付箋がいっぱいつきました
2018/05/20 08:49
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(上下)をようやく読み終えました。
出版当時は読みそびれていたのです。
トイレで少しずつ読んだんだけど、鉛筆と付箋を用意して読んだら、傍線がいっぱい入って、付箋がいっぱいつきました。
敗戦から占領期を経ていまにいたる日本の社会で、何が行われ、何が行われなかったのか、つぶさに書いてあります。
そのときそこにいたわけでもないアメリカの学者がこんなに細かく書いていくとは、歴史学とはすごいものだなと思いました。
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大学の授業でしようしたのですが、戦後どのように日本が再建されたのか、憲法制定、アメリカが行った戦後政策の詳細が分かります。長いですが意外にすらすら読めます。
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日本の占領期における政治経済から大衆文化までの幅広い分野が、昭和天皇やマッカーサーはもちろん、高級官僚、文豪、一般大衆、パンパンと呼ばれる娼婦といったこれまた幅広い人々の視点を通して描き出されている。
よくぞここまで調べ、まとめあげたなぁと言う感じ。東京裁判や占領時の政策における言及では、占領を正当化というか言い訳じみた台詞も見てとれるが、草の根レベルで起こっていたことまで細かく触れられていて、非常に勉強になる本だった。
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下巻は、天皇制の維持とアメリカの企図、新憲法制定、GHQによる検閲、東京裁判、など、いまだに議論の多いテーマが取り上げられています。ある意味、下巻は上巻よりもさらに読み応えがあります。
最後にエピローグという章がありますが、これも白眉です。ここで、著者がこの本で言いたかった主要なテーマが、本のタイトルにもした一節を使って明示されています。少し長いですが、引用します。
「21世紀への戸口にある日本を理解するためには、日本という国家が(注:古来より)あいも変わらず連続している面を探すよりも、1920年代後半に始まり、1989年(注:昭和の終わりと冷戦の終わり)に実質的に終わったひとつの周期に注目するほうが有用である。数十年のその年月は短く、かつ暴力と変化に富んだ時期であったが、これを精密に観察すれば、戦後「日本モデル」の特徴とされたものの大部分が、じつは日本とアメリカの交配型モデルというべきものであったことがわかる。... この官僚制的資本主義は、勝者と敗者がいかに日本の敗北を抱きしめたかを理解したときはじめて、不可解なものではなくなる」
最近では官僚が槍玉に挙げられることが多いですが、日本官僚制の起源がこの戦後処理に遡る、とする論旨はひとつの見識ではあるけれども明快で納得させられます。
ちょっと褒めすぎか。敬意も表して星5つ。
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ジョン・ダワー『増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人』(下)(2004)を読む。
昭和史を読むと正直、晴れやかな気持ちにはなれない。
殺りく、陰謀、権謀術策、まやかし、扇動などなど
人間社会の負の要素がぎっしり詰まっているからだ。
無論、昭和史に限ったことでなく、世界史・日本史を通読すれば
人類の歴史はおよそそんなことの繰り返しである。
確かに市井の人間が一日仕事をし、
あれこれ愉快でないこともあったが、
風呂につかり、ホッピーを飲んで、気分よく眠りについた……
というのでは歴史にはなりにくい。
いや、そうか?
ブログ、ツイッター、SNS(mixi、フェイスブックなど)を見れば、普通の人間の、普通の一日、
それほど普通でない一日が書かれている。
これからの歴史書はスタイルが変わるかもしれない。
国家や大組織の歴史と、
個人や小コミュニティの歴史が並行して記述される可能性もある。
ジョン・ダワーの著書は大所高所からの視点だけでなく、
庶民の文化や行動にも目配りしている点が想像力をかきたてる。
自分の両親、祖父母たちが
3月10日の東京大空襲で逃げまどっていたのが、
つい65年前のことである。
歴史のトビラが案外僕たちの日常生活のそこかしこにあるのも
少し考えてみればなんら不思議なことではない。
普段はそうしたトビラを見ようとしないから
見えないだけなのだろう。
晴れやかな気持ちにはなれなくとも、
歴史からいまを学ぶことはできる。
人間がダーク・フォースだけでなくフォースをも駆使できることを
静かに教え、諭してくれるのも歴史である。
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戦後の成長の根幹にある「日本モデル」とは、日本独自の精神的、民族的な土壌より遥かに大きく、日米交配の「非軍事化と民主主義化」という理想を実現するためのシステムに拠する。制度的には30年代初期から52年のGHP廃止に至るまでの権威主義的構造を基盤とし、精神的にはその過程で生じた二律背反的な矛盾、国としての誇りを求める心情を抱えながら。これらの戦後「日本モデル」は89年のベルリンの壁崩壊、バブル崩壊、天皇崩御に終わりを迎えたと著者は結論づける。
戦時中、戦後の言動によっていわゆる日本人的精神のようなものが幻想であったことが明白に描き出される。学校でこうした戦後史を学ばないからこそ、現代人もこうした思想に容易に感化されてしまうのではないか。戦後を支えた「日本モデル」は精神的な風土ではなく社会システムにあった、そうした構造はいまだに解決されていない矛盾や欺瞞をはらんでいる。そうした認識を持つことによってはじめて様々な問題に向き合えるのではないか。
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日本人は変わっていない。従うものが変わっただけで、従い方は変わらない。マッカーサーは天皇を守ろうとした。それは、天皇がいた方が都合がよいから。
戦争に責任があるのは誰か、そう簡単に割り切れない問題。今までの歴史教育をもう一度考える。戦争は悲しいもの、絶対やってはいけない、だけだった小学生の時。なぜ戦争が起きたかを考えなくてはならないと気付く中学生の時。戦争は必要悪なのかとか、攻め込まれても戦わないかとか、それまでの価値観が崩れだした高校生の時。「また戦争になるのかね」と言った祖母に答えられなかったまま、祖母が亡くなった大学生の時。
どこの視点から見るかとか、色々知る度にわからなくなっていくけれど、やはり考えてしまう。特に夏は。
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差し当たり上下巻まとめて。記憶に残る論点の箇条書き。
・世界が(そして日本自身も)その「特異さ」に注目した戦後日本の「日本らしさ」は、戦中に官僚組織が作り上げ、戦後占領軍が育てたものであって、東洋と西洋の違いなどの話ではなかった。その意味で、確かに占領軍によって日本は変わった(飛躍的に自由が増した)であろうが、しかし、戦中から保存された傾向も多かったのだ。正に「裕仁が君臨した昭和と云う一つの時代」。
・米軍と戦前エリートとの共同で進められた「不幸にも騙された天皇」像の製作。しかしほんの数箇月前まで、裕仁の名の下に対外的には侵掠を、対内的には驚く程の抑圧体制を敷いていたのである。天皇の扱いには日共ですら錯綜していて、デモ隊を率いていた徳田球一が「天皇に請願する」形を取ったのも事実。
・右派も左派も、揃った様に戦争経験を「加害者の見えない被害」と描いた。具体的には東京大空襲や原爆体験。しかし日本は日本で、記憶に少しながら残る所では中国・朝鮮に対して、殆ど記憶から追放されている所では東南アジア諸国に対して領土的野心を持ち惨禍を齎している。大量の言説を生んだ「被害の記憶」に対して、埋没した「(アメリカ以外に対する)加害の記憶」。奇しくも、保守派が使用する「大東亜戦争」の語は「太平洋戦争」よりも主だった被害を適切に表している。
・日本に真の民主主義を持ち込もうとしながらも、植民地の宗主国の様な立場しか取れなかったニューディーラーたちの矛盾。日本人民の中から民主主義が生まれる可能性もなくはなかったが、これを伸長はさせられなかった。アメリカの主導で行う以上、占領軍に対する批判を徹底して抑える大検閲体制は避けようがなかった。
・アメリカ側の憲法草案”people”を「国民」と意図的に誤訳した日本側プロジェクト員。見事に国内の「外国人」達を法の庇護から押し出した。
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天皇は何故戦争責任を問われなかったのか。
それは元々占領軍が事前に決定していたことだった。
彼らはもし天皇の戦争責任を追及したり死刑にしてしまったりすれば
日本人は大混乱を起こし、破滅的行動に出るだろうと考えた。
しかし実際は大多数の国民にはそんなことに関心はなく
占領軍の懸念は杞憂だったことが分かる。
他、天皇の人間宣言に関しての逸話、新しい憲法が出来るまで
占領軍による厳しい検閲、東京裁判の実態などの話が進む。
戦後から60年以上が経過したが、我々は本当の意味での
「独立」を果たしたのだろうか。確かに経済発展はした。
物質的な豊かさに関しては世界有数であることは間違いない。
しかしその豊かさに甘え改革を拒否して過剰な保護主義に走る
政治家たちを見ているとその豊かさも長くは続かないのでは
ないかと思えてくる。
この閉塞感を打破するためには本書の描く時代が
そうであったように、もはや外圧しかないのではないだろうか。
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この大著は、例年の夏のメイン図書と同じく、長期旅行の際に読もうと思って旅先に携行した。
下巻は憲法誕生に至る詳細な過程が描かれる。戦後の民主化と逆コースのまさにはざまに生まれ落ちた奇跡のようなものが日本国憲法であることを知る。日本の保守層が抵抗したのは事実だが、「押しつけ」という評価は当たらないだろう。
東京裁判に関する問題点を明確に描き出している点も大いに参考になった。
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上巻は戦後文化を主、下巻は政治的な背景を描いている。混沌とした時代に生きた人々の希望は民主主義、戦争放棄というまやかし、経済発展のみを拠り所とした悲しいものである。だがそれが功を奏し、日本は先進国の仲間入りをした。日本は運が良かった。運のみで発展をとげたと言っても過言ではない。問題はこれからの時代。明確な政治目標や政策をたてなければ、駄目になる。
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上巻ほどユーモラスな描写もなく、庶民の生活を描いたものでもない。下巻は東京裁判とそれに関係する資料を、どちらかというと米国に批判的な見地から描いたもので、現在日本の戦後史を見直そうとする多くの本は、この本から引用がされているような気がした。ただ、個人的には戦争の悲惨さと不条理さへの憤りばかりが頭に浮かんで、少しネガティブに。疲れているときに読む本ではないと薄々感づきながら、結局全部読み通した。
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上巻に引き続き一気読み。天皇制がなぜ維持されたか、なぜ戦争責任を一切負わなかったのか、天皇のために死んだ国民に対する謝罪は、終戦直後の飢えた国民のために天皇家の財産を利用することはなぜなかったのか。占領軍の検閲と情報統制のため、世界が冷戦状態になっていることなどつゆ知らず、非武装がいきなり解除されるなどの「逆コース」が急速に進行、外交とはしょせん二枚舌であり、力のないものは敗者となるのが必然。占領解除後の日本の経済力について「紙ナプキンでも作っておれば良い」
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敗戦直後の日本の状況を、アメリカ人日本史家がありありと描く作品。写真や資料が豊富で、上下合わせて800ページ以上になるけれども、飽きのこない構成になっています。
その時代を生きた人と接することだってある、わずか70年前のことなのに、自分はあまりに無知であることを実感。
天皇の戦争責任回避、虚脱、カストリ文化、逆コース、皇位継承者、極東軍事裁判過程、日本国憲法制定過程、などなど...
読み終えて、近年の自民党政権の動向に危うさをより感じるとともに、良くも悪くも日本人の国民性は戦中・戦後からあまり変わっていないのだなと感じる次第です。
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上巻を読み終わったとき、「どうして日本人にこういう戦後史が書けないのだろう?」と思っていたが、下巻の天皇制を扱った章を読んで、確かにこれは日本人には書きにくかろうと納得した。
天皇は、何らかの形で戦争責任を取るべきであったという筆者の主張は明確だ。そして、なぜ天皇の戦争責任が問われなかったのかということを丹念に検証している。今上天皇の慰霊の旅は、そうした経緯を踏まえてのことなのかもしれない。
日本国憲法の制定に関しても、この著作を読むことでかなり克明にその経緯を知ることができた。憲法改正の動きが活発になりつつある今だからこそ、これらの章の持つ意義は大きい。
「平成」と年号が代わって早29年。「戦後」は本当に終わったのだろうか?それとも、まだ戦後を引きずっているのだろうか?
現在の日本を考える上で、この著作はまだまだその輝きを失ってはいない。