紙の本
過去から未来にかけて考える「知」の考え方。
2018/05/09 11:19
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投稿者:文学少年A - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、中世の教会やギルドが独占していた知をグーテンベルクの活版印刷により一般大衆に公開し、限定的に終わるはずだった宗教改革を加速させ、16世紀には英国で大学や専門学校に行かないと学べなかった知識を百科事典『ブリタニカ』にアルファベット順や解説を載せて刊行し、公開することで大学による知の独占が崩れた。後半は、著者の経験を交えてマイクロソフト社の「Windows95」や検索エンジンの登場による情報ビックバンの幕開け、その他FacebookやTwitter等のSNSの興隆、キュレイションサイトやバイラルメディアの登場。最後の章には人工知能(AI)にの今後の捉え方や「知」の考え方を書いている。
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知識の必要性
発想、疑問質問、何を知ればいいか、知識そのもの
新しい技術の知識で一番重要なのは 「それが可能かどうか」
情報の対価をネットでとろうとするとクレカ支払いが主流で手数料とSSLで利益が出ない
他の決済に期待
ビッグデータは所有者が限られるので大企業のみ活用し、人工知能も
目的の設定は人工知能にはできない
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歴史的な経緯を踏まえながら、今現在の知識・知性にまつわる状況を俯瞰し、整理した新書である。特に紙面を割いているのはインターネット以降のそれだろうか。
内容としては新味に欠けると感じる人もいるだろう。各種SNSについてなどは、現代的には「当然知っているべき、触れているべきツール」ではあるし、当たり前の話が続いている印象を持っても、それは当然のことだろう。
しかしその一方で、改めてそれらのツールを全体的な視点で解釈しなおすことにはある一定の意味が見出せるだろう。また、意外にこうしたツールを大雑把に紹介する記事は多くないこともあるから、疎い人間にとっては読みやすく、その意味で新書的な良さ(ライトさ)があった。
とはいえ、さすがに今少し深い議論を望みたい部分はあった。個人的には人工知能について、もう少し深く書いているものと期待していた面があった。
そうした個人的な経緯も含めて、星四つ程度と評価している。
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知識の歴史を系統だてて説明してあるもの。
知識が独占・隠蔽されていた時代から、百科事典が作られた時代までが1、2章で、残りの5章は全てインターネットの時代になってからの情報共有について。
記憶としての知識が問われる時代から、どの様に問い、複眼的思考を持てるかと問われている。
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2017年の読書初めの1冊。
我々が「知(知識)」として持っておりものの歴史を簡潔にまとめてある1冊。歴史上知識がどのように扱われ、これからどこに向かうのかが分かりやすく説明されている。特に、知識があふれる現代において、我々がどのように生きていくべきなのかのヒントが隠されている。正解はない。それは多くの中から取捨選択を余儀なくされる我々だから。それは幸なのか不幸なのか。まだ見ぬ未来に向けて、私たちと知との対話はまだまだこれからも続いていく。
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知識を独占できることで特権的な地位を持つことができる時代は過ぎ去った。
インターネット時代における知識生産と供給のビジネスモデルについて考えさせられる本。
野口氏の考察は本当に鋭いといつもながら思う。
御年76歳というから驚き!
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知識の価値は隠匿することで高まるのか、積極的に広めることで高まるのかというのが大きなテーマとなっています。
情報や知識の価値というものの歴史を見ていくと非常に興味深く面白いです。
情報社会のスピードは衰えるどころかいまだに加速し続けているので何もしなければただ置いていかれてしまいます。
情報に振り回されないようにする為にも情報との付き合い方や必要な知識をしっかり学ぶ必要がありますね。
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知識の持ち方や活用の仕方について、どのように変遷してきたかに触れられる一冊。
史実や参考情報などの引用がおおくあり、膨大な量の情報を元に編纂されたのだろうなと感じます。
Pull/Pushの考え方に気づかされ、ほんの読み方や選び方を考えさせられるようになりました。
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知の世界の歴史を現代にいたるまで詳細に語る。フランス革命直前に百科全書派(ディドロ、ダランベール、モンテスキューら)という言葉があったが、正に知識論の世界においてアルファベット順、50音順というものが画期的だったのだ。学問体系からすると邪道だと思われたということが、分るような気がする。今のウィキペディアの考え方などは、もっと驚くべきものだろう。グーグルの検索機能がインターネット普及の上で、不可欠な存在だったということは誰にでも明確なこと。初期の頃、gooでの検索が非常に探しにくく、使い物にならないと思ったことがあっただけに。百科全書派時代の英仏(ベーコン対デカルト)の思想界のライバル意識の強さが面白い。グーテンベルクの活版印刷術発明が情報革命の第1弾だったという説明もこの文脈の中で、非常に分りやすい。ラテン語を使える人による知識の独占、障壁というのは今でも全く同じ現象が続いており、英語だけではなく、戦前までの外交におけるフランス語、医者の世界のドイツ語などがそうなのだと思う。
コピペ蔓延の現状、2011年の京大入試における携帯からネットに質問をするというカンニング事件を取り上げ、むしろ指導層の怠慢を言う著者の考えはユニークだが、この流れからは不自然な結論ではない。
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戦争を例にとれば、新しい兵器を製造するために必要な情報の体系は知識。それに対して、戦場における敵軍の動向などは情報。
既存の知識と問題意識のぶつかり合いで新しい愛出来あが生まれる。新しい情報に接しても知識がなければ、何いも感じない。しかし知識が多い人は新しい情報から刺激をうけて、大きう発展する。
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組織とラテン語で守られていた知識、印刷技術と通常言語・アルファベット順の百科事典が万人に開放した。インターネットがメディアを変えた。勉強の方法論が変わった。秘匿より公開の事例。人工知能でどう変わっていくか。
個々の事例を断片的に知ってはいましたが、「知」をめぐる歴史的な変遷という大きな流れで捉えられると、なるほど、すっきり、でした。
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印刷技術の発明以前、知識や情報を得るためには、大変なコストが必要であった。すなわち、知識や情報は、一部の権力者や専門家にしか得られないものであり、またそのような人々は知識を独占することで自らの権益を守っていたのである。しかし、活版印刷という知識を生み出す技術が発明され、一般市民にまで様々な情報が伝わると、隠蔽されていた事実が暴露されたり、実用的な知識を得たいと思う人々が増えたりして、民集の意識が高まってきたことで、欧米での各種革命が起こるに至ったのである。
20世紀の後半になると、インターネットという新しい通信手段が登場し、知識や情報の拡散に関する条件は大きく変わった。また、近年急速に進化している人工知能を軸とする新しい情報技術は、多くの問題をもたらす危険性があることは事実である。例えば、レコメンデーションによって積極的に情報を得ようとする主体性が失われたり、それに依存することで、人間の行動が知らず知らずのうちに人工知能にコントロールされたりすることである。その他にも、人工知能の担い手が一部の大企業に限定される危険や人工知能自体が暴走する危険性などがあるが、これらの問題に固執して、現在の傾向に反抗することは産業革命期に起こったラッダイト運動と同じことである。
さらに、人工知能の進歩により、これまで人間が行ってきた知的作業の多くを代替することも見込まれるが、あくまで知識は持つことそれ自体に意味がある。なぜなら、新しいアイディアを発想するためには、知識が不可欠であり、また質問する能力を知識が高めるからである。したがって、知識や情報を容易に入手できるようになった現在、知識をえることは何かのために手段(資本財)ではなく、それ自体を目的(消費財)として捉えることが重要であり、そのような資本財としての知識の価値は、人工知能がいかに発達したところで少しも減るわけではないのである。
本書は、第1章と第2章で、知識が独占されていた時代から公開される時代になるまでの変遷が明快に記されており、世界史の勉強にもなって読みやすい。第3章以降は各論的な話であり、専門的な用語(カタカナ語が多い)が登場してやや難しく、また少々脱線が多い気もする(なぜなら本書の中心はあくまで「知」であるはずだから)。
著者の知識に対する考え方には共感でき、特に知識を得ること自体が自己目的的行為であると主張している点は、日頃から思っている信条に合致するところであった。理由として挙げられている質問する能力を知識が高めるという点を発展させれば、疑問点が浮かびやすかったり、吸収率があがったりすることを理由とする、授業に予習して臨むことの必要性や、行事に綿密に準備をして臨むことの必要性も導くことが出来そうである。
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本のテーマは、3つある。
第1のテーマは、知識の価値が隠す事で高まるのか、広めていく事で高まるのか?
そして、第2テーマが、このインターネット時代に、知識生産と供給のビジネスモデルが確立出来るのか?
第3のテーマが、人工知能の時代に、人間が知識を保有する意味があるのか?
知識を限られた人の中で閉じ込める事で、財を産むモデルであった事をギルドや聖書、ラテン語、医学、大学の歴史を通じて解説してくれている。百科事典の出現による知識の解放とインターネットによりフリーに近付く知識。
大量の知識が情報としてあふれるインターネットの世界で、もはや知識が財を産む事は無くなってしまったのか?
情報を人より速く手に入れる事で財を成した人、情報をフリーでばら撒く事で財を成した人、情報をコピーして財を成す人、情報を公開して他人に作業をさせる事で財を成した人など、情報や知識を供給する仕組みにフォーカスする事で、第2のテーマへの考察がある。
第3のテーマは、人間が知識を獲得する事への喜びある限り、人工知能に取って代わられる事はないという筆者の慧眼が説明される。
筆者は、野口悠紀雄氏。三年ほど前?にブロックチェーンの本を読んで、当時、まだあまり明らかにされていなかったブロックチェーンの仕組みやビジネスモデルについて非常に分かりやすい本を書かれていたのが印象的、そちらの本もお薦め。
この本は、情報や知識をビジネスにしている人に考えさせられる良い本だと思う。
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週刊誌連載のエッセイ的な内容を、最近のインターネット周りのトレンドに合わせて選択して並べ直した印象。
「知」の進化についての歴史的な記述で、印刷技術の登場によって知識が万人に開放され始めたことが述べてある。インターネットの登場はそれに相当するインパクトがあり、知識が誰にでもタダで手に入るものになったというところはその通りであると思う。
百科全書、グーグル、人工知能は、それぞれ過去・現在・未来における万人への知識を分け与える媒介となっていると思う。
あまり今後の予想的なことは、著者の見解としては書かれておらず、全体も世間一般のまとめ的な印象がぬぐえない内容でした。
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・百科事典(=web )での勉強は権威のギルド的利益を脅かす。
・コピペレポートはけしからん。そもそもコピペでできる課題を出し続ける教師がけしからん。