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投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
震災関連本を読む、という個人キャンペーン第4弾。
ただ、ナショナルジオグラフィック3月号にも震災関連の記事(数ページだが)があったので、それもカウントすれば、第5弾。
もう少し早いタイミングで読むはずだったが、諸事情により、この時期になった。
河北新報は宮城県を中心に東北6県を発行区域とする新聞。
東日本大震災の被害を受けながらも「それでも新聞を作り続けなければならない」という使命感に燃えた人々の記録。
「新聞の発行」にこだわり続けたのは、電気がアテにならない状況では、人々に情報をもたらすことができるのは、新聞だけしかない、という思いがあったから。
紙面作成のためのコンピュータこそ、震災後、数日で復活したが、それ以外は足りないモノづくし。
食料、燃料、現場までの移動手段に加え、新聞を印刷するための紙さえも。
さらに現場に辿り着いたとしても、そこからメールやFAXで記事を送れるか、どうかは分からない。
確実な方法は、人の手で記事を会社まで持ち帰る事。
それでも、新聞は発行し続けた。
被災者が求める情報は、同じ被災者である自分達だからこそ提供できる、と信じて。
脱線だが、震災後、各地で災害対策が発表され、そのいくつかがニュースになったが、全て「電気が通じている事」が前提だった。
なぜ、そんな前提の対策を作るのか、という疑問が湧いてくる。
電気が使えない時の対策も別にあるならば、まだ分かる。
結局、「災害対策」ではなく、「公共事業」なのか、とさえ思ってしまった。
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閑話休題
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本書を読み始めて、まず感じたのは「生々しさ」
特に震災直後の生々しさは、引き込まれてしまうと同時に辛くもあった。
最初、電車の中で読んでいたが、早々に断念。
電車の中で読むには、自分には少々、刺激が強すぎた。
ところで、震災後、あの状況の中で新聞を作り続けた事には頭が下がる。
こんな一言で片付けるべきではないが、他に言葉が見つからない。
ただ、その「使命感」の中には、何かの裏返し、といったものも含まれているような気がする。
会社の退避命令で、一時的に被災地を離れた事を気にし続けた記者がいた、というエピソードがあった。
被災地を離れた事自体は、特に責められるような事でもなんでもない、と思うが、なぜそこまで思いつめてしまったのだろう。
(そう思うのは、第3者的な視点だから、だろうか。)
ふと頭をよぎるのは、別の本で出てきた「災害カーニバル」または「災害ユートピア」という言葉。
「災害」という言葉に「カーニバル」や「ユートピア」が付くのは、ちょっとおかしい、と感じるが、説明の方法として、適切なものがない。
ここでの「カーニバル」は「非日常の狂騒状態」、「ユートピア」は「多くの人が進んで利他的行動を取るコミュニティ」というような意味で使われる。
先ほどの記者は一時的にせよ「災害カーニバル」または「災害ユートピア」に加われなかった事がひっかかっていたのかもしれない。
いずれにせよ、震災後、懸命に活動した記者達に、その後、その反動が来ていない事を祈る。
こういうものは、しばらく経過してから、ズドンと来る、という事を聞きかじったので・・・。
ペーパーレス時代だからこその『紙」の新聞の大切さ
2016/05/10 20:24
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
東日本大震災で大きな被害を受けた仙台に本社を置く地方新聞の河北新報社。3月11日の地震の直後から、その翌日の号外発行に始まり、その日以来の被災者に寄り添う報道の様子を伝えるノンフィクション。毎日当然のように私たちの手許に届く「紙の」新聞がいかに貴重なものであるか改めて認識を新たにさせられます。その裏側には取材、編集、印刷、配送、配達など様々な部署の人たちの仕事にかける情熱やプライドがあることを再認識しました。電子版も便利ですが、やはり「紙の」新聞はいいと思います。
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投稿者:eels - この投稿者のレビュー一覧を見る
地元紙の奮闘に心打たれる。
新聞社間の助け合いの姿にも、何か昨今失われていたものが思い出されるようで、非常に読後感が清々しかった。
もし自分の身近の人がとっていたら、止めたくなるような勇敢な人たちがいっぱい出てくるが、それによって、地元紙の力によって助けられた人が沢山いたのだなと、改めて紙媒体の強さを感じた。
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投稿者:ぽにょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの当時の大変さが伝わって来る。この経験は今後伝えていくべきだと思った。新聞を作る人としてのプライドとかが、本書を通して伝わって来るだけに、原発広告に頼っている現在にがっかり。
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あれから3回目の「311」が訪れ、4年目が始まっています。それと前後して、印象的な本が何冊か文庫に落ちてきていたので、再読がてら何回かに分けて。個人的にハードカバーから文庫に来る際一番嬉しく思うのが“+α”の要素があることです。特にノンフィクション系は後日談的な加筆がなされてることも多く、こちらもそんな“オマケ”がありました。
東北に根差した地元新聞・河北新報の、震災の日々を綴ったルポルタージュ、ハードカバー版と図書館で出会ったのですが、当時、何かに急き立てられるように読み進めたのを覚えています。
徹頭徹尾「被災者に寄り添う新聞」であることを貫きながら、様々な視点での多重的な現地の取材状況が丹念に、当事者としての視点からも積み重ねられていて、重く心に響いてきます。
焼け跡が存在しない“焼野原”
何も無いところから立ち上る“生の臭気”
空撮カメラマンの“後悔”
福島配属であった記者の“懊悩”
一つ一つの“出来事”が全て、圧倒的な現実として、迫ってきます。決して正解を一つに集約することのできない“現実”として。情報を伝えるという事、事実を伝えるという事は、ジャーナリズムの本質なのだと、そんなことをあらためて。
“われわれは皆被災者だ。誰かを責めることはするな。”
ただ単に記事を書くだけが新聞の仕事ではない、情報を可能な限りに正確に伝えることが公益なのだ、と。そして、30年前の教訓を伝えきれなかったのではないかとの忸怩たる思いと、次の30年後に備えるために伝えていくとの、との覚悟の模索が、痛いくらいに伝わってきました。
ん、伝えていく使命と責任は報道機関だけに背負わせていいものではないのだろうと、「自助、共助、公助」との言葉を思い出しながら、考えさせられた、そんな一冊です。
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いまだ被災地のや被災者の心に深い爪あとを残し続ける東日本大震災。本書は地元紙であるは河北新報社が『その日』からどのようにして新聞を作成し、輸送し、読者のもとに新聞を配達したのか?そのクロニクルです。
この本は甚大な被害を日本にもたらした東日本大震災。地元紙である河北新報がいかにして震災のさなか、取材をし、被災している人たちへ新聞を届けたか、という彼らの手による手記であります。
いまだに復興が進まないさまに苛立ちを覚えることと、あの惨禍の中で新聞社の社員としての機能を果たそうとする記者や、倒壊したシステムを復興するスタッフ。
出来上がった新聞を、瓦礫が散乱してしてまともに走れない道路の状態である中、販売店に新聞を届けたトラックの運転手。さらには地震やその後に発生した津波で店主が殉職したり、もしくは販売店そのものが流されてなくなっていたりというこれまた尋常ではない状況の中、全社、さらにはグループ企業一丸となって、新聞を発行するという気概が文章の中からにじみ出てくるかのようでした。
しかし、この本を読み進めて、自分の地元、郷土に対する愛着のなさ、というのも浮き彫りになってきて、被災した方には本当に心から哀悼の意を捧げますが、いざ自分の身にこのような災害が降りかかってきて、それでも
『ここにいたい、これからもこの場所で自分は生きていくんだ』
もしくは
『何が何でもここの復興に全力を尽くすんだ』
という気持ちになれるか?という問いを自らの裡に語りかけても自信を持って
『いうまでもない、もちろんだ!』
と言えないな、ということが分かりました。
だからこそ、東北の各地で被災した方々の
『それでも自分たちはここで生きていくんだ』
とある種の『覚悟』をもって生きる彼らの姿を雑誌や新聞、テレビやインターネットの動画サイトで見るにつけ、こういうものは残念ながら自分にはないものなんだということを思い知らされるとともに、
『地元紙として被災者に寄り添っていく』
という河北新聞社の取材に対する姿勢と、それを後方支援で支えたスタッフ。読者へ新聞を届けるんだという職業意識の高さには非常に胸を打たれました。
おそらく、自分だったら確実に他のところに逃げているでしょう。それこそ、何もかもなげうって。そして二度と後ろは振り返ることはないのであろうと思います。
たぶん、この文章は見る人によっては反感を覚えたりするでしょう。僕もこれに関しては反発を受けることを覚悟の上でしたためておりますがそれが自分の本音の部分であるのであえてこれを公にすることにします。
ですが、今だから、今だからこそ彼らの記録は胸にとどめておきたいと切に思っております。それは僕の偽らざる本音です。
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仙台の地元新聞「河北新報」の記者たちが、東日本大震災の中でどのような経験をし、東北の人達をどのように励ましてきたかを記したノンフィクション。それを通し、あの大震災の中、ジャーナリズムの役割とは?意義とは何だったのか?を問い直してくれる。
もちろん答えは無い。でも、答えのない問題を提起してくれるのがノンフィクションなのだろう。
現場にいる記者たちは、自分たちも被災しているために自社制作で新聞発行できなかったのだけど、提携を結んでいる新潟日報の手を借りて、3月11日当日夜の号外、翌日3月12日朝刊を発行した。地元以外の人間からしたら、全国紙があるんだから、無理に地元紙が頑張って発行しなくても、、、と思ってしまうのだけど、地方新聞記者には彼らのプライドがあるのだ。
それに、被災した人達にとっても、「河北新報が無事なら自分たちもふんばれる」という安心感を与える上でも重要だったのだろう。地震の翌日くらいからラジオや全国紙は福島第一原発の報道メインになっており、宮城・岩手被災地で今何が起こっていて、何に困っているかを中心に知らせてくれるメディアとして、河北新報だけが頼りだったらしい。
そしてこれは結果論だけど、地元新聞だからこその親近感・気遣いの感じられる記事が紙面に載っていたため、全国紙とは異なる視点で、後世への歴史記録媒体として貴重なものとなった。
とはいえ、その場で懸命に取材していた現場記者たちは、困っている人たちを直接助けてあげられないことの無力感を、ずっと感じることになる。
・ヘリコプターで空撮取材中に、石巻の小学校屋上で避難した人達がSOSという文字を書いているのを見つけても、何もできず泣きながら「ごめんなさい」と謝る姿。
・福島支局の記者が、原発近くから避難せよという指示と、今こそ取材すべきじゃないかという使命感との狭間で葛藤し、新潟へ避難したり福島に戻って取材したり何度か行き来した後、一度でも現場から逃げた自分を許せず、会社を退職したというエピソード。
ジャーナリズムの無力さを感じさせられることも、この本には記されている。
報道とは、何が起きたか・何が起きているかを、今暮らしている人に伝えること、そして後世に残して未来の人達の役に立てること。
この本を読んで、新聞記者という仕事の尊さ、そして苦労や苦悩をいくらか知ることが出来たような気がする。
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「河北」という名称に、そんな信念がこもっていたとは。
震災下の未曾有の状況で、休むことなく取材活動を行い新聞を発行し続ける誇りと葛藤。
ヘリでの取材中に救助を求める被災者を発見したものの、何もできない無力感に苛まれる記者たち。
先日読んだ石巻日日新聞の本では、休むことなく「印刷した」新聞の発行を続けている河北新報(だったと思う)をうらやむシーンがあったが、その裏では途方もない苦労と人々の強い協力体制があったことがわかる。
また、地域密着の地方紙であるという矜持も。
新聞というメディアの底力を改めて認識した次第です。
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震災に関しては十人十色の意見や考え方があるんだろう。
震災から4年近く経つが節目の日を除くともう全国紙や全国ネットで震災が報じられることは殆ど無い。
これを“風化”というのだと思う。
あらためてメディアは何のためにあるのか問いたい。
視聴者や読者が食い付くネタを並べ、視聴率や販売部数を伸ばすこと、そのものが目的になってはいないか?
河北新報の関係者はそうでは無かった。
そして自らにも問う。
いざという時、お前は悩むのか?走れるのか?と。
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近年、新聞社をとりまく環境はとかく厳しい。ジャーナリズムが劣化したとの声が聞かれ、じっさい、販売部数の減少には歯止めがかかっていない。しかし、いざとなったときに頼れるのは、やはり新聞なのではないか。本作を読んで、その想いをいっそう強くした。まず、新聞社自身が被災者なのである。被災者の心に真に響いてくる紙面をつくることができるのは、被災した当事者をおいてほかにいないであろう。しかし、そのような新聞を製作することは、非常に困難な作業でもある。本作で語られるエピソードの数数は、これまであまり想像したことがなかったが、なるほどたしかに大変なことばかりである。たとえば、東日本大震災においては、広範囲・長期間にわたってライフラインが寸断されている。それは新聞社にとってももちろん例外ではなく、予備電源こそ持ち合わせているが、近年の原稿製作における基本トゥールであるパソコンすら、満足に使うことはできない。さらに、記者たちの食事をどうするかという問題もある。そのようなことには考えが到らなかったので、驚きであったが、こういうことまで想定しておかなければ、緊急時の報道はなかなかうまくゆかないということだろう。原発の報道など、震災時に批判を浴びた報道も多かったが、その裏側では血の滲むような努力が続けられており、じっさい私自身も、情報が錯綜するなか、新聞で秩序だった情報が入手できたことは非常にありがたかった。製作者には、改めて頭の下がる思いがする。今後新聞の未来がどういったものになるのかまったく見当がつかないが、本作で描かれたような熱い情熱をもった記者たちの存在だけは、いつまでもありつづけてほしいと願う。
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震災の時は東京にいた私ですが、生後2ヶ月の息子と初めての育児に追われる中で、かなり情緒不安定になっていました。この本を手に取ったということは、あの時、被災地はどうだったのか、今やっと落ち着いて読めるところまできたと言うことなんだと思います。
やはり、心の奥底にある不安定なところにダイレクトに訴えかけてくるので、かなり泣きそうになりながら読みました。あの中で、時に迷い、時に苦しみながらも、彼らが必死になったというこの記録は価値あるものだと思うのです。
新聞のあり方、メディアのあり方とともに、仕事とはなんなのか、働くとは何かという問いも突きつけられる気がします。
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一昨年、ロンドンオリンピック終了後に半ば観光気分で訪れた東北。当時は震災から1年6ヶ月が過ぎ、震災関連の情報はほぼ全く報道されなくなっていたので、そこそこ復興しているものとばかり思っていましたが、現地に着いてみると復興などとはほど遠く、ガレキや潰れた車などの鉄材がそこかしこに残り、何もない荒野や鉄骨だけになった建物が散見される光景がそこにありました。
そのありさまにショックを受けると同時に、“数字がとれない”(=“金にならない”?)という理由のためか、今まだ傷跡が残る過去の事柄を無視して流行ものばかり追いかける報道機関に対し、虫酸が走るほどの怒りを覚えました。
それ故に、全国紙が3.11ぐらいにしか東北に目を向けなくなった中で、現地の報道機関として被災地、被災者と寄り添い続ける河北新報社のあり方には感動すら覚えます。美談だけでなく、報道と救助の狭間における苦悩などを余すところなく書き連ねているところに真摯さが感じられ、それがまた胸を打ちます。
今月は震災から三年を迎え、一時は震災関連の報道もなされましたが潮が引くようにそれは消えゆき、他の話題に飲み込まれてしまいました。文庫版のあとがきにある編集局次長の誓いの言葉――被災地が新しい未来を手に入れるまで、責任ある報道を続けること――を、全国紙の記者どもに叩き付けてやりたい心境。情報の消費速度が速まってきているからこそ、情報を取り扱うプロが残すべき情報を残すよう努めて欲しいと願うばかりです。
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先ず、震災当時の悲惨な映像が思い出され涙した。
次に、被災者に情報を届けようとする河北新報社社員たちの努力と葛藤に目頭を熱くした。
そして、地元住民に寄り添う地方新聞社の大切さに気付いた。
私たちは、多くの情報から自ら判断し行動している。情報が突然に絶たれたなら、私たちは自らの立ち位置すら見失い身動きできなくなってしまう。現在人にとっての情報は、水や電気・ガスと同じく無くてはならないインフラの一部と言える。
過日の東北では地震と津波により電力と共に情報も途絶え、救助を求めることも救援の手を差し伸べることもままならなくなった。そこに情報の光を射したのが地方紙河北新報の取材・編集・印刷・輸送・販売の総力を挙げた献身的努力だった。
全国紙は被災地の惨状を伝え、援助の手を集めることが大きな使命であり、被災地の地方紙は被災者の立場に立ち、励まし、希望の光を被災者に投げることが使命であることを知った。
こう書いては申し訳ないが、これまでローカルな記事に面白みを感じず地方紙を蔑んでいた。しかし本書を読んで地方紙の意義を知り、地方紙には全国紙と競うのではなく地元住民に寄り添って、特色のある紙面で益々発展してほしいと思う。
震災から3年が経ち、原発報道すら頻度が低下した昨今ではあるが、被災地はまだ震災と闘っている。一日でも早く傷が癒え、復興されることを祈念する。
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震災発生から3ヶ月後のアンケートを元に作られた本。
読んでいると、じりじりとしたものを感じる。
生活インフラが破綻するということ。そして大変な時は誰も責めないということ。頑張ろうって言われても頑張れないということ。
ただ、生きるということの奇跡を考えてしまう。
生きている人は悩むけれど、生きていなければ悩むことすら出来ない。
そして、生きていれば、ご飯が美味しいとか、暖かい場所で休めるとか、そういうことで幸せを感じることは出来る。
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仙台に本社を置く河北新報は、東日本大震災で壊滅的な被害を蒙った。沿岸の支局は津波に呑まれ、安否不明の記者も続出。本社のコンピューターが倒れ、紙面制作の機能を失う。「それでも新聞をつくらなければならない!」この絶対命題を前に、彼らは何を思いどう行動したのか。“新聞人”たちの凄絶な闘いの記録。
単行本発売当時から読みたいと思っていたものの、いつの間にか文庫が出ていました・・・月日がたつのは早いものであの震災から3年以上たつんですね。震度5弱の地震に恐怖は感じたものの特別被害にも合わなかった私は、当時は気仙沼などの被災地の映像をTVで見ては震えがっていたものの、正直今はその感覚も薄れ遠い話になっていました。でもこの本を読んで、そんな自分を強く恥じました。被災者にとって復興はまったく終わっていない。目にしないからといって忘れて良いわけでは決してない。小さくても、何かできることをやらなければと思いました。
記者たちの葛藤や決意が伝わってくる文章ばかりで何度も涙がこぼれた。当たり前のように享受しているTVやネットの情報がなくなったとき、何としても新聞を出す!と頑張ってくれた河北新報の行動は、どれだけ被災者を力づけたことだろう。悲惨さだけでなく、人の温かさや絆も伝える紙面に胸が熱くなりました。放射能の恐怖も抱えながら取材を続け、地元に寄り添ったメディアは数少ないと思います。迷いもありながら伝えることを選び、今も伝えてくれる彼らに最大の敬意と感謝を。これからも地元紙の誇りを持って頑張って欲しい。