まさに民主主義の断末魔
2014/01/20 10:01
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ミルシェ - この投稿者のレビュー一覧を見る
震災と原発事故を機に、衆愚政治化が、より一層進行?今や「反原発ポピュリズム」のようなものが、蔓延しているような。私も将来的には原発は止めた方がいいと思いますが、しかし、何か声高に反原発を主張している、山本太郎などの議員や他の人々程、どこか胡散臭く思えてしまい。そう簡単に言えない問題では?あまりにこの国での反原発の一連の人々の言動が、明確な長期的計画や理念からというより、大部分は原発への理屈ぬきの大きな恐怖に、衝き動かされてに見えて。しかし「反原発」と言いさえすれば、その議員の大量の支持が即稼げてしまう、それに私的なものを公的な政治に持ち込み、大衆の情念に乗っかり、メディアと組んで煽動した筆頭政治家の小泉さんが、反原発に関してまた中心になる事に引っ掛りが。またいくら原発問題が人々の関心事の一つとはいえ、反原発という事だけで、政治家が評価されてしまっていいのか?それに、細川さんの小泉さんや河野太郎辺りとの連係及び政界再編を期待する向きがあるようですが、実現しても結局は老齢政治家達、そして自民党議員が中心になり、政治の主導権を握り続ける事は変わらないし、本当の日本の政界の世代交代は、依然として進まないままでは。本当にこの国の至る所で、老人達が様々なものを独占している状況が続くばかり。某政党の高齢率が、異様に高い事について、著者の「後進にも希望を与えてくれるのですが」ですが、私は彼らを見て、やはり、この国はいつまでも老人ばかりが中心になって、牛耳り続けているんだなと、うんざり感の方が強く、ここには年代的な立場の違いを感じ。相変わらず、前著で指摘されている、政治家の健忘症・変節も状況次第が、反原発を大儀名分に、いつの間にか現役復帰の小泉さんと細川さんなどの行動にも見え。(特に細川さんの方は、政界引退を表明しながら、鳩山さんと同じく、民主党のオーナー気分が抜けないのか、二年前の代表選挙にまで介入したり、依然としてマスコミに頻繁に露出、多くの本を出版など、以前から何となく嫌な予感はして。(野田佳彦の政治家としての理念とか見識や能力以前の、細川さんの彼が従順でかわいいからという私的感情に過ぎない、彼の推薦とか、現在批判されている、独善タカ派首相の安倍さんを、然るべき経験や役職も与えぬまま、自分と主張が同じというだけで、彼を後継者に指名した、小泉さんの後継者選びの失敗とか彼らの引退宣真の撤回とか、これら二人の責任や問題は、反原発というだけでまるで英雄扱いで帳消しに?(宮台真司なども、自分に主張が近いからという事で鳩山や細川に甘い所があるようだし。)彼らに首相として具体的に評価できる程の実績があると言えるのか?現実的原発廃止の見通しは? そして国民側の、大きな大衆的人気の得やすい政治家=首相・リーダー適格者になってしまう、短絡的・表面的過ぎる民主主義理解。特に小泉さんはその風潮を促進した。原発問題などの問題解決も含めた、他力本願の救世主探し、人気主義など。日本の民主主義が時によりマシな方に進むはずだという論には、相当懐疑的に。私には以前から現在の日本の民主主義の問題は、もっと根源的なのではないか?と思えて。某女性歴史作家の「日本人は独裁が好き」という指摘もあり。日本人は、民主主義と相性の悪い国民ではないのか?と。長年の日本の民主主義の慢性的機能不全状態から、そう思えてきて。都市国家と村社会で、同じ土俵の上での考察をという前提自体に疑問が。日本では民主主義の中身が不問のまま、いまだに体裁だけの、一向に国民が実践できない、表面だけの民主主義に留まっているのでしょう。
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この国は本当に歪んで偏りがひどくなっている。その核心を論理的に突いている。「国民」とは、「民主主義」とは、「大衆」とはということを考えさせられる。
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月刊「新潮45」の連載をまとめた本。
内容は
第1章 時代閉塞をもたらしたもの
第2章 空気の支配
第3章 正義の偽装と「ミンイ」大合唱
第4章 領土を守るということ
第5章 成文憲法は日本人の肌に合うか
第6章 「石原慎太郎」という政治現象
第7章 「維新の会」の志向は天皇制否定である
第8章 「国民主権」という摩訶不思議
第9章 「経済学」はなぜ信用されないのか
第10章 「皇太子殿下、ご退位なさいませ」が炙り出し
だしたもの
第11章 「砂漠の経済学」と「大地の経済学」
となっている。
どの章も、著者の経済学を出自としながらも、幅広い人間学を基礎とした造詣の深い言葉に操られ、とかく皮相的にしかとらえられない現今の現象を、政治・法・経済・歴史学的観点などからその本質が炙り出されている。
とにかく、言葉の持つ本質的な意味が深く掘り下げられた説明で、納得できる説明である。
古今東西の人間が織りなしてきた歴史に対するアプローチがすばらしい。
真の保守とは何ぞや といつも感心させられる佐伯節である。
関西人特有のユーモアの随所にあり、フト微笑んでしまう、同じく関西人の私である(おまけ)。
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連載を集めたものにありがちな、議論があっちこっちに拡散して読みづらいものと違い、筋が一本通っているように感じ、読みやすかった。
それは筆者の考えの筋が骨太で、そこから導き出される論考を文章として著しているからだろう。
全ての文章がそうあるべきだが、そうなっていないのが氾濫している現状からすると、素晴らしい。
筆者の主張や考察は今ある現状に対する批判の形のみをとっているため、最近の風潮からすると「では対案を示せ」と言われそうだが、それは違うのだろう。
本にもあるとおり、筆者は「専門家」であり、その知識を統合して全体を最適化するような判断をするは、本来的に「政治家」「指導者」に求められるものであるからだ。
そのような役割をする指導者が日本には生まれていないため、その役割自体が忘れ去られ、個別最適の積み上げが全体最適となるかのような誤解を生んでいると思っている。
そのために、学者や作家など、特定の分野で名を為した人が政治の世界に引っ張り出され、国民もそれを求めるような社会になってきたのだろう。
そのような政治家が現れるのを永遠に待ち続けるしかないのか。
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時事的な問題を、様々な視点から論じている。
範囲の広さは良い点でもあるが、個別の章について、さらに詳しく知りたいところもあり、消化不良感もある。
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最近の与党・自民党の動きを見ていると、あれ、民主主義ってこういう事だっけ?と思ってしまいます。確かに選挙で選ばれた以上、比較的多くの「民意」が反映されているはずなのに。
そもそも「民主主義」ってなんだ?
と、いうところに立ち戻って考えると、それは想像以上に困難で過酷なものであるようです。
「民意」がひとつであれば問題ないのですが、実際にはそれは各個人の欲望や損得勘定の自由な発露であり、国家の主権者たる国民同士での主権争いに他なりません。かつて絶対王政などのわかりやすい「打倒すべき権力者」が同じ国民となってしまったのが近代民主主義国家であると。
ホッブズの国家契約論に遡ると、「国民主権国家」の条件として国民がエゴを捨てて公共のために尽くすことを上げていたのですね。それを見えざる「神」の前で信約(カバナント)する必要がある。だからそれはキリスト教と不可分の思想でもあるのです。
そういったことをすっ飛ばして、その意味を深く考えずに民主主義を採用している我が国では、欧米諸国以上にその運用には注意が必要です。
そんな事が書いてある、なかなか衝撃的でラディカルな本です。「民主主義が正義なのか」まずここを疑うこと。難しいですが、避けては通れないのです。
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世の中のふやけた正義の味方の皆さんを斬る本、かと勝手に想像していたら、そうでもなかった。民主主義という正義が本当に機能しているのか。そもそも民主主義はいいものなのか。そういう話。「民意」を「ミンイ」と書くことで、この本の言いたいことはかなり表せるのではないかと思う。「日本」を「ニッポン」と書くと急にわかったようなわからないようなナショナリズムが喚起されるのと同じだ。「専門家」への依存や不信も社会の不正義を助長しているが、そもそもexpertのpertとは、「小生意気な」とか「でしゃばり」、つまりexにpertするとは「外へ向かってしゃしゃりでる小生意気な者」だと。言われてみれば、本当にその腕や知識で飯を食っている人のことを専門家という風には認識できないなあ。他にも石原慎太郎の話やら、部分的に溜飲が下がるところはあるが、なんだか思い出に残りにくい本であった。
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日本の「正義」を考えると、民主主義とか民意とか、国民の多数が考えて述べることが適当なのかもしれない。その結果、かつての民主党政権やアベノミクスは「正義」となった。しかし、ちょっと考えると民意を唱えるのは国民の多数ではなく、民主党や自民党だ。
木に止まったセミのごとく、ひたすら「ミンイ、ミンイ」と鳴いていれば「民主主義」ができあがる。実は独裁者こそが民意を語り、国民を代表することができる。それが著者の言う「正義の偽装」だ。
こうした欠陥をはらんでいる民主主義ではあるが、現状ではその体制を選択するしかない。それもまた、大きな矛盾。
「正義」とは考えれば考えるほど、ループしてしまうものなのだ。
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佐伯先生、憲法に対する無知と、論理のひどさはやばいな。。自分より極端な論理に共感しつつ、「ここまでは私も言いませんよ」と中庸かのように装う。笑 そこは素直にうまいなと笑った
二章の、丸山眞男の批判したものは、丸山眞男のエピゴーネンによって維持、補強されたって話はやや同意。
最も物笑いなのは、歴史主義を語るくせに、目前の歴史(もはや戦後は「60年以上」続いている)を「無視」するか、「無効」と叫ぶ。戦後に色々問題点はあろうが、その歴史をスルーして、文脈や伝統、歴史を語れるほど短い期間ではない。佐伯先生の本は好きだが、戦後を語ると、特有の情念が出てくるのは問題だ。保守とは、ゆるやかな変化を志向するものであるはず。バーキアンとして、そこは見過ごせない。
佐伯先生自身の言葉を、佐伯先生は裏切っている。
「社会秩序を大きく変えないで、少しずつ変えていくというのが保守の立場です」(『学問の力』)
目的のためなら、目の前の現実を無視してもいいというのが保守なわけないだろう。保守は常に変化についていけない人々に寄り添う立場であるはずなのに。
ほとんど自民党シンパになっている。どうしてしまったんだろうか、佐伯先生は。
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経済学者・思想家である佐伯啓思が、月刊『新潮45』の連載「反・幸福論」の2012年7月~2013年6月発表分をまとめたもの。同連載の新書化は、『反・幸福論』(2012年1月刊)、『日本の宿命』(2013年1月刊)に次いで3冊目。
連載の時期は、民主党政権の末期から第二次安倍政権への移行を挟んでいるが、時論に留まらずに、著者が「まえがき」で「ひょこひょこと時々の状況に応じてムードが変わること自体が問題というほかありません。そして、それこそがまさに今日の民主政治の姿なのです。・・・私には今日の日本の政治の動揺は、「民主主義」や「国民主権」や「個人の自由」なる言葉をさしたる吟味もなく「正義」と祭り上げ、この「正義」の観点からもっぱら「改革」が唱えられた点にあると思われます」と述べる通りに、現象の根底にある、民主主義、日本国憲法、国民主権、天皇制等のテーマに踏み込んで論じている。
もともと雑誌の連載ということもあり、整然とした論理展開により結論が提示されているわけではないが、本書の政治面での主張を極めてシンプルに整理すると概ね以下のようなものと考えられる。
◆日本には責任の所在を明確にしない「空気の支配」が存在し、石原慎太郎も維新の会もそうした空気により支持されたものである。
◆ルソーが唱えた民主主義の出発点は、「共同防衛」と「憲法(根本的規範)の制定」であり、日本が民主主義を標榜する限り、他国に防衛を任せることは矛盾するし、主権者ではないGHQが作った日本国憲法は、内容云々以前に無効である。
◆「国民主権」の民主主義は、主権者と統治者が同一の国民という根本的な矛盾を孕んでいる。「共和主義」の伝統のない日本には向かない。
◆日本は、権威としての形式上の主権が天皇にあるという形をとるほかはない。
現代日本の問題を考える上で、多くの視点やヒントを与えてくれる。
(2014年6月了)
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佐伯先生の語り口や切り口は面白い。本著もキャッチーなポイントから民主主義について論理的解説を試み、そういう考えもあるか、という着想を多く与えてくれる。残念なのは、テーマ一つ一つの掘り下げが深まる前に、話が進行してしまう事。新潮45への寄稿を纏めたものとの事で、その点は仕方ないのか、テレビショーの感。
山本七平が言っていた民衆を操作する空気について、民主主義における民意について。日本国憲法の有効性。石原慎太郎の考察、などなど。面白テーマずらり。雑誌寄りか、と思えば合点がいくのだが勿体無い。それなりに、である。
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ただの時事評論にあらず。重厚な思考の形跡を伺わせるような評論です。(本来そういうものなのかな)。
時事の出来事に併せるように顕現してくるものは
かつて見た光景・・・ヒトは進歩というものがないらしい。
すべてに於いて「既視感」を覚えるのか。
いまさら追加執筆が求められるのは、大衆が健忘症を煩っているからだ。
そして売れる・・・。
既に古典内でしつこいくらいに語られている。
その引用と現実の事象を照合させるだけだ。
筆者はため息をつきながら執筆しているのだ。
また、資本主義の本質について納得させるものがある。
嘗ての著書「資本・欲望・なんだっけ」でも詳しく解説されていましたが
改めてアベノミクスとの対比の中でなんていうか得心がいったというか。
彼の中ではもう既に結論がでているのだろうとペシミスティックにならんで
欲しいですよ。ああ、もうニヒリズムは卒業した先生であられるのかな