紙の本
数学への味も素っ気もある作家たち。
2006/06/27 13:26
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投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
たとえば、こんな箇所があります。
「数学というのは昔も今も生徒に嫌われる学科のようで、数学の教師をしていた私にはやり切れない思いがする。しかし、考えてみると数学の授業くらい味も素っ気もないものはないから、自業自得といわれても仕方ない」(p73)
こういう著者が、人物論をまじえながら、数学への興味をにじませるようにして、さりげなく味わいを醸し出す一冊。
登場するのは11名。夏目漱石・正岡子規・泉鏡花・二葉亭四迷・石川達三・新田次郎・井原西鶴。スウィフト。スタンダール。ポオ。ヴァレリー。と各一章をあてながら文学談義のようにして数学が語られてゆきます。
あとがきに「二十年ほど前、学生対象の小冊子に数学の不得手な文系の学生にも気楽に面白く読める読み物として書いた小文がこの本の原型である」とあります。
「はじめに」は、短いながらその時に語れなかった人物論が詰まって登場しております。
また「おわりに」では、「数学という学問を、単なる計算技術としてだけでなく、他の自然科学との関係はもちろん、社会、経済、哲学、思想などといった広い視野から眺めて教えることが必要なのである」と締めくくっておられます。
その言葉にふさわしく文学者を全面に出しながら、しかも厚みのある一冊となっております(私は十分に楽しめました)。
著者は東京物理学校出身。
ということで、もちろん第一章は「坊っちゃん」でした。
「『坊っちゃん』は物理学校へ入ったことを、後で次のように後悔している。『考えると物理学校などへ這入って、数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、六百円を資本にして牛乳屋でも始めればよかった』数学が『役にも立たない芸』だというのは、当時の一般人の数学観とみてよいであろう」(p27〜28)
これは第六章にもつながります。
「江戸時代の日本では西洋のように自然科学や技術が発達しなかったから、日常生活に必要な数学より進んだ、抽象的な数や図形の性質の研究となると何の役にも立たない。・・和算家には遊食の民である武士が多かったのである。また地方の豪商・豪農のなかにも和算に興味をもった者がいた。こういう人達は和算を、和歌・俳句・茶道・囲碁・将棋と同じようなつもりで学んだのである。要するに和算は趣味道楽の一つであった。
幕末から明治にかけて活躍した上州の和算家萩原禎助は、『数学も俳句も別に変わったことはない。面白いことは同じだ』と語っている。和算家には俳句を趣味とした人がかなりいた」(p87)
(ここから、漱石・寺田寅彦へと私など興味をつなげたくなるのでした)
後半の外国人が登場しての数学談義も、これまた地続きの、こなれた語り口で楽しませてもらえます。ひろびろと得した気分の読後感。
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自らの描いた数学教師「坊っちゃん」より、はるかに数学が得意だった漱石。数学が苦手で、士官学校の受験に失敗した二葉亭四迷。父親や社会の偽善を憎むがゆえに数学に没頭した、少年時代のスタンダール。英国の科学・数学偏重の風潮を、ガリヴァーに托して皮肉ったスウィフト――。東西11人の作家と数学、作品と数学にまつわるエピソード集。
※いずれも著名な作家さんたちばかり。数学を通して彼らを見るのも、意外な発見で面白い。
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[ 内容 ]
自らの描いた数学教師「坊っちゃん」より、はるかに数学が得意だった漱石。
数学が苦手で、士官学校の受験に失敗した二葉亭四迷。
父親や社会の偽善を憎むがゆえに数学に没頭した、少年時代のスタンダール。
英国の科学・数学偏重の風潮を、ガリヴァーに托して皮肉ったスウィフト―。
東西11人の作家と数学、作品と数学にまつわるエピソード集。
文学的素養や発想法に着目した、古今の数学者たちについても触れる。
[ 目次 ]
作家と数学
「坊っちゃん」より数学が得意―夏目漱石
試験さえなければ数学は面白い―正岡子規
数学教師は異常性格者―泉鏡花
数学ができなくて士官学校不合格―二葉亭四迷
幾何学で女房教育―石川達三
和算小説の先駆者―新田次郎
日本の古典と計算―井原西鶴
九九を知らなかったイギリス貴族―スウィフト
数学にも偽善がある―スタンダール〔ほか〕
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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夏目漱石、正岡子規、泉鏡花、二葉亭四迷、石川達三、新田次郎、井原西鶴、スウィフト、スタンダール、ポオ、ヴァレリーという作家が取り上げられている。中身を読んでみると、これらの作家が数学を愛していたと言うのは必ずしも事実ではないが、作中で数学に触れているか、数学に関して何らかの意見を言っているかしている作家ばかりである。
この本は雑学の宝庫というのが第一の印象。四六時中という言葉が、4と6の掛け算が24となり24時間中で一日中という意味の語源になっていることは、恥ずかしながら初めて知った。また、「坊っちゃん」の主人公が数学の教師だと言うことも、過去に「坊っちゃん」を読んだことがあるにも関わらず、完全に忘れていた。このように、雑学の知識がつまっている本。
しかしながら、この本の持っているメッセージとして数学教育のあり方のようなものが、所々に語られている。数学という学問は、実社会に適用できるような実用的な学問ではない。数学を学ぶことで論理的思考力を鍛えることはできるか。といったようなテーマである。論理的思考力を鍛えるには小論文を書くことが好ましいという考え方も紹介されている。このような主張を読んでいて、僕自身は数学では、幾何学の補助線の引き方など、ちょっと違う視点から考えてみるという直感力を鍛える事が出来るのかも知れないと思った。
また、ヴァレリーの数学者への警告で上げられている点も興味深い。『日常生活での事柄の多くは不確かな事柄を前提としている。そういう事柄に数学の論法を適用しても良い結果は得られない。数学は確実な前提に基づく推論である。数学の論理を適用する前に、常識的な観点から考えてみることが大切なのである。』ただこの警告にちょっと誤解があるかなと思うのは、ほとんどの数学者は数学の限界を自覚している。実際には数学者以外の人が、数学で解決できない問題を数学に期待することが多いのではないか、と感じた。
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夏目漱石、正岡子規、泉鏡花、二葉亭四迷、石川達三、新田次郎、井原西鶴、スウィフト、スタンダール、ポオ、ヴァレリー。
東西11人の作家とその作品の、数学にまつわるエピソード集。
『数学を愛した』というタイトルには偽りがあるかも。
特に西洋の作家には、数学偏重の風潮に対しての皮肉な視線も目立つように思う。
馴染み深い作家の作品でも、数学というフィルターをかけてみると違った姿が浮かび上がってくるのが面白い。
本で読むより、この先生に数学の講義を受けながら、ちょっとしたエピソードとして語ってもらえると、数学も好きになれるかも知れない。
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本好きな数学の先生が書いた本。
やや散漫だけど、数学という観点から
いろんな作家のことを論じるのは面白い。
わたしも苦手だけど数学は好きだし。
数学は唯一の宇宙的言語だとも思ってる。