絶対的な正義やイデオロギーなどない
2009/08/01 10:12
15人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
親米保守と反米保守の中を戦略的と心情的に分けて吟味しているのはさすがである。もっとも親米にせよ反米にせよ情報操作に気づかないままの無自覚型が最も多いと思われる。いずれにせよ、我々日本人は、そろそろアメリカが若すぎる国家であることに気づくべきだろう。
アメリカを中心としたグローバルスタンダードが席巻している現代社会は、論理がすべての社会である。日本は戦後それに巻き込まれ過ぎた感がある。精神疾患の患者が世界をやたらと論理で理解しようとする傾向があるように、論理や理性を過度に信奉する社会は、健全とは言いがたい。人間はそれほど論理的でも理性的でもないからだ。人間が完全でない以上、絶対的に正しいイデオロギーも制度もない。それは人類の歴史を見れば明らかである。
アメリカの要求に基づいて行われた構造改革がその本質をよく表している。格差が開けばやる気が出るとか、年功序列ではなく実力主義にすれば、幸せになれるとかの幻想を抱いて、構造改革の痛みを甘受せよと小泉首相が唱えた時、自らは格差が開いた後。上の層になれると思っていたのではないか。実力主義・成果主義にすれば若い世代の賃金が上がると思ってはいなかったか。結果はどうなったか。あなたの給与は増えたのか。若い世代は希望を得られたのか。
著者は言う、個人の欲望の解放は、そして際限のない幸福の追求は快楽主義にいたり、ニヒリズムが社会を支配すると。それが現状ではないのか。社会主義(共産主義)が崩壊したのは、人間がそれほど賢くも高潔でもなかったからであり、同じことが自由民主主義にも言えるのではないだろうか。地球人はバルカン星人ではない。
著者はこの本で、知恵あることと合理的であることとは違うのだということを繰り返し説いている。その通りなのだと思う。私も若いころには合理性や理性を絶対的なものだと思い込み、袋小路に迷い込むような思考を繰り返したことがある。たとえば、著者の言葉を借りれば『自由が無条件に大事だと言ってしまうと、とんでもない「悪」をなす自由も認めることになりますし、単なる放縦も認めなければなりません。』(p.72)というような問題に行き当たってしまう。
その時どこへと止揚するかが国民性あるいは、文化なのだろう。スポーツと道(どう)が似て非なるものであるように、アメリカの価値観、アイデンティティと日本のそれが同じになることはないし、なるべきものではない。しっかりと自国の歴史・伝統を見据え、若い世代が誇りを持てる国作りをしなくては、日本に未来はないと再認識させられた。私は著者のようにそれを滅びの美学ではなく、仕事への美意識に求めたい。美しいものを美しいと感じる感性は、お金や利潤では計れないメイド・イン・ジャパンを世界に発信できると思うからである。
「自由=不自由」「民主主義=武力による圧制」であるならば・・・そんなものはいらない。
2009/06/18 00:42
9人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
帯には、「まだアメリカ(=金融・経済・精神を蝕む世界のガン)に従いていくのか?」とある。
この本の主張自体は、当たり前というか、だって、ブッシュの「正義」は「悪」だったし、「自由」は「不自由」、「民主主義」は「武力による圧制」だもの。日露戦争で日本軍が韓国に侵攻する時の日韓議定書の内容が、軍隊を自由に移動、基地の使用、土地の収容などを定めているとか、これって今の日本?って思った。何で、米軍が日本にいるの?思いやり予算まで付けて・・・「年次改革要望書」で、アメリカの金融資本家達の都合の良いように、改革を命令されちゃって、唯々諾々。それが小泉のやったこと。政府、自民党は今もって反省なし。いつまで貢ぐつもりなのかしら。いい加減、アメリカから距離を置かないとね。
この本で紹介されているエドマンド・バークという人の主張には頷けるところがあった。『フランス革命の省察』では、
「人間の知力などというものは、祖先の叡智が巨大な山のごとくに堆積している、古来からの“制度”には及ばない、矮小で欠陥だらけのものとの考えがある。それゆえ「理性主義」、すなわちデカルト的な人間の理性への過度な過信を根源的に危険視し、その排除・排撃を提唱する。それはまた、個々の人間を多くの間違いを冒す不完全な存在と看做す、謙抑な人間観が横たわっている」
フランス革命に対しては、「なるほど確かにフランス国民は主権者になったが、同時にいつ殺されるかわからない奴隷となった」と痛烈な皮肉を言っている。今のフランスは、子どもが生める社会だし、生活の質を重視しているし、うらやましいのだが・・・でも、私は無血入城させた勝海舟が好きでもある。
この本にある「イギリスに入ってすぐ感じるのは、イギリスが、いかに近代なるものを警戒しているかということです。「近代」や「進歩」なるものを、無視こそしないものの、軽信する姿勢を、可能なかぎり避けようとする。逆に、古いものや伝統的なものをいかに守るか、それぞれの時代に合わせてどううまく活かすか、そのことに非常に腐心している。
それは自然を見ただけでもすぐにわかります。たとえばロンドンは大都市ですが、ロンドンから出て十分も列車に乗れば、牛がその辺に寝転がり羊が草を食べている、草原地帯になってしまいます。そこから先、田舎の景色が延々と続きます」。これもうらやましい。
「人も物も情報もすべて東京に集め、東京を発展のモデルにする。東京と郊外を結ぶ物流、人の流れ、情報の流れを、できるだけ密に、スムーズにしていく。そうやって「東京」を拡大していく。日本中を「東京化」する。日本人はそれが近代的な進歩だと考えてきました。
しかし最初に産業革命を経験し、最初に経済学を作り出し、市場競争万歳と言い出したイギリスは、まったく違っているわけです。昔の自然を可能な限りそのまま残そうとし、田園生活を大事にしている。
これはイギリスだけではなく、ヨーロッパ全体について言えることです。フランスも、パリから列車で二十分も走れば、田園地帯が延々と続きます」
エコだエコだと大騒ぎして相変わらず消費者を煽っているけれど、その前に、これからの日本をどうしたいのか、なにを大事にすべきかを考える時期にきているんじゃぁないかな?
「概して革新の精神は、利己的な性情と狭歪な視野の産物である。自分の先祖を振り返ってみようとしない徒輩は、決して自分の子孫にも目を向けないだろう。さらにイギリス国民は、相続という観念が、保存と継承という二つの確実な原理を与えると同時に、他面で、決して改良の原理を排除しないことを知っている」
「貴族的なものが失われればどうなるか。彼は言います。「貴族の次の世代はおそらく、策略家、道化師、相場師、高利貸し、ユダヤ人のようになるだろう」。彼らは貴族階級を破壊し平等を求めます。しかし「水平化を試みる人間は、決して平等を生み出しはしない」そこでは「必ず一部の人が高い地位を占めるはずである、結局、水平化を図るものは、事物の自然の秩序を歪曲するだけ」なのです。」
どうしたって、為政者は一部の人間なわけで、かつての日本でも「しらしむべからず、よらしむべし」なんて言葉があったけれど、他のことは自分達公務員(武士)に任せろ、百姓は安心して仕事に励め、という意味に取れなくも無い。 要は、私達庶民が暮らしやすい生活なのかどうか、ということなのでは・・・
でもねぇ、吉田茂の孫の顔を見ても、言葉を聞いても、品は無いわ、庶民の生活のことはさっぱりわかっていないわ、とても善政は望めない。
今ある制度(民主主義)がすでに伝統になっちゃっているから、ブッシュ流ではなく、それを活かさないとね。直接民主主義は無理としても、みんなが政治に関心を持って、口を出し、行動する。ひとりひとりが主権者であることをもっと自覚して。
「ニヒリズム」と日本の「無」について語っているけれど、努力しても報われない社会では、「ニヒリズム」は当然蔓延するだろう。でも、それではなんの解決にもならない。動けばチッとは変わるって。
「受け継がれる「海ゆかば」の想い」の項、「無」の哲学やら、「いずれ滅んでいくしかないのであれば、美しく」なんてことは理解不能だが、「海ゆかば」は名曲らしい。信時潔の曲、特に、山上憶良の「うりはめばこどもおもほゆ」はなかなかよい。子どもは大事にしようね。未来も。
「今こそ「私」でなく「義」を、「覇権」ではなく「和」を是とする日本的価値を、精神の核に据えなおすときなのだ」
具体的にどういうことなのか、はっきりしないけれど、今が転換期なのは、確かだ。
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ネタ本なの?
著者は法学者ではないのだが、外からの自由や民主主義に対する批判を聞いてみたいと思って読んでみたものの、原理的な自由と民主主義の批判に終始していて、民主主義がとうに修正されたことを無視しているように思った。もう少し法学をやってほしいと思うが…
それはともかく、民主主義が限界があるのはわかっている話だからいいとして、それに対する代替案がないから困っているのに、著者は「日本的な何か」みたいなものを大事にすべきだと言うばかりで、なんら中身のあることを言っていない。確かに現状の世論と言うか空気的な何か(理由もなく妙に他人に批判的)が妥当でないと言うのは同感ですが、だからどうすべきなのかというのは何も言っていない。それでは所詮親父の「今時の若者は…」というソクラテスの昔から繰り広げられてきた非生産的なたわごとにすぎない。
この程度で賞が取れるのもいかがなものかと思う。
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あなたを苦しませ悩ませる、こんな社会は間違っている。こんな内容のことを言ってくれるから、この著者の本は好きだ。心を慰めてくれる。
この本もそんな内容。簡単に言うと、ただ自由と民主主義があればいいってものじゃなくて、その方法で何を実現するのかって方が大切なんだと。そもそもアメリカから植えつけられた考え方なんだから、もしかすると日本の良い部分を殺してしまうかもしれないんだよってこと。
日本にはロシアのような資源も中国のような労働力もアメリカのような資本もないけど、唯一あったのは効率的な組織力で、その組織力のおかけでこんなちっぽけな島国でも、何とかやってこれた。いまその組織力がアメリカの梃入れのおかげで崩れている。さぁどうするんだ?
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戦後からずっと続いてきた価値観が変化し、変化しなくてはいけないということを表現した本。
10年後に読むとすごい面白いかも
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著者の言に必ずしも同意するものではないが、民主主義の危うさは以前から感じていた。ある意味、真実を突いている。
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戦後の日本人にとって絶対的な善であった「自由」と「民主主義」。本書はこれら自体の否定ではなく、その名の下に行われた経済、文化のグローバル化に対する警鐘であるように思う。我々日本人がその文化や伝統に誇りを持って生きていく事の大切さを訴えている。
・冷戦後の「保守」と「革新(左翼)」とは
日本では保守政党が変革、改憲を、革新政党が現状維持、護憲を唱えるという逆転現象が起こっている。
そもそも戦後体制そのものが軍国主義に対してリベラル=左翼的であったためか。その後ソ連の台頭によって反共の必要性からアメリカはより右傾化したにもかかわらず日本の体制が置き去りにされた
事が現在の歪みを生んでいるように思う。
・「左翼」は人間の万能の理性を信じている。人間の理性能力によって、この社会を合理的に、人々が自由になるように作り直してゆくことができる、しかも歴史はその方向に進歩している、と考える。
・「保守」とは人間の理性能力には限界があると考える。人間は過度に合理的であろうとすると、むしろ予期できない誤りを犯すものである。したがって、過去の経験や非合理的なものの中にある知恵を大切にし、急激な社会変化を避けよう、と考える。
・その意味でアメリカほど進歩主義的な国はない。
・一般的にいえば自由、平等、民主主義、人権などの「目に見える価値」をそのまま信奉し、正義とするのが左翼進歩主義。一方、「目に見えない価値」の持つ歴史的で非合理的、慣習的なものを重視するのが保守。左翼進歩主義は普遍的な正義を唱え、保守は具体的な局面でその国独自の歴史や価値観に目を向ける。
・進歩主義は、個人の自由を重視し、個人の欲望を解放し、個人個人が幸福を追求する事を重視する。
それを突き詰めれば人間が自分の行動を律する規範や道徳を見失う。内面の葛藤や精神の苦闘を見失った幸福の追求は、いづれその場しのぎの快楽主義に陥ることになる。社会の共通の規範が崩壊し、確かな価値が見失われる社会は「ニヒリズム」であり、これと戦う事が保守主義の役割である。価値、規範よりそれを打ち壊す自由や欲望の解放を重視し、技術に体現された合理主義に限りなく期待する進歩主義では、「ニヒリズム」を生み出しこそすれこれを押しとどめる事はできない。
・民主主義の限界
民主主義では、きれいごとを言う方が勝つ。いかにももっともらしい事を言うものが有利になる。一見反対しづらい形だけの正論がまかり通る。あるいは声の大きいものの意見が通る。しかし本当に大切な事は人前で大声では言えない事もある。
・世の中には「非合理的なもの」「あいまいなもの」の効用もある。
・ヨーロッパ社会の近代への警戒感
一方では民主主義や人権を非常に大切にする反面、他方ではそれを警戒する。「伝統」「革新」との間のバランスをとろうとするのが「保守」。
・「ローマ人のつくった町が一番うまくできている」左翼系の学者でさえ、どっしりとした伝統の上で議論をする。
・イギリス(ヨーロッパ)の保守主義
エドマンド・バーク(18世紀後半・イギリス)は、フランス革命を批判し、イギリスの名誉革命を高く評価した。政治体制や社会秩序の「継続」こそが重要で、安易に合理主義的精神でもって、社会を根本的に変革できると考えてはならない。大きな「革命的変革」を回避したところにこそ、名誉革命の意義がある。
「概して革新の精神は、利己的な精神と狭歪な視野の産物である。自分の先祖を振り返ってみようとしない徒輩は、決して自分の子孫にも目を向けないだろう。」
「さらにイギリス国民は、相続という観念が、保存と継承という二つの確実な原理を与えると同時に、他面で決して改良の原理を排除しないということを知っている。」
オークショット(1901~1990・イギリス)
「保守的であるということは、単に変化を嫌うということだけではなく、変化への適応というすべての人間に課せられた活動を行うひとつの方法である。」
「保守的であるとは、見知らぬものより慣れ親しんだものを好むことであり、試みられたことのないものよりも試みられたものを、神秘より事実を、遠いものよりも近くにあるものを、あり余るものよりも足るだけのものを、完璧なものよりも重宝なものを、理想郷における至福よりも現在の笑いを好むことである。」
・アメリカの保守主義
アメリカ建国の精神は個人の自由な活動や平等。
イギリスでピューリタンは革命派であり反体制派であった。
イギリスの保守主義とは全く対立するものであり、その建国の精神に立ち戻ることが「保守」であるため、イギリス、ヨーロッパから見れば極めて進歩主義的で急進的な近代主義思想である。
・ニーチェはこれからくるべき200年のことを述べよう。それはニヒリズム(最高の諸価値の崩壊)である。と予言して1900年に没した。
能動的ニヒリズム:すべては無価値である。だから一見価値があるように見えるものの無価値性、無根拠性をあばき、その上で本当の価値を創造することで、真に優れた者「超人」にしかなし得ない。
消極的ニヒリズム:従来の価値を破壊したのち、次の新しい価値は出てこない。「超人」など登場しない。道徳観念も規律も、人々が共通して信じることができるものが何もない状態。
・ヨーロッパにおいて19世紀の圧政下で生まれた自由、平等、民主主義という概念は、20世紀初頭にはほぼ達成されてしまった。民衆が豊かになるとそれらに強い価値を感じなくなり、個人の快楽や欲望しか追求しなくなった。生き甲斐や使命感を失い、刹那的な快楽を求める「ロスト・ジェネレーション」が登場。オルテガ、ベンヤミン、ハイデガー、ベルグソンなど文明が高度化した段階で人間がいかに使命感を持って生きるかを思索した。
・その後、二つの大戦と冷戦を通じて、自由と民主主義を守ることが文明の使命である、という考え方に回帰してしまった。
・ヨーロッパ人は自由や民主主義が大切だといいながら、同時に懐疑的でもある。それがいかに立派な価値であってもそれを本当に理解できるのはヨーロッパの知識層くらいであって、他の非西欧社会ではほとんど通用しないと思っているのではないか。それらはすべてギリシアのポリスに由来した価値であり、その歴史を知らずして民主主義の本当��意味が分かるはずがない。
・アラブにはアラブの、中国には中国の、日本には日本のそれぞれ独特な価値観がある。
・日本的な価値観とは何か
京都学派(西田幾多郎など)「世界史の哲学」西洋の「力」による覇権主義に対抗するのは日本が「道義」を掲げることである。また、西洋においてニヒリズムがはあらゆる価値に対して「無根拠性」を根拠に攻撃するが、東洋の思想においては「無」であり、そもそもすべては無意味であるという価値観が強くあるため、ニヒリズムに陥ることはない。としたが受け入れられなかった。
・本来の日本精神とは、自分を極端に主張しない。自然権としての平等や人権ということも声高に主張しない。競争も節度を持った枠内でしか認めない。調和を求め、自己を抑制することを知り、他人に配慮する。ということ。
・グローバリズムはアメリカの国内事情の産物。
レーガン政権下で、北部製造業経済 (民主党)に対して 南部独立自営農民型経済(共和党)に加え、西部IT産業、東部金融業が政府の規制を嫌い、グローバル化を推し進めた。
・日本人の勤労観
山本七平:日本的精神の中には、世俗的な労働をそのまま肯定するプロテスタンティズムの倫理に通じるものがある。
石田梅岩:一人一人が与えられた職分を全うすることによって社会の良き秩序が保たれる。武士は士の、農民は農の、商人は商の役割を全うして、正直に、誠実に商いをする。邪心や虚栄心や貪欲な心を排して、それぞれの「道」を極める。
・「自由」や「民主主義」がそれ自体無条件でいいものだと考えない方がいい。「自由」はすぐに「放縦」に流れ、「民主主義」はいつも「民意」が正しいとは限らない。「自由」を得て何をするか、「民主主義」を支える国民の良識はどうなのか。
この国が歴史の中で育んできた価値を見つめ直し、大事にしていこうというのが保守の精神である。
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<民主主義ではきれいごとを言うほうがどうしても勝ってしまう、、しかし、本当に大事なこととは人前で大声では言えないものです。>という指摘は深い。民主主義といえば「討論」ということになるが、ようするに、人間の暗黒面をどうとらえるのか、への考察がないと、国会も学級会もおんなじになってしまう、という実例を我々は何度もみている。
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右翼と左翼、それぞれが何を意味しているのか、根本からわかりたければすごくよい本。
20100808
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就活のときに、読み、当時の最高の1冊。そして再読。
いやーやはり秀逸。
実際、僕たちの年代は、保守・革新だとか左翼・右翼とか言われても、自分に関係なく、ちょっと怖いものだったり、怪しいものってイメージのみ。
今は、実際そんなくくりでは括れない、もっと根本的なレベルで、精神の中にあるもの、日本という国を見直していきましょう。
という本。だと感じたら、
あとがきに、
「本書は、日本における保守主義について論じたものです」
って書いてあって、自分は保守主義ってものなのかって意外な感じがしました。
まぁそういった括りとか関係なく、もっともっと考えを深めていこうと思わせてくれる1冊です。
自由と民主主義に対する絶対視の問題、
生命至上主義の問題、
ニヒリズムの問題。
第3章 成熟の果てのニヒリズム
だけでも、是非。
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[ 内容 ]
アメリカの金融破錠は、自由と民主主義の名の下に個人の飽くなき欲望を肯定し、グローバル化を強引に主導してきたアメリカ的価値の破錠でもあった。
それに追随し、経済だけでなく政治、人心のあらゆる局面で崩壊の危機に瀕する日本。
もはやアメリカとの決別なくして再生はありえない。
今こそ、「私」ではなく「義」を、「覇権」ではなく「和」を是とする日本的価値を、精神の核に据え直すときなのだ。
今日の危機に早くから警告を発してきた思想家があらためて問う「保守」という生き方。
[ 目次 ]
第1章 保守に託された最後の希望(簡単だった対立の構図;現状維持の「左翼」、変革を唱える「保守」 ほか)
第2章 自由は普遍の価値ではない(ある古い旅館の光景;全共闘の平和主義と暴力主義 ほか)
第3章 成熟の果てのニヒリズム(ニーチェととの出会い;道徳・正義の裏に潜む権力欲 ほか)
第4章 漂流する日本的価値(世界金融危機の根本原因は過剰資本;アメリカの北部型経済と南部型経済 ほか)
第5章 日本を愛して生きるということ(なぜ今「愛国心」なのか;「愛国心」をめぐる諸概念 ほか)
[ POP ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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刺激的なタイトルですが、内容は無条件に自由や民主主義を礼賛するのはやめよう、という趣旨の本。「保守主義の根本に立ち返る」というのが著者の目的。
政治学者エドマンド・バークの思想からも分かる通り、近代の保守主義というのは自由、平等、理性といった理念を極端に推進する革新派を諌めるという立場から成立した思想である。
アメリカがこうした理念の下誕生した「革新」の国であり、その強引にグローバリズムや自由のための戦争を推し進めるアメリカに追従する「親米保守」は保守ではないと述べている。そこで著者は、危機に瀕する日本を救うにはアメリカとの訣別が必要であることを主張する。
そのためには、「私」よりも「義」、「覇権」よりも「和」を是とする日本的価値を見直す必要があるそうです。このあたりは同著者の『自由とは何か』と内容が被る。無根拠ではなく、根拠が「無」であること自体が根拠となりうるというのは奥深いと思う。
本来の保守主義とは何かを考える上で勉強になる一冊。
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保守とはなにか?左翼とはなにか?
正直よくわかってなかったんですけど、よくわかりました。前半は非常におもしろかった。
後半はどうでしょうね。意見が分かれそうな気がするが。
まぁとりあえず、いまがニヒリズムに陥ってて迷走しているというのはよくわかるし、
それに対してなんとかしてくれそうな人が絶望的にいないというのもよくわかる。
大学のときにこういう本を読んでも、たぶん???だったと思うけど、最近になってようやく分かるようになってきた。
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そそるタイトルだが、本書では実は自由と民主主義を否定してはいない。むしろそれは前提だと。問題は、自由と民主主義で何を目指すかだと。それはそうだな。
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(2011.11.18読了)(2010.10.31購入)
【11月のテーマ・佐伯啓思を読む(その3)】
☆佐伯啓思の本(既読)
「「欲望」と資本主義」佐伯啓思著、講談社現代新書、1993.06.20
「「市民」とは誰か」佐伯啓思著、PHP新書、1997.07.04
「新「帝国」アメリカを解剖する」佐伯啓思著、ちくま新書、2003.05.10