続編を貼り合わせた作品
2024/09/07 21:43
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投稿者:象太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
芥川賞を獲得した『乳と卵』とその続編を貼り合わせた作品。『乳と卵』は大阪弁が多く、地の文と姪の日記から成り立つ。一方の続編部分は、インタビューを物語に落とし込んだ文章のよう。頭が人、体が獅子のエジプトのスフィンクス的な作りだ。
夏目漱石の三部作『三四郎』『それから』『門』は、それぞれ別々の話だが、それぞれの主人公が歩む人生を一つのレールで描いているように読める。
村上春樹の『街とその不確かな壁』は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の続編だ。『壁』の中で『世界の終わり』を完全に書き直している。
『夏物語』は、『乳と卵』を加筆するだけにとどめず、続編の文体で全面的に書き直してもよい気がした。今回は夏子の視点が最も重要であり、緑子が日記で語る部分の必然性はないようにも思える。
まさか十数年後に『夏物語』とその続編を貼り合わせた作品を出さないよな。。。
ただ、登場人物のキャラクターは良くて、特に善百合子、恩田、仙川さんは印象的だった。任務を終えて宇宙の向こうに飛んでいくボイジャーが、種だけ残して栃木に帰る逢沢に重なり、実に気の毒だった。一人の男性読者としては、恩田や逢沢、成瀬でない普通に共感できる男が描かれていると、作品全体への共感が増すような気がした。
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投稿者:なつみかん - この投稿者のレビュー一覧を見る
とても引き込まれた。考えさせられた。ぜひ、多くの女性に読んで欲しい。子供を産むなんて、幸せに生きてきた人にしか出来ない所業だと感じてしまう。
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投稿者:かい - この投稿者のレビュー一覧を見る
女性として生まれてきた後悔や、生きていかなければならない葛藤などが、男がわかるようにうまく伝わるように綴られ、エンタメ的要素もあり面白かった。
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著者の性と生に係るカチコミの度合いが半端なく、とはいえ、その強さに、その重さに圧死せしめられるものでもなく、軽みを帯びた語り口も盛られてたりもする。そして、終局の場面で読者である自分確かに感動しもしてしまって、うまくまとめることができないが、とかく圧倒され、色々考えることが多いのです。
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面白かった,けど重かった.
1部は,豊胸手術をすることに入れ込んでしまっている姉の巻子と,そんな母親と言葉を使った会話をしなくなった姪の緑子の話が中心.緑子の心の内が2部にも繋がるテーマとなっている.
2部は,主人公の夏子がAIDによる出産を考える話.子供を産むことは,「生まれてきたいなんて一度も思ったことのない存在」を「自分の思いだけで引きずりこむ」行為だと糾弾する百合子.彼女は「もう誰も,起こすべきではない」と主張する.
夏子が幼い頃に暮らした港町まで会いに来た逢沢と一緒に乗る観覧車のシーンがいい.逢沢は「僕の父はあなたなんだと ー 僕は父にそう言いたかったんです」と語る.逢沢の申し出を受けた夏子は,百合子に「忘れるよりも,間違うことを選ぼうと思います」と宣言する.
印象的で引きつけられるセリフが多い作品だった.「うん」や「はい」が繰り返される場面もすごくいい.重い命題に真正面から向かい合った大作.
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『あこがれ』に続き、未映子作品六作目。こ、これは凄い……。うまく言えないけれど『乳と卵』は勿論のこと『ヘヴン』『すべまよ』・・など、作者のあらゆる要素(※本当はすべてといいたいところだが、まだ六作しか読んでいないので…泣) が凝縮した作品。最後のあのシーンは何処か海を思わせた。寄せては返す波のような——。確かに、最高傑作でした!!
ちょっと余談だけれど・・川上さんの文章で"初めて"村上春樹の影を見た。まあ彼女自身、ハルキストですから少しも可笑しくはないのですが…(^^;
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【世界で絶賛の嵐。旋風を巻き起こす】パートナーなしの妊娠、出産を目指す夏子。生命の意味をめぐる問いを、切ない詩情と泣き笑いに満ちた極上の筆致で描く至高の文学。
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明日からまた仕事か、っていう気分で眠りにつこうとした、お盆休み最終日のこと。
この作品を、3分の2くらい読み終えた時だった。
主人公と重ねすぎたわたしは、久々に、一睡も出来ないっていうレベルで、眠れなくなった。
ここまで、「子どもを産む」ということに、ぐぐぐ、とフォーカスしていく作品だなんて思わなかった。
皮肉にも、わたし自身がその問題に、意図せずともぐぐぐ、とフォーカスしていた瞬間だったのだ。
『夏物語』というタイトルのこの作品。単行本で出版された時から本棚登録をしていた。待望の文庫化。なぜだか、どうしても、この夏に読みたかった。
プライベートで、ひょんなことから(ひょん、というには重たすぎたけれど)自分がこれまで子どもがほしくないと言ってきたことに対して、その実「子どもを育てることが怖いのでは」というのを、予想しない形で知ることになって、そのタイミングで読んでいたのがこの作品だったものだから、その偶然への畏れと、これから主人公が直面していく「子どもを持つかどうか」問題と、わたしの恐怖と不安が、「眠れない」という形で表出したんだと思う。
自分が「子ども」(それは仕事で会う子どもではなく、自分が出産した「子ども」)に対して持っている感情が、抑えきれずに溢れてきてしまってたんだろう。そのイメージが、今まで具体的にはしてこなかったその姿が、どんどん具体化されて、溢れてきてしまってたんだろう。そして、怖くなったんだろう。
早く読み進めたい気持ちと、これから自分の中に起こるであろう感情と、それらの狭間で、揺れ動く。
『子どもがほしい』、誰かからそれを聞いた時に、「なぜ?」とは聞かないけれど、『子どもがほしくない』と言えば、人は理由を聞く。
なぜ、子どもがほしいことに理由はいらなくて、子どもがほしくないことには理由が必要なんだろう。
例えばわたしがこのまま何らかの病気で死んでしまったとして、誰がわたしのほんとうを知っているんだろう。30代独身で、パートタイマーで、ちょっとメンタル危うくて、感染症が蔓延している社会の中で。職場の人は家まで来ることはしないだろうし、友人や親族だって、毎日連絡を取っているわけじゃない。だけど何より、自分自身のために。
今の時点で、2021年8月22日時点でわたしが思っているほんとうの部分、つまり、わたしが根っこに抱いている感情そのものを、ここに残しておこうと思った。
読み終わった後も、言葉にならないもやもやとしたものや、正論と、正論だけでは片付けられない感情的なもの、全てがフルボリュームで存在し、鳴り合っていて、脳の中がうるさい。結局わたしはどうすることもできない。
その中で叫ばれる声―
・一人で産み育てるということの大変さの現実味
・子どもがいる、という人生に対する想像力
・親としての責任を果たしていないのでは?では親としての責任てなに?
・孤独を感じる時に過る「子ども」の存在、ただ寂しいから子どもをほしがったのではないか
・今後子どもが大きくなった時に直面する、なぜ生んだのか問題への答え
・自分の親が誰であるかを��どもが知っていることの重要性、そしてなんでそれがそんなに大切なのか
・親がどんな思いで自分を産んだのか、どうやって産まれてきたのかを知ることの大切さ、それを知る子どもの気持ちとは?
米津玄師の曲に「アイネクライネ」という曲がある。
その中の歌詞にこうある。
「産まれてきたその瞬間にあたし 『消えてしまいたい』って泣き喚いたんだ」
子どもが生まれた時にあげる「ふんぎゃあ」という泣き声。
誰がその声に、祝福の意味を与えたのだろうか。その子が産まれた瞬間どう感じたのかを、誰かが勝手に決めつけることは許されるのだろうか。
この作品では、「善百合子」という女性が、この歌詞の部分と同様の立場にいる。わたしも彼女の言葉に、強く惹きつけられた。
仕事をとおして、無責任な親を含め、いろんな親を見てきたからこそ聴こえる、様々な声。
自分の感覚と、仕事の中で、社会の中で培ってきた感覚。それらが一気に爆発する。
子どもを産む、ということを、はっきり言って本当に何も考えていない人っていて、そして何も考えずに産んで、何も考えずに育てて、あるところでそれを突然放棄する人っていうのもいて、たぶん児童福祉の仕事をしていなかったら知ることのできなかったことをいくつか目撃・経験してきたわたしにとって、やはり「子ども産む」ことにつきまとうあれこれはやはり簡単に消化できることじゃない。どうしても幸福の意味合いよりも怒りに近い感情を先に持ってしまうし、自分の親に対する怒りや、楽しくなかった幼少期の、嫌な思い出がふつふつと沸きあがってくるばかり。そんな思い出しか浮かんでこない自己嫌悪で涙があふれてくる。「子どもが産まれる」ことの周辺には、決して幸福ばかりだけがあるようには、わたしには思えない。そして、こんなことを考えてしまうことに対して、短い人生しか生きられなかった友人たちに、懺悔をする。育ててくれた親族への罪悪感が、みしみしと音を立てる。
妊娠すること/出産すること/育てること
「子どもを産む」ときに見つめるみっつのこと。
わたしはこれまで「子どもがほしくない」と、そんな風にいろんな人に話してきて、でも、わたしが抱えている問題は、本当にその一言だけで済むものなんだろうか。
なぜわたしは「子どもがほしくない」のか。
別に「ほしくない」わけじゃない。
この人となら、という人と一緒に生活して、その生活の中でいろんなことをすり合わせながら、お互いに変容した価値観を受け止め合ったりしながら、生きていくうちに、いつか子どもがほしいと思うことがあるかもしれない。
その時は徹底的に話し合って相談して、決断をしたいと思ってる。
でも、こんなかっこいいこと言ってみたけど、ほんとはそうじゃない。
ただただ、怖いだけなの。
妊娠も、出産も、育てることも。そもそも、誰かと生きていくことすら覚悟ができていないくらい、臆病者なの。怖くて、怖くて、仕方ないの。妊娠も出産ももちろん怖いのだけれど、何より一番怖いのは、育てること。
どんな障害を持っていても、どんな子どもでも、育っていく中で悪いことをしても、わたしはそれを受け入れて向き合っていくことができるのだろうか。
人との関わりとか、その時大切にしなきゃいけないこととか、わたしがきちんと身に着けたのはたぶん、福祉の現場だった。だからそれはかけがえのないわたしだけの体験。もちろん、もともとの自分の感受性もあったかもしれないけれど、それは鎧であって、仕事をする時だけ身に着けてればいいもの。仕事が終わったら脱いでしまえばいい。でも、その鎧を脱いでしまったら。その鎧なしの姿で、不安定なその姿で自分自身の価値観でもって自分の子どもと向き合ったら、酷い罵り合いをして子どもの人権を侵害するかもしれないし、無意識に子どもを支配してしまうかもしれないし、予想だにしない出来事に向き合うことができないかもしれない。わからない。例えばの話。そんなわたしを誰かが止めてくれるのかな。止めてくれたとしても、だとしても子どもはその時点で確実に不幸な思いをしている。
わたしは「人との関わり」を教えてくれた社会に、福祉の現場に感謝をしている。だから、職業人としてのわたしは前よりもずっと自信を持つことが出来た。職業人としてのわたしだったら、例えばの話をしたわたしにちゃんと向き合って、子どもの人権を守ることができると思う。
だけどその「職業人としてのわたし」がずっと理想の自分として君臨し続けていて、同時に苦しくもある。
仕事以外の時間も全部、職業人としてのわたしに支配をされていて、だから「子どもがほしい」なんて思おうものなら職業人としてのわたしが金属バット持ってこれでもかってくらいわたし(のその思考)をぼっこぼこにして、最後に「次に子ども産もうなんて思ったらマジでぶっ殺すからな」って吐き捨てていく。そんな映像が浮かんできてしまって、怖くて怖くてたまらないの。やっぱりわたしは子どもを持っちゃいけない。わたしがやっていいのは職業人としての子育てであって、自分の子どもの子育てには手を出しちゃいけない。何かあったらすぐに産んだ自分を責めて、子どもが泣き止まなかったら泣いてる子どもの気持ちを理解できない自分を責めて、子どもが笑ったら一緒に笑えない自分を責めて、そんな状況下で笑っている子どもを憎んでしまう。そんなことがあったらどうしよう。怖い。起きていないことに脅えることほど馬鹿らしいことはない。何もかも、やってみないと分からない。でも、職業人のわたしはきっと、子どもを産んだわたしにこう言うの、「なんでそんなこと想像できなかったの」「そんなこと産む前からわかっていたでしょ」「あなたは様々な現実を、仕事を通して見てきたでしょ、今まで何を見て何を感じてきたの」って。責めてくるの。だから、やっぱり、わたしが悪いの。子ども産もうとちょっとでも考えたわたしが、悪いの。だからね、今は、今の段階では、子どもがほしい、って、思ってもいいけど、口に出してはいけない気がするの。口に出したら、一気に現実的になってしまう。そんな現実、怖くて怖くてたまらない。だからわたしは、とても簡単な言葉で済ませてきてしまった。「子どもほしくない」って。だけど、そんな簡単な言葉で済ませられるものじゃないの。わたしはわたしの気持ちに嘘をついてた。「産みたい」も違う、「産みたくない」も違う。怖いの。何もかも。妊娠した瞬間から、その子の命があるまでの間、ずっ���、怖いの。向き合っていく自信が、ないの。
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人が生まれたり、死んだり、生んだりというエピソードがたくさん出てきて、色んな視点から「いのちを生み出すこと」「永遠に会えなくなること」について問いかけている気がした。
「子ども欲しい」とか、「子どもいるの?」とかってよく聞く台詞ではあるけど、その言葉の重みについてちゃんと考える良いきっかけになったと思う。読んでよかった。
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第一部がなかなか読み進められず、長い間積読になってました。第二部から面白くてあっという間に読み終わりました。色々な立場、考え、願い…考えさせられました。
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重いテーマだけど読みやすい!
夏子の気持ちも痛いくらいわかるし周りの人の気持ちもわかるし、何回か本を置いて考えさせられた。
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最後の場面を電車の座席で読むことになって、比較的混雑している車輌、溢れる涙をハンカチで押さえ、鼻をグズグス言わせながら最後のページを読み終えて文庫本を閉じ、顔をあげたら、立ったり座ったりの老若男女の姿が目に入り、ああここにいるみんな例外なく、それぞれがそれぞれの母親から産まれてきた存在なんだと、感慨深く眺めておった次第でありました。
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「乳と卵」の登場人物たちのその後の話。主眼は、女性性、妊娠や出生に関するテーマ。「生まれててこなければよかった」(反出生主義)という物語の骨組と各登場人物の「子どもを持つということ」に対する意見の相違や心情の変化を通して、自分の住む世界と違う世界の話ではないことを思い知る作品。
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「自分の子どもに会いたい」
ーーでも相手もおらんのにどうやって?
生まれてくるということ。
産むということ。
親になるのか、ならないのか。
相手がいるのか、いないのか。
自分に人を生み出すことができる能力があること、
だけどそれは、自分ひとりでは不可能だということ。
特殊な形の妊娠、出産。
精子提供という一つの選択肢ー。
誰もが「生まれる」という受動態で今ここに存在し、それはけっしてなかったことにはできない。
〝死ぬこと〟と同様に〝生まれてくること〟も取り返しのつかないこと。
それを踏まえて「産まれる」を「産む」のか否か。
芥川賞受賞作の「乳と卵」の登場人物が再登場!
ということで、「乳と卵」を読み返してから…と思う方もいますが、実はリブートになってるので本作のみ読んでも全然大丈夫です。
川上未映子さん、大好きな作家さんなので、個人的にはかなりオススメ!
生命倫理ー。壮大で圧倒的、重いテーマに手抜き無しで真っ向から全身全霊で向かい合っていながらにして、独特なこの軽やかなテンポ。
このバランス感覚…これぞ川上未映子マジック!
ひれ伏すしかないもう。
読むと、なにかしらを孕む。
その孕んだ何かを、自らはどう生み出すのか。
多くのことを問題提起し、生命の意味を考えさせられる名作です。
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面白いし、「小説を読む愉しさ」を手軽にもたらしてくれる。
でも、なぜだかわからないがカズオイシグロや村上春樹や『百年の孤独』のような、「圧倒的物語」感はなくて、それは何故なのかずっと考えてる。
物語に圧倒されて読み終えたあとにしばし呆然とするような、胸が震えて頭がぼうっとするような、ああいう偉大な物語との違いは、どこにあるのだろう。
反出生主義の考え方もしっかり描かれてて読み応えはある。私的には主人公より善百合子の考え方の方がしっくりくる。私は結局、「産みたい」という欲求を持ったことのない人間なので、主人公がなんでそんなに生みたいのかピンとこなかった。
でも例えば百年の孤独は100年間連綿と続く一族の命のつながりをすさまじく書いていて、「産みたい」なんて話に主眼が置かれていないにもかかわらず、「あぁ私も生き物である以上この命の連環に参加さなくてはならないのでは」という壮大な気持ちにさせられた。「命の讃歌」みたいなものを感じた。
たぶん優れた文学は、自分とは全く異なる感情をも体感させるものすごいパワーがある。有無を言わさずねじ伏せられ、打ちのめされる。つまりこの物語にはそのパワーが足りなかったということなんだろうか。
そのパワーがどこからやってくるのかは、今の私にはちょっとまだよくわからない。