滅法面白い太宰の生まれ故郷「津軽」の紀行文
2021/12/29 12:15
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
太宰の生まれ故郷「津軽」の紀行文だが、これが滅法面白い。三十代で亡くなった文士の名前と享年を数え挙げ、「俺もそろそろ、その齢だ。作家にとって、一番大事」で「苦しい」年齢だから旅に出ると妻に言い訳する点は、見栄っ張りの地が覗く。
「紫みたいな妙な色」の勤労奉仕作業服、ズック靴にゲートル巻きで「乞食のような姿」の太宰は帝都東京を後にする。昭和十九年五月中旬の事らしい。「東北の寒さを失念していた」迂闊さは、「熱燗のお酒」が目にチラつくまま行き当たりばったりの旅の予感が伴う。
郷里の友人や親類と旧交を温めるものの、東京に毒された「都会人としての私」を意識し、「津島のオズカス(叔父糟。三男坊以下の意)」として津軽弁に執着する。生き方の手本とすべき「津軽人」を見出す旅にしたいとの目論見があるらしい。
宿命の囁きを耳にする太宰は、主観的な「信じるところに現実はあるのであって、現実は決して人を信じさせることが出来ない」と記す。また、郷土史文献から「五年に一度ずつ凶作に見舞われている」津軽の凶作年表を四頁(77~80頁)に亘って引用し、苦難の郷土を再認識する。
持参した鯛の調理を女中経由で注文した三厩の宿屋では、切り身五片の塩焼きが供された「宿の者の無神経」が癪に障り、「僕は、食わん。こんなもの馬鹿馬鹿しくって食えるか」と、ひどく酩酊する始末。一言「姿焼きにして」と伝えれば失敗せずに済んだ筈。まぁ、他人との意思疎通は確かに難しい。
「ここは、本州の極地である」「あとは海にころげ落ちるばかりだ」との竜飛の描写が凄まじい。だが、酒の配給日に当たった旅館で鱈腹飲めると知ったときの作家の意地汚さは、断崖絶壁の峻烈さを遥かに凌ぐ。旅の目的は只管「飲むこと」だったのか!
「みちのく」が「道の奥」に由来する話や「みち」の訛り「むつ」から「陸奥」という名称が生まれた(だから漢字の「陸」は「道」と同義)という説明は非常に面白い。また、「北国のコモヒ(隠日)」と呼ばれる軒をくっ付け合った長い廊下で風雪に耐える智慧に感心した。
太宰は旅の最後に、大昔に自分の子守をしてくれた「たけ」を北津軽の寒村に訪ね、連絡も約束も無いため探しあぐねるが、奇跡的に「育ての親」との再会が叶う。日本映画「女中ッ子」の設定に似ており、読んでいて何だか懐かしい気がした。
これとは別に、年端の往かぬ少女らが他家での子守労働に従事せざるを得なかった戦前の貧しい実相が私には透けて見える。「五木の子守歌」や「竹田の子守歌」の切なさが耳朶によみがえる。
堅かった「たけ」の表情や訥弁が、三十年の歳月の隔たりを俄かに縮めたかのように竜神様の八重桜の下で急変する。「それ(名前を聞いて)から、口がきけなくなった」「まあ、よく来たなあ、お前の家に奉公に行ったときには、…それがこんなおとなになって、みな夢のようだ。」
「奉公に来て、私をおぶったのは、私が三つで、たけが十四のときだったという。それから六年間ばかり私は、たけに育てられ教えられた」その影響で、兄弟中で己一人だけが「粗野で、がらっぱちの処がある」育ちの本質を太宰は看て取る。
氏より育ちの「友」、同類をそこに見つつ、「私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」と結ぶ。
教養人の衒いなのか、ええ格好しいの性質が邪魔をするのか、折角に感動的な再会話の余韻を無遠慮に断ち切ってしまう文章スタイルに、金持ちの素封家に生まれながらも爺銭を遣わずとの作家太宰の過剰な自負心が滲み出ている。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:N.A, IN - この投稿者のレビュー一覧を見る
20代の頃に読んだ本をもう一度今度は電子書籍で読書中。亡き父が弘前出身でこの本を読んでいると父から話を聞いているような気がする場面があり、私は懐かしく思い好きだ。
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投稿者:雨読 - この投稿者のレビュー一覧を見る
太宰治は誰でも聞いたことがある作家であるとおもいます。
走れメロスは学生時代に読んだ記憶があるが内容までは忘れてしまっていた。
人間失格も映画で観たと思いますが、あまり太宰治については知りませんでした。
一昨年青森に旅した際、五所川原市の斜陽館を訪れ、改めて太宰治の小説を拝読してみたいとの思いから最初に手にしたのがこの津軽であります。
津軽地方の当時の暮らしや景色などが浮かび青森の自然や地域性に思いをはせることができました。
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限定カバーが素敵だったので数年ぶりに再読しました。
宿命の地である津軽の紀行文でありながら随所に太宰節も織り交ぜつつ、幼少を過ごした地でかつての友や女中などと出会い語り合うことで、津島修治としての内面も垣間見ることのできる貴重な作品でした。
風景描写も秀逸でまるで故郷に帰ったような気分になり、
育ての親であるたけとの再会で〆られていて、読後の穏やかな余韻は気持ちが良かったです。
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月並みな感想文はやめとく!!沁みた…
最後は言わずもがな…芦野公園の描写が好きだった、、喋りすぎちゃうのでこの辺で、命あらばまた他日!!
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津軽風土記の執筆依頼を受けた太宰が、三週間かけて津軽半島(蟹のはさみの向かって左手)を一周し自身のルーツを辿ってきたという名紀行文です。
生れた町である金木を、特徴もないのに気取った町、底の浅い見栄っ張りの町、と序章でしょっぱなから貶しているのも愛ゆえ。津軽のことなんてほとんど知らないと言っているが、その故郷愛は随所に感ぜられる。
各地で旧友を訪ねてはへべれけになるまで酒をご馳走になっている姿は、まるで彼の書く小説の登場人物がそのまま抜け出してきたようでにやりとしちゃう。太宰は林檎酒でいいんですよなんて一応遠慮したりはしているが、それを見抜いて日本酒やビールを出してくれる友人たちは"朋あり遠方より来る、また楽しからずや"といったところか。
旅の最後の最後で(曰く自制を楽しんで)、小泊に立ち寄り運動会を彷徨い歩いてかつての乳母・たけと再会するエピソードは感動した。素直で素朴な太宰が垣間みれました。
私も年末年始はいつも帰省しているけれど、さすがに今年は断念。帰省の度にただ実家でごろごろだらだらして「田舎すぎて何もないわ〜帰ってきてもすることないわ〜」なんて愚痴りつつも、同級生と毎年のように会ってお酒を酌み交わして、本当そればっかりだけどでもそれがホッとするしなんやかんや楽しいんだよね。
住む場所も環境もすっかり変わってしまったけれど、そうやって僅かでも実生活を離れて親元や友人と過ごす時間は今の私にとってなによりも懐かしくて大切なのだな。原風景だなと思う。
うん、確かに今年はさみしかった。
"命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。"
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太宰治の紀行文。故郷凱旋記録でもある。戦後に近い1944年、太宰治は津軽を訪れることを思いつく。太宰にとっての津軽は、片想いの相手のようでもある。地形、歴史を織り交ぜながら綴られる津軽の土地土地。地形にはその土地に住まう人となりを作る素地のようなものがある。津軽人気質は、うざくて、面倒で、愛らしい。太宰の来津を喜ぶ同級生たちは、過剰なまでに歓待する。その様が嬉しくも、照れ臭くもあり、それを真っ直ぐに感情に出せない太宰は手放しに褒めず、斜に構えた文章でつづるが、津軽が大好きな様が滲み出ていてほほえましい。
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言わずと知れた名紀行文。
高校生の時授業でダイジェストを読み、夏休みに通しで読んだ上で感想文を書かされた。
多分、その時は全文を読まず、適当に書いた。
自分を含むあらゆることを呪っていた高校生で極度のひねくれ者だったが、高校3年間で現国の教科書で習った『城の崎にて』『檸檬』『こころ』、そしてこの太宰の文章はいずれも心に残った。
後々、本を読むのが大好きになって今に至るのは、これらの作品のおかげかもしれない。
解説で町田康が、最後の場面での、乳母たけの言葉に「ここにいたって心が動かぬものがあったとしたらその人は人非人である」と書いている。そこまで言うか。
と言いつつ、僕はおばあちゃん子なのでこういうのにすこぶる弱く、『坊ちゃん』の清の出てくるところなど、とてもじゃないが読めないのである。だからここも読む度に涙ぐむ。
たけと会う前、運動会場の人いきれで再会をあきらめた太宰が、未練をもって留守宅を再度訪ねたところ、たけの子とおぼしき女の子と出会う。女の子はたけからよく話を聴かされていたのか、太宰のことをよく知っていて、四の五の言わずにたけの元に案内してくれる。ここがとても良い。
「私は、たけの子だ。女中の子だって何だってかまわない。私は大声で言える。私は、たけの子だ。(略)私は、この少女ときょうだいだ」
ここが、クライマックスと言っても良いと思う。
青森には一度だけ仕事で行ったことがある。3月だったが雪が深く、大鰐温泉というところの素泊まり旅館が素晴らしかった。3,000円とちょっとしか払わなかったのに。
その時のイメージもありこの文章も、何年かに1回ずつ読み返すと必ず雪の場面を思い浮かべてしまうが、戦中のそんな季節に津軽地方を旅する人はいなかっただろう。季節は春だ(冒頭に記されているのに)。
暖かい人とのふれあいが続く、何度読んでも良い文章だなあ、と思う。
死ぬまでに津軽地方を旅したいものだ。
しかし、あらためて読むと、たけは50歳くらいで、今の僕より年下なのであった。
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斜陽館を訪れて、ご近所のmelo と言うお店にて。
太宰という人をつくった基礎を、垣間見ることのできる作品。
サイダーを、がぶがぶ飲んだ洋間もまた感慨深い。
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だいぶ前に買ったものの、他の本を読んでいる合間に読み進めていたものだから、どこまで読んだか忘れて何度も同じところを読み返し読み返し、ようやく読了。太宰治といえば「文豪」というお堅いイメージがあるものの、なんだかふつうに人間味のある人なんだなぁと思ったり、意外と繊細のようでありつつ、のんきそうな面もありつつ。青森のことよりも、太宰のことを深く知れたような気になる一冊。
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▼「津軽」太宰治。初出1944年。35歳くらいの太宰治が生まれ故郷の青森県津軽地方を、旅して歩いた紀行エッセイのような一冊。以前から「積ん読」になっていたものです。
▼太宰治さんは、恐らく高校生くらいの頃かに、一通りというかそれ以上くらい読みました。基本は面白かったです。大作?よりも「眉山」なんて大好きでした。ただまあ、何となく再読するという気分にならず。
今回のご縁は、司馬遼太郎さんなのです。
▼司馬遼太郎さんは、手塚治虫さんと並んで小学生・中学生時分からとにかくお世話になってきたんです。どちらもほぼほぼ舐めるように読み尽くして、自分の感じ方や考え方というのはもう、このお二人の創作物でできていると言ってもいいくらい(あと、映画の「寅さんシリーズ」もかな・・・)。理屈抜きで「ファン」と言っても過言ではなく。
そしてたまたま、BOOKOFFで見つけた文庫本「街道をついてゆく」を読み始めたんです。これは司馬遼太郎さんの代表作「街道をゆく」(週刊朝日連載)の担当編集者だった人が舞台裏を愛惜たっぷり回顧した本。読み始めたら、何十年続いた連載の、最晩年のご担当の人の本だった。そこでは数冊の「街道をゆく」の舞台裏が語られていて、大変に面白い。そして実は「街道をゆく」はこちらは全部は読んでいない。だけど、たまたま取り上げられている最晩年のものは読んでいた。なので、よくわかるしオモシロイ。ところが途中で1冊だけ読んでいないことがわかり、それが「街道をゆく41 北のまほろば」。当然、「街道をついてゆく」を十分楽しむために、一時そちらは中断して「北のまほろば」を読み始める。するとこれがどうやら青森の話。面白そう。と、序盤で太宰治さんの「津軽」が言及される。数度言及される。これは悔しい。積読になっている。「北のまほろば」を一時中断して、「津軽」を読むことに。
▼どうやら書店の依頼を受けて太宰さんは書いたようです。コンセプトは「街道をゆく」とか「日本風土記」とかそういうことだったようで。太宰治が生まれ故郷、縁のあった町や村、津軽を歩く。これは本当に歩いています。司馬遼太郎さんは街道をゆくって言ったってほぼ自動車なんですが、何しろ太宰さんは昭和19年です。
▼太宰さんなんでご自分の生い立ちの思い出や告白が混ざります。そしてあちこちで泊めて貰って、貴重な配給の(あるいは闇の)酒や食料をもらいます。毎日よく飲みます。そして志賀直哉の悪口を言っている。
▼自分はもう何年も「東京人」として暮らしている。でもこっちには津軽人がいる。みんなそれぞれ事情があっても前向きに色々考えながら地域で暮らしている。わが故郷ながら田舎だなあ、悲しいなあと思う。でもやっぱり好きだなあ、それに素敵なところもあるなあ、悪くないなあとも思う。会う人たちにと交わるごとに「俺は薄汚れた売文商売で人として堕落しているなあ」とか思ったりする。それなりにそういう主観に混じって街や地理や歴史や風景もちゃんと描かれる。それでもやっぱり太宰さんらしく、そこを旅しているオノレという気持ちからは逃げない。言うならば自伝とも言える。彼の生い立ち事情がよくわかる。まあつまりボンボンであ��た。
▼これが実に面白かった。味わいが素敵でした。文章も内容は捻くれているが(笑)、綺麗だしわかりやすい。そして当然ながらエンタメになっている。村上春樹さんが旅行記について「どうして面白いことがあんなに起こるんですかと聞かれることがあるんですけれど、ああ言うのは初めから本にするつもりで旅行しないと書けません。意識のどこかでは、そのために旅しているんですから」みたいなことを書いていましたけれど、そういう意味ではちゃんとプロの小説書きの誠意ある仕事になっています。終盤はちょっと感動ですらありました。
▼ネタバレ;太宰さんは旅の終わりに、自分が子供の頃に育ててくれた乳母というか女中さんを訪ねるんです。ここに色んな津軽に向けた感情がきちんと集約されていく作りになっています。結果は「まあ、ただ会えました」と言うレベルなんですが、これが素晴らしい。全てが突然に淡く美しく天然色になっていくような鮮やかさ。泣けます。
▼さて、「北のまほろば」へ。
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人間失格では出てきていない人物やエピソードが散りばめられており、太宰のまた違った幼少期の部分を知ることができた。津軽の地形や文化、歴史を堪能しながら読み進められるが、津軽の知識が全くない私には難しく感じる部分もありました。
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この年になるまで『走れメロス』以外ほとんど読んでこなかった太宰治。
そりゃあ、いつかは読もうと思っていましたよ。
でも、今まで縁がなかったのね。
この作品が太宰初心者向けなのかどうかわかりませんが、面白かったです。
今まで勝手に思っていた、ナルシストのような、ちょっと重ためのコマッタちゃんのような太宰ではなく、素直で軽やかな文章に、とても好感を抱きました。
そして、実にこの本は、今読むべき本として私の前に現れた本でした。
まず、2年前の秋に津軽地方を旅行したので、景色の描写など、割とわかりやすかったこと。
今別、竜飛岬、鰺ヶ沢、十三湖、合浦公園。
特に太宰が青森の高校に通っていた頃よくとおっていた合浦公園は、私の思い出の場所でもある。
単純に嬉しい。
それから
”「津軽」本州の東北端日本海方面の呼称。斉明天皇の御代、越の国司、阿倍比羅夫出羽方面の蝦夷地を経略して齶田(今の秋田)渟代(今の能代)津軽に到り、ついに北海道に及ぶ。これ津軽の名の初見なり。”
これ、蝦夷地の名の初見でもある。
最近北海道の歴史を勉強していて、読んだばかりの部分だったので、これもタイムリー。
ついでに津軽氏の歴史についても、高橋克彦の小説で少しわかっていたので、若いころ読むよりは、いろんな意味で理解しやすくなったと思う。
でも、この本は津軽を理解するために読むわけではない。
やっぱり太宰の文章を愉しむために読むのがよいのだろう。
とはいえ、
”家へ帰って兄に、金木の景色もなかなかいい、思いをあらたにしました、と言ったら、兄は、としをとると自分の生れて育った土地の景色が、京都よりも奈良よりも、佳くはないか、と思われてくるものです、と答えた。”
という、太宰の兄の台詞は、なんだかしみじみ好かったなあ。
太宰の文章ではないけれど。
最後の、30年ぶりに子守のたけに会いに行ったときのエピソードも実にしみじみ好いのだけど、蟹田のSさんの、激しすぎる接待ぶりには思わず笑いが込み上げてしまった。
作中ではぼかしてあるけれど、明らかに志賀直哉と思われる人物への悪口を言えば言うほど、文学ファンから引かれてしまうところも、いかにも不器用な感じで、全体的に愉快に読んだ。
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刺激というのはなく、周りの人々含め素直で人間くさいのがよい。最後の自らの育ちについての気付きは、一理あるのかもしれない。
津軽という土地の歴史、りんご産業は比較的新参だとかは純粋に勉強になる。津軽は(都会に対する)地方の一つとしか思っていなかったが、それなりに歴史・背景があるんだいうこと、そしてきっとどの地域にも語るものがあるんだろうなと思った。
最後の1行は、これが噂の!と思った。いきなり語り口変わったなと思わなくもないが、旅を通した自らの育ちに対する気付き、回顧等があった上での心からの声なのかもしれない。
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聞いたことのあるタイトルばかり読んでいた太宰作品のうち、初めて太宰を知るために調べて購入した一冊。心身共に安定していた時期に書かれたことだけあって、いつもイメージする物憂げで絶望したような文章ではなく、やや自虐的なところもありつつも受け止め、落ち着いて回顧している雰囲気だけを感じた。
ちょうどこの本片手に金木や弘前を旅行する機会があったので、読んで青森・弘前・五所川原・金木と土地を知りながら、太宰を想いながら旅を過ごせてよかった。景色が思い浮かぶではなく、まさに同じ景色をみて当時の心境を知れて感慨深かった。
鋭すぎる感性のせいで人生のほとんどを道化を演じて苦しく過ごしたかもしれないけど、文を読むと素直で健気な本心が見える気がする。早くから遊戯を覚えて酒を覚えて、東京に出ても津軽への旅行は大きな事件で合ったと語るくらいには地元想いで、距離のある肉親の代わりをしてくれたたけへの気持ちを綴れる人間臭さが魅力的。最近涙もろいけど、たけとの再会から最後の文章までは読みながら泣けた。
個人的に、「風景」の話で色んな人に眺められた景色は軟化し、人になついている・人の匂いがするとの表現が印象的だった。有名な観光地の景色と本当に手の付けられていない景色を見たときの感覚の違いってこういうことだったのかなと思った。あと、丸ごと焼いてほしかった鯛の件や芸術の話でお兄さんにかっこつかなくてやりきれない気持ちになったエピソードは、自分がその立場でもずっと心残りにしてしまうなあと勝手に似たところを見出してまた一つファンになった。
以下の文は個人的に刺さった文章。
"「ね、なぜ旅に出るの?」「苦しいからさ」"
"兄は黙って歩き出した。兄はいつでも孤独である。"
"さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。"
noteに弘前~青森~金木~三鷹の旅も書いています。お時間あれば覗いてください。
https://note.com/shinoote/n/ncbd1d616558e