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電子書籍
夏目漱石と戦争
著者 著:水川隆夫
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使...
夏目漱石と戦争
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夏目漱石と戦争 (平凡社新書)
商品説明
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
若い頃から晩年まで、漱石の戦争に関わる言説を網羅的に収集して変遷を辿り、その特質に迫る。かつてはメディアや「国家主義」への囚われ"から不適切な判断や表現をしてしまった漱石はその後、内なる「国家主義」をどのように克服し、戦争の悲惨への、独自の認識を深め得たのか?「国家主義」から「個人主義」へ-近代知識人の、戦争との"闘い"の軌跡を追う。
目次
- 漱石と日清戦争
- 漱石と義和団事件・南アフリカ戦争
- 漱石と日露開戦
- 『吾輩は猫である』(一)「幻影の盾」と日露戦争
- 『吾輩は猫である』(二)「趣味の遺伝」と日露戦争
- 漱石と日露戦後
- 漱石と第一次世界大戦
- 結びに代えて-漱石の戦争言説の特徴
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紙の本
時代の閉塞が個人に与えるもの
2010/08/01 13:29
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
漱石の生まれ育った歴史をたどってみる。1867年明治改元の前年に誕生。1889年22歳の時、大日本帝国憲法発布、1894年27歳で日清戦争、1904年37歳で日露戦争、1914年47歳で第一次世界大戦と三度の対外戦争を見聞きし、1916年49歳の若さでこの世を去る。
その間、1900年には公費留学生としてロンドンに約2年間留学。また、日本各地ほか、中国東北部や朝鮮半島にまで旅行し様々な事物に触れ、まぎれもなく当時においては最高の知識人の一人であったと言え。
そんな漱石であったが、当時の圧倒的な国家主義的傾向の中では、さすがに国家と個人のあり方について逡巡があったようである。
漱石の時代の後、日本は全体主義に大きく流されて行き、誤った戦争を重ね敗北に至る。
そんな歴史を十分知っている現代人からしたら当時の国家主義的流れにも一部与するかのような漱石の言道に違和感を覚えるが、圧倒的多数が一様に同じ方向を向く中で、一部の逡巡があったことさえも、漱石だからこそ、であったのか。
漱石の過った歴史観の一部をあえて示す。
日清戦争後、日本の軍属が朝鮮王妃を暗殺したことに対し、漱石は、「近頃の出来事の内尤もありがたきは王妃の殺害」などと書いている。
また日露戦争時には有名な「従軍行」を書いた。当時の政府に迎合し国民を戦争に煽り立てるような内容の新体詞である。
もちろん、これに反する厭戦的記述は、もっと多く書き残しているわけである。また、戦中における一般民衆の生活苦にも関心を向け、政府の政策を批判してもいる。
漱石の書き残したものを、あらためて本書のようにコンパクトに並べて見た時、本当に信ずべきものが隠されていた時代の知識人の苦悩といったものが強く感じさせられるのである。
最後の引用として、若かりし頃の漱石の一文。
明治憲法発布により国家主義的風潮が高まったことに対し、高等中学校一年であった漱石は次のように記す。
「国家は大切かもしれないが、さう朝から晩迄国家々々と云って恰も国家に取り付かれたやうな真似は到底我々に出来る話でない。・・・豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、決して国家の為に売って歩くのではない。」
この一部ひとをくったような物言いが、結局、漱石の本心としての信条を示す最適の例文ではないか。
個人が個人として生きる。いたずらに国家を振りかざす権威に対して、真っ向から歯向かう必要なんてない。さらりとかわして、個人として生きる。
そんな生き方ができる世の中を、現代の我々はかすかながら持っている。これを再び失うようなことがあっては、決してならない。