少子
著者 酒井 順子
このままいくと西暦三五〇〇年には日本の人口約一人。この社会の大問題に、多少の罪悪感はあるものの、「別にほしくないから」「痛いから」「生活を変えたくないから」「面倒くさいか...
少子
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商品説明
このままいくと西暦三五〇〇年には日本の人口約一人。この社会の大問題に、多少の罪悪感はあるものの、「別にほしくないから」「痛いから」「生活を変えたくないから」「面倒くさいから」と言ってはまずいでしょうか。誰も口にしなかった本音で〈出産・結婚・女の人生〉と〈少子化〉の核心に迫る、傑作エッセイ。
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オスの負け犬が少子化を嘆くのは自業自得であるが…。
2004/03/25 09:55
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
働く未婚、子なしの同性からだけでなく、専業主婦、オスの負け犬たちからも注目されている『負け犬の遠吠え』の酒井順子さんは雑誌アエラで『結婚の条件』の小倉千加子さんと激突対談している。
小倉:世間的に酒井さんは「負け犬」とラベリングされているけど、犬という言葉を使うことで、そんなレッテルから自由になる宣言をしたんだと読みました。ただ、あまり強く言って「勝ち犬」が過剰反応を起こしてはいけないので、キャインキャイン、痛い、痛いっていう顔をして負けたふりをする。
酒井:「負けていない」って言い張る人を見続けてきて、痛々しいなって思う気持ちがすごくあるんです。だったら、「負けています」って白旗を掲げたほうが楽だろうと。
小倉:負け犬を自称できない人って本当に痛い。そういう人こそ、強く「女は結婚しなければいけない」とか、「子どもを産まなくてはいけない」と刷り込まれていると思うんですよ。なのに、人には「私はちっとも寂しくなんかないわ」とか、「すごく忙しい」って言う痛さ。
本書はタイトル通り『少子』をフォーカスしている。『負け犬の〜』と比べて全く地味な装丁ですが、著者のメッセージが具体的に簡にして要、明晰に伝わり、『負け犬の遠吠え』の助走としてこの本を書いたのだなと納得出来る。前半は少子化になった理由。後半はその対策を彼女らしいサービス精神で笑ってしまう女の妄想も挿入してキャインキャインと語る。
理由 1:痛いので産みたくありません(無痛という状態は時として、生とひきかえにすらなるほど、貴重なものなのです)。2:なぜ、結婚というものをしなくてはならないのか?(ロウリスク・ロウリターンの選択)。3:うらやましくないから(今を楽しむキリギリスがアリの国に行きたがらないようなものです)。4:もしかすると子どもを愛することが出来ないのでは? 5:面倒くさいから(老人介護があってどうして、乳幼児介護制度がないのか)。6:シャクだから(年金が破綻するので子どもを産んでくれ、女に教育はいらない)。7:男が情けないから(限りなく透明に近い精子)
対策 1:自分で育てない制度の構築。2:有名人に産んでもらい出産ブームを演出する。でも、実際はあまり効果はなかった。出産礼賛ソング「こんにちは赤ちゃん」をもう一度。3:男に産んでもらう、実際、かなりのところまで研究は進んでいるらしい。<私>的にはやってもいいが、痛いのは嫌いだから、細胞を提供してクローンで我慢してもらいましょう。4:戦争をしてみる(明日死ぬかもしれないという切羽つまった状況が、男性の肉体の深いところから特別な「男らしさ汁」を分泌し、女性の側は、そのホルモンのにおいに敏感に反応する)。5:宗教を信じてみる(自らの子を残すという行為は最も手っ取り早い信者拡大再生産)。
眉唾もののブラックユーモアも交えた対策であるが、著者の本音が窺い知れる。彼女のスタンスは《一度とことん少子化をつきつめた時、そこに明るい希望が生まれるような気もする。もしも、この先、舌の根も乾かぬうちに私が出産エッセイを書き始めたら、「ああ、この人は少子化の底をみたのだな」と思っていただければと思います》ってわけです。
負け犬の戯言
2004/02/07 19:51
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:流花 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「このまま少子化が進んでいくと、計算上では西暦3500年頃に日本の人口は約1人、となる。」——少子化をくい止めるには、どうしたらよいか。ということから、「産まない理由」を考察してみたのが本書である。だが、その理由たるや、「痛いから」、「結婚したくないから」、「うらやましくないから」、「愛せないかもしれないから」、「面倒くさいから」、「シャクだから」、「男がなさけないから」…アホかと言いたくなる。負け犬の戯言。産みたくないなら、産まなくていい。所詮、自分がかわいいだけじゃないか。
だが、今の世の中、右肩下がりの経済に加えて、虐待、通り魔、誘拐、いじめ、と、子供が生きにくい世の中になってしまったのも事実である。子育てをしながらも、不安だらけであろう。子供を愛する自信がないのなら、なおさら産まないほうがいい。
『「なぜ産まないのであろうか?」ということを考えていくと、我ながらつくづく、自分の甘さ、弱さ、ズルさといったものを感じます。もし私が自分の祖母だったとしたら、「面倒」とか「痛いし」などといって子産みを避ける我が孫のふがいなさに、憤死しそうになることでしょう。しかし残念ながらこれが、紛う方なき現実なのです。』——「おわりに」の章で、筆者はこう述べている。
子供を産むかどうかということは、個人の生き方の問題であろう。他人がとやかく言う筋合いはない。だが、産まない人が増えていくと、どんどん人口は減り、いろいろ支障を来してくる。国家として、人類として、最終的には滅びてしまうのではないか。そんな危惧を感じているからこそ、筆者は本書を著したのだろう。
しかし、「では、どうしたらいいか」という問いに対する答えは見つからない。
人間は、生き物である。生き物として、遙か昔から連綿と営んできた、子孫を残し、種を繁栄させていくこと…その本能によって生きているということには、変わりはない。だが、それを常に意識して生きている人間がいるだろうか。
小津安二郎監督の映画『晩春』の中で、笠智衆演じる父が、「結婚したくない」と言う原節子演じる娘に向かってこう言う。「お父さんはもう56だ。お父さんの人生はもう終わりに近いんだよ。だけどお前たちはこれからだ。これからようやく新しい人生が始まるんだよ。つまり、佐竹君とふたりで創りあげていくんだよ。お父さんには関係のない事なんだよ。それが人間の歴史の順序というものなんだよ。」——“人間の歴史の順序”。目から鱗がおちたような気がした。そうなのだ。こうして人は生きていくのだ。人間の生き方…そんなものを超越した、人間という生き物を突き動かしているもの。それはまぎれもなく本能である。地球という生命体の一部に組み込まれた人間として、当然果たさなければならない義務なのである。それを素直に受け入れなければならないのだろう。
何も考えずに、結婚して、子供を産んじゃった…というのが一番幸せであろう。本来「子供を産むかどうか」で悩む事なんて、あり得ないことだったのではないか。人間というものは、生き物でありながら、“他の生き物とは別”という意識を持っている。クローン、人工授精、遺伝子組み換えなど、おそれ多くも“生命”をも自らの手で操作してしまう人間。が、そんな人間社会に、行き詰まり、閉塞感が漂っていることは否めない。「人が人を愛せない」「人間嫌い」…そうとも思える言動が世間にははびこっている。そんな世の中を、どうにかしていくことが大切ではないだろうか。