<狂い>と信仰 みんなのレビュー
- 町田宗鳳
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2002/07/28 11:19
人間が人間として生きる模索
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投稿者:ベリ太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は「狂い」をあらゆる宗教の共通基盤であり、
その「狂い」は、理性では覆いきれない人間性の最も奥深い闇の中で、
不気味にトグロを巻いている何物かである、という。
我々の日常の意識では「狂い」を
そこはかと無く畏怖し遠ざかる心の傾向がある。
それは無意識に感じる衝動を無視して社会常識に則って生きていく身には、
それを正面から目を据えて見ることに何か存在を危うくする怖さでもあろうか?
しかし、「狂い」は理性的理解を超えた知恵を持ち、
人間が総合的に人間として存在するには本源的なものである
「狂い」の虚心な受容を示唆させられる。
著者のいう「狂い」はもはや辞書的意味からイメージされる
「狂い」というものとは違う。
そして求める所の最後は?
最後に著者の語る昔見た映画の1シーン。
どじゃぶりの雨の中、知的障害のある少女が、
自分がまいた種から咲いた花に嬉しそうに水をやっている姿。
このほんの数行になぜか涙が出るほど感動する。
2001/03/07 21:18
本書にはいまだこの世に現れていない思考のかたちが畳み込まれている
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
町田氏は、あらゆる宗教の(そして人間存在の)共通基盤は「狂い」である述べている。「狂い」とは、無意識の領域から突き上げてくる統制しがたい情動であり、精神医学でいう「生命感情」に近いものである。あらゆる宗教体験の中で能動的に想像されるイメージは、そのほとんどが「狂い」の産物であるといっても過言ではない。
また、町田氏によれば、宗教の原点は苦悩にある。苦悩が救いへと転換する瞬間を宗教体験と呼ぶことにすれば、これにまず伴うのが言語以前の強烈なイメージである。このイメージ構築力こそが、すなわち、無機物のように静止した知識に魂を吹き込み、アニメに登場する人間や動物のように生き生きと歌ったり踊ったりさせる想像力の働きこそが、たとえば法然のような宗教的天才の原動力であった。
——私は本書をとても面白く読んだし、たとえば「次世代の宗教は、人間の依存心を煽りたてる教団組織から徐々に離れ、豊かな知識と体験に裏打ちされた個人的洞察力が、その主流になるだろう」(はじめに)とか、「歩行を学ぶ前の幼児が歩行器を必要とするように、いまだに霊的な意味で独り歩きを達成していない人類は、現在のところ宗教という歩行器具を欠かすことができない」(あとがき)といった文章のうちには、まだこの世に現れていない思考のかたちが畳み込まれているように思った。
ところで、宗教体験に伴う強烈なイメージとは「クオリア」のことではないか、町田氏がいう「狂い」や創造力は、心と脳をめぐるハード・プロブレムといったいどのような関係にあるのだろうか。
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