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サーカス団員から作家になった「わたし」→踊り子からサーカス団員になった「トスカ」→動物園で人気者の「クヌート」
3つの話
特殊な世界と、時代背景になかなかついていけなかった。
最後のクヌートだけは覚えがあったのでそうかもなーと思いながらサラサラっと読めましたが、最初のトスカとわたしの話はなかなか・・・・。
表現とか流れは上手いなーと感じました。
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まず、装丁とタイトルが良いと思う。
ホッキョクグマ視点の物語でも、人間視点でも、文体が妙になまめかしくて、実際大した描写もないのになんだかエロティックな雰囲気の小説だと思った。
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2012.03.26. おもしろいです、ホッキョクグマの3代記。変に擬人化もされていなくて、ストレートなクマ視点(というのも、おかしいけど)で語られる奇妙な社会。オットセイが編集者だったり、現実との境界は曖昧で、不思議な世界に連れて行かれるような感じです。なにやら興味深い理屈屋さんで、亡命しながら自伝を書き綴る「祖母の退化論」が、1番興味深かった。ちょっと、人間の作家である多和田さんが書いたってこと、忘れそうになりました。
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これもくま。くまづいている。装丁がかっこいい。
3本収められた中編のうち、前2作はすこし難解なのだけど、最後の「北極を想う日」がとてもいい。
クヌートがかわいくてしかたがない。我々は指延長類である。
でも読後感は、ひっそりと静かで寂しい。
ところでわたしはいつも文章を読むときは脳内で音声再生されているのだけど、この本はそれがすごく難しかった。
村上春樹の小説を読むときのような、一度外国語で書いたものを日本語に翻訳したような印象ともすこし違う。
文章から、国籍のにおいがしない。
あるいは、男性の声、女性の声、どちらとも断じることができない。
文章から、性別の声がしない。
そして主体は熊である。熊が語る。
文章から、種族すらもすっぽりと抜け落ちている。
あらゆる境界がゆるやかに溶解しているのだ。
すごくすごく、不思議な、はじめての読書体験だった。
これだから、読むことはやめられない。
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ホッキョクグマ3代の物語。ファンタジーのようでうっとり感はなく、実話のように切実な声が聞こえる気がしました。
「祖母の退化論」(クヌートの祖母)「死の接吻」(クヌートの母、トスカ)「北極を想う日」(クヌート)の3章で構成されている。
自伝を書く祖母はやがて未来を描き、その未来にサーカスの花形になる娘、トスカが描かれる。トスカの息子で人間の手で育てられたのがクヌートだ。
本を途中で置いてから読むと誰が人間で動物なのか混乱してしまいました。2度読みをお勧めします。
クヌートの話を読むとそれ以前の話の繋がりが見えてきました。
ソビエト、東ドイツ、西ドイツ、カナダと舞台が政治体勢の要素を含みます。(特に祖母の進化論で)
他の方のレビューによると、クヌートは実在するようですね。
その辺りの解説を文庫本になったら読めるでしょうか。それを知るのと知らないのとでは作品の感想に随分差が出そうです。
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サーカスの花形から作家に転身し、自伝を書く「わたし」。その娘で、女曲芸師と伝説の「死の接吻」を演じた「トスカ」。さらに、ベルリン動物園で飼育係の愛情に育まれ、世界的アイドルとなった孫息子の「クヌート」。人と動物との境を自在に行き来しつつ語られる、美しい逞しいホッキョクグマ三代の物語。
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(2011.04.16読了)(2011.04.06借入)
三つの話が収められています。「祖母の退化論」「死の接吻」「北極を想う日」です。
主人公は、シロクマのような人間のような。外見はシロクマだけど、本人は、人間のつもりなのかもしれません。何せ、シロクマが一人称でしゃべっているのですから。
三代にわたるシロクマの物語のようです。(断定できるほどの読解力がありません)
本の中ではシロクマではなく、ホッキョクグマと言っています。ホッキョクグマの方が正式なのでしょうか?個人的には、シロクマの方がなじみです。
一代目、二代目はサーカス団に所属しているようです。二代目の名前はトスカです。三代目は、動物園で暮らしています。クヌートと言う名前です。主な舞台は、著者の住んでいるドイツです。
動物好きの方やちょっと変わった小説を読んでみたいという方にお勧めです。
●赤ん坊のシロクマ(7頁)
歩くのは不得手で、歩いているというより、よろけた勢いで偶然前に進んでいるようなものだった。
●子供にとっての排泄物(21頁)
子供にとって排泄物は誰の手も借りずに、たった一人で完成させた唯一の生産物なのだ。自慢したくなっても無理はない。
●三種類の動作(24頁)
世の中には三種類の動作がある。角砂糖の出る動作、鞭の飛んでくる動作、鞭は飛んでこないけれど角砂糖も出ない動作。(芸当を教えられているときの話)
●「寒い」とは(48頁)
「寒い」という形容詞は美しい。寒さを得るためなら、どんな犠牲を払ったっていいとさえ思う。凍りつくような美しさ、ぞっとする楽しさ、寒気のする真実、ひやっとさせる危険な芸当、冷たく磨かれた理性。寒さは豊かさだ。(寒さが好きなシロクマならではの形容です)
・一代目の話は、シロクマなのかロシア人作家なのかよくわからない話です。作家活動を始めたら、シベリア送りになりそうになったので、西ベルリンへ亡命し、さらにカナダへ行ったのか、行きたいと思っただけなのか、よく読みとれません。ソヴィエト連邦と言うものがあった時代の話です。
●トスカの母親(110頁)
トスカの母親はソ連で生まれ育ち、一度西ドイツに亡命し、そこからカナダに渡って結婚し、トスカを出産し、デンマーク生まれの夫の希望で家族で東ドイツの移り住んだという経歴の持ち主で、すでに亡命疲れしているそうだ。
・二代目のトスカは、サーカスの猛獣使いになったようだ。一代目の名前は、ウルズラだろうか。
・三代目のクヌートは、母親のトスカが育児拒否をしたために、動物園の飼育員によって育てられた。(ピースのことだろうか)
動物から見ると人間はどんなふうに見えるのだろうか、と言うことを著者は書いてみたかったのかもしれない。
●「カワイイ」(210頁)
「カワイイの意味はどういうこと?」
「取って食ってやりたいくらい愛らしいっていうこと。」
取って食いたいほどかわいいというのはどういうことだろう。あいつの故郷のサセボ国では、カワイイものを食う習慣でもあるのか。私は美味しそうな食べ物を見てもカワイイとは感じない。
☆多和田葉子の本(既読)
「犬婿入り」多和田葉子��、講談社文庫、1998.10.15
「尼僧とキューピッドの弓」多和田葉子著、講談社、2010.07.28
(2011年4月19日・記)
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物語として読むのではなく、想像力のシャボンのようなふくらみをさらっと撫でるように読むのが好き。
読み終わって何か残るというわけじゃなくて、読んでる間の浮遊感を楽しむ作家さん。
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ホッキョクグマ三世代の物語?ううんこれはもっと多くの人々(クマかな笑?)の物語。
”恋しい”という気分に満ちた幸せで哀しい物語。
トスカ、クヌート…名前を呼ぶよ
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帯の「その子をクヌートと名付けよう」で手に取った本。
クヌートの成長記とかクヌートに関わった人たちの物語っぽいのを想像してたので、
読み始めたら「・・・ん? ファンタジー?」という感じで
最初少し混乱しましたが、想像以上に面白かったです!
3編とも、少し哀しくて、雰囲気のある物語でした。
白クマ好きにはたまらないし、読むと白クマが好きになると思います。
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人の言葉を理解するホッキョクグマ三代の、哀しくも愛らしいお話。ホッキョクグマが人間社会に馴染んでいて、なんか可笑しくなるけど、人を理解できて、言葉が話せて、文字が書けるなら別に変じゃないかーなんて思っているうちに、この小説の世界にどっぷり。現実なのか夢なのか、人間なのかクマなのか…、次第にどっちでも良くなってきた。シロクマたちが話したり考えたりしてるイメージのお蔭で、皮肉も哀しみもなんのその。不思議な読了感だった。文章じゃないと描けない物語。面白かった。
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三代に渡るホッキョクグマの物語。
祖母の退化論‥オットセイに腹を立てる作家のわたし
死の接吻‥サーカスを舞台にウルズラの舌の角砂糖を舐めとるトスカ
北極を思う日‥トスカから育児放棄されたクヌート
この不思議な味わいのある小説は、夢か現かということだけでなく、熊が語るのか人間が考えるのか私が思うのか境界線が曖昧になり、それでいて文章は明晰で情景がくっきりと浮かび上がる。歴史への言及や人間への鋭い分析、文明批判も含めて非常に面白い。
クヌートのかわいい姿もオーバーラップし、実話?というようなところも、、、で、私は『祖母の進化論』が一番良かったです。
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新潮社装幀室
なんといってもカバーの熊が印象的。非常にマットな質感に刷られていて(書店店頭では汚れそうだけど。。。)、イラストにも見える感じ(写真だけど)。そこに入った淡いブルーのタイトル文字もステキなバランス。
表紙は、ファーストヴィンテージに幾何学模様が色刷りされて、カバーとは一転、温かい感じ。
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サーカスの花形から作家に転身し、自伝を書く「わたし」。その娘で、女曲芸師と伝説の「死の接吻」を演じた「トスカ」。さらに、ベルリン動物園で飼育係の愛情に育まれ、世界的アイドルとなった孫息子の「クヌート」。人と動物との境を自在に行き来しつつ語られる、美しい逞しいホッキョクグマ三代の物語(「BOOK」データベースより)
ベルリン動物園に実在したホッキョクグマのクヌート。
ニュースなどで彼の愛らしい姿を見かけたことがありましたが、実際ホントにこんな母や祖母がいたと言われても「あ、そんなご先祖がいらっしゃったんですか、なるほどなるほど」と納得してしまうくらいのめり込んで読んでしまいました。
実は多和田さんの作品をちゃんと読んだのは初めてなのですが(短編をどこかで一つくらい読んだかも・・・)、リアルと虚構の混ぜ具合が絶妙でちょっとクセになるかも。
祖母の退化論(祖母)・死の接吻(娘のトスカ)・北極を想う日(孫のクヌート)の3編からなる作品ですが、私は祖母の物語が一番好みでしたね。
彼女がオレンジの木を植えに行かなくてよかったわぁ。
クヌートの回で、ミヒャエルという男性と出会うのですが、彼の正体がわかるとびっくり。
ちょうどこの間、桜庭一樹さんの『傷跡』を読んだばかりだったので、ちょっとシンクロ。
本の神様の、こういう楽しいいたずらはウェルカムです。
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おもしろかったー!シロクマ三代記。
3つの章にわかれているんだけど、不思議とそれぞれ別の小説のような雰囲気と世界を感じる。まったく別ってわけじゃなくて、全体として繋がっているんだけど。
それは主人公と、主人公が生きる時代と国、環境が違うからかな。
最初はソ連、次にまだ東独だった時代のサーカス、最後はほぼ現代のベルリン。時代の空気まで、はっきり閉じ込められている。
なんとなく、文章の雰囲気までもが外国っぽい感じがして、一瞬、外国文学だったっけ?と錯覚するんだけど、たまに日本のことが出て来て、あ、日本人の作家さんだったと思い出す。
作者さんがドイツ在住で、日独両言語で創作する方だと聞いて、なっとく。
あと、シロクマが小説書いたりするのに、完全に擬人化されているわけではなくてシロクマっぽさも残ってて、ファンタジーのようなんだけど地に足もついているような、とにかく読んでて不思議な感覚を味わった。
あと、全編に通ずる「北極」のイメージ…北極への憧れかな?がとても幻想的で美しい。
どのシロクマも本来いるべき北極とは切り離されているから。
生きるために芸を磨きつつ、自分や北極を求めつづけている3匹のシロクマたち。
一番好きなのはクヌートの話。
やっぱりクヌートがかわいらしすぎるし、三人称での第三者視点かと思いきや、途中で一人称だったときに気付いたときの新鮮な驚き!
マティアスやクリスティアンも、シロクマ視点でみるとなんだか愛らしい。人間って不思議な生き物。
最後に、マイケル・ジャクソンをモデルにしたと思われる人物もでてきた。まさに同時代的なおはなし。
でも、真ん中のトスカの話も好き。
サーカスという舞台設定自体が、なんていうか淫靡だったり時代錯誤だったり薄暗いイメージがあって(あくまで物語的なイメージ)。しかも社会主義時代の東独という時代と舞台もあいまって、余計にそこに哀切を感じる。
クヌートと人間たちの関わりと比べると、ウルズラとの関わりはどこか幻想的でエロティックな雰囲気で、そこがいい。死の接吻も、想像するとうっとりする。
この作家さん、初めてだったんだけど、けっこう好きかも。他の本も読んでみたい。