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投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
国家観・宗教観・天皇観
いろいろな視点が詰まった作品。
主人公は日本に様々な建築を残した
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
日本に帰化して一柳米来留。
一世一元となってから初の生前退位、
令和が始まったこのタイミングで読むのにふさわしい作品。
紙の本
改めて知るヴォーリズ
2019/05/20 12:33
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投稿者:BHUTAN - この投稿者のレビュー一覧を見る
知っていたような気がしていたが、まだまだ知らないことばかりのヴォーリズ。
建物も近江八幡も知った気がしていただけ と反省しきり。
やっぱり近江八幡にいかなきゃ。
ここで「朝が来た」が出てくるとはね。関西はやっぱりわからないことだらけ。
改めて勉強します。
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第二次世界大戦敗戦後、日本の復興のために天皇制度護持のために奔走した人物はたくさん存在した。
有名どころだと、元首相・近衛文麿や、『終戦のエンペラー』で描かれる連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の部下、陸軍准将ボナー・フェラーズ。クリスチャンにして教育家・河井道。そしてウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
メンソレータム(現在の商品名はメンターム)を日本に普及させた近江兄弟社創業者のひとり。そして教会や学校など多くの建物を手がけた建築家。彼もまた、天皇制度の護持、というより、天皇が「神から人間へ」となるために心を砕いた人だった。
明治38年、日露戦争まっただなか。現在の滋賀県の商業高校の英語教師として、24歳のヴォーリズはたったひとり、海を越えて来日した。
彼は、「大きな家をつくろう」という、生涯変わることのない願いを抱いていた。
「屋根というのはアメリカ人でも日本人でも、ペルシア人でもアフリカ人でも、ひとしく風雨からまもる。その下にあたたかい団欒の場をつくる。私たちはいずれ、地球そのものを覆う広大な一枚の屋根をかける人になりましょう」
『屋根をかける人』。アメリカに生まれ、日本に帰化し、明治・大正・昭和と続く激動の近代史のなかに大きな足跡を残した知られざる巨人。その半生を追う伝記小説。
メレルが物語の主人公として魅力的かというと、最初はそれほどでもないと思う。彼は中途半端だ。建築家として正式な資格は持たず、メンソレータムは実は万能薬ではなく、伝道者だが宣教師ではなく、日本に帰化しても、考え方はどこまでもアメリカ人。けれど第八章で昭和天皇との対話を経た後には、急に第一章のメレルが愛おしくなるから不思議だ。つねにどっちつかずだからこそ、国境や民族を超えた理想の居場所をつくり続け、いつか日本とアメリカ双方に大きな「屋根をかける人」になる青年。器用で要領が良いようで、どこか融通が利かない不器用さも併せもつ。
昭和39年、メレルが世を去って物語は終わる。最後まで読んだなら、ぜひ第一章から読み返してほしい。最初に読んだときには見出せなかった、これから不格好に珍奇な人生をいきぬいてゆく24歳のメレルに、初見の偏屈さや陰気さを補ってありあまる魅力があふれてみえる……かもしれない。
KADOKAWAさんの文芸情報サイト『カドブン(https://kadobun.jp/)』にて、書評を書かせていただきました。
https://kadobun.jp/reviews/652/fa29c138
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建築家として知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズの来日以降の生涯を描いた小説です。
これまで読みにくかった作品に直木賞受賞作家の作品が多く、この本を買った後で、作者が直木賞受賞作家と知った時はシマッタ!と思いました。しかし、この作品は違いました。最初から最後までスムーズに読むことができました。作者の文体が読みやすかっただけではなく、これまで多くはありませんがヴォーリズが関わった建物を見たことがあったり、近江八幡へも行ったことがあるからかもしれません。
建築を専門に勉強した人ではなかったことには、驚きました。また、メンソレータムは米国で開発された薬品でしたが、近江兄弟社はヴォーリズが設立した会社であったことも、これまで知りませんでした。「何とかなります」を口癖に、目の前のチャンスをひとつひとつつかんでいった彼の生き方には頭が下がります。
この小説を今日平成31年3月30日に読み終えました。
この文庫の奥付から。
平成31年 3月25日 初版発行
2019.03.31訂正:私が読みにくいと思っていたのは、直木賞受賞作家の作品ではなく、芥川賞受賞作家の作品でした。失礼いたしました、
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近江八幡に所縁が深いウィリアム・メレル・ヴォーリズ…作中では、そう呼ばれる機会が多かったという「メレル」となっていることが多いが…彼の人生を巡る物語である。非常に興味深く、また「考える材料」を多く供してくれる作品で、少し夢中になった。
建築に関連する事績は「ヴォーリズ建築」と呼ばれて知られているのだが、そういう活動の経過、更に家庭薬の<メンソレータム>の販売、後に製造も手掛ける経過というのが物語の“緯糸”になって行く。
仕事の展開が“緯糸”だとすれば、“経糸”は「メレルの生涯と思索」ということになるであろう。(確か“朝ドラ”の主人公のモデルになっていたことが在ったと思うが)広岡浅子との出会いが契機になって、伴侶となる一柳満喜子と出逢う。その“マキ”との人生と、時代の移ろいの中でメレルが感じた様々なこと、その変化が描かれているのだ。
メレルは、建築にせよ家庭薬の製造・販売にせよ、大いに成功した反面で「本当の専門家」ということでもない。メレルは、米国のプロテスタント系の価値観の中で育った人間で、それを普及せしめるという活動さえ熱心に続けた他方で、「そこに生まれたのでもないにも拘らず、自ら選んで」ということで日本に帰化した。というように、「揺れ」の中で生涯を送って、その中で色々と考えているということになる。そして晩年に至る境地というものが在る…
大正期や昭和初期に、メレルが感じる「(日本の)違和感」というようなモノが作中に綴られている。これは?或いは現在でも在るのではないか、というようにも思った…その他方に、晩年のメレルが至る境地である。なかなかに考えさせられた。
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ヴォーリズという人が設計した建物があることは知っていて、心斎橋の大丸や関学の建物なんかがぱっと思い浮かぶのだけど、ヴォーリズその人がこんなにもドラマチックな人生を過ごしたとは・・・読んでいる間じゅう、驚きの連続だった。そもそも専門の建築家ではなかったなんて!え、メンソレータム?!という感じ。
会話や周辺の人物像などを創作と思ってみても、教職を解かれてからの道のりは凡百の人物には歩き通せないものだったのではないだろうか。様々な局面を、アイデアと周りを巻き込むエネルギーと、そしてポジティブさをもって乗り越えていくさまはすごい。なんだか早回しの映画を見ているように読んだ。
しかしそれだけに、第二次世界大戦まえの話はつらい。アメリカと日本の架け橋、屋根であり続けてきた人が、ただ生まれを理由に受け入れてもらえない。責任感をもって帰化したのに、結局はアメリカ人とみられる。老境であったことも追い打ちをかけ、短いエピソードながら心に重いものが残った。
帯にはこのラストシーンを書きたかった、というような言葉があった。昭和天皇との邂逅の場面を指すのかなと思う。(いやもしかしたらもっと最後を指すのかもしれないけど)たしかにそれまでのヴォーリズの人生を総括し意義あるものとしたシーンではあったが、昭和天皇が彼の仕事になにか関わったはずもなく、私はそこまで思い入れられなかった。やはり彼自身が東奔西走し生き生きとしている時代が好きだ。
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冒頭、主人公が地方の学校に英語教師として赴任するところは、ちょっと『坊っちゃん』みたいだ! と思った。事業でバンバン成功を収めていく壮年期を描く中盤部分は、やや退屈。だが、日米開戦からの展開はドラマチックで、引き込まれた。アメリカ出身の主人公が抱く天皇制に対する違和感には、個人的に共感できる部分があった。門井慶喜さんが本書のテーマとして取り組んでくれたことで、私自身のモヤモヤした思いも解消された気がする。
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ブックカバーのかかった状態で友人から借りて数カ月。そろそろ読むべしとタイトルを見たとき、私は「建築物好きの作家が自分の家を建てる話」だと完全に思い込んでいました。既読の著作が万城目さんとの建物探訪だったせい。そのほかの既読本はラノベほどではないものの軽いタッチでしたから、実在の人物に着想を得た歴史小説でびっくり。
1905年に近江八幡の高校に英語教師としてやってきたアメリカ人、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。プロテスタントの伝道に努めつつ、YMCA会館をはじめとする数々の建築を手がけ、さらにはメンソレータムで有名な近江兄弟社を設立したという、類い稀な人物。
いったいどこからどこまでが史実で創作なのだと訝りつつ、物語に引き込まれます。伝道者でありながら商売人。マルチ商法まがいの話まで出てきたりして、たまにドン引き(笑)。終盤はしばしば涙腺を刺激され、紆余曲折、波乱万丈の人生に想いを馳せ、壮大な伝記を読んだ気持ちになりました。
読了後にブックカバーを外す。最初にこうしていたら歴史小説だとわかっていたでしょうが、そうしなかったことがより深い感慨を呼び込みました。とても良かった。
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読後の率直な感想は、期待を大きく下回り残念という印象。日本近代建築を支えたW・M・ヴォーリズを主人公とした歴史小説だが、単なる伝記・評伝で終わってしまった感じがする。
序盤の「私たちは、これから大きな家をつくる」という振りが作品の核になるのかと思いきや、中盤以降ではメリル自身、そのことを意識せず、昭和天皇に日米の架け橋となったと評させる程度。
何より、メリルの性格にイライラを隠せなかった。商人としての傲慢さはまだ許せる一方で、日本に拘りながらも日本の伝統・慣習を解さず、汚い言葉を吐き続ける不寛容さ。こんな人物に描く必要性が最後まで理解できなかった。
門井氏の作品は2作目だが、重厚な歴史物が好きな私には作風や表現方法を含め、少し苦手なのかもしれない。
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「日米に橋をかけた人ではなく、屋根をかけた人」
20世紀の初め、近江の地に降り立った一人のアメリカ人青年ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。英語教師として来日すると同時に、キリスト教の伝道師としての使命にも燃えていた。
しかし天皇中心の国家として富国強兵に邁進する当時の日本にとっては、生徒を集めてはキリスト教の伝道をするヴォーリズの教育方法は、問題視される。
ほどなくして彼は教師の職を失う。
アメリカに帰ってやり直すか、日本で新しい職を見つけるかの二者択一を迫られた彼は後者を選ぶ。
そこで彼は、趣味で続けていた洋館の建築や改装を仕事にしてしまおうと考え、教会や個人住宅の建設の仕事を請け負うようになった。製図や構造計算などの正式な教育を受けてはいなかったため、初期の頃の建物はあまり評判の良いものではなかったが、もともとの商才もあって、他の外国人建築家に頼むより、べらぼうに安いコストで洋館(洋風建築)を建てることに成功した。人当たりも良く、建築知識の不足や技術の未熟さは、日本人大工の知恵を借りることによって補った。
それが評判となって次々に仕事が舞い込むことになり、日本における生活の基盤を固めることができた。
その他にもメンソレータムの日本独占販売権を取得して、傷薬として大々的に売り出し、軍へも販路を広げるなどして財を成した。そしてその資金を建築の仕事に注ぎ込んで、事務所を大所帯にしていった。
のちに華族の一柳満喜子と結婚し、日米親善に努めるが太平洋戦争により、敵国人みなされるようになる。それを回避するため不本意ながら神道に改宗、日本国籍を取得し一柳米来留と改名する。妻が元華族ということもあり、特高も逮捕などの手段はとらなかったようだが、常に監視され、祖国アメリカからは裏切り者扱いされた。
不遇の時代を乗り越え、終戦を迎える。
そこで彼は国体護持の存続に関わる重要な役割を演じることになる。(ここからは史実なのか創作なのかよくわからないが、昭和天皇に拝謁したという事実は記録にある)
ここから感動のクライマックスに向かうのでレビューはここまで。
書名が平凡なので、あまり注目されてこなかった小説だけど、今まで10冊くらい読んだ門井さんの小説の中では一番面白かった。
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日露戦争の最中に伝道者として日本んも、しかも地方の小さな町に来たヴォーリスはのちに、多くのキリスト教系の学校建築に関わり、ミッションスクールのモダンなイメージと強く結びついている。ヴォーリスの設計はミッションスクールのステイタスにもなっていて、彼の校舎で学んだことを誇りにしている人は少なくない。近江八幡にいたヴォーリスの名前は関西ではよく聞いていたが、素性は知らなかった。子供の頃、伝記物が好きだったが、評伝というほど重くない大人の伝記物という感じで、取り上げる人物もよい。メンソレータムの近江兄弟社の成り立ちも、初めて知った。
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アメリカ人が日本に来たとか、実業家が何かを成し遂げたとか、一般化できるような話ではなかった。
この、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏でしか成し得なかったこと、彼にしか駆け抜けられなかった人生というものを存分に感じることができた。
まず、ヴォーリズ氏は、若くして非常に弁が立ち、向上心、野心に溢れた男で、この時点で、成功者としての素質を持っているのだった。
ヴォーリズ氏であれば、どの時代でも、どの国でも、成功することができただろう。
20代半ばで日本の近江八幡に来て、英語教師として教鞭をとったのをはじめとして、キリスト教の布教活動、建築活動、そして、メンソレータムの販売と、壮年期まで休むことなくビジネスに邁進し続ける。
賢く(ずる賢いかもしれない)、精力的なヴォーリズ氏は、さまざまな事業を成功させながらも、その人生には紆余曲折があった。
仲間の死、妻との出会い、そして第二次世界大戦…。それぞれの転機で、物語は盛り上がる。その転機も多彩で、それぞれ異なった感動を読者に与えてくれる。
還暦を迎え、老年期のヴォーリズ氏は、精力的な活動から離れ、時代の観測者として、ゆっくりと、終わりに向かって進んでいく。
衰えゆくヴォーリズ氏と反面、妻の満喜子さんは精力的な活動を続ける。ヴォーリズ氏あってこの妻と言えるだろう。似た雰囲気を感じる。
戦争が終わり、ヴォーリズ氏の命のともしびも消えていく。
その描写はあっさりとして、この物語自体も、突然の幕引きというか、カラッとした乾燥感だけを残して終わる。
まさに、外観や装飾より機能性を重視したヴォーリズ氏の建築のように、無駄を省いた最期の描写だったのだろうか、と感じた。
全体を通して、ヴォーリズ氏のエネルギッシュさに勇気づけられた。また、戦時中の雰囲気をリアルに知れる歴史小説としての側面も感じた。そして、ヴォーリズ氏と満喜子さんとの深い愛情。この2人が出会って本当に良かったと思う。
ヴォーリズ氏の人生は、破天荒すぎて真似できないなぁと思いつつ。布教、建築、輸入販売と、多くの面でまさにエヴァンジェリストとして活躍した人物に尊敬の念を抱いた。
ヴォーリズ氏とは離れるが、同じく近江八幡を礎とし、本小説にも登場する、菓子処のたねやとクラブハリエに興味を持った。食べてみようと思う。近江八幡の雰囲気を感じられるかもしれない。