紙の本
テロと宗教と宗教
2021/05/27 18:38
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
おそらく読者に「イスラーム憎悪」を誘発しない為だと思うが、ムスリム同胞団には触れていても、イスラーム原理主義者によるいわゆる「殉教作戦」なる言い方をしている自爆テロについて触れていない。クルアーンに自殺をしてはいけないとあるはずのイスラーム教徒を称する「指導者」達が鉄砲玉に「十字軍やシオニスト」などに爆走トラックや体に巻き付けた爆弾を爆発させる行為について触れないで「宗教と過激思想」と題する本は書けないと思うが。
必然的に鉄砲玉の「殉教」を前提とする行為を教義と対立する自殺ではなく「殉教作戦」と言い換える所為は、よくある行為だが、何故「指導者」達はクルアーンに約束されているという天国に直行出来るはずの「殉教作戦」を自らしないのだろうか?「兵士というもの」に出て来る戦争末期のドイツ空軍で英米軍の爆撃機などに特攻させた「エルベ特別攻撃隊」の立案者だが、自らは死ぬ気がなく、21世紀まで生きていた、ドイツ軍マニアには「高潔な人格の英雄」の証であるはずの剣付き騎士十字章の佩用者のハヨ・ヘルマン大佐を連想してしまう。
「カリフ制が全てを解決する!」というが、そういう万能なカリフ制など、今までに存在していたのだろうか?イスマーイール派のファーティマ朝のカリフは勿論、ウマイヤ朝と後ウマイヤ朝のカリフは論外で、正統カリフ時代は4人中3人が暗殺されたし、アッバース朝は世俗的なスルタンやアミールの傀儡になったあげく、モンゴル軍に殺されて断絶した。世俗的な王朝そのもののオスマン朝のカリフも入らないだろう。何かキリスト教徒が頭に浮かべて理想化した「原始キリスト教」を美化する光景に似ている。
トロツキーとセドーヴァの曾孫のダヴィド・アクセリロードはカハネの一員として取材を受けていたけれど、セドーヴァはユダヤ人ではないはずだから、「非ユダヤ人」の血を引いているにもかかわらず、何だかキリスト教徒が「ユダヤ人と非ユダヤ人との婚姻」を否定した事を裏返しにしたようなスローガンに共鳴したものだ。
ヴェトナム戦争の頃に焼身自殺した南ヴェトナムの僧侶がいたが、どうなるのだろうか?
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宗教の過激思想とは
2021/08/24 11:36
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投稿者:かずさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人には宗教内の過激思想を理解するのが難しく、過激思想即武装暴力テロ集団と結びつけるのが多いのではないだろうか。本書は過激思想を持った集団が起こした事件を説明するのではなく、宗教比較と歴史研究の視点から宗教思想の分析を目的としてかかれている。イスラム・キリスト・仏教、ヒンドゥー・ユダヤ・神道まで述べられている。イスラム過激派はイスラム法を最高規範・生活規範として用いており、その生活環境を整えるため国家を建設しようとしている等。日本の神道にも過激思想があり、それを唱えたのは江戸時代の農村改革を行っていた著名な学者とは少々驚いた。民族宗教の解説がもう少々詳しさが欲しかった。
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簡単な内容ではありません。じっくり読み進める必要あり
2021/06/08 00:28
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「宗教関連のトラブル事例を列記した本」と期待して当書を読むと、痛い目に遭います。
当書はあくまで、宗教関連の過激な思想を冷静に書き続った「基礎理論」の内容です。その点では、退屈であり簡単な内容ではありません。
ですが、我慢して読み進めれば、最後の方になってようやく、当書の価値が分かると思います。私もそうでした。丁寧に1頁ずつ、文章を把握した上で読み進めるのをお勧めします。
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イスラム、キリスト教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、神道という6つの宗教を取り上げ、内実を解説。過激思想の特徴を浮き彫りに。
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宗教において安易に混同してしまいそうな「過激主義」「過激派」「原理主義」「異端」をイスラム教のみならずキリスト教、日本神道、ヒンドゥー教や仏教等を事例に詳しく解説している。
―多くの人が「一理はある」と認めている思想を突き詰め、いさぎよく振り子を一方向に振り切ったもの、それが過激思想なのだ。(終章 宗教的過激思想とは何か【227㌻】)
それを踏まえて言うならば、現代の日本社会には無宗教であるが故の過激思想が芽吹いている、否、既に蔓延し始めているとも言えるのか。
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宗教とはそもそも何なのか、の話ではないので宗教ありきの世界観がまずわからないこともあり、理解し難いというか受け入れ難いものはあったのだか読み進むと無神論にも言及、遂には悪魔崇拝メタルバンドまで!恐れ入りました。
過激思想の一面として急進的であるというのは納得。
ゆっくり歩んでいきたい。
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朝日新聞2021710掲載
日経新聞2021710掲載 評者: 柄谷行人(哲学者)
東洋経済2021724掲載
中央公論「目利き49人が選ぶ2021年に私のオススメ選書」20224掲載 評者:東畑開人(臨床心理士,十文字学園女子大学人間生活学部准教授)
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過激思想に行きつくまでは結構いろいろ。必ずしもパターナリズムというわけでもないのがちょっと意外だった。
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結論を先に言うと面白い新書でした。
タリバンがアフガニスタン全土を制圧し、イスラム教を巡る「過激思想」という言葉がメディアで見られるようになってきました。ただ、どのメディアもその内実については触れていません。「過激思想」をおさらいするにはいいタイミングと思い、本書を購入しました。
「はじめに」の中で「本書の目的は(中略)宗教に関して使われる『過激』という語の内実や『過激思想』の特徴を解明する」ことであるとし、「実際に起きたテロ事件などの行為の分析ではなく、思想の解読」が本書の中心になっています。
本書はイスラム教、キリスト教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、神道などから、過激とされた宗教思想をとりあげ、解説し、共通項を探ってゆきます。本の帯には「わかりやすく」とありますが、もともと各思想がわかりにくい(というよりも論理を追いにくい)ものなので、結果的に本書はなかなか硬派な新書となっています。例えば、ISに大きな影響を与えたといわれる思想家クトゥブ(1906〜66)は「ジハード(聖戦)は、信仰の強制ではなく、近代派がいうような自衛でもなく、人々がイスラムという信仰を選択できる自由な環境を積極的に整えること」と理解し、「人類を救うのはただ一つ、(神が定めた)イスラムだ」とします。このあたりは、ある程度の理解はできましたが、なかなか素直には頭に入ってきませんでした。
結論として「過激思想」の共通項は何なのか?結論は「終章」で明らかにされます。過激派は(1)公正な社会でない状況で(2)切迫であり(3)世俗的・近代的手法では正せないが(3)自身の宗教ならば公正を実現する最善の方法を提供できると確信していて、こうした考え方が典型的な過激思想だと著書の藤原聖子さんは考察します。
著者の藤原聖子さんは東京大教授で「教科書のなかの宗教」(岩波新書)など宗教に関する著書が豊富です。最近のSNSでの暴力、トランプ派の連邦議会襲撃に言及し、「宗教的過激思想の実際を知るほどに、『宗教』『過激』として外部に押し出していたものが、自らのうちにあるものとねじれた鏡像関係にあることが見えてくる」と断言しています。普通と思う我々も自分を見つめる必要があるかもしれません。
前にも書いた通り、わかりにくい「過激思想」を論じた本なので、すんなり読める本ではありません。ただ、面白い本であることは間違いありません。また、全て文書化されている思想を引用し、原点も明記されているので、読者自らが本書の読解を確認することも可能です。したがい、本書は非常にフェアな本です。
過激思想家の思想をこれほど分析した本も他にないと思います。これが新書で読めるというのはお得な感じがします。お勧めです。
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近年、イスラム教過激派やアメリカの福音派など様々な宗教的過激思想がニュースを賑わせている。ニュースで断片的に触れているだけでは「理解の及ばない変な人たち」と片付けられがちな過激思想・派について、体系的に整理している。本書では各宗教の過激派とされる代表的な人物をピックアップし、1人1人概観する。最後にそれらの思想の共通点を抜き出し、過激思想とは何なのかについて迫る。この本を読めばニュースに出てくる過激派とされる人々を「理解できない」と突き離さず、その社会的な背景についてしっかりと理解して冷静に見ることができる。臭い物に蓋をする思考では問題は解決しない。過激思想が広がる今日、その問題への解決への第一歩として本書はオススメできるだろう。
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テーマとしては面白かったが、文章が固く読むのに難儀した。悪魔崇拝の件だけで一冊まとめてもらえないだろうか。全く目からウロコの話であり、興味深い。
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高校の時、社会科の先生に借りて読んだ本。とても博識な先生で、授業はその知識の豊かさゆえに脱線しまくるのでとにかく楽しかった。その先生におすすめの本を聞いたら貸してくれることになったのだ。難しそうな本と第一印象で思ったが、返すときに感想を聞かれたらどうしようと思って、かなり一生懸命読んだ記憶がある。
私は先生に国際社会に興味があると伝えていたので、題名を見た時は「宗教?」とピンと来なかった。しかし、読んでみて、納得した。宗教は現代の国際問題に密接に絡んでいる。
イスラム過激派の対義語が穏健派だとは考えたこともなかった。過激派も穏健派も、ともに社会を変革することを目指すという点では変わらないということにハッとした。両者の違いは前者はそれを急速に実現しようとし、後者は時間をかけるというところにある。イスラム過激派が批判されるべき点は、変革をしようとしていることではなく、やり方が急進的で多くの犠牲を出しているところだという点を再確認した。
日本人が無宗教かどうかはずっと疑問に思っていた。前に海外の姉妹校の学生と交流した時に、宗教について聞かれて困った経験があったから。その当時は日本の独特な宗教観について語れるほどの英語力も持ちあわせていなかったので、とりあえず仏教と答えたが、家には仏壇もないし、熱心に信仰しているとは言い難い。かといって、「神なんかいねぇ」なんていうストロングスタイルを貫いているつもりは毛頭ない。難しいが、今のふわっとした信仰スタイルが日本人には合っている気がする。デモやテロが少ないのも、この宗教観が影響しているところは大いにあると思う。
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20211223読了。本書は世界の宗教から、過激とされた宗教思想を取り上げ、分かりやすく解説している。「過激な思想」とはかつては「異端」とされた思想のことなのだろう。
作者は、取り上げた宗教を解説する際にはすごく慎重な態度となっていると思った。
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内容はとても面白かった。知らない宗教者の話も知れて、勉強にもなる。
ただ内容に対し、おおむね満足する一方で、もっと多い文量で出版されるべき本だと思った。筆者はある程度の基準で取り上げる人物を選定しているようだが、個人的な思い浮かぶ人物が登場しなかったりと、その点で不完全燃焼な面もある。
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世間で「過激思想」と呼ばれているものの「正体」をつかまえようという本。イスラム過激派だけでなく(ここで最初にイスラムが出てくるのが既に偏見だが)、世界宗教のキリスト教、仏教、民族宗教からはヒンドゥー、ユダヤ、神道を取り上げ、「過激思想」と呼ばれるものの共通の特徴を探る。また「異端」や「悪魔崇拝(サタニズム)」にも触れる。
まず、イスラムとキリスト教の対比で、イスラムの過激思想は、抑圧されるものによる反体制運動で、政治的には左、宗教的には保守回帰のため右に位置する。それに対してキリスト教過激思想としてよく名指しされる「プロテスタント保守派(福音派)」は、政治的にも宗教的にも右に位置する。人工妊娠中絶を行うクリニックを襲撃するなどの行為は、胎児という「弱き者」を助けるという大義がある。ただしキリスト教系過激思想には右派だけでなく左派も存在し、その草分け的存在のジョン・ブラウンの思想は、現代のキリスト教右派にも引き継がれている。つまり過激思想=右とか左といった枠組みは成り立たないことを確認する。
次に、世界宗教と民族宗教の対比を行い、ナショナリズムに結びつくものもあれば、国民国家単位の対立を超越するためグローバルな思想の中から出てくる過激思想、また他方では国民国家よりも小さな文化的アイデンティティを拠り所とするものもあることを確認する。
最後に、近代以前の異端思想との対比を行う。現代の「過激」も、近代以前の「異端」も、その時代の多数派から危険視される点では共通しているが、暴力との関係では対照的だ。過激派は暴力を振るうことで問題視されるが、かつての異端はそのほとんどが迫害の対象であり、暴力を受ける側である。その違いは、現代の過激思想のほとんどが社会の不公平を批判し公正な社会を求める「世直し」を希求することにあるという。
関連して「悪魔崇拝」にも触れ、当初は排除したい者たちにあてがわれたレッテルに過ぎなかった悪魔崇拝のイメージが、ロマン主義文学においてダーク・ヒーロー化し、さらに20世紀にはリアルな悪魔崇拝者が出現し、「異端」から「過激」へと変貌を遂げていることに触れる。
ここからは私の感想で、本書の本筋とは少しズレるが、さまざまな宗教思想やその中で過激とされるものに触れる中で、そもそも民主主義であったり、自由・平等といったものが「良いもの」だという前提が揺らいでいるというか、そう思わない人もいるのだということを感じた。日本でも、選択的夫婦別姓や同性婚への反対が根強かったりする背景には、そもそも自由が万人に平等に与えられることを良しとしない感覚が根底にあるように思えてならない。考えてみれば、自由も平等も西洋近代以降に出てきた概念なわけで、それが良いものだ、皆が希求すべきものだという前提で対話を進めようとすれば、話が通じない場合が出てくるのは当然のようにも感じる。
本書の内容に話を戻す。末章において筆者は、宗教的過激思想において、宗教を政治に利用しているだけだという批判が起こりがちだが、そもそもその見方自体が、宗教は政治に関わるべきでないという西��近代リベラリズムに基づいていることを喚起する。宗教的過激思想が、極端な思想であるにも関わらず共感も多いのは、それらが、西洋近代発の民主主義が閉塞した際に「あれかこれか」というジレンマ・二律背反のうちのどちらか一方に振り切ることで出現する思想だからである。そう考えると、そうした過激思想を単に異常思想として糾弾するだけでは問題は解決しないことがわかる。
当たり前に「正しいこと」「良いこと」と思い込んでいる価値観が、相手によっては通用しないかもしれないことを頭の片隅に置いておくだけでも、世の中の見え方が変わってきたり、相手との対話がうまく行ったりする場面があるかもしれない。