息子の唇 みんなのレビュー
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紙の本息子の唇
2003/04/06 19:45
春菊の女としての棘と円熟味が不思議に混在する新境地がある
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投稿者:弥一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この短篇集を読んで感じるのは、内田春菊の、女としてのある種の安定感である。円熟とまでは行かないとしても。それでも彼女らしい棘が随所に垣間見えて彼女のファンは安心していい。
この安定感と棘とが奇妙に交じり合っているのが、この短篇集の特徴だと感じた。男性の語り手という形で「若妻にやる気をなくさせる方法」とか、「太れ僕の料理で君よ」とか「働く妻にやる気をなくさせる方法」なども、多少なりとも自立志向があり男性に対しても尽くす気がある女性にとって、なにがうんざりする男性の態度なのかを逆側から映し出すという手法であり、実際には男性批判の小説なのだが、そうした工夫をすること自体に、何かゆとりのようなものを嗅ぎ取ってしまうのだ。
まず『息子の唇』を採り上げてみよう。
小説の主人公の女性は仕事が、家庭には主人も子どももいる。その彼女がタクシーに乗ったのだが、つい人のいいこの女性はタクシー運転手の相談に乗ってしまう。しかも、あろうことか運転手の願いで、彼の奥さんに家庭の主婦たる者は、斯くあるべしと説教して欲しいと、彼の自宅へ赴いてしまうのだ。その女性の夫ではないが、「普通、そんなこと、するかぁ!」である。けれど、その女性は、断りきれずにタクシー運転手の自宅に上がりこむ羽目になるのだが、長々と滞在した挙げ句、なんのために訪問したのか釈然としないままに自宅に帰る。しっかり運賃は支払って、である。当然、旦那には誤解を受けるだろう。
彼女は会社でも、彼女が思うにそんな役回りを演じることになる。いつも、役に立たないような若い男を部下に持つことになるのだ。叱るとベソを掻くし。で、優しく接すると甘やかしているのではと不安になったりする。
でも、たまに好感を抱ける部下が来ると、呆気なく自分がだめだからかもしれないと反省する。だから部下もだめになるのだろうと言い聞かせてみたりする。家庭と会社は別の世界なのだ、心を切り替えなければと思いつつ、ついつい、なんと言うことのない流れで気に入った部下と一緒にタクシーに乗ってしまう。
そして気が付いたら彼女の「唇は、なぜか彼の唇のほうへ近づいて」そのまま触れてしまう。小説の最後は、「彼の唇は子どもの頬のように柔らかいと思った」である。
少なくとも小説の中の彼女は、誘われたり頼まれたりしたら断れない、だけじゃなく相手の気持ちを察して、自分から誘うような形にさえ持っていく。で、相手からすると、この女は都合のいい女だ、利用するだけ利用すればいい、俺がこの女と付き合うのは女へのサービスだ、だって、女から誘ってきたんだし、という発想になってしまう。
結局は類は友を呼ぶ…、に過ぎないのだが、その性懲りのない後悔の繰り返しを敢えてやってしまう(傍からは人のいい、でも本人はそんなはずではないと思って真剣に後悔する羽目になる)その敢えてが描かれているからこそ、内田春菊ワールドなのである。
勿論、『息子の唇』は小説であり、小説に登場する女性の語り手は(なかには男性が語り手となっているものもある)、決して単純に内田春菊本人に重なるはずもない。が、小説の全体的雰囲気として、何となく今までの辛らつさが薄れているように思える。
でも、さて、そんな彼女が常識に目覚めたら(否、目覚めているのはとっくに、そうなのだが、行動パターンにおいても常識に叶う振る舞いをするようになったら)、つまりは発想そのものが当たり前になり、つまらない(でも本人の生き方としては楽な)発想の、ありきたりな女性作家の一人になってしまうのではないかと、他人事ながら危惧するのだ。
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