投稿元:
レビューを見る
神聖ローマ帝国皇帝でありシチリア王国の王でもあった,フリードリッヒ二世の44歳から死,そして彼の息子たちの最後までの物語です。皇帝として,そして王としての地盤をより強固にしながら,法王と激突していく物語は,中世後期の法王と皇帝の衝突の構図と,中世を終わらせルネサンスの幕開けをはじめようとした時代の転換点の記述を絡めながら,一挙に読ませる内容になっていました。
ただ,ユリウス・カエサルやアウグストゥス,悪名高き皇帝たちなどと違って,評価の星は5つにできないなとは思います。これは塩野さんの記述がどうこうという理由ではなく,今回の作品の時代の資料の質や量によるものが大きいと思っています。ローマ人の物語でも,カエサルやタキトゥスの時代は,資料が豊富なこともあり,塩野さんの作品を読んでいてもとても面白いのですが,今回はそこまで,という印象も持ちました。仕方がないのことなのですが,これも塩野さんが上巻の冒頭でかかれたように「中世という時代がどういうものであったか」を示すものなのかもしれません。
読みながら,塩野さんは,ユリウス・カエサル,チェーザレ・ボルジアなど,時代を変革しようとし,転換点に生きた人物を物語るとうまいなとの思いを新たにした作品でした。
投稿元:
レビューを見る
サラセンのアルカミールとの信頼関係が強く、平和交渉でエルサレムを取戻し、それが法王に異端視される!強烈な皮肉だ。イスラムからは精巧な技術製品が贈答され、返礼が北欧の白熊とは、まるでパンダ外交を思い出す。また、この人物の多くの女性遍歴、そして嫡子・庶子がほとんど優秀であり、諸侯の子弟を小姓(valet)とし、ファミリーを形成し、良い関係を広げていったとは興味深い。鷹狩りに子息たち、小姓たちを連れて行くのは今ではゴルフか?と比較すると楽しい。数学者フィボナッチを保護するなど幅広い教養の人物だったようだ。しかし1250年の死後、優秀な子息たちも法王の圧力のもとに次々に世を去り、ホーエンシュタウヘン家が途絶えてしまうというのは平家の没落を見るような気がする。
投稿元:
レビューを見る
あーあ、読んじゃったよ(T_T)
面白かった!!
この時代のものは興味がないと読みにくいと思うんだけど、塩野さんが書くとさすがに読みやすい。
中世と云うと暗黒時代というイメージを持っている人が多いと思うのだけれど、この時代だからこその面白さをこの著作を通じて感じてもらえるとうれしい。
投稿元:
レビューを見る
本書は前回紹介しました神聖ローマ帝国皇帝で最初のルネサンス的君主ともいわれるフリードリヒ2世の生涯を描いた『皇帝フリードリッヒ2世の生涯』下巻にあたります。下巻では北イタリア諸都市国家(コムーネ)の対皇帝同盟であるロンバルディア同盟撃破後から間奏曲として皇帝をとりまく人々、そしてローマ教皇との激突再開から彼の死、そして死後のホーエンシュタウフェン朝滅亡までを取り扱っています。本書を読んで、フリードリヒ2世死後のホーエンシュタウフェン朝断絶から大空位時代、そしてハプスブルク家のルドルフ1世即位までの神聖ローマ帝国の流れ、そしてホーエンシュタウフェン朝断絶からフランス(アンジュー家領)へ、そして「シチリアの晩鐘」からシチリア王国とナポリ王国分裂までの両シチリア王国の流れをつかむことが出来ました。
あまり内容を書くとネタバレになってしまいますので詳細はご一読を願うばかりですが、やはりフリードリヒ2世は魅力ある人物ですね。この時代には信じられないくらい開明的で、宗教にとらわれず、神よりも人を見続けた皇帝です。上巻にレオナルド・ダ・ヴィンチの一節と比較する形でフリードリヒ2世の「この一書、鳥類を用いての狩りについて述べるこの一書を書くにあたって、わたしが心したのは次の一句につきる。すべてはあるがままに、そして見たままに書くこと。なぜなら、この方針で一貫することによってのみ、書物から得た知識と経験してみて初めて納得がいった知識の統合という、今に至るまで誰一人と試みなかった科学への道が開けると信ずるからである。」(フリードリヒ2世“De Arte Venandi cum Avibus”(『鳥類を用いての狩猟についての考察』)という言葉からも、如何に彼が「暗黒の中世」から抜け出ているかが分かります。
ただ、フリードリヒ2世の科学的思考といえば“「人が本来何語を喋るのか」を知るために生まれたばかりの赤ちゃんに言葉を与えずに育てさせた結果、死なせてしまった」” という有名なエピソードがありますが、本書ではこれに触れていないのは、この話が荒唐無稽な話だったのか、それとも作者が知らなかったのか(たぶんこれはないと思います)どうか分かりませんが、この話に歴史的根拠が全くなかったにしろ、一エピソードとして触れてほしかった気はします。
では、以下は備忘録ということでいくつか本文を抜き出しておきます。
(ラファエロのあの有名な『アテネの学堂』の絵について)プラトンとアリストテレスの二人が立ち、その左右を学問と芸術の世界の巨星が各人各様の姿で囲む形だ。この絵の左端に、アヴェローエ(アヴェロエス、イブン=ルシュド)も描かれている。ターバンを巻いた、アラブ人のすがたで。(95~96頁)
ヴェネツィアがリードした第四次十字軍は、遠征には発ったものの行き先はパレスティーナでもなくエジプトでもなく、ビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルを攻めている。ヴェネツィア政府とスルタンのアラディール(アイユーブ朝2代目スルタン)との間に交わされた密約によって、十字軍さえ来なければシリア・パレスティーナのキリスト教徒の安泰は保証する、という同意が成立していたからであった。国益が最優先したヴェネツィア共和国だ。十字軍精神によってイスラム教徒を殺すよりも、交易路の確保とその一層の拡大のほうを選択したのも当然である。(103頁)
「マグナ・カルタ」に盛られていた意図は、市民の権利全般を王が認める、ことになどなかった。英国王の権力と影響力を減少することによって、聖職者と封建諸侯のもつ既得権益を再確認する、ことのほうにあったのだ。(中略)ではなぜ、「マグナ・カルタ」は日本の高校の歴史の教科書にさえも取り上げられているのに、「メルフィ憲章」(フリードリヒ2世が制定した、法治国家を目指すための憲章)のほうは、歴史研究者はともかく一般的には忘れ去られてしまったのか。理由の第一は、ローマ法王とカトリック教会から嫌われてしまったからである。中央集権国家に進み始めていたフランス王の動きは、法王は黙認した。だが、信仰面だけでなく生活のすみずみにまで影響力をふるう権利があると信じている中世の高位聖職者たちにとって、「皇帝が命ず」式が普及しては困るのだ。命ずるのは、神の意を受けているとされている聖職者のみに許された権利と思っていたからである。「メルフィ憲章」が発布された五ヶ月後に「異端裁判所」が開設されたのも、偶然の一致ではない。ローマ法王からの皇帝への、牽制を意味していたからである。「命ず」と言える権利は皇帝にはなく、神にしか、つまり神意を伝える人ということになっているローマ法王にしか、ないことを示すために。(107~111頁)
(マキャベリの言葉)「人間が不安のとりこになるのは、現に持っているものを失ったときではない。いずれは失うのではないかと、思い始めたときである」(170頁)
中世を震駭させた法王と皇帝の闘争は、司教の任命権はどちらにあるかという、叙任権などをめぐって争われたのではない。皇帝や王や諸侯という世俗の統治者たちのクビをすげ替える権利は、ローマ法王にあるのか、それとも否か、をめぐる闘争であったのだ。それも、「否」が実証される200年も前に※。そのうえ、政教分離が当然と思われるようになっている現代からは、800年も昔に。(187~188頁
※ローマ皇帝コンスタンティヌス大帝が321年に、教皇シルヴェステルに“ローマ帝国の西半分を贈る”と書かれた「寄進書」が全くの偽物だと証明されたこと。
1273年、かつてはフリードリッヒの忠臣でありコンラッドにも仕えたハプスブルク家のルドルフが、神聖ローマ帝国皇帝に選ばれる。フリードリッヒの死以来つづいていた皇帝の空位時代も、20年後にようやく終わったことになる。だがこの人も、ローマでの戴冠式までは果たせないで死ぬ。ローマ法王たちの、強力な皇帝に対するアレルギーは、フリードリッヒが死んだ後も長く残っていたということであった。(251頁)
コラディンが斬首されて以後の(フランス王ルイ9世の弟で両シチリア王国の王になっていた)シャルルによる皇帝派追討は厳しく、シチリア王国内の皇帝派はスペインに逃げていたのである。アラゴン王の妃になっている(フリードリッヒの息子マンフレディの長女)コスタンツァの宮廷が、この人々の亡命先になっていた。(中略)王妃コスタンツァは、夫の説得を始める。(中略)いかにフランス人による高圧的な支配に不満が高まっていたにせよ、民衆を説得し、彼らを蜂起に向けて組織する時間も必要になる。それが完了するのに、14年を要したのである。(中略)1282年の復活祭は、3月31日に訪れる。その日の晩鐘が、決起の合図だった。すでに沖合には、数日前にバルセロナを出港していたスペインの軍船団が姿を現しつつあった。陸側での決起と呼応して、海からも上陸する計画になっていたのでらう。教会という教会からいっせいに晩鐘が鳴り響く中、「フランス人を殺せ」と叫ぶ人々が、それを着実に実行に移していた。戦闘と言うよりも、殺戮だった。シチリア人の胸の中には、フランス憎しの想いが充満していたのである。上陸してきたスペイン兵たちも、こちらはプロであるだけに、より高い確率で殺して行く。まったく一夜のうちに、シチリア島全土からフランス兵は一掃されたのである。ナポリでそれを知ったシャルルが、急遽軍を派遣してきたが遅かった。周囲が海のシチリアでは、強力な海軍を送らないかぎりは上陸するのさえもむずかしい。そして、強力な海軍は、マンフレディ時代の生き残りとスペインの連合軍のほうにあったのである。実に一夜にして、シャルルは、南イタリアとシチリア島から成っていた「シチリア王国」(高校世界史教科書では両シチリア王国)の、半ばを失ってしまったのである。ナポリを首都にしシチリア島は税の徴収先としか見てこなかったシャルルの統治が、失敗したということでもあった。フランス人を追い出した後のシチリアの統治者には、アラゴン王妃のコスタンツァが就任する。(中略)しかし、1282年の「シチリアの晩鐘」は、メッシーナ海峡を越えた本土の南イタリアにまで鳴り響くことまではなかった。それでシャルルは、本土側の南イタリアの王ではありつづけたのである。(252~253頁)
「STVPOR MVNDI」(世界の驚異)が、以後のフリードリッヒの代名詞となるのである。「ストゥポール・ムンディ」と言うだけで、ヨーロッパの教養人ならば誰のことかわかる。今でもなお、これをメインタイトルにしてサブタイトルを、皇帝フリードリッヒ2世の生涯、とした書物も少なくない。(257頁)
13世紀にはフリードリッヒを裁き、16世紀にはガリレオ・ガリレイを裁いた「In1quisizione」(異端裁判所)は、21世紀の今でも「Congregazione per la Dottrina della Fede」(教理聖庁)と名称は変わっても存続している。ただし現代では、信仰のしかたが正しいか誤っているかを裁かれるのは、カトリック教会の聖職者にかぎるとされている。一般の世俗人は、対象外となったのだ。この程度には、歴史は進歩したということだろう。(258頁)
投稿元:
レビューを見る
中世という時代と、フリードリッヒという人物の先見性を知り、勉強になった。イタリアのルネッサンスの先駆者である。
法王と皇帝との対立という軸で見ても、ヨーロッパの歴史は面白いといことが理解できた。
投稿元:
レビューを見る
キリスト教と法王が絶大な力を持っていた中世ヨーロッパで神聖ローマ帝国皇帝として対峙したフリードリッヒ2世の生涯を書いた歴史小説。塩野七生好みの力量に溢れる主人公の史実を丹念に綴っている。
ローマカトリックはあまりにも強大でフリードリッヒ2世の死後には一族は衰亡してしまう。
しかし主人公が目指した政教分離や宗教色を排除した教育はその後のルネサンスを経て実現している。生涯を通じて優秀だった政治センスや主人公を支えた友人や部下たち、結束の固かった息子たちや幹部候補生は爽やかだった。
投稿元:
レビューを見る
下巻はフリードリッヒ二世の死後の一族の最後まで描く。
とにかく、塩野さんがいかにフリードリッヒ二世が好きかよくわかりました。
とにかく評伝的冷静さの中に露骨に惚気や憧憬が挿入されています。
そんな著者による伝記的小説ゆえに読者も惚れてまうやろ状態になります。
投稿元:
レビューを見る
フリードリッヒの生涯の後編。 ただし話としては前半の半分ぐらいで彼の生涯は終わり。 後半は最終的な法王オフ医作戦がほぼできたところで未完で終わってその後の話。
ただ未完に終わったために、彼の子達は悲劇的な最後になる。ちょっと切ない。話として一冊にして貰いたかったなあ・・・一気読みできてしまうのでより印象深く感じるんだが。
2冊目の途中での周辺の人の話でちょっと腰を折られた感じがするのは自分だけか。
投稿元:
レビューを見る
たんたんと記述しながらフリードリッヒ2世への思いが熱く伝わって、また歴史書としても面白かったです。それにしても法王のあの手この手のやり口には、聖人とは何かを忘れた宗教の今以上ひどいあり方に、とても不愉快な気持ちにさせられました。
投稿元:
レビューを見る
塩野七生さんの最新刊。
構想に40年以上とかいうことだったのでかなり期待。
あのカエサルやマキャベリ以上の思い入れがあり、さぞ素晴らしい考察をされているかと思いきや肩すかし。
確かにあの中世で思い切った改革を行い、ルネサンスの先駆けとなったフリードリッヒⅡではあるけど、その凄さが伝わってこなかった。
伝わってこなかったのは、そもそも皇帝と法王という二元的対立軸に陳腐化したためか、それとも中世のカトリックが権威どころか権力を持っていたことが日本人として肌で感じにくいことか、そもそも著者の文章表現によるものかは分からない。全体を通して単調で、ローマ人の物語のような著者の気迫による人物描写がなかったように感じる。
しかし、フリードリッヒⅡという人物を取り上げてここまで詳述した邦人作家はいなく、その点では世に出した功績は非常に大きい。
洞察力、先見性、実行力にずば抜け、政治機構を大改革し、それがために法王と対立したがその対立すら主導していく。
しかし、フリードリッヒⅡは取り組み方が非常にまじめすぎる。
ガチガチのコチコチ。
カエサルがもしその時代にいれば、あれば遊び心満載、対立することなくそつなくかわしていたように思える。
カエサルが政治に躍り出る際に真っ先にしたことは、まったく信仰心など無く遊び暮らしていたくせに、自ら神官に立候補。若くしてローマで最高の神祇官になっちゃった。宗教的権威を良く知っていてかつ利用方法を知っていて、対立するというか自分がそれと同体化するという離れ業。結局カエサル以降アウグストゥスも最高神祇官を兼ね、以降の皇帝は全てカエサルを模す。キリスト教を国教化したテオドシウスから兼ねなくなったけど。
フリードリッヒⅡは法王との対立に終生悩まされたのは、カエサルの時代とは比較できないくらい当時のカトリックの影響力が大きかったのはよく分かる。フリードリッヒⅡという叡智の塊のような人物が法王との対立を考え抜いて外交と武力で交渉していたが、それでも暗い中世という時代には通用しなかった。勧善懲悪的物語構成でいえば「敵に勝てなかった」という結末に終わったのがすっきりしない読後感になったのかな。
投稿元:
レビューを見る
ご存知、塩野七生の新刊。上下二巻、あっという間に読み終わりました。中世の奇跡と言われた、神聖ローマ帝国皇帝にしてシチリア国王のフリードリッヒ二世(イタリア名: Federico)の物語。生まれたのが早すぎましたね。もう二百年遅く生まれてたら、おそらく、レオナルド•ダ•ビンチと並び称されるルネッサンスの天才と呼ばれていたことでしょう。今の世に生まれてたら、大科学者になってたかもしれません。人間は生まれ落ちる時代を自分では選べないから、如何ともし難いですね。
投稿元:
レビューを見る
死んでしまったら何もない。
全力で走り続ける人生、素敵。
著者のフリードリッヒ愛がとまらない。
期待を裏切らない、楽しい読書2週間でした。
次は、カエサル。
投稿元:
レビューを見る
あいかわらず塩野節 好調♪
緻密にして洒脱。素材重視・薄味なのに多彩。
暗黒の中世と言われる時代で、徹底した合理主義の皇帝。ということは必然的に、優雅なまでに唯我独尊。
つくづく、塩野さんは、こういう「クール」(冷徹なまでに合理的思考を持った政治家)なオトコを発掘してきて、魅力的に描くのが上手いなあ。
しかし、あらゆる時代に魅力的な合理主義者が存在して、その人たちがそろいもそろって時代から浮き上がっている、ということは、歴史それ自体は、不合理なものなのだろうか…。
投稿元:
レビューを見る
下巻は、主人公であるフリードリッヒ2世か神聖ローマ皇帝、シチリア王等として世俗権力の頂点にありつつも、ローマ法皇や北イタリアのロンバルディア同盟との闘争に奮闘し、時に成功しつつ時に失敗するという波乱の物語。そして、本人の死の後は、ホーエンシュタウフェン家を継ぐ者たちも次々と滅びていくといういささか厳しい現実が描かれる。
それはともかく、当時のシチリアや南イタリアが国際色豊かで、文化的にも経済的にも富んでいたということは驚きだ。今の南イタリアとは大違いだが、どこでどう間違えてしまったのだろう。
投稿元:
レビューを見る
塩野さんが書かなかったら、フリードリッヒ二世の生涯を辿ることはなかったでしょう。感謝です。先駆者たる彼が手足を掬われ続けた相手は「中世」ですね。ヴァチカンの手口や根拠もくどい程よくわかりました。「コンスタンティヌス帝の寄進書」を偽造し、千年近くも白を切り通せたのは驚きです。政教分離と法治思想は時代精神を伴う必要があるのでしょう。パラダイムが変わるには歳月が要るものだと知りました。