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わたしたちが孤児だったころ
上海の租界に暮らしていたクリストファー・バンクスは十歳で孤児となった。貿易会社勤めの父と反アヘン運動に熱心だった美しい母が相次いで謎の失踪を遂げたのだ。ロンドンに帰され寄宿学校に学んだバンクスは、両親の行方を突き止めるために探偵を志す。やがて幾多の難事件を解決し社交界でも名声を得た彼は、戦火にまみれる上海へと舞い戻るが……現代イギリス最高の作家が渾身の力で描く記憶と過去をめぐる至高の冒険譚。
わたしたちが孤児だったころ
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わたしたちが孤児だったころ
2014/07/08 19:08
読みたいと思う作家の怪しげなミステリー
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wayway - この投稿者のレビュー一覧を見る
流石に著者の作品だ。残る残る。ジーンとして尚且つズーンと残る。
今回は、探偵である。しかも1930年代の上海から始まる。
とてもミステリアスである。
そして、舞台設定、人物設定も不思議さが蔓延している。そして、むしろ
あやしげな人しか出てこない。
純真無垢に信じることができるのは、ジェニファーぐらいか。
タイトルが、また重圧感がある。この「わたしたち」という複数形が示す
のは誰なのか?「だったころ」とは意味深であるが、訳そのままをとって
もよいのか?
本書特有の、思い出しながら過去へ過去へと遡っていく文体も、慣れてし
まうと癖になる。こういう文章に親しみを感じると、もう薄っぺらい表現の
小説は、残らなくなり流れてしまう。
本当に優れた作家の作品は、やはりいつまでも身体に残ってしまうものであるということを、著者によって知り得たことが何よりの財である
わたしたちが孤児だったころ
2011/02/13 16:52
大人になりきれない者の対価は、結局周りが払わざる得ないのか。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mayumi - この投稿者のレビュー一覧を見る
上海の租界で暮らしていた少年は10歳の時、両親が失踪してイギリスに帰る。
長じて、探偵となった彼は両親の行方を捜すべく、再び上海に戻ってくる。
主人公、クリストファー・バンクスの視点でずっと語られる。
も、カズオ・イシグロ氏の語り手はあてにならないと、他の作品読んで知ってるから、そういう覚悟で読み始めたけどやっぱり、結局のところ真実はどこにあったのか見失ってしまうのである。
「真実はたった一つ」と毎度言ってる探偵もいますが、イシグロ氏はそれは個人の価値観でしかないと、常に示唆してるのかもしれない。ただ、語り手は自分が語っていることが真実であると完全に信じているけど。
信じすぎることで、盲目になる、視野狭窄になること。そしてそのことが、周りに与える影響を、描いているように感じた。
視界が狭いのも独りよがりなのも、子供であるなら許される。そしてそれは世界を揺さぶることはない。が、大人になってしまった主人公は、大人になりきれなかった部分をなんとかするために上海に戻ってこなければならなかった。が、もどって彼が得たものは、別の空虚でしかない。
彼は、空虚の上書きをしただけなのだろう。
ただ、自分が傷つくことなく、そういった代償を周りに振りまいて…。
とはいえ、イシグロ氏のほかの作品に比べると、相当エンターテイメイトしている。
上海時代の幼馴染の日本人の少年とのノスタルジーや、社交界の花形でのちに上海で再会することになる女性や、養育することになった孤児の少女など、次々と現れる個性的な人物が、主人公の冒険に花をそえている。
…「わたしを離さないで」より、こっちの方が映画化に向いてる気がするんだけどね。
わたしたちが孤児だったころ
2006/08/12 08:43
最近では日本人の多くが、第二次大戦中に中国で何をしてきたのか小説で表現する気がなくなっているようですが、このお話の遠景にみえるそれはとてもリアルです
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は先日、同じカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を絶賛したばかりですが、今まで10年以上も気にしながら、決して手にしようとしてこなかった彼の作品を読むことになった、それが今回取上げる『わたしたちが孤児だったころ』の文庫版の新聞広告でした。それは、次に示すカバー後の解説の抜粋でした。
「上海の租界に暮らしていたクリストファー・バンクスは十歳で孤児となった。貿易会社勤めの父と反アヘン運動に熱心だった美しい母が相次いで謎の失踪を遂げたのだ。ロンドンに帰され寄宿学校に学んだバンクスは、両親の行方を突き止めるために探偵を志す。やがて幾多の難事件を解決し社交界でも名声を得た彼は、戦火にまみれる上海へと舞い戻るが・・・・・・現代イギリス最高の作家が渾身の力で描く記憶と過去をめぐる至高の冒険談。」
今回、文庫化に際して、カバー写真がハードカバーのそれとは変えられていますいますが、個人的には今回が正解。翻訳は入江真佐子。カバーデザイン 守先正+桐畑恭子、カバー写真 Bettmann/CORBISです。目次から各章のタイトルを写しておけば
PART 1 1930年 7月24日 ロンドン
PART 2 1931年 5月15日 ロンドン
PART 3 1937年 4月12日 ロンドン
PART 4 1937年 9月20日 上海、キャセイ・ホテル
PART 5 1937年 9月29日 上海、キャセイ・ホテル
PART 6 1937年10月20日 上海、キャセイ・ホテル
PART 7 1958年11月14日 ロンドン
古川日出男の解説 「もう、よせよ。忘れた振りなんかするなよ」
となります。
時間のとり方が面白い小説で、第一章はタイトルこそ1930年7月24日となっていますが、冒頭の言葉は「一九二三年の夏のことだった。」というように、安直に時代を決め付けることはできません。それは解説で古川が指摘してくれたせいで気付いたのですが、確かに不思議です。でも、それで読みにくいかといえば、まったくそういうことはありません。
この1923年に大学を出てロンドンで暮らし始めた主人公は、そこで友人に出会い自分の過去へと記憶を遡行していきます。そして、彼、クリストファー・バンクスの原点ともいえる上海で暮らしていた時へと溯るのです。そのきっかけとなるのがサラ・ヘミングスという女性です。
様々な男性と浮名を流すロンドンでは有名な女性の存在を、既にディテクティヴとして活躍していたクリストファーは全く知らなかったのです。ただし、サラと主人公が男と女の関係を持つかと言うと、これが全くそうなりません。彼女はさっさとサー・セシル・メドハーストという老人と結婚してしまうのですから。
でも、サー・セシルとサラの二人が世界を救うために上海に乗り込む、それを追う形でクリストファーは昔、アキラと遊んだ魔都に舞い戻ります。既に、探偵として有名になっていた彼が両親を見つけ出す為にやって来た、と上海の人々は彼に注目するのですが。
堂々たる時代小説です。ディテクティヴという主人公の職業から、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や辻仁成の『オキーフの恋人オズワルドの追憶』を連想する人もいるでしょう。第二次大戦が鍵となるという点では『ねじまき鳥クロニクル』を思う人がいるかもしれません。
ただ、この本で描かれる1937年の上海は、現実のそれというよりは殆どヴァーチャルな、幻想世界の魔都というに相応しい気がします。無論、お話はそんなお気楽なものではなくて、村上や辻のそれに優るとも劣らない重い展開をするのです。
ただし、『わたしを離さないで』までの高みにはありません。人類に突きつけられた刃物、のような深く冷たい、そして静謐な諦念、絶望はまだ遠くにしか見えていませんから。