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よい教育とはなにか 倫理・政治・民主主義
著者 ガート・ビースタ(著) , 藤井 啓之(訳) , 玉木 博章(訳)
よい教育とはなにかを問い、測定と成果主義にもとづく学力幻想から離れ教育の民主主義的展開へと誘う教育論学力調査結果に注目が集まる成果主義時代のいま、「よい教育とはなにか」と...
よい教育とはなにか 倫理・政治・民主主義
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商品説明
よい教育とはなにかを問い、測定と成果主義にもとづく学力幻想から離れ教育の民主主義的展開へと誘う教育論
学力調査結果に注目が集まる成果主義時代のいま、「よい教育とはなにか」という最も中心的な問いを置き去りにしていないだろうか、と教育学者ビースタは問う。日本の教育の民主主義的発展に重要な示唆を与える、教育関係者必読の書。
【目次】
はじめに──教育における目的の問題について
第1章 教育は何のためにあるのか?
第2章 エビデンスに基づいた教育──科学と民主主義のはざま
第3章 教育──説明責任と応答責任のはざま
第4章 中断の教育学 第5章 デューイ以降の民主主義と教育
第6章 教育、民主主義そして包摂の問題
おわりに──「学習の(諸)目的」
【著者】
ガート・ビースタ
1957年、オランダ生まれ。ライデン大学で学位取得後、イギリス、オランダ、ルクセンブルク、ノルウェー等で教授を歴任、現在、アイルランド・メイヌース大学公教育・教育学センターほか教授。主著にBeyond Learning(Paradigm Publishers)など。邦訳された著書に『民主主義を学習する――教育・生涯学習・シティズンシップ』(勁草書房、2014)、『教えることの再発見』(東京大学出版会、2018)、『教育にこだわるということ──学校と社会をつなぎ直す』(同、2021)など。
藤井 啓之
日本福祉大学教授。専門は、教育方法学(生活指導論、道徳教育論、ドイツの暴力防止教育など)。
玉木 博章
中京大学、愛知県立総合看護専門学校ほか非常勤講師。専門は、生活指導論、若者文化論など。
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紙の本
教育議論の羅針盤
2017/08/12 14:25
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、「よい教育とは何か」という疑問に示唆的な意見を述べるわけではなく、この疑問を議論するための前提及び地盤を築くことを目的としている。
現在、膨大な教育に関する研究があるが、上記の問いを考慮せずに行われている研究が多く、教育の議論が不毛になりがちであることを著者は鋭く指摘する。そこで著者は、教育の機能を分け、その中で特に「主体化」に焦点を当て、「主体化」と個人における自由の関係、そして自由と民主主義への関連に議論を進める。最後に、民主主義下で個人が自身の自由を享受できるようにするべきだと述べ、教育論争の地盤を確立しようとしている。
そのため、「よい教育とは何か?」「どんな方法を採用すればよいのか?」についての応用的意見を求めている方にとっては、本書は少し違った書物となる。
私は本書の試みは非常に重要だと考えている。近年では「エビデンス・ベースド・エデュケーション」を重視する傾向があり、実験データで「そのように教育するほうがいい」とか「その研究結果に則った教育を構築するべきだ」という意見をよく耳にするが、「よい教育とは何か」という規範的な方向性が定められていない議論は水掛け論に終わってしまう。この状態を脱する一つの道を本書は示している。
しかし、本書には課題も多い。「よい教育とは何か」を議論する地盤はできたが、まずはその地盤を基に研究資料を全て整理しなおして、具体的に「よい教育とは何か」という問いに答えられるように議論構築しなくてはならない。しかし、この過程を経て得た結果はあくまでも一つの仮説にすぎない。もっとよい教育もありえるという反論も生じるし、研究資料の解釈如何によって全く違う教育法が提唱される可能性もある。著者の見解を進めてみるとこのような長い時間をかけた作業をし直さないといけない。
初めの疑問は、難しい問題だからこそこのような長いスパンを必要とする過程を経ないといけない。だが、その出発点を作ったことこそが、本書の意義だと思える。我々は、教育について根本的に考え直す必要がある。