相手をリスペクトすること
2022/09/01 17:50
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
開高健ノンフィクション賞を受賞して話題になっても、動物性愛についてのノンフィクションと聞いて、嫌悪感や忌避感から、なかなか手に取れずにいたのだが、文庫本が出たこともあり、興味か好奇か微妙な心持ちで購入した。
ドイツに渡り、ズーと呼ばれる動物性愛者たちの実像に迫った一冊だ。
結論から言えば、共感はなかなかできない。
しかし、ズーと呼ばれる人たちの印象はがらりと変わる。そして既存の価値観が揺るがされる。
彼らは生きとし生けるものに対し、人間と同じように性も含めて受け止める人たちなのだ。
人間は性愛について、さまざまな言葉を使って、意味を与えようとしているが、それは支配と被支配の関係を生んでいないか。多様な性への理解が進みつつある時代に人と動物を分けることをどう考えるのか・・・等々。
既存の常識の枠組みから抜け出すのは、なかなか難しいが、互いに命を持つ「相手」を尊重する、ということについて、思考を促す作品であることは間違いない。
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読む前は動物との性愛というイメージから嫌悪感を抱いていたが、読んでみると想像していた嫌悪感は感じられなかった。そもそも、「動物性愛」と「獣姦」が似て非なるものだと知らなかったからだ。
「動物に対して感情的な愛着を持つ」というのはわかるが、「性的な欲望を抱く性愛」とは理解しにくいところだ。しかし、人間に対してであれ、動物に対してであれ、愛するという行為は人それぞれだ。
動物性愛者の存在、そして動物にも性があるということへの理解を通して、自分自身の視野が広がったような気がする。だから、読書は面白い。
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知らなかった世界を垣間見る。
構成が平易でわかりやすい。著者とともに、考えていく過程を辿っているかのように感じた。
人とは、人間とは何かを改めて考えることになる。人と動物の関係だけでなく、社会の在り方そのものへの、問題提起。
著者の取材にも脱帽。ドイツのセクシュアリティ状況も、日本からは考えられない。
犬を連れている人を見ると、少し考えてしまう。
しかし人間は裏切るが、動物は裏切り らない。友情は理解することであり、理解されること。動物にもパーソナリティがあり、それを発見することが愛なのか。
ホロコーストの対極の動物愛護のナチス、価値観だけでは計り知れないセクシュアリティは、今後も深く考えていく必要がある。想像以上に刺激を受けた作品。
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オトラジきっかけ。ややミーハーな気持ちで手に取ったけど、好奇心を凌駕する未知の世界をみせつけられ、途中からはもうとても丁寧に読んだ。著者さんの切実な研究・執筆動機。動物との恋愛、性愛、マイノリティ、カミングアウト、自分らしく生きること、自分に嘘をつかないこと、動物は嘘をつかない、犬の方が人間を誘ってくる、恋愛なんて本人たちにしかわかりません。動物虐待? DVは被害者にも落ち度があったのか。愛、関係性、言葉に置き換えていくとわからなくなることがたくさんあって、言葉で誤魔化されているものがたくさんあって、絶対わたしは真実にたどりつきたい、わたしはわたしの目でわたしを肯定する現実を得たい、生きたい。そんな著者の切実が、それでもまったく湿っぽくない淡々とした文章で書かれていました。一度読んだだけではわからないけど、一度読んだら世界変わる。玉書。
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すげぇ本です。このテーマで本にしたところがすげぇ。性虐待をテーマにしているのかと思いきや、読み進めると、虐待は性の一つの姿で、性(ジェンダー)そのものをテーマにしている。し、考察が深い。動物愛という超超少数派を対象を仔細に観察することで、ジェンダー全体に思慮が及ぶというスキームが素晴らしい。
動物愛をヘンタイとして差別視することを否定も肯定もしておらず、(公平な考察のため、友好的なインタビュー関係を築くため、動物愛を肯定発言するシーンは多いが、それに影響うけることなく、冷静な視点が続く。と同時に、否定もせず、筆者自身が受けて来た性虐待と動物愛はどちらが醜悪か比較するシーンもあり、さらに性虐待すら悪いと言ってない節すらある。)最後まで読み進めると、動物愛がヘンタイか差別対象か醜悪か、などの議論が、もはや「どうでもよくなる」という不思議。その境地に至って初めて触れることのできる「性(ジェンダー)」の真理がある気がする。、、、って、気にさせてくれる。。。
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ここ数年でいちばん面白く、刺激的な本でした。
2〜3ページおきに目から鱗が落ち続け、この3日でデスク周辺に鱗の山ができた気がします。生まれ変わったように、視界が開けた。
濱野氏の冷静で穏やかな取材は、言葉を引き出すに止まらない深い観察眼を得て、この研究に辛く苦しい動機を持つ彼女にしか到達できない知の淵に我々を泳ぎ着かせてくれます。
すべてのセクシャリティ問題に、社会的マイノリティ問題に、性役割問題に、アンコンシャスバイアス問題に、これまで考えたこともなかった、重大かつ本質的な視点があることに気付かされる内容でした。
衝撃的な内容ですが、とても平易な言葉で読みやすく、構成も見事で引き込まれます。
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以前に単行本で読んでいたので、文庫版あとがきと解説を読みました。ズー達のその後が知れて良かった。解説もわかりやすく、面白かった。
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人間の性愛、動物との関係性に関する自分の中の常識や思い込みに、まったく違う視点が与えられた気がします。
DV被害者である著者が、犬や馬をパートナーとする、いわゆる動物性愛者へのインタビューを通じ、人間の性愛や暴力性について思索していくノンフィクション作品です。
動物性愛という言葉自体は初耳でしたが、世の中にはいろいろな性があるから、動物に性的興奮を覚える人もいるのだろうな、ということはなんとなく考えていました。
一方で獣姦という言葉や行為も自分は知っていて、そうした人たちと、その行為を半ば無意識的に自分の中で結びつけて、そうした人を一種の性的倒錯者のように思っていたところも、今思うとあったように思います。
実際に読んでみると、動物性愛者の人たちは決して異常な人ではない。LGBTの人たちが自身の性自認に悩んだように、彼らも自身の性自認に悩み、パートナーに対しても、決して性的快楽を得るための道具として扱うのではなく、人間のパートナーと変わらない愛情や慈しみを注ぐ。
その姿は人間そのものだと思うし、著者自身も思うようにある意味では人間の関係性以上にロマンチック、あるいはイノセンスなものを感じさせる気もします。
実際に読んでいると、自分たちは動物と性というものを切り離して考えていることにも気づかされます。日本ではペットの去勢は普通のこととして受け取られているものの、それは倫理的に正しいのか。動物であるパートナーの性を考えている彼らの方が、ある意味では動物愛護の姿勢としては正しいのではないか。
社会の常識、自分の中の概念が、そんなふうに揺らぐことが読んでいるうちに何度もあったように思います。
性的志向や関係性は暴力や支配とも結びつきます。著者が取材した動物性愛者の団体「ズー」はドイツにありますが、ドイツでも動物とのセックスは動物愛護法と人々の自由や権利との間で揺れ動いています。もちろん動物性愛者に対しての視点は社会的にも厳しいのが現状。
動物たちは本当に人間との性的関係を望んでいるのか? そこには全く暴力的なものも、支配の感覚もないのか?
個人的にズーの人たちの言い分は説得力あるものもあるし、同意できないものもあります。ただ著者はそこで思考停止するのではなくさらに思索を深め、人間が持つ性に対する偽善的な部分や、支配・被支配、力関係、暴力性に焦点をあてていきます。
著者自身の体験によるものもあると思うけど、その思考があるからこそ、この本は下世話な表層的な部分で終わるのではなく、人間の本質の部分に触れるような作品になったように思います。
正直最初は、自分も下世話な好奇心からこの本を手に取ったところがあります。それでも読み進めていくうちに、この本が問いかけたかったものが心の中に降りてきて、否が応でも考えさせられたように感じます。
第17回開高健ノンフィクション賞
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動物性愛者をめぐるノンフィクション。著者の体験からセックスのことを理解したい、という強いおっもいがあり、ただのびっくりノンフィクションとは全然違う、切実な内容。
対等、ってなんだろうなあ。愛がないとセックスってしちゃいけないのかな。etc...
「タブー」とされることに切り込むのがノンフィクションの意義である。必読。
ペットの去勢も、これまでは動物の健康上の理由から当然のことと思っていたが、これを読むとまた考えてしまうな。
投稿元:
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動物に愛着、ときに性的欲望を抱く「動物性愛」をテーマにした本書。
動物性愛擁護団体「ゼータ」のメンバー中心に、動物性愛者、通称「ズー」に密着したノンフィクション。
まず私も勘違いしていたことだが、「獣姦」と「動物性愛」は似て非なるものだ。
獣姦は動物とのセックスそのものを指し、そこに愛があるかどうかは全く関係がない。そのため、ときに動物への暴力行為をも含むとされる。
一方で動物性愛は、心理的な愛着が動物に対してあるかどうかが焦点となり、決して動物に危害は加えない。
ズーは動物ならなんでもいいわけではない。
ズーは自分の愛する特定の動物の個体を「パートナー」とし、パートナーはズーひとりにつき一頭の場合が多い。なぜならばその一頭だけがそのズーにとって特別な存在だからだ。
ズーはパートナーである動物にパーソナリティを見出し、自分との対等な関係性を愛する。
動物性愛を紐解く鍵は対等性にある。
対等性とは、相手の生命やそこに含まれるすべての側面を自分と同じように尊重することだ。
動物性愛を語るときにしばしば話題にあがる小児性愛。
人々がこの二つを並べがちなのは、「人間と動物」、「大人と子ども」という違いはあれど、いずれも「対等ではない関係」という認識があるからだろう。
動物は言葉を話せず、小児も小さければ小さいほど言葉を操れない。
日本でも飼い犬を我が子のように扱う「犬の子ども視」は一般的だ。
一方、ズーは成犬を「成熟した存在」として捉え、対等に扱う。
ズーは小児性愛を「性的な目覚めがない相手に性的行為を強いる間違った許せないもの」として嫌悪し、動物性愛を「成熟した動物には性的な欲望とその実行力があり、人間の大人と対等である」と正当性を主張する。
ズーは「パートナーとの対等性」を重視するためパートナーにセックスは強要しない。
セックスのための性的なトレーニングも行わない。
セックスするときはパートナーが誘ってきたときだけだ。
そのためズーの中にはパートナーとのセックスを一度も経験したことがない人も多くいる。
この「犬などの動物が誘ってくる」ということが私には理解できなかった。
ズーのいう犬の性欲は、犬がごはんを食べたがるのと同じくらいわかりやすいそうだ。
自分も犬を飼った経験から犬には発情期があるので性欲が存在することは理解できる。
でも、その性欲の対象が人間に向くことはあるのだろうか。
あったとしてもそれはその犬が人間社会の中で生きているため、他の犬とセックスする機会を持てないから人間に向いただけなのでは、という疑問が残る。
ズーのなかにも、色々な違いがある。
まず、性的対象となる動物の種類。
犬をパートナーとする人が圧倒的に多く、次いで馬が多い。
猫は人間との体格差が大きく、かつ性器も小さいのでセックスが成り立たず、パートナーとする人はいない。
ズーは動物を愛し、危害を加えない。
だから動物のサイズの問題は大きく、猫にとどまらず小型の動物はパートナーとはならないのだ。
次に、性的対象となる動物の性別。
自身が男性で、パートナーがオスの場合は「ズー・ゲイ」、自身が女性で、パートナーがメスの場合は「ズー・レズビアン」、パートナーの性別を問わない場合は「ズー・バイセクシャル」、自身とは異なる性別を好む場合は「ズー・ヘテロ」となる。
また、パートナーとのセックスでの立場が受け身の場合は「パッシブ・パート」、その逆を「アクティブ・パート」という。
つまり、ズー・ゲイの男性がオスのパートナーとセックスときは動物のペニスを自身の肛門に受け入れる方法をとる。
このとき自分のペニスを動物に挿入することはない。
その次に、自身がズーであると自覚したなり立ち。
ズーたちの大多数は、生まれながらの動物性愛者だそうだ。
しかし、自ら考え抜いて「ズーになることを選んだ」人もいる。
彼らはすべての時間と経験をパートナーと共有することでまるごと向き合い、共に生きるための新たな生き方としてズーになることを選んだという。
ズーは自分たち動物性愛者のことをラグジュアリーだと考える。
なぜならばパートナーの一生を、最初から最後まで受け止めることができるからだ。
動物をパートナーとする以上、どうしても人間との寿命の違いの問題がつきまとう。
最愛のパートナーを看取ることは辛く悲しいことではあるが、そのズーの考え方は素敵だなと思った。
動物性愛は、ある人にとっては犯罪に等しい行為であり、ある人にとっては人間と動物の境界を再考させる行為とされる。
私はこの二つの間で揺れ動いているが、この本を読むことで後者の考え方を知ることができてよかったなと感じる。
ぜひたくさんの人に、この本を読んでもらいたい。
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理解出来たかと読み終わってかなり考えてしまいました。差別はしないし、批判もしないけれど…本当の意味で理解は出来ていないのだと思います。日本だから攻撃とか酷い批判が無かったのではないか、と考えました。アロマンティック・アセクシャルがドラマのネタになるくらいなのでこの本も理解はされづらくはあっても批判は来ないのかもしれません。
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全て理解は出来ないが、今までの自分の世界にはない考えに触れられた
新聞の読書欄で知ったが万人にすすめられるかというとそうではないような……
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こんな愛もあるのかと衝撃だった。私も最初の頃の筆者同様、ゼータの人々に対して偏見や多少の緊張を持ちながら読んでいたが、動物へ無理やりという訳では無く安心してしまった。固い内容かと思ったがどんどん続きが気になって読み進めてしまった。
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たしかTwitterでおすすめのような形で気になっており、たまたま書店で見つけたので一読。
今まで「動物性愛」について考えてきたことはなかった中で、日常生活でも溢れるペットの性欲の視点は今までになかった。
動物との対等な関係性を考えることは自分自身の他者へ関係の仕方を改めて考えるトリガーになりました。
すぐには答えが出ないし、考え続けるべきものであることは間違えない。
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ノンフィクションライターで、人類学のセクシュアリティ研究者、濱野ちひろによる、彼女の修士論文を土台としたノンフィクション。ズーフィリアのある団体に所属する人たちを中心に行った人類学的調査の記録。ズーフィリアの人たち(本書では、「ズー」と略される。本稿でも以降、ズー。)は、日本語で動物性愛者といい、一般的には異性愛や同性愛のように、動物への性的な興奮を覚える人のこと。本書では、一般的に「異常」「動物虐待」と捉えられかねない動物性愛のイメージに反して、聖人のように厳格な倫理のもとで動物を愛するズーの人たちを描いている。これを読むことで、ズーといわゆる獣姦と何が違うのかがわかる。また、全体を通してズーではない人間が社会をどう規定しているか、パーソナリティとは何なのか、愛とは、と多くのことについて自分の常識が狭い枠組みにとらわれていたことに気づかされる。