日本のいちばん長い日(決定版) 運命の八月十五日 みんなのレビュー
- 半藤一利 (著)
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2006/08/13 17:11
日本のいちばん長い日と言われて8月15日がすぐに思い浮かぶような日本でありつづけて欲しいと願いながら
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初に刊行されたのが40年以上も前のことであり、『決定版』として単行本が刊行されたのも10年も前のことで、すでに評価の定まっている本に文庫版になったからといって何をか言わんやとも思うが、8月が来るたびに思い出す1冊である。
もちろん私も戦後生まれであるから、この8月15日を実体験として持つわけではない。親からかろうじて聞かされている程度と、この本を原作として作られた映画や毎年のようにテレビで繰り返される後追い体験として、何となく知るだけである。それでも繰り返すたびに、ここが現在の日本の始まりなのであるという気持ちを新たにする。そう、太平洋戦争を初めとする日本が世界各地で行っていた戦争の終わった日はすなわち、現在に連なる日本の始まった日であるということを、この本は教えてくれる。
この本にはかなり多くの実在の人物の昭和20年8月14日午後から翌15日午前の動向が描かれているが、その中でも鈴木首相、阿南陸相、反乱を企てた青年将校らが中心に描かれている。誰もがそれまで日本が経験をしたことがなかった戦争に敗れて終わるという事態をどう受け止め、どう反応し、どう過ぎていったのかが、事実に即して淡々と描かれている。
最初にこの本が刊行された当時に「ノンフィクション」という言葉が知られていたのかどうかわからないが、事実を淡々と描いているという意味で、よく出来たノンフィクションだと思う。最近のノンフィクションの中には、「ノンフィクション」と言いながら著者の主観や想像が多く織り込まれ、まるでドラマでも見るような描き方をしているものもある。そうした描き方にはそれなりの意味もあるのだろうが、やはり「ノンフィクション」と銘打つ以上は事実を的確に描いて欲しいと思う。その点この本は、事実に忠実であろうとする意思がそこかしこに見られる。
戦後20年たった時点で描かれているわけだが、そこにもすでに人間の記憶の曖昧なところがある。その曖昧なところを脚注に提示しながら描いていると言う点からも、著者の事実に忠実であろうとする意思が読み取れる。
しかも、時間の経過そのままに並べて描写することで、8月15日の重要さをより私たちに示してくれている。
戦争を実際に体験しているとか、していないとか、戦前生まれだとか戦後生まれだとかなどという、今更どうにもならない分け方を自分たちでしてしまって、日本が確かにこのような体験をした上で現在があるのだということを次の世代に伝えるのを忘れてしまわないように、8月が来るたびにこの本のことを思い出し、ほんの数ページでいいから読み直すことが大切だと思う。
と、確かにこの本の力強さに圧倒されつつ、一方で「これって、今テレビや映画になったら絶対『24』じゃん」と思う自分もいた。決して不謹慎に考えているつもりではなく、それだけの迫力を感じたのだと、言い訳させてください。
2006/07/14 16:58
不朽のドキュメント作品
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:伊豆川余網 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ついに文庫化してくれた、文藝春秋に感謝したい。
今や「昭和史」の第一人者、ともいうべき著者の原点が本書ではないか、と思う。
だが、初版時(1965年)の著者名は「大宅壮一」。当時、「文藝春秋」編集部次長だった著者の名を、同社からの刊行物に出すことは憚られたのであろうし、ジャーナリストとして勇名を馳せていた大宅の名で出すことは、営業上も有効とされたのかもしれない。そのあたりの経緯は、半藤氏自身「あとがき」でさらりと触れている。
その後、角川文庫に入った後、「決定版」として1995年に文藝春秋が再度単行本化した。当方が最初に読んだのは、この版だが、その前に、映画になっている。
公開が1967年だから、映画化は初版刊行後すぐに決定したものだろう。正直に言えば、公開から数年後、TVで観、さらにビデオで数度観て、当方の「いちばん長い日」への畏敬と恋着は始まった。つまり原作より先に、映像があった。映画クレジットは当然ながら「原作 大宅壮一」である。
橋本忍脚本、岡本喜八監督の布陣もさることながら、いわば、当時の(東宝系)男優陣を棚卸しして作り上げた傑作であり、その後つくられた東宝の戦争映画、近年の戦争を主題にした各社の映画とは、格も柄も段違いである。モノクロ画像と、抜群の配役が織り成すドラマは、確かにフィクションだが、描かれた内容は全く、本書の大筋に沿っている。だからこそ、映画は魅力的であったし、だからこそ、本書へたどり着いたとたん、ページを繰るのを止めることができなくなった。
本書の魅力は、8月15日という日本にとって歴史を画することになった日に向かって、次第次第に収斂してゆくドキュメントの迫力だ。プロローグではポツダム宣言傍受(7月27日)から書き起こしているが、本編は8月14日正午から、翌15日正午まで、ほぼ1時間刻みで章立てとしている。公刊された文献はもとより、当時の生存関係者への取材を通して、政府、軍隊、官僚、といった組織の力学、天皇から一兵卒までの気息、それらを包み込んでいた暑く、重苦しい真夏の24時間の空気、というものが、伝わってくる。
半藤氏はその後、多くの戦史もの、歴史ものの好著を陸続と執筆している。ここ数年は、平凡社の『昭和史』『同 戦後編』が広く江湖に迎えられたことで、いわば昭和の最高の語り部となった。だが、主題の重みと濃縮された緊迫感、人物群像の魅力などによって、本書は今なお、著者の代表的著作といってよいだろうし、今後も読み継がれるべき、ノンフィクションの傑作だと思う。