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2022年史上一番読み応えがあって面白かった本。
甲子園が割れた日など甲子園を題材にしたノンフィクションで有名な中村計による本ということで期待していたが予想に違わない面白さでした。
笑い飯を中心に、2001年の第一回から2011年までの第10回までを取り扱ってます。
これみると、昔のM-1、特に笑い飯のネタを見たくなる。
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<目次>
略
<内容>
「週刊文春」連載の記事を加筆、修正したもの。最近のお笑い界を、M-1と”笑い飯”を縦軸に、2000年代から描いていったもの。お笑い芸人の「漫才」に対する姿勢がしっかりと読み取れて面白い。その姿勢とは「必死」「真面目」。表現の仕方は様々だが、関西のお笑いに対する姿勢の熱さ(これは、芸人だけでなくマスコミも)をわかる。この話芸は、すばらしい。
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非常に良質なノンフィクション。
M-1とは、笑いとは、漫才とはなんなのかを、笑い飯を軸に追う。
その時の空気感が鼻先で蘇るような活写。行くと肌で感じる、大阪の文化の違いとディープさに浸りながら、それを言葉で、文章で表していることの快感と凄さに舌を巻く。
時間軸が行ったり来たりなのと、話が前後するのが、仕方ないこととは言えやや読みにくさ・理解に時間がかかることに繋がっている。惜しい。
漫才師たちがいかに熱く、粘っこく、そして複雑な想いでM-1に対峙しているか。有期限という意味でも、M-1は学生スポーツに近いのだと思う。だからドラマが生まれるし、美しいと思う。
スリムクラブの項では涙が出た。
読みながら、過去のM-1が観たくなってNetflixで見返した。笑い飯『奈良県立歴史民族博物館』で腹を抱え、麒麟の進化に目を見張りながらげらげら笑い、フットボールアワー『SMタクシー』とアンタッチャブル『結婚の挨拶』では4分が一瞬で、南海キャンディーズの衝撃に「そうそう、そうだった!」と涙が出るほど笑った。
2015年に復活して以降のM-1にはあまり触れられていないが、それは笑い飯を軸に据えたがため致し方ない。
筆者の取材力と筆力で、2015年以降のM-1の物語も読んでみたい。
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【感想】
本書を読み終わったあとに、あらためて笑い飯の漫才を見直してみた。奈良県立歴史民俗博物館、機関車トーマス、鳥人……。久しぶりに見ても、まだまだ面白い。ワードチョイスのキレ、動きのコミカルさ、畳みかけるようなボケとツッコミの応酬に、笑いすぎて頬が痛くなってしまった。
笑い飯の特徴はやはり「ダブルボケシステム」にあるのだが、笑い飯以外の芸人は決して取り入れようとしない。正確に言えば、笑い飯を真似しようと試みた芸人は当時何人かいたらしいのが、いずれも完成度が低くて続かなかったのだという。
千鳥の大悟は、「今でも哲夫さんにおもろないと言われるのが、いっちゃん怖いですから」とこぼす。元アジアンの馬場園は、まだ笑い飯が無名だった頃から「この人らが売れんかったら、誰が売れんねん」と思っていたという。
笑いの開拓者、唯一無二の存在。それが「笑い飯」であった。
本書は、M-1に命を賭けた芸人たちのヒストリーを追ったノンフィクションである。筆者は「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」をナイツの塙さんと一緒に製作した中村計さん。「言い訳」がM-1の戦術本であるならば、こちらはM-1のドキュメンタリー本だ。第一回大会の2001年から休止するまでの2010年に的を絞り、M-1という大舞台に人生を捧げた芸人たちの生きざまを、本人たちへのインタビューを交えながら丁寧にまとめている。
本書は「M-1本」であるが、中身の大部分は「笑い飯」の話である。何故かと言えば、2002年から2010年まで、9年連続でM-1の決勝ラウンドに進出しており、休止前の最後の大会で悲願の初優勝を果たした「M-1の申し子」だからだ。M-1の歴史を追うことは、必然的に笑い飯の歴史を追うことにつながってくる。
実は、笑い飯はコンビ仲が良くない。M-1優勝前こそ協力して活動していたものの、優勝後はネタ合わせ以外全く口を利かないという。そのネタ合わせ中も常に殺伐としており、哲夫が考えるネタに対して西田が素っ気なくリアクションするばかりだ。そんなピリピリする空気が明け方まで続き、何も収穫を得られずに解散、というのが当たり前らしい。西田がぼんやりと興味を示したときに初めて「アタリ」が来る。そこからまた夜遅くまで頭をひねり、打合せ室から笑いが漏れてやっと形になるという。
二人は決して歩み寄らない。非効率、非合理、非論理。それが笑い飯のネタ作りだ。
本書にはこうした「哲夫と西田の我の強さ」がたくさん語られる。かつてのbaseよしもとでは、「面白くない奴は死」と言わんばかりに殺伐としていたという。プライベートではずっと笑かし合いで、席を立ったら必ず面白いことをやって戻らなければならない。笑いのためなら恥も下半身もさらけ出すのは当たり前で、それについて来られなかった芸人はお笑い界から去っていく。そんな弱肉強食の環境で笑い飯の二人はどちらも「相方より俺のほうが面白い」と思っていたのだから、自然と「オレがオレが」の空気になってしまうわけだ。
そもそも、笑い飯の代名詞とも言える「ダブルボケ」自体が、相手がウケているのが我慢できないがゆえの発明だった。相手のボケでウケると、我慢できない���俺の方がもっとおもしろい。だからお互いが公平にボケられるダブルボケが作られたのだという。
漫才とは結局、「ケンカ」なのだ。コンビ内でのボケとツッコミ然り、他の芸人とのぶつかり合い然り。芸人は生き残るために、「俺のほうが面白い」という意識を心の中に持たざるを得ない。そしてそのボルテージが最高潮に高まるのが、M-1決勝の舞台だった。最高峰の舞台に立つため、芸人は何日も寝ないでネタを考えて、何百回も練習してくる。それを否定され、誰も笑ってくれないという地獄を経験し、それでもまたM-1に挑み続ける。
――M-1は、残酷なまでに光と影を対比させる。光をより輝かせるために。影をより深くするために。(略)芸人にとって、M-1は出たい大会でも、出なきゃならない大会でもなかった。出ざるを得ないのだ。栄光が発する光量あまりの眩しさに、引き寄せられずにはいられないのだった。
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本書はお笑い好きのみならず、「お笑いなんてM-1でしか見ないよ」という人にも是非オススメの一冊だ。主役は笑い飯だが、千鳥、ブラマヨ、キングコング、チュートリアル、ノンスタイルなど、かつての王者たちが直に当時の様子を語ってくれるのは大変貴重だ。
個人的には、M-1生き残りのための「新スタイル」の模索が非常に面白かった。ダウンタウン松本に「最低点」を突き付けられたチュートリアルの快進撃、笑い飯に「おもろないやつ」認定をされたノンスタイルのモデルチェンジなど、M-1を勝ち上がるためにはここまでやらなければならないのかと思い知らされることがいっぱいだった。
再開後の2015年以降、王道の「しゃべくり漫才」「コント漫才」とは一線を画す亜流たちが認められるようになったのも、M-1が「新スタイル」を受け入れ続けてきたからである。そして、その源流には「ダブルボケ」という新スタイルを生み出した笑い飯がいる。そうした「漫才手法」の変遷を辿ることが出来るのも、本書の面白さの一つだろう。
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【まとめ】
0 まえがき
筆者がM-1を取材する中で、関西で青春時代を過ごした芸人の口から、何度も聞いた言葉があった。「M-1で勝つよりも、笑い飯に認めて欲しかった」
2000年にコンビを結成した笑い飯は、2002年から2010年まで、9年連続でM-1の決勝ラウンドに進出している。「容赦ない」と言われるM-1予選の選考において、空前絶後の記録である。そして、出場資格の関係で最後の挑戦となった2010年に悲願の優勝を遂げた。M-1の最初の十年は笑い飯の歴史でもあった、そう言われるゆえんである。
元アジアンの馬場園は、まだ笑い飯が無名だった頃から「この人らが売れんかったら、誰が売れんねん」と思っていたという。
千鳥の大悟は、「今でも哲夫さんにおもろないと言われるのが、いっちゃん怖いですから」とこぼす。
桁違いの狂人、笑いの神。それが「笑い飯」であった。
1 笑い飯のネタ作り
笑い飯のネタは、大まかな設定をまずは哲夫が考える。それに対し、西田が興味を示すか否かが最初にして最大の関門だった。
哲夫は不服そうに話す。「ぼんやりとした材料を��くつか用意していって、相方に提案するんですよ。前向きなときは 『しゃべってみるか」ってなる。ノーリアクションやったら、ややイエス。ノーやったら、はっきりノーって言うんで。『ようわからんな 』とか。西田君みたいなタイプは会議で、いちばん嫌なヤツです。案はないけど、否定だけはめっちゃする」
二人は決して歩み寄らない。非効率、非合理、非論理。それが笑い飯のネタ作りだ。
ネタ作りが殺伐としてきたのには二つ原因がある。一つは、ネタが出てきそうなところはほぼ掘り尽くしてしまったこと。哲夫が考える設定の条件は「みんながわかって、で、誰も漫才に取り入れてないこと」だ。M-1で披露したネタでいうと『奈良県立歴史民俗博物館』や『きかんしゃトーマス』がそうだった。「哲夫基準」をクリアし、かつ新しく、かつ前年を上回るネタを絞り出すことは、毎年、カラカラに乾いた雑巾を絞るような感覚に近かった。
ネタ作りの空気が重くなった原因の二つ目は、互いの相手を思う温度の変化だった。コンビとして何度となく衝突し、こすれ合い、関係性が摩耗してしまった。
ネタ作りの大半を沈黙が支配し、明け方、何も収穫がないまま部屋を出るという光景は当たり前だった。
2 笑い飯と千鳥
大阪に出てきて、大悟と千鳥を結成したばかりのノブ。ノブはインディーズ当時を思い出してこう語る。
「哲夫さんと西田さんが言ってること、やってることは、ずっと、めちゃくちゃおもしろかったんです。すげえ、すげえ、って」。ノブ、大悟、西田、哲夫の四人でつるんでいた当時、ノブは西田と哲夫の二人に揉まれまくって、笑いを鍛えられた。
ノブ「最初の1、2年なんて、ずっとボケられてましたから。6時間も7時間もボケ続けられるのって 『どなたさんですか?』のときだけじゃないですから。あとは大喜利するか、ですね。バラエティ番組をみんなで見て、ケラケラ笑ってる時間なんてゼロですよ」
大悟がノブの話を受ける。「僕の部屋の壁、全面、大喜利の答えでしたもん。(周囲の壁面を指差しながら)ここも、ここも、ここも、全部、大喜利の答え。一晩中やって、おもしろかったんを哲夫さんと西田さんが勝手に貼ってくんです。だから、寝るときも変な言葉に囲まれてて、気持ち悪い部屋でした」
大悟「ノブのツッコミは特に、笑い飯の二人がいなかったらここまでにはなっていなかったでしょうね」
漫才の実力者たちのネタを聴いていて、いつも感嘆するのは、何十回、あるいは何百回とかけているだろうネタでも、鮮度を維持しているところだ。本当に初めて聞いたようなリアクションを自然にできる。いつ見ても表情が、言葉が、生き生きとしているのだ。
それに対して、M-1で早々に消えていくコンビは、やはりセリフの向こうに「台本」が見える。台本通りにしゃべっているだけで、表情やセリフに生気がない。
元魚群メンバーの仲尾健秀は、笑い飯の二人のタイプをこう比較する。
「西田さんはお笑いの天才。大喜利でスベってるの、見たことない。職人ですよ。哲夫さんは人間味の天才。だから下(ネタ)から上まで全部、できる。ようスべるんですけど、それがまたおもろい。そういうのも全部わかってて、やってる��ですけどね」
3 M-1の誕生
前代未聞、優勝賞金1000万円のお笑い大会。第一回大会の記者会見で、大会委員長の紳助は口角泡を飛ばし、「単なる漫才番組ではないです。命をかけた、格闘技」とぶった。
紳助は誇張したのではない。本質を暴いたのだ。
関西における「お笑い」とは、誤解を恐れずに言えば、ケンカである。あの時代、彼らの世界で「誰がいちばんおもろいか」を競うことは、「誰がいちばんケンカが強いか」を競うのとノリがそっくりだった。
おもろない芸人は、生きる価値すらない。それが漫才という格闘技の世界だ。
M-1は、それまで吉本が掲げていた「アイドル路線」に終止符を打ち、「実力至上主義」の漫才ブームを作ったきっかけとなった。
記念すべき最初のM-1決勝は、若手芸人にとって、何もかもが異例尽くしだった。
収録現場の東京・砧のレモンスタジオには、オンエアのおよそ5時間前に招集がかかった。通常の番組では考えられない念の入れようだった。入り口にはレッドカーペットが敷かれ、ロビーには一万円札を1000枚並べた透明の巨大なアクリルボードが掲げられている。楽屋で待機していると、そこへ審査員を務める島田紳助や松本人志ら生きる伝説たちが激励に訪れた。怒濤のごとく押し寄せる「非日常」に、芸人たちの平常心は少しずつ蝕まれていった。
第一回大会で決勝に進出したユウキロックはこう語っている。「大会というより、全国のゴールデンでネタをやるということの重責ですよね。そんなこと、20年近くなかったわけでしょう?ここで俺らがコケたら、この番組の道は閉ざされてしまう。だから重苦しい雰囲気でしたよ。会話があるわけでもなく」
かつて、M-1はあくまで通過点のはずだった。ところが、今や目的そのものになりつつある。漫才のメジャー化と競技化に拍車がかかり、本質から遠ざかっていってしまっている面も否めない。
ユウキロックの元相方、ケンドーコバヤシは、M-1によってお笑い界に急激な路線変更が行われたことに苛立ちを覚えている。
「漫才愛を語るヤツが増えた。おれ、法律がなかったら、そんなやつ、その場で顎カチ割ったろうと思いますもん。カッコ悪いことすんな、と。あいつらにはあいつらなりの矜持があるんやろうけど、俺には俺の矜持がある。そこは絶対、交わらんやろな」。ケンドーコバヤシは論をぶつ人間を嫌悪していた。
一方、第一回大会の王者、中川家の剛はM-1に感謝を述べている。「それまで漫才っていうのが、カッコ悪いみたいな風潮があったんですけどね。M-1が始まったことによって、漫才が、芸術品みたいに、ちゃんとみてくれるようになった。急に漫才し始めたコンビ多いですよ。今までコントしてたのに」
4 笑い飯、M-1の舞台で花開く
2002年のM-1で決勝に進出した笑い飯。奇想天外なネタで紳助、松本ら重鎮から高得点を獲得する。
紳助は首を傾げながらこう評した。「完成してないのが、僕は、変におもしろかったですね。はまってしまいましたね。風呂沸いたと思って入ったら沸いてへんみたいなね」
「完成」よりも「新しさ」。審査委員長自ら、M-1の審査基準を新しく規定したのだ。
M-1予選の名物MC、���りけ〜んずの前田登は笑い飯の功績をこう讃える。「笑い飯がいたから、マヂカルラブリーとか、ランジャタイとか、『あれは漫才か』と言われるようなコンビが今も勝ち残れるんやと思いますよ。笑い飯が既成概念を壊してくれたことで、M-1は、ああいう変わったスタイルでもきちんと評価する大会だというイメージが定着しましたから」
2002年の最終審査は新しさの笑い飯、完成度のフットボールアワー、王道のますだおかだが激突。ますだおかだが勝利を収めた。当時はまだ「誰がおもしろいかではなく、誰がふさわしいか」で決められていたフシがあった。松本は新しさ基準、紳助はプロデューサーという立場もあってやや王道基準に傾いたようだった。
笑い飯は、新しすぎたのだ。
倉本は言う。「ダウンタウン以前、ボケでもツッコミでも、両方でしっかり笑いが取れるコンビはいなかった。今は、千鳥がその道を正しく受け継いでいる気がしますね。ただ、笑い飯は今も継承者が現れていない。出てくれば、また、笑い飯の再評価につながるんでしょうけど。二人は今も唯一無二、孤高の存在ですね」
2003年のM-1、笑い飯は「奈良県立歴史民俗博物館」を披露し、会場を爆笑の渦に巻き込む。笑い飯の次番の2丁拳銃は完全に飲まれた。また、3つ後のフットボールアワー岩尾は、あまりのウケ方に体が固まっていたという。
最終審査に残ったのは笑い飯、フットボールアワー、アンタッチャブルの3組。結果はフットボールアワーの勝利だったが、4票対3票の激戦だった。
5 M-1を勝つためのスタイル
M-1には、漫才のスタイルによって有利不利がある。
M-1の歴史上、おぎやはぎがそうだったように、どんなにおもしろく、どんなにうまくても、「静」の漫才が評価されたことはほぼない。熱が伝わりにくいからだ。ブラマヨや笑い飯のような「ケンカ漫才」が有利なのだ。
第一回大会で松本に「50点」を突きつけられ、芸人人生のどん底に落とされたチュートリアル。彼らは05年のM-1でスタイルチェンジを図り復活した。「妄想漫才」の誕生だ。
徳井「僕らはプロなんで、めちゃくちゃお客さんにウケるネタをやろうと思ったらできるんですよ。でも、ウケるネタと、おもしろいネタって、違うんです。M-1はやっぱりおもしろくなきゃダメ。相手はプロの審査員ですから。なんで、M-1を意識したネタをオンバトにかけたら、まあ、そうなるわな、と。オンバトの審査員は素人なんで」
変ホ長調は、唯一アマチュアで決勝戦に進んだ女性コンビ。彼女たちの芸は漫才というよりも世間話である。中年女性二人による極端なローテーション漫才は、予選会場で大爆笑をかっさらう。しかし、決勝の舞台で「引きの漫才」は明らかに分が悪い。結果はビリ2だった。
変ホ長調・小田「楽屋に戻ってきたときの空気がすごかったんです。チュートさんが会見でいない間、お通夜みたいで。舞台にいるときは祝福モードだったんですけど、もう、誰もしゃべれへん。後藤さん、めちゃくちゃ悔しそうで。怖過ぎて、見てられんかったわ。あんとき、とんでもない場所にきてしまったんやなー、って。笑い飯さんも、床に座り込んでいて。あの光景がいちばん衝撃的だったかも」
M-1は出場回数を��ねれば重ねるほど周囲の期待は高まる一方で、新鮮味が薄れていく。そのため芸人が越えなければならないハードルは高さを増す。2007年、03年から4年連続出場中だった麒麟は準決勝で敗退。6年連続出場の笑い飯、二大会ぶり4度目の千鳥も、決勝には残ったが、予選で強烈なインパクトを残しているわけでもなかった。
ネタ順5番目のトータルテンボスは、1番から4番までのコンビ(笑い飯、ポイズン、ザブングル、千鳥)のウケが悪かったため、「タメが出来た」と確信する。6番手のキングコングの梶原は「トータルテンボスが温めてくれるから、そこに乗っかれる」と思っていた。
実際に、トータルが「爆発」させたことで、会場の空気が一気に緩んだ。人間はリラックスしているときの方が寛大になる。それはキングコングのときに最大限、有利に働いた。西野は「最後まで気持ちよくできた」とニンマリする。
しかし、誤算があった。敗者復活枠のサンドウィッチマンだった。
西野「会場も、テレビの前の人も、敗者復活からの大逆転劇を期待しているのがわかった。コンクールは『今年はこいつや 』みたいなの、あるじゃないですか。それが決まると、ひっくり返せない。サンドさんはチャンピオンになる雰囲気をすでにまとっていましたね。」
とろサーモンの村田は、笑い飯、麒麟、千鳥時代のbaseよしもとの様子を呆れ気味に振り返る。
「おもんないやつのネタは絶対、笑わないんですよ。舞台の袖でも、舞台で一緒になんかやってるときも。笑ったら負けやから。『なんでおれが笑わなあかんねん』って。今考えたら、あんな殺伐とした劇場ないですよ。笑いをつくってる場所やのに、なんでケンカ腰やねんていう」
客もそんな芸人たちに感化されていったという。
村田「おれら刑務所の慰問にきてるんちゃうかなというぐらい、お客さんの背筋がピッとしてるんです。そんで『ちゃんと笑かしてくださいね』『そのボケ、前見たから』みたいな顔をしてる。あれも笑い飯マジックですね。笑い飯が、そういう客にしちゃったんですよ。人気路線でやってきた芸人はそういう客に馴染めず、どんどん淘汰されて行きましたね」
その当時「イジリ芸」を笑い飯に邪険にされていたNON STYLE井上は彼らに反発を覚えていた。
「笑い飯さんがトップにいた頃のルールは 『芸人はおもろければいい』やったと思うんです」
笑い飯は、客がクスリともしていなくても、平然としているところがあった。いや、むしろ、そんな状況すら楽しんでいる風だった。だが、井上のルールは違った。
「自分の中では、おもろいことがいちばんではなくて、客が笑ってることがいちばんなんで。笑い飯さんのためにお笑いをやっているわけでもないですし。笑い飯の二人に認められるよりも、1億2千万人に 『井上、おもしろい』って言ってもらった方がいいじゃないですか。笑い飯に認められても、売れなかったら意味がない。それより、笑い飯に認められてなくても売れてるやつのほうが偉いやろって思っていたんで」
石田はイジリ芸を捨て、「二重ツッコミ」というスタイルチェンジを図り、優勝を掴み取った。
石田は、優勝が決まった瞬間、子どものように声を上げて泣きじゃくった。
石田「M-1はウケる��けでは勝てない。それ以外のところで審査員をいかにうなずかせるか。完成度でもいい、人間味があふれているというのでもいい、とことんバカっぽいというのでもいい。僕らはそこを 『新商品』を開発することで突破できた」
2010年、スリムクラブは「超スロー漫才」でM-1史上最大と言われる革命を起こした。「間」をこれでもかというほど贅沢に使ったのだ。
スリムクラブの誕生について、事務所の先輩芸人ひーぷーは、まさか真栄田と内間がコンビを組む日がくるなど考えたこともなかったと話す。「賢の世界観と、内間の世界観が、あまりにも違い過ぎて。二人を知っていたら、くっつけようなんて思う人いないんじゃないですか。でも、言ったら、ゴッホとピカソですよ。タイプは違うけど、二人とも天才。常人では考えられないようなところがある。だって、普通、あんなにに待てないですよ。しゃべり続けるよりはるかに難しいでしょ。あんなに待ったら、何も言えなくなりますよ。タイミングがわからなくなる」
漫才師は、ほぼ例外なく間を恐れるのだが、内間はその逆を行ったのだ。
多くのケンカ漫才をする芸人が北風だとすれば、スリムクラブの漫才は太陽だった。その温かい笑いで、会場を包み込んだのだ。
6 笑い飯、優勝。だが…
2010年、笑い飯M-1ラストイヤー。僅差でスリムクラブを躱し、ついに優勝をかざった。
しかし、笑い飯は優勝しても、ほとんどテレビに使われていない。
朝日放送の山口はこう語る。「笑い飯さんが優勝したからといって、じゃあ、どんな番組を、どうやればいいのか。そのアイディアも、エネルギーも、なかなか湧いてこないというのが実際のところでした」
インディーズ時代からの盟友である芸人の梶は、二人をキャスティングすることの難しさを、こんな面から指摘する。「笑い飯はキングですから。テレビとか、ライブとか、頭じゃないと似合わないんですよ。その点、千鳥とか麒麟はサブでもいける。でも、局からしたら、何の実績もないうちから頭というのも難しいじゃないですか」
奥谷も似たような感想をもらしていた。「笑い飯は誰かのエンターテインメントの一部になる芸人ではない。笑い飯そのものを消費していただけますか、という売り方の方が合っている。ただ、その売り方ができなかったところはあるかもしれませんね」
優勝後、今後の活動に向けた話し合いの中で、メジャー志向の哲夫と非メジャー志向の西田で意見が対立し、コンビ仲が悪化していく。
笑い飯の現状に対し、とろサーモンの久保田は苛立ちを隠さなかった。「昔ね、哲夫さんとか、よう言ってたんです。芸人がグルメロケに行ったり、情報番組でアイドルとからんだりするのを見て 『おもんないよな』って。でも、それをできてたら笑い飯は変わっていたかも。おもろいことなんて言わなくてもいい。普通に求められることだけを返せてたら。そんな二人を見たくないという思いもある。でも、それを見せないと、おもろくても売れないわけでしょ?だったら、見せないといけないわけじゃないですか。漫才師の世界だけは、おもろいやつが売れることこそが正義だって笑い飯に教わったんですから。俺はそれだけを信じて、ここまで来たんですから��
漫才ひとつでのし上がったという意味では、千鳥は、まさに現王者と言っていい。そのルートは、笑い飯が目指した道でもあったはずだ。愛弟子のような存在であり、また、ともに時代に抗い、そして新たな道を切り開いてきた同胞でもある千鳥に対し、今の笑い飯は、どのような感情を抱いているのか。
西田「嬉しいですね。千鳥が売れたことで、ああ、おもしろかったら、ちゃんとこうなるんやなということを証明してくれたんで。自分がおもしろいと認めたコンビでもありますし」
哲夫「(嫉妬は)まったくないんです。ほんま、二人の漫才が大好きなんで。負けてるとは全然思わないんで。そういう感覚じゃないんです」
西田「千鳥になりたいかていったら、やっぱりなりたないですから。というか、なれない。テレビって、数字をとりたいんで、こういうこともやってください、みたいなときがあるんですよ。千鳥はそういうとき、おもしろくないもんをおもしろくできる。僕は楽しめないときは、ぜんぜん楽しめないんで。自分なりに、合わせてはいるんですけど、『売れるんだ 』っていう方向に思い切り舵を切れてないのかもしれません」
哲夫は、そんな西田を理解し、最大限尊重していた。
「会話がない」
笑い飯の二人の関係性について、そんな話を何度聞いたことか。だが、彼らの漫才に触れるたびに思った。いや、漫才をやっているではないか、と。
漫才とは、とどのつまり濃密な会話だ。3年近く笑い飯を担当しているマネージャーの大谷は最近、こんな風に話すようになった。「最初の頃は、二人一緒の仕事をいかに増やすかばっかり考えていたんです。でも最近は、それは漫才があればいいのかなって思うようになってきて」
二人が立つステージからは、いつだって会話を超えた、魂のぶつかり合う音が聞こえてきたものだ。
漫才師として、二人の関係が良好になること以上に大事なもの。
それは、この響きの有無である。
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2000年代のM-1草創期の話がメインなんですが、この時ヒリヒリした会場の雰囲気を覚えている世代からすると、堪らない気持ちになる裏話がこれでもかと詰まってます!
これ読んでると過去のM-1を改めて観たくなって、02年と03年だけ観ましたが、近年のM-1と比較すると、やはり完全に別物です。
談志師匠が全く笑わず終始微動だにせず審査してるし、今と違って松ちゃんも1〜2組だけフフッと笑うだけで仏頂面。他審査員みんな、つまらないコンビにはつまらないと言い切って、点数も70点以下とか平気で出してた時代。観客も点数低いと普通に「ええ、、、」って声を洩らして引いてるし、、、笑 そんな賞レース今ないです
幼心に審査員怖すぎだろと思ってましたが、この本を読むと、どうやら出演するコンビ同士でも裏でピリピリしていたようで、ああ、全てにおいて今と違うんだなと感慨深くなります。
個人的に印象的だった箇所は、昔ソフトバンクが携帯キャリアのPRでやっていたS-1グランプリの話です。
まず、そういえばそんなのあったな!と懐かしいのから始まって、なぜ面白くなかったのかの理由やすぐに話題をきかなくなってしまった当時の流れなどが、M-1との比較する形で芸人や関係者視点で語られています。本当に丁寧な取材で明らかにされていて、とても納得しました。
思いがけず、ものすごく人生の教訓とも言うべき学びがなり、ここが個人的にこの本のハイライトです。
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M1が好きな人間には堪らないでしょうね。
読み出したらM1が見たくなり今年のM1を見直しました。
共感する部分も一杯あるし面白いと思いました。
「リングにあがった事の無い人間がプロレスを語るな」という言葉があります。
漫才師の本当の事は漫才師にしかわからないと思います。
これが漫才師の真実なのか。
何でもいい漫才師は面白ければ。
自分はそれで良いと思います。
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【笑い飯】
漫才のネタは、言葉に力を持たせるためにも実体験に即していた方がいい。そのため哲夫は設定を考えるとき、いつも自分の内面を探った。
「割と早い段階で総ざらいをやってみたんです。そんで、小学一年生の時の記憶から出てきたんが『鳥人』やったんです」
哲夫は奈良県桜井市で生まれ育った。桜井市は日本最古級の神社・大神神社や、日本最古の街道・山の辺の道があることで知られ、邪馬台国があったとされる有力地でもある。哲夫の実家は昔ながらの古い家で、哲夫は高校に入るまで「米は家で作るもの、風呂は薪で焚くもの」だと思い続けていたという。
小学校一年生のとき、哲夫が学校から帰ると、まな板の上に大きな包丁が出ていたことがあった。その日の晩飯のおかずは唐揚げだった。ぷりぷりとしていて、実においしかった。哲夫がその感想を伝えると、祖父の口から事実が明かされた。その唐揚げは、飼っていたニワトリを捌いたものだったのだ。そこで初めて包丁とニワトリがつながった。
「じいちゃんが『おばあちゃん、腰悪くて面倒みれんから、殺したんや』と。そのときの思い出が強烈で。あんとき、ニワトリのお化けが出てくるんちゃうかなと思ったんです」
【千鳥】
「最初の一ヶ月くらいは、三人がふざけているのを外から見ていただけ。でも、電車に乗ってるときだったかな、哲夫さんに『どなたさんですか?』と聞かれて。夕方五時ごろだったと思うんすけど、そっから夜中まで、ずっと同じボケを繰り返されたんですよ」
ノブは最初、必死でおもしろいことを言おうとしていた。声音や抑揚も変えてみた。だが、やればやるほど空回りし、どう返しても哲夫は何も聞こえなかったかのように表情一つ変えない。大悟の家へ行ってからも状況は変わらなかった。
深夜三時ごろだった。何十回目かの「どなたさんですか?」にノブがついにブチ切れた。目を剥いて、吠えた。
「ノブじゃ!」
すると哲夫が腹を抱えて笑った。西田も、大悟も、笑い転げていた。
「それでええねん。それがツッコミや」
哲夫はそう言って、なおも笑っていた。
ノブが漫才師になった瞬間だった。
「テクニックや小手先で言ってるときはひとつも笑ってくれなかった二人が、やっと笑ってくれたんです。いてこまされて、いてこまされて、怒ると笑いが起きる。笑いの教科書に一ページ目を教えてもらったような気がしましたね」
【かもめんたる】
漫才日本一を決めるイベントがM-1なら、コント日本一を決めるイベントは『キングオブコント』(TBS制作)である。そのキングオブコントの第六回大会王者のかもめんたるの岩崎う大が、漫才が不得手だと感じていた理由を、こう語っていたことがある。
「漫才って、素の自分でしゃべらなければならないという固定観念があったんです。その感覚がわからなかった。コントで自己紹介するなんてこと、まずないですよね。でも、漫才は『かもめんたるです』って自己紹介している以上、しゃべっているのは『岩崎う大』のはずなんですよ。でも、実際は違うじゃないですか。漫才も芝居は芝居ですから。何度やっても初めて聞いたかのよ��に驚いたり、怒ったりしなければいけない。それを自然にやろうと思えば思うほど、空回りするというか、白々しくなっちゃう自分がいて」
岩崎う大は東京で生まれ育ちながら、高校時代はオーストラリアで過ごし、帰国後、早稲田大学政経学部を卒業したという、芸人としては異色の経歴の持ち主である。
彼の感覚は、漫才とは程遠い時代に育ったものにしかわからないかもしれない。一九七〇年代生まれで、関東育ちの私にはよくわかる。
小さい頃、ある漫才コンビが前にやっていたのと同じネタを、さも初めてやるかのような調子でしゃべっているのを見たときのショックたるやなかった。あれは演技だったのか、と。私も漫才とは「素」の状態で、その場で思いついたことをただ話しているものだとばかり思っていた。つまり、毎回、違う話をしているのだと思っていたのだ。
だから、岩崎う大の迷いがなんとなくだが理解できる。強いて言えば、芝居と素の間にあるのが漫才なのだが、物事はいつだって「間」がいちばん難しい。どのあたりにポジションを定めるのか。そのセンスが問われる。
岩崎は二〇二一年、十二年ぶりにM-1にエントリーしたとき、その難題をこう消化したのだという。
「要するに、素の自分に近い人間を演じればいいんだ、と。舞台に上がるとき、まず、そのスイッチを入れて、あとは別人のままずっと話している感じです。そこがはっきりしたことで漫才も演じることの延長に置くことができた」
【笑い飯】
漫才の実力者たちのネタを聴いていて、いつも感嘆するのは、何十回、あるいは何百回とかけているネタでも、鮮度を維持しているところだ。本当に初めて聞いたようなリアクションを自然にできる。いつ見ても表情が、言葉が、生き生きとしているのだ。
それに対して、M-1で早々に消えていくコンビは、やはり台詞の向こうに「台本」が見える。台本通りにしゃべっているだけで、表情やセリフに生気がない。
哲夫も、やはり根っからの漫才師だった。
「漫才んときは、普通にしゃべってる感じでやっています。ただ、覚えてるもんをしゃべるという意味では、ある程度、演技なんですけど。ただ、僕は芝居ができないんですよ。ドラマに一回、出させてもうたことがあるんですけど、十回ぐらいNGを出した。『めっちゃ、わざとらしい』って言われて。漫才の中の芝居は自然にできるんですけどね」
【ソラシド】
笑い飯は、なぜ、あのようなネタをつくれるのか。当時、多くの芸人たちは不思議がり、同時に羨望した。
二〇〇一年に結成し、現在、山形県で活動するソラシドのボケ役、本坊元児も同じ疑問にぶつかった。
「僕が初めて見た笑い飯のネタは、ロープウェイだったんです」
ロープウェイのことで頭がいっぱいのおじさんが登場する突拍子もないネタだった。
「そんとき、僕ら、漫才やってて楽しくなかったんですよ。一言一句、間違えんように言わないかんみたいな。けど、笑い飯を見て、こんな楽しそうに漫才やってええんやって。しかも、ロープウェイって何やねんという。おっさんがロープウェイって言いいたいだけやん、って」
本坊はそれまでNSC時代に出会った、ある講師の助言を拠り所にしていた。
「ちょっと奇抜なネタをしたコンビがいて、その時、先生が『おまえら、コンビニのネタはつくったんか?』って。『デートのネタは?』『誕生日のネタは?』『修学旅行のネタは?』と。生徒が『つくってないです』って答えたら、『全部つくってから、そういう(奇抜な)のをやりなさい』と。確かにそうやな、って思った。でも、それら全部を塗りつぶしても笑い飯の漫才にはたどり着けない気がして」
笑い飯は別段、奇をてらっているようには見えなかった。本坊はこう結論づけた。
「本当にロープウェイが気になったんでしょうね。笑い飯のネタって、嘘がない。だから力があるんですよ」
【ブラックマヨネーズ】
一般的に、漫才は素をさらけ出す芸で、コントは役に入る芸だと言われる。約八千本ものコントネタを持つジャルジャルの福徳秀介は、二つのジャンルの違いをこう話していたことがある。
「コントは、スベっても役に逃げられるんですよ。キャラクターがスベっただけだと。でも漫才でスベると落ち込む。福徳秀介がスベったことになるので」
吉田はそのとき、自分達の存在が否定されるかもしれない恐怖と戦っていた。
ネタは「最初のデート」がテーマだった。神経質な吉田は、どうでもいいことにいちいち迷う。人がいい小杉はそれに付き合い、細かなアドバイスを送る。しかし、それでもなお重箱の隅をほじくるように不安を指摘する吉田に、今度は小杉の方が精神を乱し、ついには吉田以上におかしなことを言い始める。もはやツッコミもボケもいなかった。不器用で、滑稽で、ゆえに愛らし男が二人いるだけだった。
そこにはつくられた笑いではなく、人間がひたむきに生きることでしか生まれないユーモアがにじみ出ていた。
この一本こそ、のちに「究極の漫才」とまで言われた『ボウリング』と呼ばれるネタだった。
【ユウキロック】
ユウキロックは二人の漫才に打ちのめされた理由をこう語る。
「あれって、二人ともボケたないんですよ。考え方が違うから、そのズレで笑いが生まれてるだけ。漫才って、本来、それでいいんです。なのにボケはボケを言わなと思うから、わざとらしく間違ったりする。俺もそうだった。どこかに違和感を覚えながらも、簡単に笑いが取れるからついそっちに手を出してしまった」
【タイムマシーン3号】
「尖ったネタをできる人たちって、ウケを狙いにいけばできるのに、あえて、それをやってないんだと思っていたんです。でも、そういう人もいるけど、そうじゃない人たちもいて。そういう人に本気で『どうやったらあんなにウケるの?』みたいに言われて。あ、バカにされてるわけじゃないんだと。そこから、突き抜けた客ウケというのは、やっぱり自分たちの武器なんだなって思う得るようになりましたね」
【変ホ長調】
舞台へ立つことの楽しさを知った彼方は、次はM-1だと思い、軽い気持ちで小田に声をかける。R-1で自信を得た小田は二つ返事で応じた。変ホ長調の誕生である。
京都と東京という距離があったため、ネタは数えきれないほどメールをやりとりしながら練り上げた。ただし、実際にネタ合わせをしたのは一回戦の前日である。人前でやるのは、本番の舞台が初めてだった。最初の年、それだけで準決勝まで勝ち進んだ。
二人はゆっくり出てきて、ゆっくりしゃべる。漫才中は、ほとんど表情を変えず、セリフは棒読み、話す内容は日頃、本当に思っていることだけにした。
滑舌が悪い彼方の言うことがはっきり聞き取れるよう、普段よりゆっくりしゃべっていることと、殊更暗い雰囲気を醸し出していることを除けば、舞台上の二人は、普段、世間話をしている小田と彼方、そのままだ。彼方は言う。
「最初はもうちょっと漫才っぽくしゃべった方がいいのかなと思ったんですけど、録音して聞いたら、変に作るより、普通にしゃべった方がおもろいな、ってことになって」
ーー「何でやねん!」みたいなツッコミ、やりたくなりませんでしたか。
「おもしろくないでしょ」と彼方は一刀両断した。その感覚こそ、彼女たちの才能だった。
M-1予選中、毎年のようにアナウンサーコンビやアイドルグループが参戦しているのを見かける。彼らや彼女たちは場慣れしているし、しゃべりもうまい。だが、大抵の場合、胸に響かなかった。なぜなら「漫才師」を演じてしまうからだ。漫才だからと、普段、使ったこともないのに、つい「何でやねん」と言ってしまう。借り物の言葉では、人の心を揺さぶることはできない。
若い頃からお笑いが大好きだった二人は、これまでその趣味に膨大なお金と時間をつぎ込んできた。そんな彼女たちだからこそ、そのことに勘付くことができた。
【NON STYLE】
M-1で石田は初めて泣いた。
二〇〇七年、四度目の準決勝敗退を喫したNON STYLEは、四度目の敗者復活戦を経験した。敗者復活戦を勝ち抜いたのは当時、まったく無名だったサンドウィッチマンだった。石田が回想する。
「東京の芸人たちが『サンドウィッチマンがんばってこい!』とか言って盛り上がってたんですよ。こいつら何してんねんって、無性に腹が立って。そんなことを思ってしまう自分が情けなくて涙が出てきた。でも、そこまで本気で悔しがれるということは、やっと決勝の舞台に立ってもおかしくないところまで来れたのかな、と思って」
【パンクブーブー】
ネタ作りを担当する佐藤は「変わったことをやった方がいいのかな」と迷いかけたこともある。だが、遭難する前に来た道を引き返した。そして、これまで歩いて来た道を突き進む覚悟を固めた。
「この世界の人の九十九%ぐらいは才能なんてないんです。僕もそう。笑い飯みたいに感覚でできるわけじゃない。じゃあ、どうするか。しっかりとした理論に基づいて作るしかない。クオリティをとことん上げるしかないんです。ただ、M-1では、特徴がないぶん、めっちゃウケるくらいじゃダメ。いちばんウケないと。突破口は結局、そこしかなかった。努力が秀才まで行っちゃえば、世間は天才って見てくれる。天才にだけはバレますけど、でも僕らが商売する相手は天才ではないんで」
【スリムクラブ】
「何でだよ!」
スリムクラブのツッコミを担う内間政成は、コントの最中、ややきれ気味にツッコんだ。すると、せっかくボケで起きた笑いがスッと引く。そんなことが何度か繰り返された。
そんな負のループに業を煮やしたボケ役の真栄田賢は、左側にいた内間の肩を左手で強くつかんだ。身長百八十三センチでいかにも屈強そうな真栄田の声は喉を潰したミュージシャンのように嗄れている。
「もういいッ! ツッコまなくていい! 何もしなくていいから」
内間も百八〇センチと長身だが、真栄田とは対照的にいかにも頼りなげで、ヒョロリとしている。
ただし、そこでコントが終わるわけではない。ツッコミを禁じられた内間は、意味不明な言葉を発し執拗に絡んでくるキャラクターを演じる真栄田に対して、オロオロするばかりだった。客席から冷笑が漏れる。
何もするなと言われても舞台に立っている以上、そうはいかない。用意してきた言葉はすべて「ツッコミ」に相当する。突然のツッコミ禁止令に、何も言葉が浮かんでこない。追い込まれた内間は、真栄田のボケに対して、反射的に返した。
「……そ、そうなんですか」
すると、客席がどっと沸いた。経験したことのないウケ方だった。強い否定ではなく、弱々しい肯定。そこに内間のリアルなおかしさが滲み出ていたからだ。内間は天啓を得た。
「これがお笑いの間なんだな、と」
真栄田が相方として内間に求めたことは、たった一つだった。
「内間は自分に自信がないもんだから、人真似ばっかりしてたんです。NON STYLEとか、キングコングとか。でも本当の内間じゃなから、全然ウケない。だから、居酒屋で俺と話しているとき、そんなに速く返すか、って。そんなに強い言い方するか、って。おれはお前と飲んでるとき楽しいよ。のんびりとした言い方で、突拍子もないことを言い出したり。それを舞台でも出してくれって言ってたんですけど、それがなかなかできなかったんですよ」
何もしなくていーー
それは真栄田の究極のメッセージだった。内間はこう解釈する。
「何もするな、イコール、普段のお前でいいんだから、ということだったんでしょうね」
新たな境地を見出したライブの後、真栄田は「このスタイルでいくぞ」と確信に満ちた表情で言った。内間は、「ほんとにいいの?」と思いつつも快諾した。
「いちばん楽だったので。前までは、相方がしゃべってきたら、必ず何かしゃべらんといけんと思ってたんですけど、それもやめました」
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圧倒的に面白かった。素人に分かりやすく、けど、全く理解不能な漫才師という生き物。同じ人間でありながら全く別の生き物。殆どの芸人が不器用で純粋でかっこいいなぁって思った。けど、きっと一般人も同じ様に不器用で純粋なのだろうなと思った。
きっと2回、3回と読み直すんだろうなと思う。本当に読んで良かった。
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2001年から2010年まで開催された第一期M-1グランプリを笑い飯を中心に据える史観で振り返った一冊。予選や決勝を外から観戦しての分析・批評ではなく、実際に歴代チャンピオンはじめ漫才師たちにインタビューしているため当事者の声を通した(青春の思い出補正も含めて)大河ドラマのような物語性が凄まじい。ゼロ年代の大阪お笑い史の側面もあり、中でも笑い飯の歪な関係性は読んでいて背筋が凍るほど。個人的にはケンドーコバヤシやタイムマシーン3号といった必ずしもM-1とイメージが直結するわけではない芸人にも取材している網羅性には唸らされた。ちなみにナイツが歴史からすっぽり抜け落ちている件については著者が塙の著書の聞き手・構成を担当していることに留意。
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普段特別ネタ番組を見たり、劇場で漫才を見たりはしないのだが、毎年のお笑い賞レースだけはどうも必ず追ってしまう。その中でも一際輝かしい大会がM-1だと思うが、この本はM-1にそのような価値が生まれるまでの過程、「笑い飯」のヒストリーを中心とした芸人たちの仕事への向き合い方や苦悩、この2つが克明に描かれている。ケンコバが言うように「ピエロの楽屋覗いて何が可笑しいんじゃ」というのも分かるが、やはりお笑いという文化の変遷や笑わせる仕事における苦悩を裏側から覗くというのは、極上のノンフィクション作品になり得ると感じた。
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日本がボイコットとしたモスクワ五輪が開催された1980年の新春早々、突如として漫才ブームが沸き起こる。朝起きたら漫才ブームだったそんな感じだった。
というのもフジテレビで毎日曜日21時の『花王名人劇場』の枠で漫才を放映してみれば高視聴率。エンタメ路線に舵を切ろうとしてたフジテレビにとっては新たなコンテンツ候補。早速ゴールデンタイムに『THE MANZAI』と銘打ち、放映すればまたもや高視聴率。
出演したのはB&B・ツービート・紳助竜介・ザぼんち・のりおよしお・サブローシロー…。以来しばらくはどのチャンネルも漫才、漫才。中でもアイドル的人気をほこったのがザぼんち。僕的には何が面白いの…と思ってたけど。そのブームも、漫才師のネタ切れと露出の多さから飽きられ、ザぼんちが武道館Live⁈をやる頃にはすっかり下火となり、82年にフェイドアウト。
当時の漫才って、島田洋七・ビートたけし・島田紳助らのボケが圧倒的に目立ち、ひたすら喋りまくりツッコミはあくまでも添え物然としてたたずむ、熱量あふれる高速漫才スタイル。
ツービートの漫才は『毒ガス漫才』と呼ばれ、社会風刺を放送禁止・差別用語キワキワでぶった斬る、今なら放送出来ないネタのオンパレード。それに比べるとウエストランドの毒舌漫才なんて可愛いもの。
一方、各々の相方 島田洋八・ビートきよし・松本竜介のツッコミ三銃士は『うなずきトリオ』を結成。竜介の『んなアホな!』・洋八の『なんでやねん!』・きよしの『よしなさい!』というお決まりの引き出しなきツッコミを逆手に取ったトリオは悪ノリし、レコードデビューまでしてしまい、なんと大瀧詠一が作詞作曲。それもこれも、漫才ブームは東京が主導したからスケール感もデカかった。
たけしや紳助ばかりが目立ち、ボケとツッコミが互いに機能しあう、所謂しゃべくり漫才に照らせば異端も異端。速射砲のごとく次々と繰り出す毒っけのあるボケそのものがニューウエーブで、漫才の形式を借りた『揶揄』と『風刺』の効いた漫談に近かった。それとたけしの場合は、明大工学部中退というインテリな経歴も一役買ってた。
それらをつぶさに見てた者として、M-1に見る漫才のレベルの高さはもちろんのこと、あれは漫才ではないと物議を醸す新型漫才が出現するぐらい発展を遂げている。
その先鞭を付けたのがダウンタウン。本書でもダウンタウンに影響を受けNSCに入学、M-1決勝での松ちゃんの評価に一喜一憂するエピソードが何度も登場する。
私見ながら、ダウンタウンと村上春樹の出現は、それ以降の漫才及び文学地図を大きく塗り替えたと思っている。ゆえに影響を受けた亜流を多産した。マイクの前でボソボソうだうだ喋る漫才、比喩を多用したすました文体には大いに鼻じらんだけど、こと漫才ではツッコミのバリエーションを生んだ。
浜ちゃんは漫才について多く語らないけど、ボケが作った笑いを『ツッコミが増幅』させる、その定型を作った第一人者である。
くりぃむしちゅー上田&フットボールアワー後藤の
例えツッコミ、さまぁ~ず三村の感情むき出しツッコミ、おぎやはぎ矢作のなだめツッコミ、千鳥ノブ���嘆きツッコミ、ミルクボーイ内海の解説ツッコミ…といった具合に。
そんな日々刻々と進化する漫才を仕立て上げたのが『M-1グランプリ』。芸歴15年までの漫才師がその年の漫才の頂点を目指す、毎年数千組の芸人が挑むお笑い界最大のビッグコンテスト。覇者ととなれば一夜にして富と人気を約束されるシンデレラストーリーが待ち構える。
M-1の4分間はさながら格闘技に挑むアスリートのごとく…、本書は結成10年目にして頂点に立った笑い飯を軸にその戦譜を克明に刻む。
M-1草莽期の覇者 中川家、打倒吉本に燃えたおかだますだ、松本人志の低評価に懊悩したフットボールアワー、異能コンビ笑い飯に背を向け自分たちの目指す笑いで覇者となったノンスタイル、笑いを追い求めるあまり精神疾患になったブラックマヨネーズ吉田、決勝本番直前に相方に深い感謝を述べたスリムクラブ内間…。
本書は、漫才師が一夜にして寵児となるようにM-1自体が化け物イベントになっていく軌跡が綴られ、表紙をなぜ笑い飯が飾ったのかが理解できうる評伝でもある。
笑い飯のダブルツッコミボケという斬新な漫才スタイルのみならず、NSC出身でない傍流を歩みつつも、ふたりの根幹に根差す『ひとが面白いと思うより自分たちが面白いと思うもの』という迎合しないウケを狙わない断固とした姿勢を崇拝する芸人も多く、ふたりの醸す狂気と熱情を炙り出していく。
著者の取材も次第に漫才師たちの熱量が伝導したのか、取材を良しとしない芸人への食らいつく執念にも似た果敢さ、それを活写していく筆力にはただただ圧倒され、読後感はクタクタ。超力作。
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漫才とは究極の求愛行動。
お金になること、言い換えると2人でなくてはできないもの。
本書を読了して触れた最後の言葉は感慨深い。
側から見れば不仲な2人が漫才を続ける意味。そこには仕事人としての漫才だけでなく、不仲を越える2人の関係が垣間見れる。
M-1という漫才とは一線を画すとも言えるその競技の真髄に迫る。笑い飯という類稀なるコンビを通して描かれる数々のエピソードは臨場感に溢れる仕上がり。本書を読んだら漫才、M-1に対するスタンスは間違いなく変わる。(笑い飯をYouTubeで検索した同志は私だけではないはず笑)
笑い飯というM-1の申し子が決勝の舞台で躍り、翻弄されるその姿が、ライバルと共に描かれる姿が読書を魅了する。(私は読んでいて非常に臨場感を感じた)
(good phrase)
何かをつくる最強、「客」か「自分」か、の二つの基準に迫られる。ショービジネスにおいては「客」のニーズに応えることが最優先。しかし、「自分」を通すことのできる強者が稀に存在する。それが笑い飯でありダウンタウンであった。
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サンパチマイクを前に前に喋る、ただそれだけのことに人生賭けるのって確かに馬鹿だけど最強に格好良いな。
自分の思うおもろいは何か、悩んで狂って…
笑い飯と千鳥の若い頃のエピソードとか常人は笑いのためにそんなこと出来ないだろってことまでやってのける姿が描かれてて正直読んでて怖かったし、同業者ですら彼らの世界に迂闊に足を踏み入れられなかったのかと更に驚いた。
漫才日本一の称号に恋焦がれて飛んで火に入る夏の虫の如く喋りひとつで戦っては散っていく姿、痺れるなぁ、そして厳しいなぁ、
笑い飯の2人の唯一の濃いコミュニケーションが漫才しかないっていう不器用さも自分の思うおもろいしか信じない頑固さも全部魅力的。
情熱的に描きすぎてる気もしなくは無いけど。
熱すぎる内容だし、旧M-1や笑い飯に携わった人達の膨大な人間ドラマのことを考えると感想なんてまとまらない。
とりあえず2023のM-1予選が始まる前に読めてよかった。
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ノンフィクションライター中村氏がM-1の始まりからこれまでの関係者インタビューをもとに執筆。
M-1の歴史とともに歴代最長ファイナリスト出場記録をもつ笑い飯が必然的にスポットになる。彼らと千鳥との関係エピソード、過去のM-1出場者それぞれの舞台での心境など、知られざるエピソードが満載。
結果、本書を読みながら、2001年から2010年までのM-1をAmazon primeで全て視聴。その時の出場者の心境や背景を知りながらM-1を見ることで新たな楽しさを発見。
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本作は今では年末恒例の巨大イベントになったM-1にかける芸人たちを追いかけたノンフィクションが本作だ。お笑い番号は滅多に見ないという人でも、M-1はとりあえずみるという人多いんじゃないだろうか。ちなみに自分は休止前は見ていたが、復活後は一度も見てない・・というカテゴリーの人間である。
本作はM-1の中でもその休止前までを主に取り上げている。主役に位置するのは、M-1の申し子と言ってもいい笑い飯。ダブルボケで強烈な光を放った彼らが突然M-1の舞台に出てから前期最終年に優勝するまでをいわば縦軸に、各年の優勝コンビを横軸にして、M-1に挑む芸人たちの狂気を描いている。
自分はたまたまM-1の決勝にでた芸人に知り合いがおり、彼らの単独ライブを見に行ったことがあるのだが、お笑いもあのレベルまでいくとスポーツに近いというのがよくわかるイベントだった。M-1はその中でも短距離走と言われるほどの爆発力が求められる領域だ。
そこで優勝するためには「クラスでちょっと面白い」ぐらいのレベルではなく、1年間M-1で優勝するためにあらゆる努力をしなければならないことが、本書を読むと痛いほど伝わってくる。