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電子書籍
長崎を識らずして江戸を語るなかれ
著者 著:松尾龍之介
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使...
長崎を識らずして江戸を語るなかれ
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商品説明
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
江戸幕府が、オランダ人を長崎の出島に強制移住させてから、日米和親条約が締結されるまで約二〇〇年間続いた鎖国時代。唯一、西欧との取引が許された長崎には、各藩から、数多くの志のある者たちが最新の知識や情報を求めてやって来た。平和な時代が長く続いた江戸期に花開いた数々の文化は、彼らが長崎遊学を果たし、各藩に持ち帰ったものだったのだ。江戸が、いかに長崎の影響を受けたのか。地方別「長崎遊学者名簿一覧」付き。
目次
- 第1章 文化の中心は長崎だった(江戸と長崎
- 京都の貴族文化
- 大阪の町人文化
- 江戸の庶民文化)
- 第2章 江戸と京都を長崎がつなぐ(江戸っ子のコンプレックス
- 三越が結ぶ江戸と長崎
- 江戸参府と日蘭交流)
- 第3章 長崎が生んだ三巨星(長崎へのアプローチ
- 最初の天文地理学者、西川如見
- 江戸蘭学の父、吉雄幸左衛門耕牛
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紙の本
歴史の真実は地方史にあることを実証した一冊。
2011/03/20 20:58
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
年初、著者からいただいた年賀状に本書刊行のお知らせがあった。この新書を仕上げるために1年を要したという。
訥訥とした著者の語り口そのままの簡明な文体、それでいて資料を読み抜いた自信の裏付けを感じる史実が並んでいる。教科書の歴史しか知らない方には俄かに信じがたいこともあるが、「歴史は勝者によって作られる」は世の常なので著者の切り口は斬新である。
この新書からは多方面に渡っての歴史の断面が描かれている。長崎に科学の粋が集まっていたこと、「鎖国」と思っていた江戸時代の日本が活き活きと世界と結びついていたこと。自身の興味の赴くところから調べ直してもおもしろいが、肥後熊本の思想家横井小楠が「鎖国」から「開国」に転じる場面は興味深い。
そして、その「鎖国」という言葉を作った志筑忠雄というオランダ通詞の存在によって開国後のニッポンが世界に伍していけたことは注目に値する。オランダ語文法をベースに欧米各国の言語を系統づけたことで、開国後の文明をいち早く理解することができたのだから。志筑忠雄について知りたければ、著者の『長崎蘭学の巨人』は必読だろう。言語学者としてオランダから高い評価を受ける志筑忠雄でありながら、日本では知られていないのは残念でしかたない。
口述筆記3時間で1冊の新書が出る時代、文献の渉猟から執筆までに1年を要したこの新書は貴重な一冊ではないだろうか。特に、長崎遊学者名簿一覧が最後に付いているが、勝海舟に蘭学を指導した永井青崖の名前を見つけたとき、著者が丁寧に丁寧に文献を調べ上げたことが窺える。
ふと、新書の役割、存在とは何だろうか、読了後にそう思わせる一冊だった。
紙の本
長崎目線の近世史
2011/02/15 13:57
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆうどう - この投稿者のレビュー一覧を見る
長崎という土地に的を絞った江戸時代外交史および人物伝である。江戸時代といえば、政治の中枢「江戸」を中心に語りたくなるが、あえて長崎という、西国はるかかなたにある「幕府の表玄関」の窓から300年の歴史を眺めてみるのである。
もちろん、この視点には必然性がある。長崎は当時の外交の窓口であった。漂着船も含め、日本にやって来た外国船は、長崎に回航させるのが幕府の決まりであった。すべての外国との交渉は、長崎で通詞(当時の通訳)を通して行われていた。鎖国(この言葉もオランダ通詞志筑忠雄がオランダ語から翻訳した語らしい)を敷いてからの日本で、幕末のペリー艦隊が恫喝外交によって扉をこじ開けるまで、オランダ、中国以外の国の船を受け入れることはなかったが……。それでも日本との交易は魅力的だったようで、通商を求めて来航するポルトガル船、イギリス船、アメリカ船はあとを絶たず、その顛末や、出島にやって来た外国人(実にガリバーまでも!)の消息を紹介している。
さらに文化の面でも、江戸時代を通じて京都、大阪、江戸へと文化の中心が移るなか、長崎は常に西欧の新しい文化を取り入れるもう一方の「中心」だった。戦国時代から江戸時代初期にかけて、イエズス会の影響下にあった長崎では、南蛮文化が花開く。教会の数が10を超え、セミナリオ(中等学校)、コレジオ(大学)ではラテン語、ポルトガル語、音楽などを教えていた。京都や江戸とはまったく異なる文化圏を形成していたのである。
ポルトガル人たちが追放された 1612年の禁教令以降、西欧人(オランダ人以外にも、ドイツ人のケンペルや、スウェーデン人のチュンベリー=ツンベルクなどがいた)は、「東京ドームの三分の一にも達しない」出島に押し込められたが、物理学、天文学、医学など、西欧の最新知識を日本に伝える窓口としての地位を、長崎は江戸時代を通じて守り続けた。その媒介役として、オランダ通詞たちが大きな役割を果たしたのである。本書でも、吉雄幸左衛門や志筑忠雄の事績について多くのページを割いている。さらには、「長崎が生んだ三巨星」として、吉雄以外に西川如見、高島秋帆についても詳述している。
このように、徹底して長崎に視座をすえた近世史なのである。長崎生まれの著者の、郷土に対する矜持と愛情を感じる。これは、とても素敵な着眼点だと思う。
地方の時代と言われて久しいが、その土地の窓を通して日本史、世界史を眺めるという著作が今後もどんどん出てきてほしいし、読んでみたい。中央すなわち為政者側から見た歴史だけでは、時代の全体像をつかむことはできない。地方目線での歴史記述が、読者の歴史認識に新しい地平をもたらしてくれるだろう。地方を見直すきっかけになるし、その地に住む人たちの自信と郷土愛を育てる役割を果たすことになる。そういった歴史書が、地方振興の一助となるのではないだろうか。