紙の本
「悲劇」を勘違い???
2006/11/14 02:54
10人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ニーチェの処女作である。私は、本書の「悲劇」を所謂悲しい出来事のつもりで、本書を手にしたのであるが、本書の意味は、本当の「悲劇・喜劇」の意味であった。「ギリシア悲劇」。こういう事には、あまり興味が無かったので、本書を興味深く読む事は出来なかった。
ニーチェの処女作であるならば、彼の思想である「超人思想」と「永遠回帰」の片鱗が覗かれると期待したが、それも無かった。オペラがギリシア悲劇の復活だとか、ワーグナーの意味とか、良く分からなかった。ニーチェが何故処女作に、こういう芸能評論のような書物を書いたのかは不明だが、ニーチェの思想自体には、興味が有る。
本書は、彼の著作に見られるように難解であったし、興味も湧かなかったので、つまらない読書となった。
紙の本
悲劇の誕生
2001/09/09 15:43
4人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:げっぷ5号 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ギリシャの文化に造詣が深いニーチェならではの一流の哲学書。彼は彼独自の考察をギリシャの文化の例えを交えながら流麗にそして力強く述べてゆく。この作品はニーチェの処女作であり、彼自身の悲劇の始まりでもあった。
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「われわれは、われわれがいわば生存に対する
測り知れぬ根源的快楽と一体となり、
この快楽の不滅と永遠をディオニュソス的恍惚境に
おいて体験するその瞬間に、
これらの苦悩(変転の没落)の大いなる棘に突き刺される。
恐怖のなかで、われわれは生ける歓喜を知る」
ああ、時は肉の没落へと我らを強制的にいざなうとしても、
この今の永遠をゆえに絶対的至高の永遠として愉悦する無限、
それこそが少年を愛する醍醐味、ああ、少年愛よ!
・・・ごめんなさいw
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正気と狂気を行ったりきたり、哲学と文学を行ったりきたりする紙一重系哲学者、ニーチェの書いた一番最初の本。当時の学会からは完全に黙殺されたようだけど、彼のギリシア悲劇の解釈は大胆で面白い。ところどころ論理が飛んでいるので星4つ。なお、彼は文献学から哲学に少しずつ転向していってます。ニーチェの哲学が知りたい人は「道徳の系譜」、呼びかけ文が好みの人は「ツァラトゥストラはこう言った」から入ることをおすすめします。
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アポロとディオニュソス。陶酔、脱我、放擲、脱自。それでもあるのか根源的一者が。その連続性が郷愁を生む。
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演劇関係の本で良く引用されているので読みたいと思っていたが、迂闊にも岩波文庫現役で出ているとは知らなんだ。ニーチェのめぼしい著作は既にあるので、これも読みたい。で、買っちゃいました。余裕で新刊で出てるんだ。
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(1969.08.19読了)( 1969.01.27購入)
(「BOOK」データベースより)
ニーチェ(1844‐1900)の処女作。ギリシャ文明の明朗さや力強さの底に「強さのペシミズム」を見たニーチェは、ギリシャ悲劇の成立とその盛衰を、アポロ的とディオニュソス的という対立概念によって説いた。そしてワーグナーの楽劇を、現代ドイツ精神の復興、「悲劇の再生」として謳歌する。この書でニーチェは、早くも論理の世界を超えた詩人の顔をのぞかせる。
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現代の生きづらさにも直結するようなものを感じた。もっと人というのは、表面的な規律にばかり従うのではなくて、もっと根源的な本能で生きていきたいと願うものである。それは、規律というのは、自分の意志とは関係ないところで作用するもの、そして根源的な本能というのは、自分の本音、または欲望であるということが出来る。つまりは、人間の素直な気持ちを発露する道をつぶし、より規律的に、本音を押し隠して生きて行かなければならない所に、現代的な精神病理があるような気がする。つまりは、この書は、ディオニュソス的なものとアポロ的なものに大別して、掲げた、人間の本来の生き方を説いたものであるということだ。現代というのは、人間の本能を押し込まれ、本当は全く関係のない合理的な生き方を押し付けられる傾向がある。その合理的な呪縛から、どのように解放する途を築くのか。それは、これからの時代、芸術にかかってくるのだと思った。
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試験直前にとにかく気になって読み始めたら、試験後急に読めなくなった??いい本だなと芸術のことなのかなとすすみ
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悲劇はどこから発生せざるをえなかったのか?ひょっとしたら、悲劇は快感から生まれたのではないか?力から、みちあふれるような健康から、ありあまる充実から発生したのではなかったか?
という常識とは真逆の問いを鮮やかに解いてくれてます。
確かに、青春のゆたかさがあればこそ、悲劇的なものへの意志をもち、ペシミストになれるという理屈もあるかも知れない。
芸術に対する皮相な理解をくつがえし、芸術の本質に迫っていてとても参考になりました。私がライブや演劇を見て涙を流す理由がわかりました。ニーチェさんの言われる芸術的なものは触れる者の魂を癒し、生きる力を賦活する。
また、ソクラテスを悪玉に仕立て上げての近代文明の批判も鋭くて恐れいりました。明治になって西洋文明を取り入れて、日本人は苦悩したんだけど、当のヨーロッパも既にして病んでたんだと書いてあって、なるほどと思いました。現代のヨーロッパ文明の行き詰まりも予言していて、ホント天才って凄いなぁ。
知らない言葉がいっぱい出てくるけど、あまり気にせずガンガン読めば色々ためになる良い本だと思います。
水野先生からの課題図書
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ニーチェの処女作。悲劇の誕生は音楽にあることを主張している。ニーチェの詩人としての才能がにじみでている文章。ニーチェが意図的に引用を違った文脈で用いていることも注をみるとわかる。
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ニーチェというと思想詩的文体や、中期著作の預言の書みたいなアフォリズム集的な構成のために、あまりに文学的で抽象的思索や体系的思索を嫌った「詩人哲学者」イメージが一般的である。しかしながら、処女作にあたるこの作品は、秩序だった文章構成になっていて論理的に書かれており読みやすい。とはいえあくまでもニーチェの中ではという意味で、巻末の秋山英夫の解説にも〈これはもはや文献「学者」の操作ではない、詩人ニーチェの「創作」である。〜中略〜ニーチェはこの本で「詩人」として、デビューした〉とかかれている。じゃあもう赤帯分類でいいじゃんね。
若きニーチェはワーグナー、そしてショウペンハウアに心酔していたらしいので、形而上学的根拠はショウペンハウアに依拠しているし、ギリシャ古典論を展開しておきながらもワーグナー論みたいになっている。
なので本書において語られる、かの有名な「アポロ的なもの」と「ディオニュソス的なもの」という対立概念も、ショウペンハウアの『意志と表象としての世界』を読んでないとピンと来ない。まぁワーグナーは聴いたことなくてもいいと思うけど。
後のニーチェは、ショウペンハウア哲学からの脱却、あるいは克服への意思を強め、さらにいろいろあってワーグナーもディスるようになり、最終的にはショウペンハウアどころか、形而上学そのものの価値を否定するに至るのではあるが、それはまだ先の話である。
とはいえ、本来孕んでいる無秩序と矛盾を直視しないのは一種の弱さであると、自己欺瞞を認めない姿勢や、あくまでも強さのペシニズムを模索している点などには共通点を見出せる気がする。それにニーチェの思索はギリシア古典から始まったのかと思うと興味深いですよね。ニーチェを読むなら何がいいかときかれたら、まずはこの本からだと思うのです。76点。
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あとになってワーグナーと決別したニーチェは処女作である本書を悔やむことになる。後代の歴史を知っているわたしたちにしてみればドイツ民族称揚がいかにもナチス好みだったろうところの方に注意が向くけれど。
21世紀に改めて本書を取り上げる視点は、ニーチェが真っ向から攻撃したソクラテス主義~科学主義、ニーチェが回避した経済主義、この二つからひとは自由たり得るかという問いかけだ。ニーチェ以後とはこの難題の尖鋭・肥大の歴史であるにすぎないかもしれない。
そしてフーコーにも受け継がれた芸術(美)的人生という問題になるのだが、今のわたしたちにとってのアートのギャップこそ時代的深刻さとして考えこまずにはいられない。
アポロ的造形芸術、デュオニソス的悲劇、その源泉としての音楽。科学と経済に厳然と対峙し凌駕する音楽。つまりそれは神話である。
そのような音楽への旅。現代のニーチェ探訪は改めてそこからだ。わたしたちにはわたしたちの神々がいるはずなのである。
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訳者(秋山英夫)による解説がおもしろい。術語があいまいで捕捉しがたいという。有名なアポロ的とディオニュソス的という対立概念にもそれはあてはまるとのこと。また、メレンドルフによる批判も紹介している。音楽が基本で歌詞が従であるというニーチェの考えは、受け容れがたいと、メレンドルフは述べているとのこと。
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ひさびさニーチェ。ニーチェの中ではかなり読みやすいほう。ギリシア悲劇を題材にしているのでとっつきやすいし。「善悪の彼岸」がいちばん面白いと思うけど、これも悪くはない。