日本人が知らない「スーホの白い馬」の真実
著者 ミンガド・ボラグ
モンゴル人が知らない"モンゴルの民話"が長年、日本人に親しまれてきたことはモンゴル人の私にとって驚きである。 楊海英(静岡大学教授)社会主義イデオロギーのもとで量産された...
日本人が知らない「スーホの白い馬」の真実
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商品説明
モンゴル人が知らない"モンゴルの民話"が
長年、日本人に親しまれてきたことは
モンゴル人の私にとって驚きである。 楊海英(静岡大学教授)
社会主義イデオロギーのもとで量産された
階級闘争的な「革命物語」はいかにして日本に浸透したのか?
2016年刊『スーホの白い馬の真実 ─モンゴル・中国・日本それぞれの姿』(風響社/第41回日本児童文学学会奨励賞を受賞)の加筆・新書化企画。
民話「スーホの白い馬」は、小学生の国語の時間(光村図書出版・小学校国語教科書「こくご」二・下1965年度版 初掲載)、あるいは、絵本『スーホの白い馬』(福音館書店1967年初版2016年10月発行)により、日本では子どもから大人まで広く知られている、モンゴルの少年と白い馬の伝説である。
少年が可愛がっていた馬が王様に殺され、その馬の骨で作ったという馬頭琴という楽器の物語を読み、遠い国に思いを馳せる子供たちはいまも多い。
ところが昨今、日本と関わる機会が増えたモンゴル人たちが気づいたところによると、「これはモンゴルの民話ではない」という。
内モンゴル出身の著者は、丹念にこの日本語訳者や出版社に取材し、物語が出来上がった経緯とともに中国のつくり話であったことを解明していく。
折しも2020年6月、中国政府が突然、秋の新学期から学校におけるモンゴル語教育を停止するという文書を自治区に届けたことで、モンゴル人による抗議活動が全世界に拡散している。民族固有の言語や文化を封じる同化政策はこれまでチベット、ウイグルなどに対し行ってきたことと同様である。
昨今、日本にまで影響を及ぼす黄砂も、遊牧による内蒙古の著しい砂漠化が理由とされるが、実際にはすでに遊牧は禁止され、国家規模の「西部開発」による自然破壊のせいであると著者は指摘する。
「スーホの白い馬」は国際理解の題材としてもよく使われるので、「背後にある状況を正しく理解し、発信されることがモンゴル人の願いである」と著者はいう。
日本で長く親しまれてきた民話を通して、馬を愛するモンゴル人の文化、ひいては中国の民族弾圧政策、プロパガンダ工作の歴史を解説する。
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驚きの連続。
2021/08/25 10:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人なら誰でも知っている童話、モンゴル人から見れば、全く違和感しかない『スーホの白い馬』は、共産党的な価値観によってつくられたお話だったとは。
「革命物語」は昭和43年に「産経児童出版文化賞」を受賞した絵本
2021/05/05 00:26
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「スーホの白い馬」という作品は子供の頃に読んだ事はあるが、中国共産党によるアジプロ作品とは知らなかった。「ロシア民謡」と称されている一群の歌がソ連の検閲を通った御用歌謡というようなものだろうか?日本で翻案した人と絵本画家は東北部や内モンゴルで暮らしていた経験があるので、その頃の生活感が元になっているようだ。
「スーホの白い馬」で検索したら、昭和43年度の「産経児童出版文化賞受賞作品」とある。つまり、フジサンケイグループがお墨付きをつけたという事になる。おそらく、扶桑社は「反中共」キャンペーンの一環として新書化したのだろうが、腰帯にある「社会主義イデオロギーのもとで量産された階級闘争的な『革命物語』はいかにして日本に浸透したのか?」という文句は自分達にも「支那の共産主義イデオロギーによる悪書」を日本に流布した責任があるだろうに。いつも通りに「反日」の朝日新聞やNHKあたりが悪いとでも言うのか?いつもの事ながら無責任にもほどがある。昭和30年にNHKが放送した「緑なき島」が「軍艦島の実体を改竄した反日番組」だと糾弾するなら、産経児童出版文化賞は昭和43年に「悪書」に賞を送ったのだから廃止すべきだ、になるのだが。どうせなら著者はフジサンケイグループとは関係のない出版社から新書化すべきではないのか?
この本は、中国共産党は漢人の視点でモンゴルの文化を見る「オリエンタリズム」に社会主義イデオロギーを加味した観点で創作した、と批判するが、「スーホの白い馬」の元ネタ探しのところで、1956年に出た連環画を「(劇画)」という割注がある。「中国のマンガ〈連環画〉の世界」によると連環画は民国期には成立していたとある。著者が付けたのか、あるいは親本か新書の編集者が付けたのかは知らないが、まだ「マンガ」なら一般的な表現だからまだしも「劇画」は昭和31年には存在してはいないのではないか?この本で言及されている宮脇淳子は同じ扶桑社新書の「韓流時代劇と朝鮮史の真実」で本人が「朝鮮史の真実」で田代和生の「倭館」に書かれているサルフの戦い当時に日本に輸出されていた朝鮮紙に触れざるを得なくなった「鎧にしか使えない質の低さ」や「朝鮮時代のハングル文学は存在していたが流布していなかった」などとデタラメを書いたように、あれほど漢人の視点による「オリエンタリズム」を批判するなら、漢人の大衆文化である連環画を、また存在していない劇画と対比させるのも問題ではないのか?
著者は翻案者に取材して、「スーホの白い馬」に親しんだ日本人に読者を対象にしている関係上、あえて避けているようだが、「スーホの白い馬」という日本で知られた作品は中国共産党が生み出した産物を東北部や内モンゴルで生活した事がある日本人の絵本画家と翻案者による絵本化という二重の「オリエンタリズム」の産物になる。