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樺太とは、間宮海峡とは、歴史とは
2011/01/10 21:05
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉村昭が著した江戸時代の幕府役人・間宮林蔵の活躍を描いた小説である。吉村の場合は事前調査、取材がきわめて綿密なので、小説なのかドキュメントなのか、分からないくらいである。しかし、調べた内容をそのままレポートしているわけではなく、読者が読みやすいように、色付けして面白く読めるようにしている。もちろん、不明な部分などは吉村自身が創作しているので、小説と呼ぶのが至当であろう。
それにしてもこの間宮林蔵の物語は大変面白かった。間宮林蔵といえば、樺太の間宮海峡の発見者として有名である。しかし、どういう過程で海峡を発見し、名付けられたのかは知らず、そこに興味を抱いた。
林蔵が北方領土である択捉島に役人として滞在していたところ、ロシア人の船が到来し、住民を襲って物品を略奪したことから物語は始まる。当時は国境が未確定で、少なくとも国後、択捉には幕府から役人が派遣されていた。択捉島に隣接するウルップ島は日本の領土ではなかった。
樺太は宗谷海峡を挟んでオホーツク海の向こうになる。南樺太の様子は大よそ分かっていたが、樺太の北は大陸と地続きなのか、それとも半島となって大陸とは分離しているのか、誰も行ったことのない未開の地として、世界でも注目されていたところだった。欧州の探検家の何名かは船で行ってみたが、船では先に行けず陸続きという結論が出ていた。
幕府は林蔵に調査を命じた。林蔵は現地の住人の協力を求めながら、苦労して北樺太まで踏破した。この前後の探検譚が抜群に面白い。帰京した林蔵を見る世間の目は尊敬、畏敬の念が感じられるほどであったが、林蔵はまた幕府の密命を帯びて全国を歩き回ることになる。
後半の隠密行動については、余禄のようなものであろう。前半の樺太探検の物語が本書の中核であろうと思う。もちろん、隠密についての記述も吉村の徹底した調べによるものであると思われる。長崎にも赴き、シーボルト事件の調査も行った。これらの歴史的な事件も間宮林蔵という人物を通して読んでみると、一段とクリアになる。
最近、北方領土についてロシアとの確執があるが、その経緯を知ると見方も変わってくる。樺太は対象外であるが、いずれにしても気候の厳しい地域であることは本書を読んでもよく理解できる。
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江戸時代のすご腕隠密
2009/10/19 00:08
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hamster078 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み物として大変おもしろい小説である。幕末の歴史をたどっていると、そこここで間宮林蔵という名前と出くわすが、表の歴史ではあまり大きく扱われない人物である。だから、幕末史好きな人にとっても、気にはなっているが、よく分からない人物という印象が強いと思う。その影の歴史ヒーローのような人物について、歴史小説では定評のある吉村昭が、かなり分厚い長編小説を書いていた。これは読まない手はない。
一読してわかるとおり、間宮は幕府の隠密(スパイ)である。それもその種の家柄に生まれたわけでなく、一介の百姓の子から旅の測量師に拾われる形で村をあとにし、だんだんに有能な隠密としての評価を実力で得ていった人物である。後半にいたっては、シーボルト事件から、漂流した異人の取り調べ、諸藩の密貿易の調査まで、他に幕府には人がいないのかと思われるくらい、軒並み重要な事件に派遣されてる。
そうした評価を受けるきっかけとなったのが、前半における蝦夷地、樺太の探検、地勢調査であった。最果ての極寒の地にあって、間宮は満足に従者も連れることなく、ほとんど単独でサンタン人など現地住民の協力をえつつ、樺太から大陸シベリア東部にいたる地域を踏破し、無事に帰還するという偉業をなし遂げている。つまり、この小説は前半の探検家としての冒険物語と後半の隠密としてのスパイ活動と二度おいしいわけである。
それにしても、これだけの分量を費やしても、まだ間宮という人物には多くの謎が残り、やはりすご腕の隠密というものはそう簡単には正体をつかませないものだなと感心する。
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吉村昭さんの歴史伝記ものはすごいです。
丹念に資料を調べ上げて、それらの足りないところを丁寧に推理して、よどみのない人物の一生涯の記録として上梓してある。書き方も、後書きを読まなければ本当にこのまんまの光景が実際に行われたと信じてしまいそうなくらいに実写ぽいのだ。しかし、よくこんな昔の資料を研究したよな〜すごい人だ。面白いよ〜
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かなり版を重ねた文庫である…史料の隙間を創作しながら、間宮林蔵の業績を伝えてくれる作品である…劇中の林蔵は「決して地位が高くない農家の出で、ようやく掴んだ下級官吏として仕事に賭け続けた職人気質な、そして少し不器用な男」として描かれている。なかなか魅力的であると思った。
間宮林蔵が生きた18世紀終盤から19世紀前半の情勢に関する、解説的な内容の叙述も多いが、これが大変に興味深い。“鎖国”の江戸時代だが、想像以上に外国との様々な接点があったことに少々驚く。
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真面目で几帳面、まっすぐな性格で困難もやり遂げる強さが彼の長所で、樺太が島であることを発見する偉業を成し遂げた。しかしその生真面目さが、融通性がないと思われ、シーボルト事件の密告者だという誤解を生み、彼を苦しめることになる。
樺太やその周辺の人々の生活を記録も興味深い。アイヌの暮らし、寒さから身を守る知恵など、とても勉強になる一冊。
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間宮林蔵が生きた時代は激動の時代だったのだなー。そのあたりの時代背景も分かりながら、探険家の生涯も知れて、面白かった。
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間宮林蔵を冒険家のイメージでとらえていたけれど、この歴史小説からは極めて官僚的人物だったんだなと感じた。樺太が島であること発見するまでの行程は悲壮感に満ちているが、発見は感動的であり、爽快感を味わえる。一転して、隠密として働くことになる人生後半はなんだか物悲しい。
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全1巻。
武揚伝から北海道つながり。
北海道探検した人で隠密。
みたいなイメージ。
実際は樺太からロシアまで探検行ったらしい。
すげえ。
ちょんまげで。
隠密とか小説の設定と思ってたけど、
実際にぽい感じだったのね。
前半はそれなりにワクワクした。
けども。
文章があんまり。
少し独特。
箇条書きみたいに事実を書き連ねてく感じ。
で、盛り上がるとこは掘り下げるみたいな。
無理って程じゃないんだけど、
全力ではのめり込めない感じだった。
史実を消化してるって印象を受けてしまう。
黒船来る前にこんなことがあったのね。
実は。
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全世界地図の空白部は樺太北部のみであった(北西航路がまだ発見されてないからこれはきっと違う。。。)
1785前;東韃靼と地続きの樺太半島、西方にあるサハリン島(和蘭陀製全世界地図)
1787;東韃靼と地続きの樺太半島、サハリン島はない(樺太西岸を北へ。北からの潮流がないため湾と断定)/フランス人ドウ・ラ・ペルーズ
1804;北部太平洋探検航海記/樺太半島/イギリス人ブロートン
1804;世界周遊記/樺太半島/ロシア人クルーゼンシュテルン
↓
林蔵の目的は「樺太半島がどのように東韃靼大陸とつながっているかを調査すること」であった
--間宮林蔵--
・1806[27歳];エトロフ島測地
・1808[29歳];第1回樺太探索(松田伝十郎、北知床岬~白主~ラッカ)
・1808[29歳];第2回樺太探索(白主~トンナイ~リョナイ~トッショカウ~リョナイ~トンナイ)
・1809[30歳];第3回樺太探索(ラロニ、トンナイ~ウショロ~リョナイ~ノテト~ラッカ~ユクタマー~ナニオー~ノテト)
・1809[30歳];東韃靼探索(コーニ、ノテト~ラッカ~トムシボー~ムシホ~タバマチー川~キチー~アムール河~コルベー~ジャレー~ウルゲー~デレン~ジャレー~キチー~カターカ~アオレー~シュシュ~ホル~バット~サンタンコエ~カルメー~デボコー~ワーシ~ヒロケー[樺太は明らかに島]~アムール河口~チョーメン~オッタカバーハ~ラッカ~ノテト)
・1814[35歳];第1回蝦夷測地(松前~江差~イワナイ~オタルナイ~石狩~ノッシャム~宗谷~枝幸~モンベツ~常呂~網走~斜里~国後島~箱館)
・1815[36歳];第2回蝦夷測地(箱館~オシャマンベ~釧路~厚岸~花咲半島~根室~ノサップ~箱館)
・1817[37歳]~1821[41歳];第3回蝦夷測地(内陸部)
・1825[45歳];捕鯨船調査(銚子~福島県江名浜)
・1827[47歳];捕鯨船調査(伊豆七島)
・1831[51歳];通詞とオランダ商館員との癒着調査(長崎)
・1835[55歳];異国船(=捕鯨船)来航時の藩主対応の実態調査(津軽、松前藩領)
・1835[55歳]~36[56歳];松前藩警備の巡見使、奥州・山陰・九州・四国の海岸防備&政情を探る旅
・1845[65歳];没
蝦夷地開拓の和人も「壊血病」になっていた
アイヌ人は壊血病にならない→魚と海草を食べていたため?
熊の毛皮は雪が凍りつく、犬の毛皮は氷が落ちる
1903-06;北西航路発見/アムンゼン
1909;北極点到達/ピアリー
1911;南極点到達/アムンゼン
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世界で初めて樺太が島であることを確認した功績者としての間宮林蔵の生涯と、優れた測量技術をもち当時既に老齢ながら全国を調査して回り大日本輿地全図を完成させた伊能忠敬など、一連の人物、また、頻繁に出没するようになった異国船に怯え、対策に追われる幕府をめぐる時勢が具に描かれている。
間宮林蔵については偉大な功績の割りにあまり知られていないように思う、特に探検家としての性格や、晩年は隠密として全国を回っていたことや、水戸藩徳川斉昭にも重宝されていたことなど。
健脚や測量技術は師である島之允、伊能忠敬からも受け継ぎ、択捉島でのロシア船上陸事件での敗走を悔い、樺太探索に名乗りをあげ、本当は樺太の北辺を回って一周したかったが、海路も陸路も条件が悪く適わず、最終的には持ち前の根性と忍耐力で樺太の対岸にある清領アムール川周辺まで到達し、そこから樺太を眺めるに島であることに確信をもつ。現地の清役人とや山丹人とも接触し、中ロ関係についての情報まで日本に持ち帰ることに成功した、etc.歴史の教科書からは決して想像のつかないドラマがあったのだ、と感動を覚えた。
ただ、時折入り込めなかったので、☆は三つ。
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読み始めは辛かったんだけど、慣れてしまえばサクサクと進んだ。 小説としての面白さというより、題材の面白さだな。 間宮林蔵の行った仕事と、生きた時代がすこぶる面白いのだ。 (「四千万歩の男」とか「菜の花の沖」とリンクするのもたまらん)
でも、小説としては淡白だなぁ。 「ここ、池宮だったドラマチックに描くだろうなぁ」 と思う場面がたくさんあった。 史実をドラマにする気はないんだろうな、この人は。
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林蔵が、「樺太が島であること」を発見したということは歴史の授業で、1行程度により簡単に紹介され、知っている事実ではありますが、その背後にあった大変な冒険談は極めてドラマティックな内容です。そして極寒の地での探検を続ける上で協力をもらうことが不可欠であったアイヌ、またキリヤーク人との心の交流など心温まる話です。彼らの命を恐れない協力と、林蔵の強い意志がないと実現できない事実譚です。アムール川を遡って清帝国の領域まで足を伸ばしたのも驚きです。樺太の北端の岬から全面に広がる海を見たときの感動、アムール川を下って河口からの大海へ流れ出す雄大な水の流れを見たときの感動はジーンとくるものがあります。恐らく林蔵の気持ちを見事に再現したものだと思います。後半は一転して名声を獲得した林蔵がシーボルト事件の摘発者として白い眼で見られたり、幕府隠密として長崎、薩摩、浜田藩などへ足を運んだりと蛇足のように思えるのですが、最終的にシーボルトが彼を樺太海峡発見者として評価して紹介したことが世界的に評価として確立したことを示すためには必要だったのでしょうか。
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間宮林蔵が樺太を探検した人だというのはもちろん、小学校のころから知識として知っていることではあるが、実際にどういう探検をしたかについてはこれまで考えてみたこともなかった。
本書はその足跡を丹念に追った歴史小説。農民の生まれから幕府の下級役人になり、測量のために北海道にわたったこと。樺太が島であることを確認するために、3度にわたって北上を試みたこと。また海峡を渡ってアムール川を遡上し、清国が支配する街まで行ったことなど、興味深いことがいろいろとあった。
その後は隠密としても活動し、シーボルト事件にも関係があったなど、いろいろ勉強になった。
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間宮林蔵の生涯を詳細に追った小説。
200年前の北海道がどれほど未開の地だったか、改めて感じさせられるなど資料としては面白いものの、小説として読者を引き込む力はあまり感じなかった。
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林蔵は、幕府の命により、樺太が半島ではなく、島であることを探検により立証した。また、アムール川下流沿岸の探索により、当時、樺太はロシアの支配下になく、清が治めていたこともあきらかになった。幕府は、引き続き、樺太踏査の経験から対ロシアの来襲に関する隠密を命じた。林蔵は、北海道から、北陸、九州鹿児島まで駆け巡るなど多忙を極めることになる。そして、薩摩藩は、琉球を介し中国との密貿易を行い、各藩から膨大な利益をうけとっていたことを掴み、大きな功績につなげる。江戸に滞在中は、伊能忠敬から教えを請い、緯度計測など正確な測量の技術を学ぶ生活を送っていた。幕府の命による隠密は、シーボルトの資料隠匿を密告した者と噂されたが、帰国後、シーボルトは、樺太が半島ではなく、島であることを間宮林蔵が発見した事実を世界に伝え、世界地図に間宮海峡と命名し、功績を称えたことが知られている。実直で、責任感が強く、信念を貫き通す精神力は、戦国の世に生き、北条家臣として最後まで力を尽くした武将のDNAなのだろうか。不思議に気分が晴れる。