える。これは計算をすれば誰でもわかることだ。」と言っているくらいである。加えて貯蓄からは利子も産まれ、お金は刷られるほど膨張してゆく。しかし、これはお金の本来の形ではなくて、お金もその他の物と等価交換されれば、役割を終え老化し消滅しなければならない。あるいは価値を減らしていつかは消滅しなければならないという。
実はこれはすでにオーストリアのヴェルグルという町で地域通貨という形で実践されていて、それが「スタンプ貨幣」というもの。これはスタンプによって一ヶ月ごとに価値が1%下がるという貨幣で、持ってても増えないばかりか、逆に使わなければどんどん価値が減少するというものなので、皆がすぐに使う。皆がすぐ使うということはこの貨幣が町でどんどん潤滑し貨幣の流通が滞ることがなくなったのである。これは町単位だったとはいえ大成功を収めたようだが、オーストリア政府の「紙幣の発行は国の独占である」ということから介入にあい禁止される。
しかしそれらの試みが地域通貨としての嚆矢となり、LETS(地域交換取引制度)や交換リングやSELなど、世界では現在2000以上の取り組みが行われているのである。驚くなかれ、実はわが国でも並行通貨というものは全国どこにでも存在していて、100や200はくだらないようだ。だが、地域通貨が流通している実感があるか?といわれると正直全くないのである。大概の方が実感してないことと思うが、これが問題でまだ全然浸透してないのである。
しかし、ニューヨーク州イサカという地域を見てみると地域通貨というものがほぼ町に浸透しているのだから驚いた。人口3万人の町で発行されている「イサカアワー」という地域通貨は、町のほぼどこでも使えるお金として流通しているのである。地元の銀行や数十社の企業でも扱われていいて、政府もこれを公認してるというのだからこれはもう成功例といっていいだろう。これを経済がどうにもならない日本でもやればいいと思うのだが、悲しいかな日本では「イサカアワー」にょうな地域通貨は違法になってしまうようなのだ(苦笑)もちろん米国では合法。しんどい国だ。。。
「イサカアワー」が成功してるのは「個人での労働に対する純粋な対価としての通貨」だからである。政府発行紙幣はどんどん資本に吸い取られていくが、イサカアワーは第二通貨として貯め込まれることもなく、法定通貨を補うためとして使われているからだと思う。ほかにも成功してる地域通貨はいくつもあり、法定通貨を補うお金として、現在の金融システムなどと切り離された存在で地域を救済してくれるのではないだろうか。
エンデは言う。「お金を変えられないことはない。人間が作り出したのだから」と。ネットマネーなど新たな形のマネーも登場してきているが、人の考え方次第ではまだ取り戻せるものがあるかもしれないという可能性を魅せてもらった。