紙の本
現実の郊外を見よ
2002/04/20 00:02
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
郊外の何が悪い。宮台が郊外が嫌いなのはわかる。しかしじゃあ下町が良いのか? 荒川区や足立区のほうが多摩ニュータウンより住みやすいのか? 治安は良いのか? 青少年犯罪発生率は低いのか? 事実は全部逆だろ。
世間に迎合するだけが取り得の馬鹿が書いた馬鹿本なぞ買う必要は全くありません。
紙の本
言い得ているタイトル
2002/11/15 14:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:なりゆっきー - この投稿者のレビュー一覧を見る
「まぼろしの郊外」まさにそのとおりである。この本において「郊外」が問題にされるがそれはいったいどこなのだろうか? わからない。
この本に出てくる郊外は、実際には存在しない郊外だ。団地だけが建ち並ぶ風景も、チーマーもコギャルもすべてマスコミや情報が作り出したまぼろしだとしたら?
木を見て森を見ない。もしくは、木を見て森がわかった木になっている本。出版元の新聞社は諸手をあげてそれ見たことか、大喜びだろうけど、実際に郊外に住んでいる僕には、はいはい、としかいえない。僕は社会学を学んでないけれど、これが社会学でもてはやされているならば、学者たちは再考すべきじゃないのかな? もしくは、まじめな社会学を勉強している人に対して失礼。
そして何より大事なのは、言われていることが1997年の段階で考えてみてもあまりにカンタン。一般論すぎ。彼の固有の意見など2%くらい?
結論:新刊を買う必要ないし、読んだあとすごーく疲れる。
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'95〜97の評論集。「終わり無き日常の」の果てに「輝く未来」が見えないのなら、「輝く今日とまた来る明日」を求めるべきだ。輝きを非日常的ハレにのみ求めると破綻する。
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彼はいい加減に放言しているだけと思っている人がいたら全然違って、綿密な取材と思考に依っている生粋の社会科学者だとよくわかる。だからこそアレなんだけど…。
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この本で最も見るべき所はカバーの絵かもしれません。
でも「まったり」って言ってる人最近増えたわな。
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『通常の社会においては、逸脱や犯罪などといった「非通常性」こそが脅威と感じられるが、郊外幻想が自明でなくなった郊外においては、逆に、逸脱や犯罪の反対側にある平穏無事な「通常性」こそが、多くの人々、とりわけ若者や子供にとって脅威と感じられる。(中略)有効な処方箋は、論理的に考えて、(1)「通常性」の脅威を減らす方向(たとえば一枚岩の通常性を分断・多様化するなど)と、(2)安全な「非通常性」を確保する方向(ただしそこが安全だと宣言されると通常性に回収されてしまうという困難がある)しかない。しかしこのいずれの方向も、球速に自明性が失われつつある旧世代特有の「幻想」に固執する人々にとっては実存上の脅威となる。なぜならその幻想は多くの場合、一枚岩の「通常性」と一体化しており。「非通常性」を生理的に忌み嫌うものだからである。
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「まぼろしの郊外」2
著者 宮台真司
出版 朝日文庫
p260より引用
“第一は、犯人の年齢は最低でも十九歳だと断言していた精神科
医や、酒鬼薔薇の始めたゲームにウマウマと乗っかった心理学者
や犯罪学者の滑稽さ加減。こういう連中がいる限り「愉快犯」は
やめられないだろう。”
社会学者である著者による、二十世紀末の日本の一部を分析し
解説した一冊。
1996年当時のテレクラを取り巻く様相から酒鬼薔薇事件につい
てまで、深い洞察と分析によって欠かれています。
上記の引用は、酒鬼薔薇事件について書かれた章の一文。
本当は何もわかっていなくても、いい加減な事を真面目な顔で言
うことで学者をしていられる、結構な御身分だなぁと思いました。
そう思うと、著者はかなりまともな方なのかも知れません。
この著書によれば、郊外の住宅地の諸問題がこの様な事件とし
て浮かび上がってきているように書かれているように思いました。
今でも新興の住宅地が開発されていたりするのは、この様な問題
について全く無視しているからなのでしょうか。難しいところで
す。
ーーーーー
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偶発性が過剰に高まった現代社会においては一部がもはや特殊ではなくなっている。社会的適応を免除するnXnメディアは益々発達し、倫理なき社会で道徳も失われ、何が起きてもオカシクはない。「信じられない事件が起きる」って感覚は単に実存を脅かされた人々が非自明的な幻想に固執している故に生じるものなのかもしれない。日々起こる事件に驚く自分がオカシイのかも?という相対化・客観化の難しさを再認識させられた。
が、一方でロマンと非難されるのかもしれないが、日本にはそれなりの歴史とか伝統とか文化とか、それらに基づく精神性があるってのも否定はできないわけで、なんらかの最大公約数的な共通理解や価値観があるのでは?と思うのは幻想なんだろうか?という疑問もある。たとえ「自己決定能力」習得の結果、10代で売春しまくったとしても、その後本人が正常に生きられるとは思えないのだが。(ここで「正常とは何か?」と問いだしたらキリがないのだが)
一番面白かったのは青森かな。弘前との比較とか。(ちょうど太宰の小説「津軽」を足跡を訪ねて去年旅したので)。が、もはや五所川原ですら16号線化しており、ファスト風土化の進展は凄まじいなと。但し、ハードとソフトで変化が比例するわけではないだろうし、この辺の区別というか仕分けが郊外論の課題かな?って気はする。
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戦後の日本が邁進してきた成長の道は、「バラ色の郊外家族」という夢が人びとに分け持たれてきたことに基づいています。しかし、社会の成熟によってこうした「郊外幻想」は崩壊し、社会の行く末について明確なヴィジョンを抱くことのできない時代に入ったと著者は考えます。本書は、とくにブルセラ女子高生に対して著者がおこなったフィールド・ワークの結果を示しながら、こうした時代を生きていくための方法を模索する試みです。
90年代という時代の刻印が深く記されたエッセイだという印象を受けました。その後、不況の長期化や労働の自由化が進み、また東日本大震災以降は社会の価値観にも変化が生じましたが、本書で論じられているような問題は形を変えて今も受け継がれているようにも感じます。
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【本の内容】
過渡的近代を支えた「バラ色の郊外家族」という夢=“郊外幻想”は、社会の成熟とともに崩壊した。
今必要なのは、それに代わる新しいシステムの構築である。
テレクラ、インターネット、オウム真理教、酒鬼薔薇聖斗などを題材に変革の指針を明らかにする、1990年代の中核的な評論集。
[ 目次 ]
1 テレクラ少女たちの行方(社会学的フィールドワークの目的;青森のテレクラ少女たち;テレクラの民俗誌;東京都淫行条例とテレクラ規制への疑問 ほか)
2 現代の諸像(インターネット時代の暗黒面;いまどきの恋文;成熟社会の差別論;「良心」の犯罪者 ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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社会の変化に敏感な現代の若者たち(女子高校生)の表と裏を知ることで、現代における住宅の役割や近代の学校教育制度についてまで考えさせられた本。固定観念に縛られている人におすすめ。
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郊外という時代の終わりなど、1996~2000年ごろの視点から社会の構造やそこにあるを読み解いていくさまが面白かった。
携帯電話の出現やそれに伴う空間の変化、若者(特に女子高生)の反応の差異が見て取れた。現代にも通じるものがある。
n対n社会による社会の不透明化、倫理と道徳の違い、伝統的な価値観への回帰の必要性。
強度を手にするには自分やみんなの内面、深いところへと立ち返らなければならない価値観が暗に示されているような気もした。そうだとしたら自分も同意見である。
隈研吾がちょっと若い!
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2000年(初出1995~1997年)刊行。オウム・酒鬼薔薇聖斗事件等、失われた20年の前半期を素描するには、まあ有益か。本書に書かれる内容は確かに過去事象に属する部分も多いが、パッチワーク化した社会、空間を超越しつつ、一方で人格を隠蔽したコミュニケーション手段が拡大していく傾向、あらゆる属性が記号化され、何らかの意味が付されていく。こういう面は現代にも繋がる面を持ち、現代社会分析の前座としての社会評論として読めばよいのでは…。
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面白かった
なんかの著作の上野千鶴子の解説で
たしかになー
と思って離れてたが
やっぱり宮台は追うべきだと思った