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紙の本
井上ひさし全著作レヴュー76
2011/09/25 11:39
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:稲葉 芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
初出は「新潮」1986年7月号。初演はこまつ座第7回公演1986年6月、演出:木村光一、上演劇場:紀伊國屋ホール。
著者が数多く取り組んできた評伝劇の一篇。82年『吾輩は漱石である』、84年『頭痛肩こり樋口一葉』に次ぎ、今回は生誕百年の石川啄木を取り上げた。
この戯曲の執筆の最中、こまつ座座長兼プロデューサーの好子夫人は、こまつ座舞台監督をつとめていた男性のもとに走った。この不倫劇に衝撃を受けた井上ひさしは、1985年12月4日に自殺未遂を起こしている。作者が記者会見で「これまでの気持ちについては、『泣き虫なまいき石川啄木』の芝居に書いたつもりだし、読んでいただければ分かります」(『朝日新聞』1986年6月26日)と語ったとおり、啄木の晩年三年間を描いたこの芝居に、自分自身の困難と心情を生々しく投影したわけである。文学者の実人生と作品との相互関連性を検証するアプローチは個人的に余り興味は無いのだが、この作品については実人生の波乱と作品世界を重ね合わさずにはいられない。それほど、作家井上ひさしが迎えた初めての、最大の危機であった。
嫁と姑の果てしない諍い、極貧生活、息子にたかる父親、家族を襲う病魔等々、これでもかこれでもかと困難が主人公に押し寄せる。一般的通念では、啄木は社会的無能力者と位置づけられるのだろうが、筆者はそういう糾弾をせず、漱石や一葉の評伝劇のように、社会的弱者への慈愛の眼差しを注いで啄木を描いていく。ただ、作品としての深み、説得力には乏しいと感じられるのも確かだ。恐らく、著者の実人生が啄木と重なり合うことで、啄木を客観的に(突き放して)捉え、深く描いていく批評眼がやや鈍ってしまったのではないか、つまり思い入れの方が勝ってしまったが故に感傷的な面が強くなってしまったのではないかという気がするのである。