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紙の本
キャベツとブタが出会ったのはアイロン台の上ではない。
2000/07/09 16:59
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひこ・田中 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この際はっきり言うとくと、長新太はヘンなのだ。この絵本など、その良い証拠である。
「キャベツくんが あるいてくると」。
これはまあいい。絵本だ! キャベツが歩いてきてもいい。しかしである。
「ブタヤマさんに あいました」。
・・・キャベツがブタと道端で会うなんて、フツー思いつくだろうか。ニンジンやダイコンならともかく。
ま、それでも、思いついたとしても、あ、こりゃヘンだと考え直すもんである。にもかかわらず、長新太はそんな簡単なことにも気づかず、話をどんどん進めていくのだ。
ブタヤマさんがおなかが空いてきて、キャベツくんを食べようとする。
ふむふむ。ブタがキャベツを食べる。ようやく納得できる展開である。長新太は思ったほどヘンではないと安心したとたん、
「ぼくをたべると、キャベツになるよ!」
な、なんでそっちに話が行ってしまうの? 「ぼくはくさっているから、食べるとおなかをこわすよ」とか、「食べておなか一杯で眠ってしまうと猟師がやってきて、おなかを開けてぼくを助け出して、代わりに石を詰めるよ」とか、「毎夜毎夜、世界中のおもしろい話をお聞かせしますから、どうぞお助けください」なんて方向もあるだろうに・・・。
紙の本
読み終わっても気になる話
2002/04/17 20:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ポーリィーン - この投稿者のレビュー一覧を見る
スゴイ。何がスゴイって同じカテゴリーには入らない、野菜であるキャベツと動物の豚が出会って話が進んでしまうところがスゴイ。お腹の空いた豚に食べられまいとキャベツくんは「僕を食べたらこうなる!」と言って空に次々と体がキャベツになってしまった動物達を浮かび上がらせる。そして、豚が震え上がったところで、キャベツくんは奢るからと誘い、仲良く食堂へ向かうシーンで終わるのだが…いったい2人は何を食べるのか? 読み終わっても、何を食べても仲間にあたるんじゃないかと気になってしょうがない。
紙の本
自由な発想、のびのび絵本
2002/07/12 11:32
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:麒麟 - この投稿者のレビュー一覧を見る
長新太さん作のお話です。
ブタヤマさんがキャベツくんに、道でばったり出くわします。
お腹ぺこぺこのブタヤマさんが、キャベツくんを食べようとしますが、「ぼくをたべると、キャベツになるよ!」といって止める、キャベツくん。
空には、鼻がキャベツになっているブタヤマさんの姿が、ぽっかり浮かんでます。
「ヘビがきみをたべたら?」「タヌキがきみをたべたら?」……という、次から次へのブタヤマさんの問いかけに、体の一部がキャベツ化したヘビやタヌキなど、これまた次々に空にうつしだすキャベツくん……。
実に、変なお話なのです。
長新太さんは、そののびのびと力強い絵で有名ですが、彼の創るお話にも、決まった枠におさまりきらない、自由さがあります。
その自由な発想に、ほほえまずにはいられません。
紙の本
子供にとっては魔法です
2002/04/18 14:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しょこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ぶたやまさんに食べられないように
「ぼくをたべるとこうなる」を繰り返すキャベツくん。
大人にとっては単純で退屈しかねないような内容の絵本なのですが、5歳の子供に読み聞かせたときの反応といったら!
もう涙を流して、笑い転げてしまうのです。
それ以後、この絵本は私の息子の一番のお気に入りになりました。幼稚園でも話題になるほど、この絵本は小さな子供たちに支持されています。
ためになる本、役に立つ本ばかりが読書の目的ではない。純粋に物語を楽しむこと、私たちが忘れてしまった子供たちの感性について考えさせられました。
難しいことは考えず、まずは子供さんと一緒に楽しんで下さい。
さあ、ぶたやまさんといっしょに
「ぶきゃ!」
紙の本
起爆力あるナンセンス絵本でセコいふところを広げよう!第4回絵本にっぽん賞。
2001/03/21 12:19
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
「あー、バカバカしい!」
読み終わって心からそう思える絵本である。
理屈のつけようがない。裏読みや深読みもできない。
100パーセント混じりっけなしのナンセンスである。
そのスゴさに圧倒されてしまう。
以前、著者の長新太先生自身にうかがったお話であるが、この本だったか別の本だったか、読んでみて興奮して電話をかけてきたお父さんがいたそうである。
「あなた、こんなふざけた本をかいてどういうつもりですか!」
と怒鳴っていたらしい。
長新太のナンセンスやユーモアの起爆力にそこまで心を動かした人がいるとは…と私は感心してしまったが、そこまでセンスのない人たちが日本の社会を動かしているという現実に、長先生はひどく落胆したようである。
子どもの可能性はさまざまである。将来何かの定理を発見する人になるかもしれないし、宇宙に飛んでいく人になるかもしれない。宗教の開祖になるかもしれないし、お笑いのタレント、芸術家、スポーツ選手、人の親などとあらゆる潜在性を秘めているのだから、その子どもたちが手にとる本にさまざまなものがあっていいはずであるというのが、長先生の見解である。
だから、自分のつくる絵本もどこかに置いておかれるべきなんだ、主流とは違うものであっても、子どもたちから手にとる可能性までは奪ってはいけない…と。
しかし、私は長新太の絵本に出会うとき、いつも言葉や意味以前、もしかしたら人間以前の動物的な感覚のところで、何かがうごめき始めるような感じがしてしまう。それが人間にとっての原型か、生き物にとっての原型かはわからないけれど、存在そのものに大きな役割を果たしているものだということだけは分かっている。
「呼吸や体温のように存在に必要不可欠なもの」とでも言えばいいのか、主流とその他という位置ではなく、むしろすべての人になくてはならないものではないかという気がして仕方ない。
ただ、不幸にして、そういう意識を持たずに過ごしていく人もいるわけで、まあ死ぬまで意識しなくてもなるようにはなるというものとでも言おうか…。
何やら理屈っぽくなってしまったけれど、ブタヤマさんに食べられまいと、自分を食べると良くないよと訴え続けるお話である。ブタヤマさんがキャベツくんを食べると鼻のところがキャベツになるし、ヘビが食べるとおだんごみたいなキャベツのヘビになるし、タヌキが食べるとお腹のところがキャベツになる…と脅すのである。
そのたびに「ブキャ!」と驚くブタヤマさんに小さな子どもたちは笑い続ける。無心に笑うことが健康に良さそうだし、頭にも良さそう。
「バカバカしい」と思って広いところへ解放できた心で、今度は何を楽しんでやろうか…と、そういった絵本です。
紙の本
だから「長新太」なんだって。
2000/11/28 15:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まーしゃ@B◎◎KRACK - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブタヤマさんとキャベツくんのおはなしです。
「キャベツくんがあるいてくるとブタヤマさんにあいました」と、お話ははじまります。ブタヤマさんはどうやらおなかがぺこぺこらしい…。
「キャベツ、おまえをたべる!」
食べられちゃたいへん! とキャベツくんは言いました。
「ぼくをたべるとキャベツになるよ!」
「ブキャ!」
ブタヤマさんはびっくりしてしまいました。空にはなんと鼻がキャベツになっているブタヤマさんが浮かんでいます。
ブタヤマさんはへこたれずにききます。
「ヘビがきみをたべたら、どうなるんだ?」
「こうなる!」
「ブキャ!」
またまたブタヤマさんはびっくり。空にキャベツが3つつながった、おだんごみたいなヘビが浮かんでいます。
ブタヤマさんは、こりずにききます。
「タヌキがたべたら、どうなる?」
…こんな調子のやりとりが続きます。ふたりは、遠くに山々がみえたり、川が流れていたり、湖があったりする、だだっ広い黄色い大地を歩いていきます。
「○○がきみをたべたら、どうなる?」
「こうなる!」
「ブキャ!」
のくりかえしが、なんともたまらない魅力です。
「なぜキャベツが歩いてるんだ?」「キャベツを食べると、どうしてキャベツになっちゃうんだ?」なんていいっこなし。それは長新太だからなのです。
ブタヤマさんといっしょに「ブキャ!」と楽しみましょう。