言い得て妙の部分が多く見られました。
2023/01/26 22:22
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひきこもり専門の精神科医の著者が、ひたすら自分自身をディスりたがる人々を「自傷的自己愛」と命名し、彼らはどういう思考回路をしているのか、追求した1冊です。
最近、巷で自分自身をディスりたがる人々が増えているのが分かるので、そうした人々の考え方を知るのに、当書が役立ちました。著されていること、言い得て妙と思う部分が多数見受けられました。
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「自傷的自己愛」は自分のこと全てにおいて全く自信が持てない人で、かつ自分がダメな人間だということに絶対の自信を持っている人。
なんか矛盾しているようで的を射てる…
著者も同様のことを書かれているが、自分がもし現代の学校生活を送らなければならないとしたら、スクールカーストの最下層になる自信がある(汗
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深掘りTVで少しお話を聞いて面白かったので早速拝読。
大事だと思われるところ
問題に気付き、相対化する
そのためには筆者の主張である、
すべての母は毒母であり、すべての母娘関係は支配関係である
ということが、問題の存在そのものを気づくための促しとなる。
母親の権威を相対化すること、
母親からできることは、母となる前の自分、自分が自分であった時の話をすること(娘がそれを聞いてみること)
めちゃくちゃ大事なこと。
孝を最高原理とする儒教倫理的な抑圧が、親による虐待、体罰、ネグレクトといった行為を隠蔽してきたという事実。
自分の価値観はもちろんだが社会の価値観のアップデート、変化、古い道徳観念からのの解放。(日本の公教育では逆行してるのではないか。子どもの教育はリベラルな校風教育目線をもつ私立でなければ、、ここで格差との絡みも出てしまうのではと、読んでいて感じた)
186ページ、坂口恭平氏がご友人だとか。坂口氏は双極性障害に罹患しているが、うつの時に大量の文章を書かれるそうだ。また書くことは自己治療となるそうだ。
ヤマギシ会について。カルトと規定。確かに激烈なカルト、財産没収だけでも当然カルト認定。
自己肯定感を高めたいという欲求。悪あがきと言っても良いか?それと優生思想との関係。自己肯定感がえられず、自傷的自己愛に陥ると自分が無価値だから死にたいという考えにいたる、それは、著者によると優生思想の萌芽といえ流。優生思想とほぼ同一。なぜなら良い悪いなど、生についての価値判断は不可能だから、だそうだ。生はあらゆる価値の上位概念だから価値判断の埒外とのこと。日本社会では、生に対しそのように崇高には捉えられていない、残念ながら。
生の平等性は担保されておらず。明らかに憲法違反だけど、自民党や、一部のお間抜け野党政党は、生の分別を平然とやらかしてるしな、、などとぶつぶつ言いたくなる。
198ページに坂口恭平氏再登場。
スリランカ上座仏教スマナサーラ氏の無常を知る人、つまり我執を捨てた人
我執のない人の特徴が坂口氏に合致。
本当に自傷的自己愛に陥り苦しんでいる当事者であれば著者がおすすめしている坂口恭平氏の著書やスマナサーラ氏の著書の方が本書より読みやすいかもしれないと思ったし、すごい人とは感じていたが改めて坂口恭平氏の稀有な存在に脱帽
自分が世界の中心という認識(そうおもうこともできる、、というふうに理解したが。そう思えるような子ども時代が大切ということか)そして自分は世界の一部に過ぎないという認識。これが社会性、相手への共感やコミュニケーションの必要性につながる。
著書がいう自己愛とは、自分大好きの言い換えではなく、自分自身でありたい欲望。
ここには、事象的自己意識に陥りがちな承認への欲求や不満とは関係なく、自分そのものがある。
自分が好き自分が嫌い自分が判らない、が全て、自分自身でありたいという欲望の中に含まれているという。これは、発見。
著書は、この強い欲望はしばしば好奇心の形をとるという。これは本当に���かる、納得。
健全な自己愛を育むための方法。さまざまな提案。具体的でわかりやすい、無理なくできるところから提案されているところもよい。個人の尊厳を守る、自分の尊厳は自分で守る。そのための環境調整、必要ならされたこと、経験したことを記録する、我慢しない!
日本的な耐えて我慢して成長するみたいな気持ち悪い言い分は間違い、そこに自分を置かない我慢しない。大事だな。
対人関係の拡張少なくても今ある関係を失わないこと!!利他的になりがちならあえて損得勘定で自分を利するような考えをすること。問題発生時には健全な被害者意識を持つこと、自分のせいにしない。
少しでも好きなことをする。身体をケアし運動したり体調や見た目を整える。
オープンダイアログ。対話というアプローチ。医療の現場で有効。
家庭や学校職場でも有効。対等な対話忖度なし。
リフレクティングという手法による本人への緩いアドバイス効果。
最後の方は大変実用的に、自傷的自己愛に悩む人へのストレートな呼び方になっていて、さまざまな、社会や家庭で人と関わる=つまり誰でも誰もがこの本に目を通したら良いと思う。
今の世の中、自分だったら、、という想像力が自然と欠如してしまいその裏返しとして、強い承認欲求やそれが得られないことからくる自己否定、自己肯定感の低下などになっているのかな。他者にも自分にもなんらかの共感やなんらかの違和感を正常に当たり前に持つことが入り口でもあり出口でも入り、平静であろうと思った。
坂口恭平氏の作品しっかり読もうと思った
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大学の先生が書かれた本ということで拝読。
✏こういう場合の「正解」は、いわゆる「アイ・メッセージ」、「あなたが自分を責めたい気持ちはわかったけれど、私は同意はできないよ」と言うことです。
✏繰り返しますが彼らは、「自分がダメであることに関しては、誰よりも自信がある」ので、その自信までも否定され傷つけられたくないのです。こういった人々は、自己愛が弱いのではなく、むしろ自己愛が強いのではないか。つまりこれらの発言は、自己愛の発露としての自傷行為なのではないか。その根拠の一つとして、彼らが自分自身について、あるいは自分が周囲からどう思われるかについて、いつも考え続けているということが挙げられます。
✏この社会には成熟によって避けられる苦痛がたくさんあるとは考えています。
✏コフートによれば、自己愛の発達のもっとも望ましい条件は、青年期や成人期を通じて自己を支持してくれる対象が持続することです。特に青年期には、たとえ一人でも、無条件で支持してくれる人の存在が重要です。
✏自傷的自己愛の一番わかりやすい構造は、この「高いプライドと低い自信」というギャップです
✏万能感はその本質からして開かれた幻想なので修正機会がありますが、無力感は徹底して閉じた幻想なので、修正がきわめて難しい。つまり自傷的自己愛は、徹底して閉じているという点で、もっとも完結した自己愛と考えることもできます。
✏別にキャラいじりをされたわけでもいじめられたわけでもないのですが、「そう思われているだろうな」という思い込みだけで、その経験はトラウマ化するようです。
✏「同一化」とは、簡単に言えば、母親が娘に「自分の人生の生き直し」を求めることです
✏健康な自己愛こそは親が子に与えうる最上のプレゼントではないかとすら思います。ここで私が「親」というのは、「子どもの身近にいる人」という意味なので、必ずしも母親であるとか肉親を意味するわけではありません。いかなる家庭環境でも健康な自己愛を与えることができますし、あえて言えば「コスパ」も最高です。成人してから自傷的自己愛の修復にかかるコストを考えるなら、健康な自己愛を育む価値はいくら強調してもしたりないほどです。
✏ 母との関係に問題があると気付いた娘が、こうした母娘関係から自立するには、どうしたらいいのでしょうか。先述の著書で私が提案した解決策は、第一に「問題の存在に気付くこと」でした。私がほとんど極論のように「すべての母は毒母であり、すべての母娘関係は支配関係である」と主張しているのは、かなりどぎつい表現を用いないと、当事者にこの問題に気付いてもらえない、という危機感があるからです。
✏問題の存在に気づいたら…
①母親の権威を相対化する。母親は娘のあなたにとって特別な存在だけど、その前に一人の不完全な人間であることを理解する。結婚前の話を聞くのもおすすめ。
②両親の前で一回全部吐き出す。親の何が嫌だったか繰り返し語っていく。繰り返し口に出すことで思いが緩和され関係が修復されることがある。
��最も高度に達成された自己愛は透明化する、という考え方もあります。経済的にも養育的にも恵まれた環境の中で育った人の中には、そういう人がいます。自己愛の最も健全で望ましい形は、それが空気のように透明化することかもしれません。もはやいちいち「自分が好き」とすら思わないほど、安定した自意識の基盤になってしまうわけです。
✏それに比べれば、常に「自分大好き」の人は、いくぶん不安定のように思います。常に内省的に自己愛を確認している人は、わずかな傷つきにも動揺しやすい。その意味で「自分が好き」であることが誰の目にもわかりやすい人は、その自己愛も案外盤石ではないのかもしれません。
✏対話でなされているのは基本的に「主観と主観の交換」です。対話の相手がどんな主観の世界に住んでいるか教えてもらうわけです。その世界がどんなにおかしなもので、間違ってるように思えたとしても、いったんは受け入れます。反論や説得、批判はタブーです。
✏もし社会がひきこもる自由を容認してくれたら、ひきこもりへの偏見は減少し、自分自身への偏見故にひきこもりをこじらせる人も減るでしょう。その意味で、ひきこもりの容認こそが、ひきこもり対策の究極の解とも考えられます。
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自責は自己愛の裏返し。自己保存のためにあえて自分を傷つけようとする。自分を責めることも大事だが、過度に痛みつけてしまうとあらぬ方向へ向かってしまう。時には楽観的に、力を抜くことが大事。
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一から十まで自分ごととして読みました。自分が自傷的自己愛なる心性を保持しているという自覚は当初から強くありましたが、本書の「キャラ」概念の導入によってその解像度がさらに増したと思います。
つまり、2000年前後の「解離の時代」以降、「承認の可視化・定量化」とともに人々の承認依存=つながり依存の傾向が強まり、その中で「キャラとしての承認」が重要化し、そして「本来の自己」=身体と「キャラとしての自分」のずれこそが、自傷的自己愛のあり方を生んだのだということ。
個人的に、自分自身のことを「クズ」であると強く感じていましたが、このようなセルフスティグマに再帰的傾向があることも確信していました。つまり、自分は「クズ」であるが、自分を「クズ」と断定することにより、ある意味で自分の居場所を作り安心する。そのことが、また自らの「クズ」としての人格的特徴を再帰的に増幅する。このようなあり方を(モノローグ的に)「再帰的クズ」と呼称していましたが、本書を読み終わった今ならば、まさしくこの「再帰的クズ」こそが「キャラ化された自分」であるということに思い至ります。そして、「あるべき自分」の立場から、「キャラとしての自分」を徹底的に貶める(自傷)ことで、なんとか自己愛を保っていたのだと強く感じます。本書の言葉を借りるならば、「枯渇してしまった自信を高いプライドによって補い、必死に支えている」(p71)状態です。
著者も仰るように、自傷的自己愛は大変「閉じた」自己愛のあり方だと思います。自分について考えれば考えるほど、このモノローグ的思考から永遠に抜け出せなくなるのではないかという不安が募っていきます。本書を読んだことは、改めて自己を社会や他者との関係性の中で考え直す良いきっかけとなりました。「自傷的自己愛」という言葉を冠したこの新書を世に出していただいたことに、深く感謝したいと思います。
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自分が大事だから、自分を守るために「わたしなんて」と言ってしまうとは、目から鱗だった。
わたしも岸辺露伴のように自分自身を貫く生き方をしたい。健全な自己愛を持ちたい
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「自傷的自己愛」の精神分析 斎藤環
面白くはないけど、突き刺さってくるような内容だったなあ。
この本の中に出てくる坂口恭平とは一度
twitter上で、ケンカしたことあり
一度は
直接、電話で話したことがある。
真夜中の3時に電話がかかってきたんだぜ。
マジで気が狂ってると思った。
本の中では
無自覚なまま、無我の境地に到達した人、みたいなことが書いてあったけど、そうは思わないけどなあ。
ただ、単に、田舎のエリートなんじゃないかなあ。
むしろ、自意識がすげー過剰なような気がするんだけど。
双極性障害、っていうのは、彼の強烈な個性ではあるけれど。
まあ、オレには理解できない、特殊な人格だ、というのは分かる。
033
自殺願望と自己肯定感の低さは、必ずしもイコールではない
芥川龍之介
太宰治
三島由紀夫
川端康成
彼らは、自信がない弱気なだけの作家であったわけではない。
044
トランプ元大統領は自己愛性パーソナリティ障害か
048
性愛学者ハヴェロック・エリスが1898年にナルシス的という言葉を用いた。
ドイツの精神科医パウル・ネッケが1899年、はじめて「ナルシシズム」という用語に言及した。
この論文を読んだ、ジークムント・フロイトが、ナルシシズムという語を用いた。
056
ラカンの理論
ことさらに「自分が大嫌い」というほど自己愛的である、という逆説。
068
ひきこもっている人は、しばしば「生きている価値がないから死にたい」と言う。
069
プライドは高いが自信がない
プライドとは、こうあるべき自分のこと
自信とは、今の自分自身に対する無条件の肯定的感情のこと。
070
現在の自分に自信がないからこそ、あるべき自分の姿(プライド)にしがみつく。
198
我執すなわち自己愛を捨てた人
坂口恭平
双極性障害の当事者
何度も強い希死念慮に襲われてきた人
219
自傷性のやわらげ方
1.環境調整
尊厳を傷つけられない環境に身を置く
納得行かない状況があれば、動画に撮影したり録音して記録を残し、弁護士に相談する。
2.対人関係
家族以外に親密な対人関係を持つ
孤立した状況で自傷性をこじらせていく悪循環に陥らないこと
3.損得勘定
自傷的自己愛は、しばしば自分が損をするような行動をあえて取る。
彼らの多くは自責感が強いために、そうした行動に陥りがちになる。
そういうときは、あえて、損得で考えること。
4.好きなことをする
自傷的自己愛者は責任感が強いので、いつも、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまうが、これは逆。
常に、やりたいことを優先させるべき。
やりたいことが見つからなければ、散歩でも、家事でも、ペットと遊ぶこと、でも良い。
5.体のケア
自傷性が強い人は、セルフ・ネグレクトのように、健康や、食事や、清潔さに配慮しなくなる。
あるいは、自ら、過度の飲酒や、喫煙、薬物乱用などによって、自分の健康を害してゆく。
249
自傷的自己愛は、病気ではなく、診断名でもない。
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「自傷的自己愛」とは他者や環境などの外的要因によって与えられた「キャラ」を自己批判することで「こうでありたいという自分」を守ろうとする姿勢といえるのかなと思った。ただ「こうでありたいという自分」がその人にとっては手が届かない部分であることが多いから、なれない自分とのギャップに苦しんじゃうのかな~と感じた。
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自分が良く落ち込む理由、「プライドが高いが自信が無い」について語られた(考察された)本だった。
病気では無いし、これを読んで治るとかそういう本では無い。しかし、自分の状態がラベリングされて、少し客観的に見られた。
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私はこの本を読むまでは、自分に自信がない人や
自分を否定する人には、根気よくその人を肯定し続けてあげれば良いと思っていた。
というのも、「これでもか!」というほどの肯定であり褒める言葉を欲しているための「わざと」の自己卑下だと考えていたからだ。けれどそんな単純なものではなく、もっと根の深いものだったのだなとこの本を読んで感じた。
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日本の全大学生が読むべき本
自分もそうだが,多くの人は,自分に卑屈になってしまう傾向がある。SNSが発達してきて,自分より上位種がSNSで散見されるからだ。学校では一番の成績だったとしても,Twitterを開けば,自分より遥か彼方の成績の人がいくらでもいる。容姿やスポーツなどの面をとっても格上はいくらでもSNSで見れるため,つい卑屈になってしまう。この本を読めばその問題が解決できるわけではないが,なぜ現在そのような状態に,社会がなってしまっているのか,どのようにしたら少しずつでも改善を図っていけるのか,その一助になるのがこの本書だと私は思う。
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著者の別の書籍を読んだことがあり、個人的に読みやすい文章だったことを思い出して購入。今回もどんどん先に読み進められた。
日頃から自分を卑下して止まない自分、あるいは知人のことも考えながら読み進めた。自分をこき下ろしながら、でも変わることをしない/できないのは、結局のところ自分を守るためである。らしくない行動はしたくない。自分らしくありたい。この書籍で言うところの「自己愛」は肯定的に使われていて、自分が精神的にざわざわと落ち着かなくなった時に書き散らす日記のようなものを見返して感じる、何だかんだ今の自分を肯定している、恐ろしくて行動に移れない時の自分を守るためなんだと言う言い訳をしている時の自分の在り方に名前をもらったように思った。
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すべて自分に当てはまると思って読んでいるわけでもなく、でも、自分に該当する側面はちらほらとあるので、読んでいて少し平静でいられないところある。周りのひとについても。
とくに、最終章の「健全な自己愛を育むために何ができるか」。病んだひとを多く見てきたひとならではの言葉。
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面白かった!
健全な自己愛を育むことの何と困難なことか。
自分自身が本作で言う所の自傷的自己愛で長年悩み、根深い自己否定、嫌悪を抱えながら生きてきた。
だからこそ刺さる部分が多くあり、これからの人生では、少しずつでも健全な自己愛を育てていくことが出来るかもしれないという希望が持てた。
''自己愛とは、自分が好きという感情ではなく、
自分が嫌い、自分がわからないという感情も含まれる。自分自身でありたいという欲望の事である。
成熟した自己愛を構成する要素には、自己肯定感のみならず、自己批判、自己嫌悪、プライド、自己処罰といった様々な否定的な要素までもが含まれる。"