かなり詳しく調べ上げており、昔の時代を悪く言わない論調が特徴的でした。
2024/10/13 21:19
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸時代以降の女性の名前の変遷について著した1冊です。男性の名前や苗字などにも触れています。
江戸時代の全国各地の女性の名前を調べ上げ、地域的に比較するなどしています。よくぞここまで調べ上げたと感心しました。
そして、当書で最も特徴的なのは、女性の名前の付け方などから、現代に比べて昔は自由が効かなくて大変な時代だった、という論調ではなく、むしろ昔はこれで生きやすい良い時代だった、と論じている点です。歴史を学ぶのに必要な視点を、当書で学べました。読み応えある1冊でした。
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<目次>
第1章 江戸時代の女性名
第2章 識字と文字の迷宮
第3章 名付け・改名・通り名
第4章 人名の構造と修飾
第5章 明治の「氏」をどう扱うか?
第6章 「お」と「子」の盛衰
第7章 字形への執着
第8章 氏名の現代史
<内容>
『壱人両名』や『氏名の誕生』など、地道ながら庶民の歴史、それの背景にある幕府や政府の施策を説いてきた著者。今回は女性名の変遷である。我々の「氏名」は一生固定のものであると信じ切っている現代人にとって、江戸時代の名前にこだわりのなさ、その背景(文字を読めるかどうか?何のために名前をつけるのか?どこの範囲までで使っていたのか?など)を実例を豊富に上げながら解いていく。その地道な作業は頭が下がる。そして女性名に限らず、現代の「キラキラネーム」まで言及。おそらく「氏名史」はここで一時終了なのだろう。その背景が理解されない限り、江戸時代や明治初期の人々の感覚は理解できないだろう。やや難解に感じるのは、もともと当時の人々が一貫した考え方で名づけをしたわけではないからだろう。
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本書は女性の名付け(あるいは改名)の特徴や仕組み、ルールとその変遷を丁寧に解説しており、大変興味深く読みました。著者の前著『氏名の誕生』と合わせて読めば理解も一層深まります。
長年議論されている選択的夫婦別姓に関して、明治時代に近代氏名が成立してから百数十年、夫婦同姓の歴史はさほど長くないけど、夫婦別姓だった時代はほとんどない(明治以前は「姓」の意味が異なるので同一に考えるべきではない)。戦後、家制度が消滅したことで「氏」への意識が変化する。夫婦同姓を維持するのか、選択的夫婦別姓を導入するのか、昔がどうだったとかあれこれ言うよりも、今の人々、未来の人々にとっての「姓」のあり方をもっと議論すべきなんだろうなあ。
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古代からの女性の名前が男性とは全く異なる変遷を辿ってきたは初めて知ることばかりで、勉強になった。
だが明治時代から国家が国民を管理する目的で氏名制度を作ったり、戦後決められた漢字の範囲内で名前を付けるよう強要してきた歴史には憤りを感じた。
近頃夫婦別姓の議論が再燃しているようだが、これも氏が家の名から個人の名という認識に世の中が変われば容認派も増えて家族の在り方も変わっていくのかも知れませんね。
因みに、明治30年代生まれの祖母の名は『くま』で、昭和10年生まれの母は『タケ子』です。
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本書は、女性の名前を主題とし、近代の「氏名」誕生以前の江戸時代の女性名とはどんなものだったのかを明らかにした上で、その後の明治時代から現代までの「氏名」の文化の歴史的変遷を女性名に焦点を当てて整理している。
氏名をめぐる現代の常識が近代以降の僅かな歴史から持たず、江戸時代には全然異なる常識があったことなどを理解した。かなり目から鱗が落ちる、読む価値のある内容だった。
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女性の名前、21世紀現在には氏名として確立したものは、古代からの歴史上で男性の名前とは異なる変遷をたどったことを、おもに江戸時代に用いられた女性名の検討から表記に用いる文字や身分の変更に伴うその不同一性が存在し、後世とは全く異なる名前に対する意識の差異があることを論ずる。そして明治以降国家により国民管理上の都合でつくられた個人の氏名が男女問わず前近代の人名から変質をきたし、人々がそれに対する執着を持つようになったことを示す。その明治の氏名の改革において、夫婦別姓のほうが明治政府権力の標榜する復古とされていたことからも氏名への拘りは時代により移ろうものだと知られる。
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著者は順番に読め、とはじめに、に書いている。女性の名前は江戸時代はおはつ、おいね、など「お」をつけた。名乗る場合は「お」はつけず「私は備中の玉島に居ります辰と申して、徳兵衛女房でござんする」など。男性の名は、職と地位を著す表記がついて、通称があったという歴史がある。名前が姓と名に固定されたのは明治以降。こういう歴史をふまえて、人々の名前観を知った上で、別姓問題を議論すべきだとする。・・著者は別姓否定ではないようだが、かといって賛成しているようでもない。・・学者のように旧名で多数論文があり、年齢が行って結婚して夫の名に、といったことを経験してない人は、現在の改姓の不具合は実感できないかも。ただ著者は、近代氏名は、明治期に名前だけでなく姓も名のる、という法律によって、国家が国民を管理する符号として確立したものだ、と言っている。
2024.9.10第1刷 図書館
メモ
プロローグ 女性からみた「氏名」
現在の「氏名」-すなわち氏(苗字)+名(唯一の個人名)という人名の形は、明治政府が人為的に創出したものである。「氏名」という形式や改姓名禁止などの原則が出そろうのは明治5年(1872)。8年からは必ず氏を称することが強制され、名前のみで生きることは禁じられた。以来現在にいたるまで、「氏名亅(近代氏名)以外の形を本名とすることは認められていない。
近代氏名の誕生は、慣習で推移してきた人名の形を政府が一方的に規定するという、日本史上、前代未聞の大きな画期であった。・・江戸時代の女性名は、男性名とは全く異なるものだった。・・近代氏名の誕生はそれほど違っていた男女の名を突然同じ「氏名」に統合する結果をもたらした。
エピローグ
明治8年、苗字強制令。そこでは既婚女性に付ける苗字は、生家・婚家どちらなのか--という問題が明治7年頃から表面化した。ただしそれは政府内部の「御一新」の在り方をめるぐもの。
大久保利通らは従来通り苗字を家の名として扱い、現実的な一家同姓(同苗字)方針だが、苗字を古代律令制以降の「姓」に見立てて、既婚女性には生家の名字をつけるべきだという「復古」的主張と対立した。
明治政府は「王政復古」を自らの政治的正統性として掲げていたため後者を無視できず、一家同姓の本音をもちつつも当面は復古的「姓」の方針を採用した。だが、近代氏名が一般になじむにつれ、復古的「姓」の方針は「家」を基礎とする社会において、非現実的なものとして非難も受けるようになった。
明治31年、一家同姓の方針を明文化した民法がようやく施行され、近代の「氏」は従来どおりの苗字、すなわち家名と決した。ここで近代氏名は国家による近代「家」制度の下、国民を管理する符号として確立した。
氏名へのこだわり
明治5年の改姓名などの禁止以降、氏名の変更は容易にできなくなり、改名を前提とした江戸時代の人名文化は日常から消えていった。戸籍に登載された名を一生使うという原則は明治政府によって否応なく始められたが、明治末期までには定着し、人々は均しく氏名を持つ日本の「国民」であることを当然の前提と��るようになった。
近代以前は人々の識字能力もまちまちで、特に女性の多くは自身の名も文字で認識していなかった。そのため音声さえ違わなければ、特定唯一の文字表記にもこだわらなかった。しかし近代以降、識字が進み、氏名を文字で認識する人が増加した。
同じ呼び名で違うもの
「氏」「姓」「名」「氏名」「姓名」などの語は時代や状況で全く別のものを示す。
・古代から前近代の朝廷:土師宿祢が菅原宿祢、菅原宿祢が菅原朝臣と、勅許をえて変更されることを指す。
・江戸時代から戦前:八木が前川、など苗字の変更
*戦前、苗字の変更は原則不可能だが、由緒ある先祖の苗字に戻す「復姓」、過去に断絶した家を復活させる「絶家再興」など、「家」制度に基づき家名が事実上変更される「改姓」があった。
符号と個性の苦悩
ハンドルネーム、芸名もあり。だが不特定多数との交流が拡大している現代社会では、本人確認や証明の上で、どうしても戸籍名から離れられないし、戸籍名はいわば国家公認の「本名」に、理屈抜きで愛着を抱く感情も強い。
だが戸籍上の氏名は、国家が個人を把握・管理するための符号である。ところがそこに「氏名は個性なのに、自由にならないのは不当である。法律を変えて対処すべきだ」という不満が向けられると、国家は個人の自由や幸福追求を尊重して、その解決策を講じねばならない。現在の氏名は管理符号と個性という相容れない性格の併存により、大きな苦悩を抱え込んでいる。
一体どうすればよいのだろうか。
・・個人番号で氏名は勝手次第とするか、とりあえず個性としての性格を重んじ、夫婦の氏を選択制にする、戸籍の名に振り仮名をつける---といった表面的弥縫で乗り切るべきか・・・氏名の抱えている諸問題は社会の諸々の事柄と絡み合っているだけに、安易に処置できない。今のまま放置するべきではないが、小手先の対応にはどうしても慎重にならざるを得ない。
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読了:2024/12/24
本の森ちゅうおう
p. 297
昭和13年2月15日 岡本かの子
「名は一生使ふもの」「親の付けて呉れた」「優しい名は気をやさしくする」ーー江戸時代の人間が聞いたらをあんた何をいってんの?」と呆れるような内容である。しかし人名にまつわる常識はここまで大きく変わった。
(中略)しかしこれでもまだ、現代人の人名常識とは違いがある。名前はその人の個性だ、アイデンティティだ、だから尊重せねばならないーーなどと現在しばしば耳にする理屈や執着は、この段階でもまだ出てこない。そのこだわりはもっと新しいのである。
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名付け、改名、イエ制度、夫婦別姓。
名前にまつわる話は是か非かで語られることが多い。
そしてそれはあたかも日本の伝統であるかのように語られる。
しかし、驚くべきことに、かつては名前など大した問題ではなかった。
下女になったらみんな「よし」となったり、「てい」という名前は「てい」でも「てゐ」でも「てへ」でもいい、とされていたり。(70頁)一体どういうことなんだ?
それは、江戸時代には唯一絶対の正しい表記がないからだ。
また、例えば「静子」という名の「子」の字は名前の一部ではなく敬称だった。
なんと!!!!
氏名とは不思議なもので、名前の文字はこの字が優位つ絶対なのだ、と言うのはつい最近の決まりごとらしい。
明治、第二次大戦後、時代が降るごとに名前は固定化されてきた。
江戸時代のように、しょっちゅう改名する、と言うのはもはや現実的ではない。
かねてより関心のある夫婦別姓(選択制)について。
「氏」が血縁関係を示す「姓」ではない、とか、「父系血統」ではなく「苗字」という「家名」だ、とか、明治期の女性の婚姻後の「苗字」は政府の中でも揺れ動いていた。
だから姓の固定は「日本の伝統」などというのは全くの歴史誤認である。
歴史上の問題を加味すると、本書に示された名前の在り方、変遷は一度で理解するには複雑すぎる。
けれど、「時代を超えた"正しい形"や"正しい文化"など存在しない」(353頁)という繰り返される筆者の主張は耳を傾けるべきである。今を簡単に過去に当てはめてはいけない、それは正しく知ることにとって必要最低条件なのだ。
それを踏まえた上で正しく論じていきたいし、そういう社会である事を切望する。
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なぜ女の名前に「お」を付けたのか、「子」が付いた名前が流行したのか。名前が身分を表していた時から、現代のアイデンティティとしての氏名へのこだわりへ、時代を追って細かく説明している学者らしい本。
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何でこんな読みにくい名前増えたんだっけ?という素朴な疑問からスタートして、色んな角度から、現代の名前について考察されている。
面白い!
名前の概念や価値観までも、時代によって変わります、そしてこれからも変わるでしょう、というのが感想です笑
夫婦別姓議論への違和感も記載されていて、かつての日本は夫婦別姓だったのか、という疑問そのものがナンセンスだと感じました。
勉強になる本です!
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生まれた時にはすでに当たり前の制度として当たり前に接してきた「氏名」。それがたかだか明治時代に作られた制度であり、日本の長い歴史の中で名や姓といったものがいかに変転してきたかがよく分かる一冊。こういう事実を前にすると、女性学者の研究歴が結婚改姓によってリセットされてしまうという事実一つとっても、選択的夫婦別姓は少しでも早く導入すべきだと思ってしまう。少なくともそれは決して日本の伝統とは言えないのだから。
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『氏名の誕生』の続編にあたる。前書はほぼ完全に男性の名前について述べられていたが、女性の名前はまた異なる仕組みがあった。前書同様に本書も半分は江戸時代の女性名について述べられ、明治時代に行われた変更については後半で扱われる。
江戸時代の女性の名前はよく時代劇に出てくるような「お○○」という形式が圧倒的多数だった。これを「おの字名」と呼ぶが、「お」は接頭辞なのか名前の一部なのか、由来は何なのかといったことは諸説あるようだ。これが明治になると「○子」の形が増えるが、これは当時の流行らしい。
本書で印象に残ったのは、まず江戸時代までは名前の字にこだわりが無かったという話だ。発音さえ同じならどの漢字で書かれても気にしなかったらしい。そもそも女性は自分で字の読み書きができない人が多かったので当然かもしれない。サブタイトルにあるこだわりは、識字率が向上したことで初めて生まれたものなのだ。
次に夫婦同姓の発端だ。江戸時代は女性に苗字は付けないのが一般的だったので、全員に苗字をつけることになって初めて生まれた問題ということだ。
江戸時代の場合、例えば山田太郎に娘が生まれて花子と名付けたら、「花子」または「山田太郎娘花子」と表記されることはあっても「山田花子」とは書かない。結婚して鈴木大介の嫁になったら「鈴木大介妻花子」であり、「鈴木花子」とは書かない(ただし夫が死んで妻が戸主になった場合はこういう書き方になる)。
これが明治の法律によって女性も直接苗字を名乗ることになったわけだが、結婚した女性の苗字は最初はその人の祖先を示すもの(つまり結婚しても変わらない、夫婦別姓)だったのが、あとから家族の名前という夫婦同姓を採用したとのこと。現在まさに「選択的夫婦別姓の是非」が議論されているが、そもそも現在の仕組みはそんなに長い歴史を持つわけでもなければ深い議論の末に決められたものでもないのだ。
個人的には、マイナンバーという制度ができたのだから、個人を識別する必要がある時はそれを使い、名前なんかは各自の好きにすればいいと思うのだが、適当に決めた制度でも100年経てば「こだわり」を持つ人が出てくるようだ。