国語教科書の闇(新潮新書)
著者 川島幸希 (著)
国語の教科書が、変だ。「羅生門」「こころ」「舞姫」は、議論もされずに「定番教材」と化し、横並びで採録される没個性ぶり。国語教科書がここまで画一化したのはなぜなのか? そも...
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商品説明
国語の教科書が、変だ。「羅生門」「こころ」「舞姫」は、議論もされずに「定番教材」と化し、横並びで採録される没個性ぶり。国語教科書がここまで画一化したのはなぜなのか? そもそも、これらの「暗い」作品は教材にふさわしいのか? 「定番小説」という謎、知られざる舞台裏、採択を決定する「天の声」、教員の本音、仰天の実態。問題は歴史教科書だけじゃない。もう一つの「教科書問題」がここにある。
著者紹介
川島幸希 (著)
- 略歴
- 1960年東京生まれ。東京大学文学部卒業。学校法人秀明学園理事長、秀明大学学長。著書に「英語教師夏目漱石」「署名本の世界」「初版本講義」など。
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国語教科書にも鋭いメスを
2013/10/31 13:10
2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
高校の現代国語の教科書は世にあまたあるが、どの会社も改訂の度に採用している「定番」教材がいくつかある。芥川龍之介の「羅生門」、漱石の「こころ」、森鴎外の「舞姫」がそれだ。これらの作品は1950年代に教科書に採用され、それぞれ紆余曲折を経ながら、2000年代以降は、毎回どの教科書にも掲載されるようになった。本書の著者川島幸希氏はその理由を、究極的には教科書会社の惰性的な教材選定の姿勢にあるとする。そして、いつしかこれらを高校1年から3年までのどれかの教科書に使用しなければ、教科書が売れなくなるという根も葉もない「都市伝説」さえ生まれることとなったという。
このような傾向には、現代国語の教科書の画一化を生み、どれをとっても顔のないつまらない教科書を生み、ひいては生徒の学習意欲の低下をもたらすという問題点がある。さらに、定番教材の存在自体は認めるにしても、結果的に現在定番教材となっているこれらの作品が果たして、高校生が読むのに本当にふさわしいものかどうかははなはだ疑問であると、川島氏は主張する。
これらが日本近代文学の名作中の名作であることは論を待たないものの、その内容たるや、「羅生門」は乱世の中で盗賊と化した下人、「こころ」は親友を裏切り、自殺をさせ、ついには自らも同じ道をたどる男、「舞姫」は留学先で現地の女性をたぶらかし、最後には彼女を捨ててしまう男と、いずれも不道徳な、人の道を逸脱した者の物語である。筆者は、こういった人間を主人公にした作品を高校生に読ませることが害悪であるとまでは言わないものの、そのことにどれほどの価値があるのかと疑問をさしはさむ。この年代の青少年にはもっと希望をもたせ、勇気や向上心を育む作品の方がずっと教育的な配慮に富んでいるというのが、筆者の考えのようだが、これには私も大いに賛成である。
これだけの良識を兼ね備えた川島氏には今後、国語教科書に氾濫する左翼的文章についても鋭いメスを入れていただきたいと思う。昔から国語教科書には、過激な人権・平等思想、唯物論的社会思想をもった人のエッセイや評論が数多く掲載されている。平和教材と称して、自国の権威を貶めることに躊躇しない文学作品も堂々と載せてある。明確に思想の現れる社会科とは違い、国語、英語では、言語を教えるという名目で思想的に偏りのある教材を使用することが容易である。いまだ教育界にはびこる左翼勢力は、これらの科目を通じても自らの思想を浸透させようと企んでいるようだが、彼らの自由にさせるのはもういい加減にしようではないか。