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記憶/物語
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2000.2
  • 出版社: 岩波書店
  • サイズ:19cm/123p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-00-026427-3
  • 国内送料無料

紙の本

記憶/物語 (思考のフロンティア)

著者 岡 真理 (著)

記憶/物語 (思考のフロンティア)

1,728(税込)

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評価内訳

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身体に根ざす物語・翻訳可能な小説

2001/02/22 01:12

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 著者は、物語が話者に身体化された母語で語られるのに対して、小説の言語は学校教育で修得された書き言葉という「別の言語」なのであって、小説とは「言語を異にする読者」によって読まれるもの(翻訳可能なもの)であると述べている。

《小説は,小説という虚構の空間に〈世界〉を構築する.エドワード・サイードは,なぜ,イスラーム世界で「小説」という文学形式が誕生しなかったかと自問し,それについて自らこう答えている.イスラーム教徒にとって,世界の創造とは神のみに帰属する行為であり,被造物である人間が,神が創造した世界とは別の世界を創造/想像することは,「ビドゥア」(bid'a イスラームから外れた行い)と考えられたのだ,と.》

 岡氏は続けて、小説は近代によって可能となったのだが、同時に近代という時代それ自体が小説的な語りを要請したという。

 ──身体に根ざす物語。物語(観念)の無意識(再現不可能なもの)を虚構の空間のうちに表現する(翻訳可能なものとする、というより翻訳「のみ」可能なものとする)小説の働き(自動翻訳機械もしくは時間製造機としての精神による、音楽にも似た働き?)。あるいは、奴隷の哲学によって開示されたもの(たとえば魂)をめぐる思想、端的にいって植民地の思想としての歴史哲学?

《植民地主義の侵略によって,祖国にいながらにして,自分たちが帰属するはずの大地から疎外されていくという不条理,近代という時代が,そこに生きる人間たちにもたらすトラウマ(精神的外傷)──その不条理さゆえに言葉で名づけ,「経験」として飼い慣らし,過去に放り込むことのできない〈出来事〉の暴力,そうした,言葉では語ることのできない体験,〈出来事〉を,物語として語るという時代の要請を,小説は自らの身に引き受けたのではないだろうか.言いかえれば,小説の語りには,そうした出来事の不条理な分有の可能性が賭けられているのではないだろうか.

 だが,それは,言葉では語りえないものが,小説であればにわかに,言葉で語ることができるようになるなどということではない.むしろ,ここでわたしが示唆したいのはそれとは反対のことである.〈出来事〉というものが本質的にはらみもっている再現することの不可能性,それをいかにしてか語ることによって,小説はそこに,言葉では再現することのできない〈現実〉があることを,言いかえれば〈出来事〉それ自体の在処を,指し示すのではないか.言葉によって,もし,すべてが説明されうるのなら,小説なるものが書かれなければならない致命的な必要もないだろう.》

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歴史修正主義に抗して

2001/12/08 20:53

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Jane - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ホロコーストを生き延びたユダヤ人、従軍慰安婦の経験をもつ韓国人女性、そして現在も生まれるパレスチナの難民。いずれも暴力的な出来事の記憶を持つ者である。彼らの語りは、即ち歴史の証言である。しかし、サバルタン化した自己は過去の体験を語り得るのか。惨殺の光景の記憶を持つ者は、その記憶の暴力性ゆえに沈黙を守ろうとする。また、出来事の当事者でない者はどうだろうか。彼らが当事者に代わって忠実な再現を行うことは、記憶が他者に分有されることを必ずしも意味しないだろう。どうすれば忘却と修正から逃れ、歴史を語り続けていくことが可能か。表象の不可能性と可能性をめぐって、本書の論考は進められる。著者は大阪女子大学人文社会学部教員、岡真理である。

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2004/10/03 14:37

投稿元:ブクログ

人が嫌がおうにも社会、政治の中で生きているということを感じなくてはいけないと分からせてくれる。湿度がよい。

2006/07/09 20:24

投稿元:ブクログ

記憶と物語論に関する文献は、もはや多少飽和状態にある気がしなくもない。が、その中でも分かりやすさだけを取り出したらこの本の右に出る物はないだろう。ただし、筆者が多用してくる中東文学の話はぶっちゃけ分かりにくいので、あまり深く考えず、筆者の主張だけを抜き取ってみることをお勧めしたい

2011/11/17 10:28

投稿元:ブクログ

おもしろい!

暴力的な記憶<出来事>をいかに他者と分有すればいいのか。
また、そんなことは可能なのか。
それを映画、小説、新聞、インタビューなど
様々な分野の視点から考えて組み立てていく。

2012/12/23 22:26

投稿元:ブクログ

具体例の概説に飽き飽きとするが、
内容は総じておもしろく、
記憶や出来事、物語をめぐる人間の精神構造を、的確に示唆しているように思う。

●以下引用

人がなにごとかを「思い出す」と言うとき、「人」が思い出すのではない、記憶の方が人に到来するのだ。

記憶が、-あるいは記憶に媒介された出来事がー「私」の意思とは無関係に、わたしにやって来る。ここでは、「記憶」こそが主体である。そして、「記憶」のこの突然の到来に対して、「私」は徹底的に無力であり、受動的である。

フラッシュバックとはそれ以上に、記憶に媒介された暴力的な出来事が、今、まさに現在形で生起している、そのような場に自分自身が、そのとき心と体で感じたあらゆる感情、感覚と共に投げ出され、その暴力にさらされるという経験であるのではないだろうか

50年という歳月によっても「過去」として馴致することができない生々しい暴力として今なお、現在形で、彼女の身に生起し続けているのではないだろうか。

出来事を言語化すること-そのとき、出来事はつねに過去形で表現される-それは、人が出来ごとを「過去」に馴致する、飼い慣らす-ことではいか。「過去」のものとして飼い慣らされた出来事は、私たちの記憶のなかで安定した場所を見つけるだろう

出来事というものが本質的にはらみもっている再現することの不可能性、それをいかにしてか語ることによって、小説はそこに、言葉では再現することのできない「現実」があることを、言いかえれば「出来事」それ自体の在処を、指し示すのではないか。

その出来事の暴力を肉体が生き延びるためには、彼女は、我と我がに起こったこといっさいを忘却しなくてはならなかった。

2008/12/27 00:03

投稿元:ブクログ

岡 真理はアラブ文学研究者だが,ポストコロニアル・フェミニズムという,現代思想の流行のテーマを扱っているため,『現代思想』などにも寄稿していて,いくつか文章を読んだことはあったが,著作を読むのは初めて。
彼女の文章は少し不思議なところがある。もちろん,テーマ的にも難解な箇所があるのに,さらっと読めるのだ。まあ,それは小冊子で書き下ろしという,このシリーズものだからこそかもしれませんが,女性的なのかもしれません(などとフェミニストに対して書くのはどうかとも思いますが)。
本書の中心にはパレスチナ問題がある。はっきりいって私は戦後60年続いているこの問題について知るようになったのは,研究を始めて少し経ってからだ。さすがに,今日だとその問題がどういうものかは知らなくても,パレスチナという言葉は誰でも知っていると思う。しかし,私が高校生の頃,その名前はどこに登場しただろうか。しかも,最近よく聞くようになってからも,なにが問題何かも基本的に知らないのに「パレスチナ問題」というものが自明のように,ニュースでイスラエルの映像が流される。でも,本書はその基本的な知識も省略せずに書いてくれる。ヨーロッパの長い歴史のなかで迫害されていたユダヤ人は,第二次世界大戦でナチス・ドイツの「ホロコースト」に遭ってしまうわけですが,そんなユダヤ人を保護するために建国されたイスラエル。もちろん,米国が主導だったわけですが,今度はもともとその地に住んでいたパレスチナ人が迫害に会うことになったわけですね。もちろん,いきなりここに国を作るから転居してくださいといわれても,そんなことはできません。それが可能になるのは強制的な暴力を除いてありえません。詳細はまだ知らないことばかりですが,想像も及ばないすごいことですよね。
本書ではこの問題そのものを扱うのではなく,そういうことが(パレスチナ問題に限らず),映画や小説などに描かれることを深く考えようとしています。誰によって語られ,それを受け取る人たちはどのように受け取るのか。なかには是枝監督の『ワンダフルライフ』なども取り上げられていて,私では思いつかない視点が新鮮だ。私はこれは日本映画なのだからという前提からそんなことは自明なこととして観てしまったが,恐らく国境などない死後の世界のはずなのに,登場人物が全て日本人であるということは実は不自然なのかもしれない,ということだ。この物語に登場する老人には戦争の記憶があるが,この全て日本人であるということと,戦争を語るナショナリスティックな物語。これが本書で問われる,この映画の問題だ。
まあ,ともかくさっと読めて刺激がある,そんな魅力的な本です。

2010/02/22 03:34

投稿元:ブクログ

 初めて読んだのは高校生のとき。「虚構のリアリズム」を授業で。全文を読んだのは大学に入学してから。
 新書はもっと読みづらいイメージがあったのですが(普段ほとんど読まないので…)とても読みやすかったです。文章に熱があって、岡真理さんの主張がストレートに伝わってきます。

  映画や小説に関してこういった視点がある、ということをこの本で知りました。ショックでした。出来事を「物語る」こと、「物語」を読み取ることについてより慎重にならなくては、と思いはしましたが、完璧に実践することは難しい。
 

2010/07/14 20:46

投稿元:ブクログ

[ 内容 ]
或る出来事―しかも、暴力的な―体験を物語ることは、果たして可能だろうか。
もし不可能なら、その者の死とともに、その出来事は起こらなかったものとして、歴史の闇に葬られてしまうだろう。
出来事の記憶が、人間の死を越えて生きのびるために、それは語られねばならない。
だが、誰が、どのように語りうるのか。
記憶と物語をめぐるポリティクスを、パフォーマティヴに脱構築する果敢な試み。

[ 目次 ]
1 記憶の表象と物語の限界(記憶の主体;出来事の表象;物語の陥穽;記憶のポリティクス)
2 表象の不可能性を超えて(転移する記憶;領有することの不可能性;出来事を生きる)
3 基本文献案内

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

2012/01/22 21:34

投稿元:ブクログ

物語を論じた本、ということで手にとってみた。深く考えさせられた。

虐殺・戦争・災害などの〈出来事〉をどのように伝えられるのか。物語の限界。

ストンと腑に落ちる物語というのは、あるいは疑ってかかった方がいいのかもしれない。
「物語」に描写されていないものを読みとらないといけないのだ。

バルザックの『アデュー』、読んでみたい。

2011/01/06 16:57

投稿元:ブクログ

再読。
記憶が自己に統御不可能なものとして到来するということ、比較しようのない「暴力」を「出来事」として思考するということに開眼させてくれた本でもある。
再読して特に心に残ったのは、クライストの「チリの地震」に言及している部分である。
地震という「出来事」の暴力に抗するために、人間自らが暴力の発露を選ばされてしまう、その痛み。
物語として閉じることなく、新たな「暴力」を生み出さずにはおかない「出来事」を、私たちは今生きているのだと思う。

2011/12/18 00:42

投稿元:ブクログ

とても影響を受けた本。バルザックの小説(フェルマンからの引用)、スピルバーグ映画、湾岸戦争などを題材に、国家機構(権力)がどのようにして私たちの意識に巧妙かつ自然に滑り込み、私たちの柔軟な大脳皮質に彼らに都合のいい「記憶」を刻み込んでいくか、その暴力・過程・目的・迷惑が解説される。良書なので賛辞には事欠かないだろう。なので、敢えて(著者の与すると思われる)ポスト構造主義的視点から建設的な批判を試みてみたい。

第一に、純粋記憶が承認体系に接続する危険についてである。
本書のライトモチーフは、純粋記憶の抽出の必要性である。迫害や被害に遭ってもなお、力強く生を選択した物語の主人公たち。彼らの生が称賛に値することは間違いない。そして、(権力にとっての他者による)迫害や死に対して、権力はいかに介入しやすく、いかにそれを利用したがっていることか。個人の生は誰も歪曲することはまかりならない。

しかし、私たちひとりひとりの純粋記憶が仮に完璧に抽出されたとして、それに胸を張れるような語り部は、そのうちどれだけいるだろう。人間はとても弱い。私たちが下す決断は、間違いばかりではないだろうか。他人を貶めることなく、自分に嘘を付くことなく生きられただろうか…。そう自問すると、まるで自信がない。そんな自分の暗部は、他人には知られることなく一生を終えられれば、むしろ幸いだ。被害者に徹し、倫理的な生を生きている人なんて、どれだけいるのだろう(少なくとも、俺はそんなにキレイに生きちゃいねーよ)。

これはつまり、壮絶な物語を語る可能性が、社会的承認と価値体系に接続する危険を孕んでいる。陳腐に画一化され、どれだけ劇的に語ろうとも退屈に変わりない思春期や生活様式が大量に再生産されている現代、凄絶な過去を「持たない」人間はヒエラルキーの低位に甘んじなければならない。岡がある社会のあり方を構想していたとして、その社会における、こうした弱い一般人の不確実性は担保されない。

第二に、(これは批判ではなく、是非とも論じて欲しかったことであるが)文字を媒体として記憶されるということに対する、政治的な言及の欠落である。誰にとっても無害でニュートラルな文字はあり得ない。私たちのコミュニケーションに文字が介在することで、私たちは自動的に権力の合わせ鏡に身を置いている。岡は言語的な観点から言語の及ばなさを指摘していたと思うが、政治的観点からの非中立性に関して、一言でも考察が欲しかった。

最後に(これも、是非とも論じて欲しかった欠落部であるが)、本書は、物語に必ずある「始まり」と「終わり」について論じていない。例えば、アレントにおいては『過去と未来の間』、つまり、始まり(過去)と終わり(未来)の連続性から伝統(人の生)を展望する視点を提供されるが、本書はそれが論じられない。
「トラウマを日々追体験する主体にとって、線形(リニア)な時間のあり方など存在しない。したがって、始まりもなければ終わりもない」、というのなら、それもいいだろう。もしくは、始まりと終わりを「設定する」のが既に暴力かも知れない。この点について、あとがきにでも構わ���いから、一言言及しておいてくれれば、熱烈な読者として気になる思いをしなくても済んだんだけど…。

2012/11/01 01:56

投稿元:ブクログ

ホロコースト、戦争、震災・・・<出来事>の他者と共有化は、様々なメディア(小説、映画、ルポ)を通じて常に「リアリティ」が重視された物語として「表象」されようとする。しかし、その「リアリティ」や「リアリズム」への傾斜によって表象される<出来事>の物語が、作り手の目論見通り「リアリティのある物語」として受容されるたびに、それは逆説的にも<出来事>の忘却へと繋がり、<出来事>の表象不可能性を露わにしてしまうというパラドックス。表象とはある出来事の側面を「可視化」をもたらすと同時に、別の側面の不可視化をもたらし忘却させ、総体としての出来事を見えなくしてしまう極めて暴力的な行為なのだ。
しかし、それでも私たちは<出来事>の表象による記憶の継承は「他者によって、すなわち<出来事>の外部にある者たちよって分有されなければならない、何としても。」なぜなら、この記憶を継承していくことができるのは、この「<出来事>の外部にある者たち」によってのみであるし「これらの者たちにその記憶が分有されなければ、<出来事>を生きた者たちの存在は、他者の記憶の彼方、『世界』の外部に抛擲され、歴史から忘却される」から。

「言葉は全然、透明ではない。その不透明さを想起することが今、何よりも大切なのではないか。透明化され、意味を確定しているとされるそれらの言葉に不透明さをとり戻すことが。透明な言葉こそが実は、私たちが<出来事>の記憶に触れるものを幾重にも阻害しているのだということを想起することが。」(p.107)

2013/08/24 23:26

投稿元:ブクログ

元従軍慰安婦の女性が、「私は女の歓びを知らない」と言ったときの岡の衝撃と、その衝撃の解釈が印象的だった。

2014/02/07 10:39

投稿元:ブクログ

言っていることに同意しまくりだったけど、それを言っては私たちは何も出来ないと思った。だからこの本に同意することももちろん出来ないのだ。

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