NHK経済教養ドキュメントの書籍化です!
2018/05/14 21:41
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、NHKで放映された異色の経済教養ドキュメントを書籍化したものです。技術はどんどん進化しているのに、なぜ、経済はそれほど発展しないのか?近い将来、資本主義はこれまで同様に維持されrのか、それとも誓った経済が生まれるのか、そういった経済についての詳細について語ってくれる、とても興味深い書です。一度、読み始めたら、止められません。
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こんなエキサイティングな本はそうそうない!
コーエンの話はものすごく面白く、今後テクノロジーによってルーチンワークの仕事は減っていく。創造的でなければ生き残れないというのは本当にその通りだと思った。
後半のガブリエルとセドラチェクの話はもう最高にエキサイティングだった。お互いに例えや主張の根拠を分かっていてどんどん話が展開していく様子がたまらなかった。
特に納得したのがシェリングのくだり。
生命体というシステムは
その維持のためには代謝によって外部のエネルギーを取り入れて変換することがその本質である。
つまりシステムには外部が必要なのだ。
そのため外部との境界がないシステムはそれを維持するためには内部に異質なものを作り出さなければならない。
シェリングによるとこれが悪のダイナミクスである。
システムがすべてを取り込んでしまったら崩壊が始まる。
単純に倫理感としての悪を超えた
システムとして時代が要請した悪という考え方で
物事を見ていきたいと思う。
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めっちゃ難しい!
テクノロジーの進化を受けて、失われる雇用の受け皿になる産業が育っていない。それが格差を引き起こしている。
創造的であれ、さもなくば死だ。
人間の真の生産性とは、繁殖すなわち出産であるが、資本主義社会では女性や子どもは生産性がないととらえられる。
良い人疲れ。
内部にアウトサイダーを作り出す。わざと。
大気汚染がきれいな空気を商品化した。
AIにとういした倫理観を与えられないのなら、AIになんらかの強化策が必要だ。
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想像的であれ、さもなくば死だ。
創造性を強要される時代。
無数の正義が存在し、
そこには対話はなく、
主張だけがある。
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いくつもの印象的な文章があった。
・(新しいテクノロジーによって)失われた雇用の受け皿となる産業がない(P30)
・「つまり、問題はテクノロジーに職を奪われ、人々の仕事がなくなったことではありません。人々が成長分野において適切な賃金を得ながら働くことができず、以前よりも生産性の低い分野で低賃金に甘んじなければならないことが問題なのです」(P33)
・全員が芸術家のように生きなければならない社会の到来(P36)
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「おわりに」が、全くの蛇足。
冗長で台無しにしてしまった。
それまでは、せっかく面白かったのに・・・
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前作、”欲望の資本主義 ルールが変わる時”の続編。今回は第1章”安田洋祐 x ダニエル・コーエン”がテクノロジーと経済成長について対談、第2章は”マルクス・ガブリエル x トーマス・セドラチェク”が哲学と経済学の異種格闘技論争という構成となっています。トランプ大統領がこの書籍で話題に上がっております。色んな意味で人気者ですね、トランプ大統領。
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ガブリエルとセドラチェクの対談は話が難しすぎるのだが、いくつか理解できる主張があった。また、最初のコーエンの話は「なるほどね。確かに。」と納得するものだった。
特に、テクノロジーが進歩しているのに景気が低迷している理由に、失われた雇用の受け皿となる産業がないことをあげた。AIで仕事を奪われた人が、次に職を探すときは生産性の低い仕事しか残っていない。テクノロジーで生産性の向上の恩恵を受けるのは富裕層である。
こうしてテクノロジーの進歩は、富裕層はより生産性高く、中産階級は生産性の低い仕事に流れ、貧困層は変化なし、という現象を引き起こしているために、経済成長せず、景気が上向かないのだと。
農業から工業社会に移行しているときは、農家は工場へと、より賃金の高い仕事に就くことができた。つまり、工業が成長産業となり、農業から工業へと失われた雇用の受け皿が存在していたのだ。
今、私たちはテクノロジーが進歩、AIに仕事が代替されていくなかで、次なる成長産業への雇用を見いだせないでいる。だからといって、何の抵抗もなく時間が流れるように生産性の低い仕事に就くしかないのか。いや、それは違う。私たちはテクノロジーが常に日進月歩で進化する産業だからこそ、その産業の知識やスキルを身に付けて、挑戦していくことが、求められるのではないか。
資本主義は、いや、今の資本主義によって成り立つ社会システムが変わらない限り、格差は広がる一方だ。それを甘んずることなく、自ら未来への可能性を切り開いていかねばならいのだ。
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個人的に好きなNHKの番組の書籍化第2弾。
テクノロジーの進化によって発生した今日の産業革命は、過去の産業革命と全く性質が違うという発想が面白い。過去に起きた農業から工業への産業革命は、高スキルと低スキルという軸で捉えることができた。そして農業から追われた人たちの受け皿として産業があった。しかしテクノロジーによる産業革命はスキルの有無や学歴の高低関係なく、ルーティンワークが職を追われ不幸なことにそれに対する受け皿が存在しない。言い換えれば高所得のトレーダーや医療従事者でさえ、テクノロジーの発達により代用可能になれば職を失う可能性があるのだ。そしてテクノロジーでは今のところ代用できない、生産性が低く労働力の足りない分野である非ルーティンワーク(美容師、介護士、サービス業全般)は適切な賃金を得ることができず、低賃金で働かなければならない…
他にも、人々は芸術家であることを強いられている、どんなシステムも組織も自身を維持するためには他のシステムを排除しなければならない、など読んでいてワクワクする議論が散りばめられている。
巨人の肩から世界を眺めるとはよく言ったもので、普段生活していては見えない物の見方を教えてくれる良書だと思った。
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資本主義を考える月間3冊目。どうにも止まらない資本主義の「闇の力」を考察する一冊。本書によると、資本主義はもともと悪だったのではなく、共産主義や社会主義という「抵抗勢力」が失われたために暴走するようになり、自己を成長させるために「内なる敵」を作るようになった。これが顕著となったのが、自国主義であり、格差であり、差別ということ。前半のダニエル・コーエンとの対談では、テクノロジーの進化による社会変化について、農業革命や産業革命の時代は、一つの職が失われても、同じくらいかそれ以上に魅力的な別の選択肢があったが、IT革命やAIによる失業では、単純労働(クソどうでもいい仕事)しか残されておらず、格差を助長することになる。後半のセドラチェクとガブリエルの対談では、書き切れないほどの学びがある。「資本主義はあらゆる差異を商品化する」というのはなるほどと思った。冗談のようだが、コロナ禍も二酸化炭素の増加(差異)も、確かにビジネスになっている。今後の注目ポイントか。
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前作に続き、知的な刺激にあふれた本。難解な部分もたくさんあったが、AIによって創造的であることの圧力が強まるとの部分や、ネガティブな部分を含め全てが資本主義に取り込まれる過程など、読んでいてイマジネーションの働く部分がたくさんあった。ただ、「おわりに」の部分は、少し強引に感じて、あまり馴染めなかった。
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拡大する資本主義の是非をテーマとして、世界の知識人にインタビューするシリーズ。
この題材で哲学が絡んでくるのはごく自然な事だと思うが、マルクス・ガブリエル氏の言葉は自分には難解すぎて…
経済が世界にとって(とても優先すべきものではあるが)”最”優先にならないためには
それを超える「道徳」の価値観がないといけない
しかしその道徳こそ、定義や取り扱いが最も難しく、リスクも高いのでしょう。
主題とは異なるが、哲学が全ての学問の幹の部分で
経済学等他の学問が枝の部分
という比喩にすごく納得がいった。
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生きるためのコストは、衣食住ではなく人と交流するためのコストが大きい、というのはなるほど、と思いました。
自分はわりと引きこもりタイプで、人との交流は疲れてしまい、ひとりでいることが好きですが、それでもやはり衣食住が整っていたとしてもひとりで生きていくのは精神的にも無理です。
そして、自分は特に節約しているわけではありませんが、生活コストがかなり低いのですが、交流コストがかなり低いからかな、と気付きました。そして田舎にいると東京に行きたいという人が必ず一クラスにひとり以上いますが、どれだけ交流を必要とするかは人それぞれですが生きるために多くの交流が必要なタイプだと田舎という閉ざされた世界では生きるのに苦しいのでしょう、きっと。
なんでかなあ、と思っていたものが、すっきりしました。
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マルクスガブリエル氏の主張が心に残った
・資本主義はショウ(show)である
・資本主義には代替性がない。そのため内部に外部を作り出そうとする
・環境運動など非営利活動をきっかけに自然が商品化される 二酸化炭素や綺麗な空気の値段など
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NHKで放送された内容の書籍化。シリーズもので読み続けていけるのが嬉しい。今回は二巻だが、どこから読んでも問題ない。フランスの知性ダニエル・コーエン、異才哲学者マルクス・ガブリエルと奇才トーマス・セドラチェクの対談が見所。
アダムスミスが国富論で利己心を肯定しつつ、道徳感情論で共感を人間存在の基礎原理としておく二面性。シュンペーターの資本主義はその成功ゆえに自壊する。資本主義は、両義性を含むイデオロギーであると話すコーエン。社会へのテクノロジーの影響を考察する。新しいテクノロジーは多くの中産階級から仕事を奪うので、人々はより低スキルで低賃金の仕事への転職を余儀なくされる。一方、こうしたテクノロジーをコントロールできる上層の人だけがその恩恵を受ける。このことが景気の低迷と格差の広がりを同時にもたらしているという。そして、情報化が進んでも生産性の向上が実現しないという逆説「ソロー・パラドックス」に陥っていく。
既に、銀行や保険等の第三次産業では、既に職を離れた人がたくさんいるが、新しい職に職を奪われたそうした人々が前より報酬の高い職業に就くことができていない。ルーティンワークはマルクスの考える阻害であるしかし、反復の搾取から、創造性の搾取に起き変わるだけで、人々は創造的でなくてはならなくなる。
トリクルダウンが超緩やかに起きているのは事実だが、それ以上の早さで格差は広がり続ける。資本主義が無ければ、テクノロジーの発展は起こり得なかったのだろうか。それは異なる現象ではないかと、過去の発明を思い出す。しかし、資本主義は内部に社会主義を包括し得るが、逆はない。ある一国のみ、資本主義の外にいるという状態は不経済を被る。
マルクスが指摘した欲望と言うのは、資本主義の特徴ではなく、人間関係性の特徴であり、古代からあったもの。資本主義は、マックスウェーバーの言うようにプロテスタント、特にピューリタンの禁欲的モデルに従って説明する方が適切。プロテスタントの禁欲的モデルは貯蓄。ウェーバーにとって資本主義とは世界を合理化すること。欲望が合理化に必須と言うわけではなく、欲望とともに忍耐の合理化のプロセスが資本主義には必要。
欲望は資本主義ゆえではない。これは本著の示唆だが、ならば同様に、テクノロジーの発展も資本主義ゆえとは言い切れないのではないか。つまりは、人間のモチベーションを最大化する制度と必要な資金を提供できる仕組みがあれば良いのだろうが、しかし、やはり考える程、今の資本主義に到達してしまう。