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投稿者:katokt - この投稿者のレビュー一覧を見る
で、内容はお約束の対話篇ってやつ(篇ってこんな字だっけ?)。でもいつも思うんだけど、プラトンで対話してるのって最初と最後だけなんだよね。 そういう意味で一番やっかいな導入部を、対話でどんどん引き込んで、肝心なところは対話なしで進行。パイドロスも長いところでは、文庫本だけど15ページに渡って ソクラテスの語りだよ。ホントこんなに一人で一方的に話したら友達なくすな、たぶん。詳しくは
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恋=狂気。
過去の偉人は皆狂気のうちに功績を残してきた。だから恋OK!!
プラトンはホモです。
あと理性にも触れてありますね。
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人類史に残るような偉業は狂気によって生み出された。
俗世的な正気からは、けちくさい奴隷根性しか生まれない。
魂の快活さ、躍動感こそ大事なんだ。
ソクラテスによって語られる恋
―アプロディテの子、エロース―
の物語(ミュートス)は圧巻!
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『我々を支配しみちびく二つの種類の力があり、一つは、生まれながらに備わっている快楽への欲望、もう一つは、最善のものを目指す後天的な分別の心で、分別の心が我々を理性の声によって最善のもののほうへとみちびいて、勝利を得るときには、この勝利に「節制」という名があたえられ、これに対して、欲望が我々を盲目的に快楽のほうへとひきよせて、我々の中において支配権をにぎるときは、この支配に「放縦」という名が与えられる。』
上に記した説はその後ソクラテスによって覆されることになるのだが、その覆すために用いたミュートス(物語)が、神という世界を前提に置き、その存在の根拠が語られえないことから、ご都合的な説にしか思えない。そして、そういったソクラテス(の名を借りたプラトン)の創出したミュートスがいかに優れたものだとて、そこから、恋がもっとも崇高なものであるという結論を導き出すのは納得できない。確かに、狂乱が総て忌避すべきものだとは僕も考えないが。
しかしながら、全体的には大変良い読み物だった。
ソクラテスが、なぜ自分の書き物を何も残していないのかということが良くわかった。
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プラトンの著作ではおなじみ、ソクラテスとの対話形式です。
固有名詞が多くて注釈を何度も行ったり来たりしなければなりませんが、内容は哲学なのにかなり簡単。
ただ、「恋」の概念とか、現代の日本人にはない発想なので(古代ギリシャですから……)、共感できるものかどうかは……?
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小林秀雄がたくみに説明した、パイドロス。恋(エロース)について、ディアレクティケーについて、そして言葉を文字にすることについて巧みに議論。古い訳だが、詩的で文章も美しい。こういうのと比べてみると、カント、ヘーゲル、ハイデガーの文章って本当に難しいですね。
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プラトンの中期対話篇。
「恋(エロース)」について
恋を"美のイデアを想起する神的狂気"と規定して、想起説や魂-三部分説を援用しながら称揚し、打算的な観点から恋を貶めようとする議論を批判する。恋とは、功利的な i.e. 即物的な立場からその是非を論じるべきものではないのであり、現世的な実用主義を超えた形而上的な観点から論じようとするソクラテス=プラトンの姿勢には、一面に於いて共感できる。但し、私の場合は、恋をイデアとの結びつきを根拠にして称揚するのではなく、合理性を超越しようとする実存の投企として肯定するのであるが。本筋とは関係ないが、人間の五感の中で視覚を最重視するイデオロギーがソクラテスの時代からあったことは、面白い発見だ。
「弁論術(レートリケー)」について
真実らしく語るには、真実そのものを知っていなければならない。よって真実を求める営みとしての哲学が必要となるのであり、そこでの方法論がディアレクティケー(弁証法)である。そこでは、「それは何であるか」と事物の"本質=意味=価値=秩序=当為"が問われ、総合と分析の手続きによってその解明が目指される。
結局のところ、「恋」にせよ「弁論術」にせよ、それが真実在=イデアを求める哲学(愛知)に裏打ちされて初めて価値を有するということになる。
なお、対話の最後に文字・書き言葉について論じられており、ソクラテスはエクリチュールに対して否定的な見解を表明するのだが、そこはまさにデリダが音声中心主義(現前の形而上学)の典型例として指摘している箇所であり、極めて興味深い議論が展開されている。というのも、私自身は、デリダの批判も分かるが、その上でなお、現前の形而上学に魅せられてしまっている面があるから(言葉を不特定多数に発することに対する i.e. 言葉を発することそれ自体に対する、アンビヴァレンツは、この点に由来する)。
"・・・彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになる・・・。"
"それに、言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。あやまって取りあつかわれたり、不当にののしられたりしたときには、いつでも、父親である書いた本人のたすけを必要とする。自分だけの力では、身をまもることも自分をたすけることもできないのだから。"
"それを学ぶ人の魂の中に知識とともに書き込まれる言葉・・・。"
"それはほかでもない、人がふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケーの技術を用いながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて植えつけるときのことだ。その言葉というのは、自分自身のみならず、これを植えつけた人をもたすけるだけの力をもった言葉であり、また、実を結ば��ままに枯れてしまうことなく、一つの種子を含んでいて、その種子からは、また新なる言葉が新なる心の中に生れ、かくてつねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。そして、このような言葉を身につけている人は、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福を、この言葉の力によってかちうるのである。"
これらの箇所には、西洋形而上学の根本的な機制が表れているように思う。
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恋している男よりも恋していない男に抱かれろ!と少年(!)に説くリュシアスの衝撃的な言説に見事に喰いついたソクラテスが、パイドロスと真夏のお花畑の木陰で物語るという図式です。(笑)神に憑依された(!)ソクラテスは詩的な調べで「恋」(エロース)についてのいくつかの見解を披露してパイドロスを翻弄する。(笑)結論、「恋は狂気」。
だが実はプラトンはこの話を発端に、詭弁に走りがちな弁論術を批判し、ディアレクティケーを駆使して真実そのものを把握し議論せよという結論を導きたかったのだ。
そういえばいつもよりもソクラテスの詭弁的言説も少ないような・・・。(笑)
ムゥサの後裔たる蝉の鳴くもとで語られる、不死なる魂転生の人生観(?)と、善悪?2者を象徴する2頭馬車の行き先をめぐる対決の物語は本書の大いなる見どころだ。
文字の発明が、口伝の基本たる記憶力の妨げとなるという見解には眼から鱗が落ちました。そういえばワープロ機能のおかげで漢字、書けなくなったな。(笑)
話の成り行きがぽんぽん変わるので、うっかりすると論旨を見失いがちなり、自分も翻弄されたクチです。(笑)
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ソクラテスの対話篇って岩波の整理番号順でいえば「饗宴」以降どうしてもハマらないんだよなぁ・・・。話しの内容が僕には難しいのはもちろんだけど、ソクラテスの対話の相手もちょっと大人しいような印象があって、刺激が少なく見えるのかなぁ・・・。
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エマニュエル・レヴィナスさんが「これは読んでおくべき」と推奨された3冊の哲学書の一冊である。
後の二冊はヘーゲルさんの『精神現象学』とハイデッカーさんの『存在と時間』
恋する者のはなしから始まって、狂気や神的なものの効用、ものの考え方、書くということの優劣、語るべき言葉を持つことの困難さやそのことを目指すことの尊さまで余すことなく見事に書かれた書物なのだろうと思う。
思うと書いているのはわたしにはまだわからないからで、その大事さを感じることができるといいなぁという期待というか望みというかそんなものをもてるだけだからである。
いずれまた読み返してみなければと、思っているうちに死んでしまうのかもしれない。
Mahalo
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プラトンの著作で僕が一番好きな本。
この本の題名になっているパイドロスとスーパーおじいちゃん(ソクラテス)との対話編。
「自分に恋している人ではなく、自分に恋していない人に身を任せるのがよい。」そんな恋愛論からこの本は始まります。
恋についての3つの説話から派生して、魂について、弁論術について、文字の弊害、真実、愛知者(哲学者)について対話が続いていきます。
これがとても面白く刺激的。
まったく紀元前に書かれたとは思えない。
訳も読みやすく古くささを感じさせません。
とてもおすすめ!
注:イデア論をそのまま信じると形而上学的な悩みに陥る方はウィトゲンシュタイン(青色本)などを読むとよいです。この本は哲学を治療することに役立ちます。「家族的類似」の考え方や「語の使用」について学ぶことで悩みがスッキリすると思います。
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副題が「美について」の対話篇。文章は平易なのですが、私には難しい主題に思えました。精進が足りん・・・
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古書。副題の「美について」がどうにもしっくり来ないが、〈訳者の解釈とは無関係に一応慣用に従って採った〉という記載もあるし、訳者としては「恋と弁論術について」辺りにしたかったのでは。中期著作の特徴たるイデア論の想起説等に触れつつも、後の『ソピステス』『ポリティコス』で縦横無尽の活躍を見せる分割法の萌芽も確認でき、現時点での哲学の総決算にして新たな領域へ踏み込もうという過渡期の印象を強く感じる。あと解説が素晴らしい。的確にして適度なまとめ方はさすがプラトン哲学の第一人者。逝去からもう10年以上経つのか……。
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ソクラテス先生若者と恋と弁論について議論の巻。
恋についてと弁論について、
二つのテーマを扱っているように見えるが、
藤沢令夫先生のあとがきによると、
哲学という一つのテーマで一貫しているらしい。
恋は狂気と同じではあるが、
偉大なものは狂気から生れるとしているが、
弁論は正しくないことも
もっともらしく見せるための方法。
ついでに文章はどんな相手にも
同じ答えしか言うことの出来ない
欠陥品とソクラテス先生は手厳しい。
ソクラテス自身は著作が全く残っていないため、
本当にそういう考えの持ち主だったんだろうけど、
プラトンは師の思想を継承して哲学するために
師が否定した文章という方法を
用いることをどう思っていたんだろう。
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美そのものへ昇りつめようとするイデア論と、魂そのものは不死である、という観点が合わさった対話篇。
真善美を看取するには、「愛知者=哲学者」である必要がある、という《哲学者のすすめ》の意味をもつ書。
そう考えると、「真善美」を扱うわけだから、「美について」という伝統的な副題は誤りというべきかもしれない。