ドストエフイスキーが少しだけ身近に
2023/08/31 10:22
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佐藤優さんが専攻していたという神学目線でのドストエフスキー論です。予めポイントを掴めたのと、ドストエフスキーがどんな時代背景で育ち、作品を書いていたのかが理解できました。
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『未成年』こそがドストエフスキーの(いったんの)集大成で、『カラマーゾフ』はそれを敷衍した第一作だというのは首肯できるところ。マルメラードフが実はエリートなのだとか、キリスト教というよりは大地への信仰だといったところはソ連/ロシアに精通した著者ならではの視点だと思った。『悪霊』と『白痴』についてはそれほど面白い視点はなかったが、『罪と罰』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』の章については読む前・読んだ後・読んでいる最中に参考にしてみるとより面白く読めると思う。
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ロシアの土壌で変質したキリスト教をバックボーンにしたドストエフスキー作品の超解説。日本人の感覚として普通に「良き人」と思える聖者も主流キリスト教神社的には異端であることが多いことに気づいた。考えてみれば当たり前なんだけど本を読んで「違うこと」や「多様性の存在」に気がつけたのは良かったな。
とは言え欧米人の考え方の基本になっているキリスト教の考え方って倫理や哲学の範疇でしか読んでこなかったので圧倒的に知識不足であることを認識した。さっそく聖書アプリをインストールしてちょっとずつ読んでみることにした。
そしてまたドストエフスキー作品を読み直してみよう!
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佐藤優のドストエフスキー入門、さすがに奥が深い。キリスト教とロシアに深い知識がないと、、、難しい。でも彼の解釈で深い理解につながった。ホリエモンやプーチンについての解釈も面白く読んだ。
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知り合いに佐藤優さんの解説書である本書をお勧めされたので読んでみた。正直な感想は、ドエトエフスキーの本はこんなに難しいのかという気持ち。佐藤さんの解説がなければほとんど意味がわからないのではと思ったくらい。それでも、本書のおかげで、ドエトエフスキーのロシア正教への考え方や、今のプーチンの思想にも通じて来るロシアの歴史や哲学を学ぶことができたのはとても面白かった。いつか、罪と罰などの作品に挑戦したい。
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新潮講座の活字化ということでとても読みやすい。未読の「白痴」を読まねばと思った。キリスト教(というか宗教全般)に対して無知であるので、大変勉強になった。「カラマーゾフの兄弟」絶対に読み直そう。
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flier要約
https://www.flierinc.com/summary/2953
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佐藤優(さとう まさる)
1960(昭和35)年生れ
1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省
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多少の知識がついて理解ができるかと思い一生懸命読んだがやっぱりロシア文学わからない。
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佐藤優氏の主に宗教に対する丁寧な解説をもとに、キリスト教だけでなく、カトリックとプロテスタント、そしてロシア正教の違いを知ることで、ドストエフスキーの作品の理解が深まる。
それでも難解ではあるが、この内容を踏まえて読むのと、未知のまま読むのとでは、大きな差が出るはず。
改めてドストエフスキーを読み直さないと。
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身も蓋もないが、究極的にはこの一文に尽きる。
“補助線がないと古典はなかなかピンと来ないし、無自覚に補助線を使っていることもあるし、そのへんが厄介なところです。結局、こんな補助線もあるんだ、といろいろな読み筋を知っておいたほうがいいんですね。”
本書も間違いなく日本人のドストエフスキー論としてはトップクラスに質の高い『補助線』だと思うが、とにかくドストエフスキーを味わい切ろうとすればまだまだ色々なアングルからの読み方を知る必要があることを痛烈に感じた。
それにつけても、当時のロシア社会の論点やドストエフスキーの生涯といった最低限の土台を押さえなさいという注釈も無く、一足飛びに『カラマーゾフ』を薦めるなどというのはナンセンスだと思うし、それを間に受けてただ『カラマーゾフ』だけを読み切り「俺はカラマーゾフを読破した側の人間だ」などと悦に入るのは本当にやめた方が良い。
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カラマーゾフの兄弟を読んでいるところなのだが、自分の力量でわかるはずもないので参考書を読んでいる。背景や生い立ちを知ることで、作品に理解が深まりそうだ。
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この数年ドストエフスキーを読み、Eテレの亀山先生の100分de名著を視聴している。おさらいのつもりで購読。
「罪と罰」小学生のころ、読んだきり。
主人王はシベリア送りの後も反省や後悔はしていないとの指摘。へ~。読まないといかんなあ。
「白痴」高校時代に読み、40年後に読み直す。
ムイシュキンを無垢で純粋なだけの人間とする見方に佐藤さんは疑問を投げ掛ける。攻撃的で、自分の偏狭な価値観に固執し、周囲を破壊していく存在と。
ロゴージンの暗い情熱とナスターシャの破滅志向がこの恐ろしい物語の原因だと思っていたが、佐藤さんはムイシュキンが触媒になっているという。
ロシアのキリスト教の話は面白った。しっかり理解できたかというと怪しいけれど。この罪深い物語のような世界だから、救済は逆説で、無力で、神は沈黙せざるを得なく、そこに神の愛のリアリティが示されるというのは、正直納得していない。
「悪霊」数年前に読む。スタヴローギンをもっと描いてほしかったと思った。
ステハンは滑稽な道化役と思ったが、人民の中に入っていけというナロードニキを表しているんだろう。対して、ニヒリストたちは農民の教化は無理だから、社会の上層部を抹殺して、自分たちが入れ替わればよいとすると佐藤さんは示す。築くべき社会の展望もなく、破壊のみを目的とする。
しかし、スタヴローギンは彼らと交わろうとするわけでもない。神と同じく悪霊もこの世に満ち満ちている。悪霊を信じることで、神の愛のリアリティを感じるというのは、正直、難しくて判らない。
「未成年」読んでない、というか、この小説知らなかった。
ドストエフスキーが資本主義を理解していなかったというのは納得。カラマーゾフでも長男ミーチャが金を借りようと騒動を起こしまくるけど、働くという思考は皆無だ。ホリエモンも未成年だという指摘は成程ねえと思う。
「カラマーゾフの兄弟」数年前に読んだ。時間がたつと、一番重要なのは次男のイワンのことなんだなと思う。長男ミーチャのことが面白くて、主題が分からなくなるけれど。
佐藤さんは大審問官について詳細に分析。イワンと悪魔との対話もやって欲しかったな。
長老ゾシマはキリスト教として異端という指摘は意外だった。死後の遺体腐食もそこに原因があるという。
未読の罪と罰、未成年を読んで、いくつか読み返したほうが良いんだろうな。
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五大長編について、それぞれ一部を切り取って佐藤氏独自の視点で解説。
エッセイ等でドストエフスキーに影響を受けたと書いている作家は実に多い。
この解説書を入り口に改めて紐解いてみたい。
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ドストエフスキー作品は、「罪と罰」にせよ、「カラマーゾフの兄弟」にせよ、ちゃんと読んではいない。粗筋は知ってる程度。が、今回、解説書を読みたいと思ったきっかけは、聖書を勉強している知人が「聖書が分からないと西洋文学は分からない。特に“罪と罰”とかね!」と言うのを聞いたこと。「えっ、“罪と罰”ってキリスト教的か?」となぜかひどく疑問に思い、ドストエフスキーの世界観を確かめたくなった。
当初、江川卓さんの解説書を手に取ったが、専門的(細かい)過ぎるため、ひとまずパスして、本書に変更。
著者の講演録でドストエフスキーの5大小説を語る方式となっている。各作品の全てを網羅する訳ではなく、核となる部分に絞って解説されている。くだんの「罪と罰」については、“ラザロの復活”と、“大地に口づけしなさい“というソーニャの言葉について。
ハイ、私の疑問を払拭してくださる、素晴らしい解説でした!
著者はジャーナリストの方と思っていたが、大学の神学の先生だった。なるほどね。
ドストエフスキー作品は、難解でいろいろな読み方ができる。心理、哲学はもちろん政治、宗教がない交ぜとなっているので、著者がおっしゃるところの「読み筋」を持つことが大事だと思う。
(しかしながらキリスト教も、ロシアは“ロシア正教”だから、解釈が一筋縄ではいかない 泣)
が、それだけに探訪の価値がある。世相を強く反映しているにも関わらず普遍的、現代の生きづらい世の中で、また注目を集める理由がわかったような気がする。とはいえ、佐藤先生の解説も、何回も読まないと理解できないので、本書は鞄に入れて持ち歩き、読み直すつもり。
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ドフトエフスキーの生涯を確認でき、様々な状況の中で小説を書いていたことを知れた。「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」ぐらいしか知らず、また神学とも密接につながっているので、非常に難しいと思った。
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日本でドフトエフスキーを語るにあたって俺以上の適役はいない!!という優節全開の本書。熱意はわかるが『カラマーゾフの兄弟』の章冒頭に物語のネタバレがあるのはどういうこっちゃ。未読の方はご注意ください。
『白痴』読解の章ではカトリックとロシア正教の「神と人間の関係」についての比較があり、「カトリックにおける救済は神から人間への一方的な恩寵」であるのに対しロシア正教は「人間が神になるというのが正教の究極的な目標なのです」と解説されている。だとすると新世紀エヴァンゲリオンの人類補完計画って正教の考え方に近いのかな?だってあれはひとりひとりが他者を必要としない=補完目標なんでしょ? (エヴァ詳しくないから推論だけど)