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電子書籍
数学を愛した作家たち(新潮新書)
著者 片野善一郎 (著)
自らの描いた数学教師「坊っちゃん」より、はるかに数学が得意だった漱石。数学が苦手で、士官学校の受験に失敗した二葉亭四迷。父親や社会の偽善を憎むがゆえに数学に没頭した、少年...
数学を愛した作家たち(新潮新書)
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数学を愛した作家たち (新潮新書)
商品説明
自らの描いた数学教師「坊っちゃん」より、はるかに数学が得意だった漱石。数学が苦手で、士官学校の受験に失敗した二葉亭四迷。父親や社会の偽善を憎むがゆえに数学に没頭した、少年時代のスタンダール。英国の科学・数学偏重の風潮を、ガリヴァーに托して皮肉ったスウィフト――。東西11人の作家と数学、作品と数学にまつわるエピソード集。文学的素養や発想法に着目した、古今の数学者たちについても触れる。
著者紹介
片野善一郎 (著)
- 略歴
- 1925年東京生まれ。東京物理学校(現東京理科大学)高等師範科数学部卒業。元富士短期大学教授。著書に「数学史の利用」「数学用語と記号ものがたり」ほか。
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紙の本
数学への味も素っ気もある作家たち。
2006/06/27 13:26
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
たとえば、こんな箇所があります。
「数学というのは昔も今も生徒に嫌われる学科のようで、数学の教師をしていた私にはやり切れない思いがする。しかし、考えてみると数学の授業くらい味も素っ気もないものはないから、自業自得といわれても仕方ない」(p73)
こういう著者が、人物論をまじえながら、数学への興味をにじませるようにして、さりげなく味わいを醸し出す一冊。
登場するのは11名。夏目漱石・正岡子規・泉鏡花・二葉亭四迷・石川達三・新田次郎・井原西鶴。スウィフト。スタンダール。ポオ。ヴァレリー。と各一章をあてながら文学談義のようにして数学が語られてゆきます。
あとがきに「二十年ほど前、学生対象の小冊子に数学の不得手な文系の学生にも気楽に面白く読める読み物として書いた小文がこの本の原型である」とあります。
「はじめに」は、短いながらその時に語れなかった人物論が詰まって登場しております。
また「おわりに」では、「数学という学問を、単なる計算技術としてだけでなく、他の自然科学との関係はもちろん、社会、経済、哲学、思想などといった広い視野から眺めて教えることが必要なのである」と締めくくっておられます。
その言葉にふさわしく文学者を全面に出しながら、しかも厚みのある一冊となっております(私は十分に楽しめました)。
著者は東京物理学校出身。
ということで、もちろん第一章は「坊っちゃん」でした。
「『坊っちゃん』は物理学校へ入ったことを、後で次のように後悔している。『考えると物理学校などへ這入って、数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、六百円を資本にして牛乳屋でも始めればよかった』数学が『役にも立たない芸』だというのは、当時の一般人の数学観とみてよいであろう」(p27〜28)
これは第六章にもつながります。
「江戸時代の日本では西洋のように自然科学や技術が発達しなかったから、日常生活に必要な数学より進んだ、抽象的な数や図形の性質の研究となると何の役にも立たない。・・和算家には遊食の民である武士が多かったのである。また地方の豪商・豪農のなかにも和算に興味をもった者がいた。こういう人達は和算を、和歌・俳句・茶道・囲碁・将棋と同じようなつもりで学んだのである。要するに和算は趣味道楽の一つであった。
幕末から明治にかけて活躍した上州の和算家萩原禎助は、『数学も俳句も別に変わったことはない。面白いことは同じだ』と語っている。和算家には俳句を趣味とした人がかなりいた」(p87)
(ここから、漱石・寺田寅彦へと私など興味をつなげたくなるのでした)
後半の外国人が登場しての数学談義も、これまた地続きの、こなれた語り口で楽しませてもらえます。ひろびろと得した気分の読後感。