心の起源 生物学からの挑戦 みんなのレビュー
- 著:木下清一郎
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評価内訳
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2007/04/06 17:30
物質>生物>心、と「入れ子」になっている世界。生物学者が書いた、「心」の世界の哲学的な考察。
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
神経学者、脳生理学者といった科学者が意識や感情、心に切り込んで様々な新事実を見出している昨今である。一般向けの本もかなり出版されるほどになった。この本は具体的な事例から入るというよりももう少し哲学的に、しかし生物学者の立場から心を考えようとしている。
新事実や実験データなどの具体的な記述は少ないので、その分机上論に思われてしまう部分もあるが、ある程度の科学的知識があれば、現実の知見から離れた論議ではないことはわかる。逆に、あまり新鮮味はない、と捉えられるかもしれない。しかし、各章ごとに短い「まとめ」がついていたりしてわかりやすく、現時点での科学からみた「心」を考える良い一般書であると思う。
「心」の世界の位置を考える上で、「物質世界の中に在る生物世界」という二つの世界の関係から「生物世界の中に在る心の世界」として考えていくやり方は納得しやすく、無理がない。世界が「入れ子」構造になっていて、それぞれにそれぞれの世界の矛盾を持ち越している、という考え方はある意味、発展性もある。科学の既知の知見を熟考していくと、現時点ではこのような「心」観になるのではないだろうか、という世界である。
この本では、「心が心を考える」ことの限界など、いわゆる形而上学的な部分も論議され、かなり哲学に踏み込んだ考察となっている。「世界」とはなにか、と定義を考えて進めるあたりはほとんど哲学といっていいように思う。もともと、科学は哲学の中から育ってきたといってもいいかもしれないし、生物学は生命とはなにか、人間とはどういうものか、といったところで哲学と触れ合っている、ともいえる。科学が進んでくれば、それぞれの時点でこのように「境界」に触れる議論が出てくるのは当然の成り行きと思いたい。
こうして科学がどんどん意識や心の問題に入り込んで来る。この本のように、哲学的な問題を意識した科学者も多くなっている。ぜひ、哲学者の方から、このような科学の知見への意見を発信して欲しいものである。
2002/09/22 23:02
躍動・戦慄・感動
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
物質世界の入れ子としての生物世界、生物世界の入れ子としての心の世界、そして心の世界の入れ子としての超越者の世界にまで説き及ぶ、自然学と人文学に架橋した壮大な心の発生と展開と未来をめぐる物語。こういう読み物にめぐりあうと、私の心は躍動する。
数の世界の構造を心の世界の構造の把握にあてはめて──《考えてみれば、数というものは心に似ていなくもない。どちらもあるといえばあるようであり、ないといえばないともいえる。》(21頁)──、数学基礎論が数を新たに構成していったのと同じように、心の概念(心とは何であるか)をいったん脇において心を新たに構成し直してみる(心をつくり上げる)という「心の発生学」の探求方法が提示される冒頭のくだりにふれて、私は戦慄する。
特異点・基本要素・基本原理・自己展開という「世界が開かれるための4条件」や、心の世界にとっての特異点である記憶が自己回帰の過程を経て時空・論理・感情を生みだすために必要な能力としての「統覚」(離散的なものの堆積から連続的なものを見いだす能力、経験できるものから経験できないものを抽出する能力)、そして世界と世界のつぎ目にあってそこから新しい公理系が生まれ独自の展開を遂げる起点としての自己矛盾。これらの叙述を目にして、私は激しく感動した。
これはほとんどヘーゲルのエンツュクロベディー(論理学‐自然哲学‐精神哲学)だ。もしくはペンローズの三つの世界(プラトン的世界‐物質的世界‐心的世界)そのものではないか。──現にヘーゲルは『自然哲学』第三部「有機体の物理学」の冒頭で「生命は、主体・過程となったときに、本質的に自分を自分自身と媒介する活動である」と書いているし、その末尾で「自然の目的は自己を殺すことであり、直接的なもの、感性的なものという、それらの外皮を破り開くことである。つまり、不死鳥として自己を燃やし、その外面性から若返って精神として登場することである」と語っている(加藤尚武訳)。
ヘーゲルやペンローズは措くとして、実際この本にはわくわくさせられる。
2002/12/13 01:51
世の中はああいつも自己矛盾
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投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る
狂牛病騒ぎからほぼ一年になる。
あの病気は、私の目から見て、明らかにヘンであった。
……何がヘンか。病原が増殖して生体の機能を麻痺させる、というだけなら、そりゃ確かに普通の病気と変わらない。問題は、その病原が、細菌でもバクテリアでもない、ただのタンパク質だ、ということなのだ。
なんでただのタンパク質がひとりでに増えて悪さをするんだ〜? 食べると感染するというだけでも十分に不可解だというのに。
しかし、後になって、私はこれと同じぐらい不可解な物質をもうひとつ知っていることに気づいた。……DNA、すなわち、生きものそのものである。
生き物というのは、明らかに異常なモノである。
生む! 増える! 育つ! 死ぬ! なんたって、もォー、生きもの!
もし目の前の石っころが、おもむろにこういう活動を始めたなら、「大したジョークだ」と笑ってごまかすしかないような状況になるに違いない。しかし、それをまじめに築きあげてしまったのが、こいつらなのだ。
……と、ここまで書いて、文章の収拾がつかなくなってしまった。ま、いっか。
著者は、「心」とはなにか、という問いに、生物学的な観点から解明を試みる。そして、物質世界から、かくも不可解な生物世界がひらけてしまったように、「心」の世界も、生物世界の中から生まれた、新しい不可界なのではないか、という仮説をたてて、そこに挑んでいる。
……私のようなアホは、「おお、すげー」「おお、かしこい」とその論が進んでいくのを黙って眺めるだけなのだが、にしても、この無謀とも思われる分野横断的な探求を、真摯に論理的にやり抜こうというその一貫性が、また見事なのではなかろうか。
にしても、「心」って何なのかね〜。こころ=感情という認識は、あまりにも甘いものだ、とは思うのだが、さりとて、「この人の言う通りだ、うんうん」とうなずくのもなんだか悔しい。頭をボリボリかきながら、「ハハ、何だろね〜」と言うぐらいしかできないくせに。
さもなくば、「大したジョークだ」と笑い飛ばすか。
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