「心の闇」と動機の語彙
著者 鈴木 智之
神戸連続児童殺傷事件など、1990年代の犯罪事件の新聞報道を追い、「心の闇」という言葉が犯罪や「犯人」と結び付くことで、私たちの社会に他者を排除するモードをもたらしたこと...
「心の闇」と動機の語彙
商品説明
神戸連続児童殺傷事件など、1990年代の犯罪事件の新聞報道を追い、「心の闇」という言葉が犯罪や「犯人」と結び付くことで、私たちの社会に他者を排除するモードをもたらしたことを明らかにする。そのうえで、他者を理解し関係を再構築していく方途を示す。
目次
- はじめに
- 第1章 「心」を「闇」として語るということ
- 1 犯罪報道と秩序意識
- 2 「動機の語彙論」という視点
- 3 動機をめぐる問いの焦点としての犯罪
- 4 「逸脱の文化」の消失と「心の闇」言説の浮上――一つの仮説的視点
- 5 「動機規則」の適用――理解可能なものと不可能なものの一線を引く行為
- 第2章 「心の闇」の浮上――酒鬼薔薇事件(一九九七年)までの新聞報道から
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
小分け商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この商品の他ラインナップ
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
書店員レビュー
1990年代以降・・・
丸善 丸の内本店さん
1990年代以降、主婦、少年、エリートが起す凶悪犯罪が多く報じられ、このような一般に犯罪とほど遠い(そうあるべき)人々の犯行動機に「心の闇」という言葉が頻繁に使われるようになる。「心の闇」とは犯罪をはじめとする逸脱行為をめぐり、その行為者の内面・動機が“よく分からないもの”“よく見えないもの”として私たちの間に強い不安感を喚起し、その逸脱者を社会における例外者として疎外する反応を方向づける言葉だ。それらの報道の典型的なパターンは、「心の闇」の解明を訴えながら最後は「まだその闇は払われていない」などとその解明を常に先送りにし、私たちの中に漠たる不安を置き去りにする。それは行為者を例外者として措定することで、動機が分かってしまえば自分自身が「第二の逸脱者」になりうるという別の不安を隠蔽する戦略でもある。
思考停止たるこのような戦略に対して、私たちはどのように立ち向かえば良いのだろう?さまざまな主体間の状況やコンテキストを捨象する「論理‐科学的」な語りではなく、他者との対話の中で出来事の成り立ちを語り合う「物語」の力の復権こそ俟たれる、という著者の提言に共鳴する。
この本は「動機規則」「動機の語彙」という視点からこれらの語りと私たち受け手の反応が創り上げる「排除型」社会モードを解明し、他者を理解し関係を再構築する方途を探る。広く社会コミュニケションのあらゆる場面に反省と展望が啓かれる本だと思う。
(評者:丸善 丸の内本店 宮野源太郎)