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疑似科学と科学の哲学
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.2 19件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2003.1
  • 出版社: 名古屋大学出版会
  • サイズ:21cm/282p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-8158-0453-2
  • 国内送料無料

紙の本

疑似科学と科学の哲学

著者 伊勢田 哲治 (著)

占星術、超能力研究、東洋医学、創造科学。これらはなぜ「疑似科学」と言われるのか? はたして疑似科学と科学の間に線は引けるのだろうか。科学のようで科学でない科学を考察するこ...

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疑似科学と科学の哲学

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商品説明

占星術、超能力研究、東洋医学、創造科学。これらはなぜ「疑似科学」と言われるのか? はたして疑似科学と科学の間に線は引けるのだろうか。科学のようで科学でない科学を考察することで、「科学とは何か」を解き明かす。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

伊勢田 哲治

略歴
〈伊勢田哲治〉1968年生まれ。京都大学文学研究科博士課程単位取得退学。現在、名古屋大学情報文化学部助教授。共著書に「社会哲学を学ぶ人のために」など。

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みんなのレビュー19件

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評価内訳

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紙の本

科学哲学の概要をおさらいできる

2006/07/16 14:26

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 疑似科学と科学を区別する基準は何か?。その線引きをするのは科学哲学である。自然科学、社会科学、人文科学、と科学という名前の付いた異なった分野がある。それらについて科学と呼ばれる根拠となる共通項は何か?。これまでの科学哲学者たちによる科学の定義や判定基準にてらして、創造科学と進化論、占星術と天文学、深層心理学と超心理学、現代医学と代替医療、とを比べて、線引き問題について検討している。
 禿頭の定義というのが出てくる。仮定(1):髪の毛が1万本ある人はハゲではない。仮定(2):ハゲではない人から髪の毛を一本抜いてもハゲにはならない。この2つの仮定から帰納法により、髪の毛が0本の人はハゲではない、という結論が論理的に導かれる。論理的にはハゲでない人とハゲの人との差はないことになるが、現実にはハゲでないのとハゲとの違いは明瞭である。
 この禿頭の事例と同様、これまでの科学哲学における科学の定義や条件では、疑似科学と正統科学を線引きする絶対的基準がない。哲学者が区別できないことでも、常識的には区別できる場合もある。個々の基準や条件では明瞭に区別できなくとも、過去に蓄積された科学哲学の研究成果を総動員すれば、小さな程度の差異を積み重ねることによって、総合的には区別できるようになる。これが著者の主張である。
 科学哲学の概要をおさらいするようで、科学哲学の全体的像、歴史、論点、などが頭のなかで分類整理でき、理解できた。クーンやポパーなどのこれまで読んだ科学哲学について、自分なりのまとまりがついた。もちろん科学や学問は常に進歩発展し、過去の業績や成果を乗り越えていくものである。著者自身も軽々しい結論は出していない。

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紙の本

健全なる懐疑主義。

2006/09/04 14:45

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本の終わりのほうに書かれてあった一文を引用。
「オウム真理教の幹部にけっこう偏差値の高い大学の理系の出身者が多かったことがわかって、−略−彼らがオウムに入信した理由はいろいろあるのだろうけど、「疑う」ということをあまり習ってこなかったということも、彼らが「ころっとひっかかった」理由なのではないかと思う」
「健全な懐疑主義はむしろ今の社会を生きていくために必要なスキルではないだろうか」
いえてる。「疑う」これもリテラシーに入れたい要素だと思う。読む、書く、考える、話す、話し合う。これには肯定・否定(反証)以外に疑うもプラスすべきだ。甘い言葉や囁きは眉にツバつけて、よーく疑ってみよう。
科学を「疑う」のが、科学哲学の役割だといってしまうのは、プラグマティックすぎるだろうか。分析して真であるか偽であるかを解明する。ねちねちと嫁いびりをする姑みたいな存在なのだろうか。だから嫌われているのだろうか。
気になったキーワードが「プラシーボ効果」。
「プラシーボ効果とは、およそどんな治療であれ治療をしてもらったと患者が思うことによって患者の症状がよくなることを言う」
「代替医療に懐疑的な側からは、代替医療の治療効果の大半はプラシーボ効果ではないかと言われている」
代替医療とは「ヨーガ、鍼治療、カイロプラクティック、マッサージ、アロマテラピー」などがあげられる。
むげに否定もできないのだが、あやしいものもあるしなあ。これらの「全体的な効果や精神的な効果は定量的に捉えにくく統計的に処理しがたい」。科学的な数値やデータに落とし込めないからインチキと決めつけるのはなあ。だったらとっくに街の治療院やマッサージは廃れている。それどころか、繁盛してるし。
気に入ったキーワードが、「悲観的帰納法」。
「非常にうまくいっていた理論1は偽であることが判明した
非常にうまくいっていた理論2は偽であることが判明した
非常にうまくいっていた理論3は偽であることが判明した
------------------------------------------------------
したがって(おそらく)非常にうまくいっている理論はすべて
偽であることが判明するだろう」
「つまり、これまでの科学の歴史で目に見えるもののレベルで非常に成功を納めた科学理論はいずれも文字通りには誤りであることがあとになって判明してきている。そうであるならば現在非常に成功している理論もまた遠くない将来誤りであることが判明するであろう」と、いう意味。
ジンテーゼなき弁証法と似て非なるものなのか。救いようがないのはさすが「悲観的」ってところ。
ただ科学哲学っていっても実にさまざま。最近のプロレス団体のようで。そのさわりを知るには、いい本であって、ここから興味の持てる方面へ進まれたし。

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紙の本

「正統」科学にあまり「信」を置かない人も、逆にすぐ「非科学的」と言って切り捨ててしまう人も、ご一読を

2005/11/14 20:48

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は疑似科学、科学哲学入門、線引き問題を三本柱に据えている。疑似科学を「ひとつのテーマ」に持ってくる辺り、着眼点の良さが光る。
普遍性なるものがが疑われ、相対主義が擡頭し、「全ては差異の戯れである」との言説まで飛び出すようになった時代だ。「正統」科学が特権的な知の営みであり続けようとすることに対する、不信や異議の声もやむことはない。私もこういったポストモダン以降の思想には親近感がある。
そして、疑似科学(と呼ばれたくはないかもしれないが)を研究し支持している人達も、その流れの中に一定の割合を占めている。
疑似科学として登場する主なものは、創造科学、占星術、超心理学、代替医療である。と学会的なノリとは異なり、著者はひたすら真面目に哲学的に考察している。単純に疑似科学を悪者にはしていない。
そうなると一筋縄では論駁できないというのが、本書を読み進めるうちに分かってくる。漢方や鍼灸など、比較的効果が検証されているものはどう扱えばいいのだろうか?
それでも、疑似科学の問題点は浮かび上がってくる。そうなると、では科学とはどういう知的営みなのかについても知りたくなってくる。それについても多士済々な議論があるが、疑似科学を鏡に見立てることで、反射対照的に「科学なるもの」の輪郭が浮かび上がるように、入念に仕組んだ論考となっている。
線引き問題については、簡単に言えば確率論的な「程度」思考を導入し、総合的な判断で明確な線を引かずとも解決できると主張している。詳しくは読んで頂きたい。目から鱗と言うほどの結論ではないし、統計で「嘘」をつくこともできるのでは?という留保はあるが、現時点では概ね妥当なものだと感じた。
ここからは話の趣を変える。
本書は、読み進むのにやや骨が折れたのだが、「なぜそうだったのか」ということについての考えを綴ってみたい。
ただし本書の記述はまことに平明で、難解な言い回しはないし、数式も一部に最小限しか出てこない。その意味ではむしろ読みやすい。
要因の一端は、その叙述スタイルにある。
1 ()=括弧文の多用
2 疑問符の多用
3 横書き
括弧文は、私も書く時には好きでよく使う。補助的注釈の他に、副次的主張を盛り込むことで主張に強弱を付ける効果がある。主張の断定性を弱めることで、文章に多面性を持たせることができる(と、勝手に思っている)。
しかし、括弧文は読者側からすれば一時停車の標識にも似て、スムーズには読み進めないこともある。私は書き直しの末、減らすことも多い。
疑問符は多用と書いたが、括弧文ほどではない。そしてそこには書き手の逡巡が見て取れる。ためつすがめつ、誠実に取り組もうとする姿勢の表れに見える。
3は私個人の好みでしかないが、1と2が読み手を引っかからせる。
もちろん、これは文句ではない。本来、哲学書とは読者を半ばで立ち止まらせ、そこから先へすぐには進ませないぐらいの磁力を各所で放っているものだ。
本書は平明ではあるが、哲学者としての「思考」が読み飛ばしにくい文章を形成している。
歯ごたえのある入門書なのである。
《最後にもう一つ、本書が目指さ「ない」ことについての注意書きをしておこう。もしも何か簡単な処方せんや最終的な解決を求めてこの本を読む人がいれば、そういう人は失望することになるだろう。本書は最終的解決を目指してはいない。そもそも哲学という学問は答えを出すことを目標にはしない。なにしろ2000年以上同じ問題を手を変え品を変えして扱ってきているわけで、いまさらそう簡単に答えが出るはずもない。哲学の目的は、ちょっと乱暴に言ってしまえば、「答えを出すこと」ではなく「考えること」「理解すること」だと思う。「もっとよく理解したい」という欲求に駆り立てられて、粘り強く同じ問題についていろいろな方向から考え続けるのが哲学である。》

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2005/07/13 04:59

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