明治維新とは、多くの志士たちによって成し遂げられた事業。
2010/01/17 20:52
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投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
坂本竜馬ブームだが、この坂本竜馬が師と仰いだのが横井小楠といわれる。肥後熊本藩に生まれ、才能は認められながらも酒癖の悪さから疎外されるのだが、その才能を惜しむ越前松平公の引き立てを受けて世にでた人物。
越前福井藩では由利公正という実学の秀才を弟子に持つが、この由利公正は討幕軍の軍資金を一手に管理し、維新後は「五箇条の御誓文」の草案を練ることになる。その意味からいっても、横井小楠の存在は有益な人材の育成に貢献したということだろう。
本書はその横井小楠の生涯をコンパクトにまとめたものだが、これを読めば明治維新というものは数人のヒーローで成し遂げたものではなく、日本全国の志士たちによって成し遂げられたことが理解できると思う。
とくに、横井小楠が影響を受けたケンペルの『鎖国論』などは長崎のオランダ通詞である志筑忠雄が翻訳し、それを横井小楠が理解できていなければこれほど理論武装できたかどうかもわからない。
ぜひ明治維新の見直しを
2018/01/01 20:21
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投稿者:shiina - この投稿者のレビュー一覧を見る
ただ知っていることを自慢して、何でもかんでも「海外では・・・だから」という言い方をする、思考能力に欠けた現代の文化人よりも、150年前の横井小楠は、現在でも通用する世界感覚を持っていたと思います。
最近ネット経由で知らされる海外最重・渡航した方が得られた情報や、海外も含めた近年公開されている新しい資料から、明治政府設立までの歴史について客観的に評価しなおした方がいいと感じています。
テレビだとか映画の筋書きとなる歴史小説家に思い込みが、一般的に人々の頭に刷り込まれているので、この本のような一般の研究家の方の書物は重要だと思いますね。
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内容(「BOOK」データベースより)
勝海舟曰く「おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。横井小楠と西郷南洲だ」。日本史の教科書でもろくに取り上げられず、幕末もののドラマで登場することもほとんどない。しかし小楠こそ、坂本龍馬や西郷隆盛をはじめ、幕末維新の英傑たちに絶大な影響を与えた「陰の指南役」であった。早くから現実的開国論を説き、東洋の哲学と西洋の科学文明の融合を唱え、近代日本の歩むべき道を構想した鬼才。その生涯を追う。
目次
第1章 いかにして開国論者になりしか
第2章 福井藩の賓師に招かれる
第3章 幕政改革の切り札として
第4章 秘策「挙藩上洛計画」
第5章 日本を道義国家に
第6章 新政府の参与に就く
第7章 小楠の魂は死なず
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(2010.06.10読了)(2010.05.29購入)
「龍馬伝」の中に横井小楠(よこいしょうなん)が出てきました。「こなん」だと思っていたのですが「しょうなん」でした。名前は聞いたことがあるのですが、いつの時代で何をした人なのか知りませんでした。ちょうど本屋で見つけたので購入してきました。
1809年8月13日に熊本城下に生まれ、1869年1月5日に京都において、暗殺されています。暗殺の動機は、小楠がキリスト教を国内に広めようとしたので天誅を加えた、というのですが、・・・。(明治が始まってすぐのころです。)
●同時代の人たちの評価(8頁)
・勝海舟
「おれは、いままでに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲とだ」「横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していたに、果たして西郷は出てきたわい」(本文81頁)
・西郷南洲
「小楠が諸国遊歴した際、人材であると言った人で、その後、名を挙げなかった者はいなかった」
・坂本龍馬
「西郷や大久保たちがする芝居を見物されるとよいでしょう。大久保たちが行き詰まったら、その時、ちょいと指図してやって下さい」(本文193頁)
・吉田松陰
「先生の東遊の節は、ぜひ萩に立寄って藩の君臣を指導してほしい」
・高杉晋作
「小楠を長州藩の学頭兼兵制相談役に招きたい」
●維新の青写真を描いた(8頁)
龍馬が作成した有名な「船中八策」と「新政府綱領八策」は、小楠が幕府に提出した「国是七条」と福井藩に提出した「国是十二条」をそれぞれ下敷きにしているし、また、由利公正が起草した「五か条の御誓文」にも、小楠の「国是十二条」の影響が色濃い。
●小楠の主張(10頁)
「今の徳川幕府の政治は、徳川家ご一家の便利私営のための政治であるから、これを止めさせ、まず公武合体を実現して、さらに諸大名、諸藩士の有能な人物を登用し、これを朝廷で統治する。政治は朝廷から出て日本国中共和一致の平和な国家にしなければならない」
「西洋文明はあくまで技術として優れているのであって、そこには徳はない。日本は東洋の徳ある文明をもとに、そこに西洋の科学文明を取り入れるべきだ」
「和とか戦いとかいっても結局偏した意見であって、時に応じ勢いに従って、そのよろしきを得るのが真の道理である。信義を持って応接し、我が国に義があれば、万国を敵に回すようなことはない」(本文52頁)
●小楠は酒乱(20頁)
小楠は10歳前後に藩校「時習館」に入学し、勉学に励んだ。29歳のとき塾長に抜擢されている。小楠は、酒癖が悪く酒乱の気があり、退寮者が続出した。ほとぼりを冷ますため、31歳のとき江戸遊学に出された。江戸では、林大学頭に入門している。藤田東湖、佐藤一斎、松崎慊堂、川路聖謨、等、と交友している。忘年会の酒で問題を起こし、翌年熊本に帰された。これ以後、小楠は熊本藩で、用いられることはなかった。
小楠は、35歳の時、私塾「小楠堂」を開いた。50歳のとき、福井藩に招かれ、人材育成に当たった。熊本藩は、問題のある人なのでと、出したがらなかったが、松平春嶽は、小楠の癖は承知しているからと了承してもらった。
(2010年6月12日・記)
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幕末~明治初期にかけて活躍した熊本藩の思想家、横井小楠について描かれた本。
小楠は卓越した思想・ビジョンを持っていながら周囲の状況に阻まれ活躍の機会に恵まれず、そのために幕末ファンにとっても認知度はかなり低い。
しかし、高杉晋作・吉田松陰・西郷隆盛・勝海舟といった一流の人物と親しい交わりがあったり、彼の一貫して唱えた開国・富国強兵の思想はまさに明治政府によって実現されたものであることからも彼の人物ぶりが窺われる。
今後彼により一層スポットライトが当たることに期待。
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堯瞬孔子を手本に、実学を重んじる考え方は、十分今に通じる。西洋の技術をどんどん取り入れ、東洋の倫理観や考え方で使い、国を富むというところをこの時代に提唱している点が非常に関心する。勝海舟、坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛など、明治維新の蒼々たる面々を導いている店からもすごいと思う。ただ、熊本藩を脱藩し、坂本龍馬のように生きることはできなかったようで、それが不遇と言わしめるところだろう。
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武士として残念だったために、評価が低い横井小楠。
地元民の私も、ほとんど知らなかった。
今の世なら「ヒキコモリで酒乱なんだけど、ネットでいろいろ調べて、政治を語らせたら途轍もなくスゴイ人」という感じ?
こんなすごい人物だったとは。読んでよかった。
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幕末の幹になる人物、横井小楠の生涯を、その歴史的な役割も含めてコンパクトに整理がされている。著者自らが調べた史実に基づく考察もあり興味深い。
また、越前藩主松平春嶽なくしては横井小楠なし。春嶽の功績も大きいものだと改めて悟った。
以下引用~
・「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲とだ」「横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していた」(以上勝海舟)
・「西洋文明はあくまで技術として優れているのであって、そこには徳はない。日本は東洋の徳ある文明をもとに、そこに西洋の科学文明を取り入れるべきだ」(横井小楠)
・政治の理念は「実学」でなくてはならないと結論づけたのである。
・小楠は功利主義をきらい、なにごとに対しても公平無私に、わがままな心があってはならない、誠心誠意をもってやることが大事であると教え、政治と道徳は別のものではなく、政治は道徳でなくてはならないと断言した。
・本来、経書を読むことをもって文といったり武術を習うことをもって武といったのではなく、聖人の徳が自然に外に現れた様子、その仁義剛柔の態度を形容して文武といったのである。
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開国・攘夷で騒いでいたころに、共和制の導入という考えはともかくも、日本は、西洋技術と東洋思想をもって世界から戦争をなくす役目を国際社会で果たすべきと考えていた人がいたことに驚く。松平春嶽のブレーンであり、勝海舟や坂本龍馬、吉田松陰、西郷隆盛、大久保利通らが感化したのも当然か。武力倒幕には組せずとも、止む無しの立場をとったあたりの行動が、幕末のドラマなどに描きにくいということで、あまり有名ではないのだが、歴史というのが常に「現在からの振り返りによる価値観」で語られるものであり、その時代の同時代の価値観とは異なるということがこの人を通してよくわかる。
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勝海舟 氷川清話 おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲とだ。
横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれれまでと心配していたのに、果たして西郷は出てきたわい
文豪徳富蘆花は小楠の甥
開国論者として東の佐久間象山、西の横井小楠
松平春嶽のあと福井藩主になったのは、糸魚川藩主の松平直廉
熊本市立横井小楠記念館
士道忘却事件
横井小楠の門下生 教育、医学、
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本来なら革命側に立脚する横井小楠の思想が龍馬や西郷に影響を与えたのは言うまでもない。それが、松平春嶽や勝海舟といった佐幕側の大物まで薫陶を多いに受けている。いかに小楠の存在が大きかったかが窺える。左翼・右翼を鯨飲してしまう大きな思想。外敵に対抗するためには、幕府とか藩という尺度の対策では到底日本に勝ち目はない。列強の植民地になってしまうのは必至。で、小楠は「徳川幕府の維持目的のためだけの便利私営の政治を止めさせ、賢明な藩主らによる諸藩会議をもって、天下公共の国是を立てて政治を行なう」という共和政治の方針「国是十二箇条」を発表。その後、それを下敷きにし龍馬は船中八策を起草し、由利公正は五箇条の御誓文に仕立て上げる。本書のサブタイトル「維新の青写真を描いた男」と呼称される所以。黒船来航から明治新政府の樹立までを概観すると、吉田松陰・佐久間象山・横井小楠・藤田東湖ら開明思想家のコンセプトを、坂本龍馬・高杉晋作・西郷隆盛の求心力もあるリーダーが引継ぎ、倒幕運動を企図牽引。大久保利通・伊藤博文らの実務派が近代国家の礎を造るといった役割が見事に演じ分けられている。植民地回避をバネに戦略を導き、稀代のリーダーが日本の原型を創り、実務派が盤石にしたと展開が見事であったことは隣国のアヘン戦争の惨状を見れば、大いに首肯できる。
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[維新の光る脇役]西郷隆盛と並び,勝海舟に「恐ろしい」と評された男・横井小楠。維新の物語において欠かすことのできない青写真を描いた人物として,横井小楠の足跡をたどる一冊です。著者は,熊本県出身の日本史研究家である徳永洋。
「種を蒔いた人」というのが本書を読んで受けた横井小楠に対する第一の印象。維新の思想面で非常に大きな役割を担っていたことがよくわかりました。それにしても,久しぶりに幕末物を読みましたがやっぱりこの時代はどう切り取っても魅力的ですね。
〜実に小楠は新生日本の青写真を描いた「夜明けの先覚者」であった。〜
小楠の写真に渋みと凄みを感じる☆5つ
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勝海舟や坂本龍馬、松平春嶽らに影響を与え、明治維新への道を開いた横井小楠の小伝です。在野の小楠研究者である著者が独自に入手した史料も紹介しながら小楠の歩んだ足跡をたどるとともに、開国と実学と共和政治という言葉で特徴づけられる彼の思想を分かりやすく解説しています。
海舟、龍馬から中江兆民、幸徳秋水へと受け継がれていく思想の系譜の源流の位置する小楠の思索に触れることのできる、コンパクトな入門書だと思います。
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#読了 北条時行が先祖! 小楠の実名は時存。「時」の字が入っているんですね!
明治維新の表舞台ではなく、その土台づくりに影響を及ぼした横井小楠について知れてよかった。
今後、この時代の読み物に触れるときには、横井の存在を念頭において考えていきたい。