快適な人生とは?
2019/07/22 22:18
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
内田樹さんの著作が好きなので読んでみました。
普通の医者では見離された膝の故障を奇跡のように治療してくれた方から繋がる「縁」の連鎖。
ただ、他の内田さんの本にくらべ、今ひとつ(変な日本語かもしれませんが)”腑に落ちる”感じが少ない一冊でした。
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投稿者:ら君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
目の前にやってきた事を素直に捕まえていくことが、生きることなのだ。
捕まえて生きてきた偉人、天才、奇人の対談。
一読の価値あり。
…ただ、捕まえることは、誰にでもできるのだろうか。
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取り越し苦労は傲慢である
みんなが気持ちよければ自分も気持ちいい
反省してはいけない、自分を否定することになる
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おもしろかった。三軸自在、というのは残念ながら分からなかったが。一番いいタイミングでくるんだから向こうからやってくるまで待っとけ、というのはなるほどと思った。
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哲学者と治療家との対談。
ふたりは出会うべくして出会い、施術を受ける者として、施術を施す(日本語が変ですみません)者として向き合い、その考え方と成果を共有し、信頼しあった間柄。
様々な方向に話が進んでいく対談であるため、何が書いてあったのかをまとめるのが私には難しいです。身体を通じて感じることの大切さ、考えることではなく感じることの大切さを言われているのでは?と、今思っています。
「○○でなくてはならない」より「△△でもいい」、「□□したらいい」という考え方が多かったように思います。そのため、読了後、少し肩の力が抜けたような気がします。
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身体の機能 は驚くべき巧妙さだが、頭はそれをわかっていない。
術の稽古は身体の中にある動きを出せる装置を作り上げてゆくプロセス。
自分の体をいかに細分化できるか。
力でグイグイ引っ張っていくような人は、その技の終わりのイメージがない。
不安を持っている人が他の人の嫌がることをする。
選択肢が増えると、ヒット率は落ちる。知識が増えるとできることが増える、というのは幻想。
悩みと問題は別。
目の前にあるものの価値を構成しているのは、将来それを失う時の喪失感。
完全なコミュニケーションはありえないと心得る。
武道では次の動きの選択肢がもっとも多いことが正しい位置。
右回りは体を解放する動き。
合気道では「同化的に体を使う」。自分の状態が即相手に伝わる。それで技をかければ、自他が一体になっているので、かかる。
身体に気持ちが向くと話が聞ける。一体感がでる。
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身体と哲学。私たちは祖先が創り出した最新ヴァージョンという言葉が印象的。
私たちは両親から生まれ、その両親もふた親から生まれ、と一代、二代と遡っていくと膨大な数の祖先が現れてきます。十代遡れば1024人、二十代遡れば52万4288人。わずか二十代を遡っただけで50万人を超え、二十一代では百万人をはるかに超える祖先が居たことになります。
もう、今生きているだけど奇跡。アレコレ頭で考えなくても身体がよりよい方向に導いてくれる。複雑に考えるのをいったん手放してみてもいいのかもしれません。
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部分部分にひらめきを誘発するようなとてもよい言葉があるんだけど、歳を重ねるにつれてどうしてもこのような物言いになってきてしまうのだなと感じられる部分が多くなる。レペティションと決めつけによる未来への悲観論。それは、同世代に向けてはエネルギーとなることもあるのだけれど、新しい世代に向けては有効性をもたないというようなことなのかもしれない。アンチロールモデルとして。
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以下引用
ありとあらゆる場面で自分らしさを貫徹するというのは、場の特殊性というファクターを勘定にいれていないということ
今のこって、話題が少ないんです。それぞれある種のジャンルについては詳しいけれど、別のことには全然知らない。自分の知らない話題について適切な質問をして、その質疑応答で盛り上がるというのは、高度なコミュニケーションだけど、それができない。
私はこれが好きで終わり、だから論争にならない。良い悪いを言い出すと論争になる。それが大事
赤ちゃんを育ててゐるときに、おむつを替えてあげたりとか、ミルクを飲ませてあげたりすると、気持ちがいいわけです。それがこちらに伝わってきますでしょう。
何か社会的に立派なことを成し遂げてそれによって承認されるというルールのゲームじゃないんですから。自分自身はすでに承認されているわけだから、あとは暇だから何かやろうかなというくらいいのこと。
こどもの時にすごく親に愛された人というのは、孤立することが恐くないんですよね。百人中九十九人があっちに行っても、あ、そうなの、って、平気で行けちゃう。
承認された経験の乏しい人は、他者の承認がないと立つゆかないから、絶えず周りの顔色を窺ってしまう。
そういう価値観のものと評価されている生き方なわけです、何か基準がないと、自分自身がなんだかよくわからない。人から評価されないと安心感が得られない。安心ってそういうものではないと思うんですが
努力と承認が釣り合わない場面に巣遇すると、混乱しちゃって、どうしていいかわからないくなってしまう。
愛されてきた子どもは、仮に努力が承認と結びつかないような理不尽なことがあっても、「あれ、おかしいな。このメカニズム。故障してるぞ」って思うだけで、「変なの」と思って、そのまますたすた歩き去ったり、別のメカニズムを探しに行ったり、自分で新しいメカニズムをつくったりする
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『身体の言い分』(著:内田樹/池上六郎)
付箋部分を抜粋します
・出会うべき人とは必ず出会う。ほんとうにそうなんです(p7)
・ご縁が必ずみなさんを「いるべきとき」に「いるべきところ」に導いて、「なすべきこと」をさせてくれます。みなさまの
仕事は「ご縁」が接近してきたときに、それを感知し損なわないこと、それだけです(p8)
・みなさまも「不思議な仕事の依頼」を受けたら、とりあえず「はい」と即答することをお勧めします。そこからおひとり
おひとりのご縁のつながりが始まります(p10)
・人の体の機能って驚くほど巧妙にできているのに、残念ながら頭というか脳のほうが、その機能のよさをわかっていなくてね(笑)
だからみなさん、難しく考えすぎてしまうんです。もっと自分自身の生命力をリスペクトすれば、体は本来の機能を発揮して
くれるんです(p67)
・どんなに理路整然とした話でも、どんなに辻褄が合っていても、次のフレーズが読めない場合は「腑に落ちない」んです。
「腑に落ちる」という時は、やっぱり「腑」が待っているんですよ。場所を空けて。その待っているところにすとんと落ちるから
「なるほど」となるわけで(p84)
・「内田くん、強く念じたことは必ず実現するよ」(p85)
・「私ってなんてハッピーなんだ」っていう経験のない人というのはね、ぼくね、申し訳ないけれど人生展望ないと
思うんですよね(p151)
・いやなことをやっているというのは罪悪ですよね、一種の(p159)
・どう生きるかといのは、自分で決める。で、決めたら、やる仕事というのは向こうからやって来るんです(p160)
・仕事って「これ、やってくれる?」ってあっちから来るもので、「これ、やらせてください」って自分から言うものじゃ
ないと思うんですよ。本来は(p162)
・他の人はいったい自分に何を求めているのか、自分はこの社会でどんな仕事ができるのかということをいつも考えている人の
前には自然にドアが開くし、梯子も下りてくる。どんなことをやったらみんなに喜んでもらえるのか、自分の個性や力量は
どんなかたちでみんなの役に立つのかということをある程度集中的に考えていかないと、そういうことは起きないんです(p163)
・何かを勉強すると、その仕事が用意されているというような、変な幻想をみんなもっているんですよね(p167)
・祖先から何万年も、なんだか知らないけど一代も途切れないで今ここにいる、というすごさを感じればいいのにね(p172)
・自己評価の不当な低さと、自分は人生を選べると思っている選択能力の過大評価は、たぶん裏表になっているんですよね(p177)
・「未来は未知だ」と思っていないことなんですよね。未来のことはわかっていると思っている(p182)
・死に関して確実に言える重要なことって「人間は必ず死ぬ」ということではなくて「人間はいつ死ぬかわからない���ということ(p184)
・病気になったって、使えるリソースを全部使わないと生き延びられないという状況に放り込まれると、生命力が高まるわけですよ。
明日も明後日も、どうなるかだいたいわかっているという前提だったら、人間パフォーマンスは下がって当然なんです。人間としての
能力が、何が起こるかわかっている状況で開発されるわけがないんですよ(p185)
・「七戒」というのがあって、それは「怒るな、恐れるな、悲しむな、憎むな、妬むな、悪口を言うな(言われても言い返すな)
取り越し苦労をするな」というんです(p187)
・今日、明日のことを心配しているきみと、明日のきみは別人であるという自明のことがわからないんです(p190)
・新聞の広告は人の欲をかきたてるものだから、それにつられて動く人々のようすが見えてきて、おもしろいんです。新しいものを
追いかけるということは一切しなくても、自分にとって必要なものは全部、向こうからやって来るものですから(p196)
・向こうからやって来るのが、いちばんいいタイミングで来るわけでしょう。準備ができている時に来るんだから、こんなにいい
ことはないと思うんですけどね。やって来ると思っていたら、たぶん不安も起きない(p202)
・いくつのかのファクターの中で、最大のパフォーマンスがどうやったら出るのかな、と考えればいいわけで(p220)
・努力して、我慢して、不愉快な思いに耐えて、その結果、周りの人に嫌われる人間てすごく多い。そんなことしてもだれも幸福に
ならないんだから、自分の中に生物学的に備わっている快不快の感受性を、もっと信じていいと思ううんです。気持ちのよいことを
しっかり追求していると、人間としてそんなに大きく間違うことってないですよ(p242)
・計らわなくても、そういう時期がやってくる。ただそのライト・タイムの時にね「ああそうだ」と思うことがでいないとだめですね。
今興味のあることをやっていたら、昨日より今日、今日より明日のほうが、気づくことが増えてくる。その気づいたことの棚の数が
多くなると、リンクを張れるに違いない。一挙に機能するんですね。ただ、体験とか知識とかがなければ、リンクも張れない
でしょうけど(p246)
・生まれてから今までの経験全部、すべてをフル活用して「知識」に繰り込んで使い切るから無駄がないだけなんです(p248)
・失敗から学ぶということと、反省とは違うことですよね。失敗から学ぶということは愉快なことなんです、非常に(p257)
・自分が恰好よくない人生って、すごくつまらないような気がするんです(p259)
・人生の目的というものは自分勝手に決めるもので、それを実現させることが自己実現だなんて思っているのはつまらない人生
ですよね。何かに出会ったら、そのベクトルを合成して無理なく生きる。そうしたら、おもしろいことが次から次へと
やって来るんだから。人生の醍醐味ってそういうものだと思います(p271)
・次の動きについての選��肢がいちばん多い状態、いちばん自由度が高い状態が、正しい位置なんです。どういう方向にも動ける
どういう動線も選択できるという開放状態にあると、いくつかある選択肢の中に最適解が含まれている(p292)
・人に話を聞いてもらおうと思ったら、自分の体をモニターするように仕向ければいいんです(p302)
・モノと自分の間で交流が起きている。そういうものをキャッチする能力があるかどうか(p312)
・ふっと思うは神の心、あれこれ思うは人の心、という言葉があると聞いています。あまり計らずに、ふっと思う時と所を得ますと
潜在していた陰の可能性「お蔭さま」が、ご縁という形で顕れ向こうからやってきます(p324)
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豊かに生きるということはどういうことかを考えた一冊。真剣に何かに取り組んでいれば、自ずからつながるべき人につながって、豊かな人生を築いていけるのではないかと思いました。
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元気が出た。
いろいろ抜き出したい所が多過ぎて。
目次から小見出しをいくつか抜き出す。
今の自分を肯定する
チャンスはやってくるもの
未来はわからないからおもしろい
取り越し苦労は傲慢である
元気は自分で決める
なるべくしてなる
現実から出発しよう
1カ所だけ抜書きするとしたら
"池上 (略)船の用語で目的地をデスティネイションというんですが、途中で嵐に遭ったり海賊や戦争に出くわすと、否が応でも目的地を変えなくてはいけません。それがディスティニーなんだ、といつか聞いたような気がするんです。人生の目的というものは自分勝手に決めるもので、それを自己実現だなんて思っているのはつまらない人生ですよね。何かに出合ったら、そのベクトルを合成して無理なく生きる。そうしたら、おもしろいことが次から次へとやって来るんだから。人生の醍醐味ってそういうものだと思います。" 270ページ
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哲学者で武道家の内田樹と、「三軸修正法」という治療法の提唱者である池上六朗の対談です。
「文庫版のためのまえがき」で内田が、二人の著者たちの出会いが不思議な「ご縁」にみちびかれたものだったということを語っていますが、本編でも身体知にもとづく共感の重要性が指摘されるとともに、そうした原初的なコミュニケーションの回路がうしなわれてしまっている現代の状況に対する批判が展開されています。
内田の身体論・武道論にかんする本はこれまで何冊か読んだことがあるのですが、もはや言説のレヴェルで説得を試みることを放棄してしまっているように感じられて、どうしてもついていけないと感じてしまいます。フランス現代思想に造詣の深い著者なので、「知」に対する批判もそうした文脈で読んでしまうのは、こちらの悪い癖なのかもしれませんが、近代的な「知」のありかたに対する批判から、「身体」や「自然」へと一気に飛躍してしまう著者の身振りそのものも、著者自身の意図を離れて「反復」されるものであり、そうした問題への警戒心のなさが気になってしかたがありません。
もっとも著者は、言説のレヴェルでの「差異」と「反復」といった問題にはもはや興味がなく、それこそ身体を通して「わかるひとにはわかる」真理を語っているつもりなのかもしれません。
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今月3冊目
★★★
いや、深いです。池上先生達は野口先生に近い感じかな。
治療家というか哲学、人格者というか、どこまでも考えてるんだなと。
治療家でなくてもなにしてもやってけそうな頭脳。
ちなみに池上先生の息子さんは知り合い
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帯表
チャンスはつかむものではない。
やってくるものである。
世界が変わる。
生き方が変わる。
人気哲学者と革命的治療家がくりひろげる、神秘にみちたカラダの話。
発見と驚きの〈身体論〉異色のロングセラー待望の文庫化!
帯背
正しい時、正しい場所に、正しい仕方で
帯裏
自分はいったいこの世界にどんな「ミッション」を託されて送り出されたのかとふと考えることがあるとしたら、頭を悩ませる必要はありません。
ご縁に導かれて進めばいいのです。
ご縁が必ずみなさんを「いるべきとき」に「いるべきところ」に導いて、「なすべきこと」をさせてくれます。
みなさんの仕事は「ご縁」が接近してきたときに、それを感知して損なわないこと、それだけです。
ー本分より
本書は二〇〇五年七月に毎日新聞社より刊行されました。
「身体の言い分」文庫版のためのまえがき
第七章 文庫版ボーナス・トラック対談
正しい位置はどこですか?
文庫版のためのあとがき