紙の本
無常観とは
2019/02/18 11:27
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
方丈記に漂う無常観をわれわれ日本人はどう受け取ってきたのか、著者は戦災で丸焼けになった街を眺めてその無常観の本当の意味を知ったのだろう。そして、これを機会に日本から階級がなくなればと思った。
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請求記号:914.4カ
資料番号:010704864
著者は、東京大空襲の最中に「方丈記」を再発見、再認識した。
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しかし、方丈記の何が私をしてそんなに何度も読み返させたものであったか。
それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭逢しての我々日本人民の処し方、精神的、内面的処し方についての考察に、なにか根源的に資してくれるものがここにある、またその処し方を解き明かすよすがとなるものがある、と感じたからであった。また、現実の戦禍に遭ってみて、ここに、方丈記に記述されている、大風、火災、飢え、地震などの災厄の描写が、実に、読むほうとしては凄然とさせられるほどの的確さを備えていることに深くうたれたからであった。またさらにもうひとつ、この戦禍の先のほうにあるはずのもの、前章および前々章に記した「新たなる日本」についての期待の感及びそのようなものはたぶんありえないのではないかという絶望の感、そのようないわば政治的、社会的変転についても示唆してくれるものがあるように思ったからであった。政治的、社会的変転についての示唆とは、つまりはひとつの歴史感覚、歴史観ということでもある。
堀田善衛は「方丈記」という字数にして9000字あまりの文を、東京大空襲に遭った1945年3月10日から上海に出発する3月24日の間、集中的に読んで過ごしたという。ほとんど暗証できるほどになぜ読んだか。その説明が上記の文章である。ここに書いている「絶望の感」とは、具体的には、堀田が3月18日に出合った光景をさしている。
1945年3月18日、堀田善衛は焦土の東京・深川をあてどもなくさまよい、冨岡八幡宮に出たところで昭和天皇の焦土視察に遭遇するのである。そこで見たのは焼け出された庶民の土下座であり、涙を流しながら「陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざ焼いてしまいました」という小声の呟きだった。堀田は心底驚く。その時の感想が以下の文章だ。
人民の側において、かくまでの災厄をうけ、しかもそれは天災などではまったくなくて、あくまで人災であり、明瞭に支配者の決定に基づいて、たとえ人民の側の同意があったとしても、政治には結果責任というものがあるはずであった。(私は政治学に籍を置いていたことがあった)けれども、人民の側において、かくまでの災厄をうけ、なおかつかくまでの優情があるとすれば、日本国の一切が焼け落ちて平べったくなり、上から下までの全体が難民と、たとえなったとしても、この、といまのことばを援用して言えば、体制は維持されるであろう、と私にしても、何程かはやけくそに考えざるを得なかったのであった。前回に書いた新たなる日本が果たして期待できるものかどうか……。
しかも人々のこの優しさが体制の基礎になっているとしたら、政治においての結果責任もへったくれもないのであって、それは政治であって同時に政治ではないことになるてあろう。政治であって同時に政治ではない政治ほどにも厄介なものはないはずである。(p65-66)
堀田はこれを「無常観の政治化」と呼ぶ。
それは長明の以下の文章に直結するのである。
世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いずれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。
古京��すでに荒れて、新都はいまだならず。ありとしある人は皆浮雲の思ひをなせり。
これ以前の青年堀田は、すこしレーニンを齧り、天皇のいない日本を夢想していた。しかし、焦土の東京でそのような「新都」は夢なのだと悟ったのである。長明から受けた感覚というのは、そういう歴史感覚、「歴史というものがあるからこそ、我々人間が持たなければならぬ不安、というものであった」。
少しわかりにくい。堀田はそこから考えを進めて、戦中戦後の「歴史の転換期」においては、常に「古京はすでに荒れて、云々」でしかない、つまり「歴史はそういう形でしか、人々の眼前に現出することができないのだ」と思い知るのである。
堀田はもちろん、方丈記を戦中戦後の「転換期」のなかで「再読」した。それがゴヤの伝記等に結実したのだろう。我々には、また我々の課題がある。我々に課せられているのは、これまた、震災後の「転換期」のなかで、「方丈記」を「再読」することではないのか。
原発事故があって、「たとえ人民の側の同意があったとしても、政治には結果責任というものがあるはずであった。けれども、人民の側において、かくまでの災厄をうけ、なおかつかくまでの優情があるとすれば、日本国の一切が焼け落ちて平べったくなり、上から下までの全体が難民と、たとえなったとしても、この、といまのことばを援用して言えば、体制は維持されるであろう、」
今のところ、人民はホント「優しい」。
期せずして、来年の大河は「平清盛」である。映像でも我々は平安末期の戦乱と、地震と、火災の災厄を見ることになるだろう。
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含蓄ある言葉がならぶ。鴨長明が「無常」とか「隠者」とか、この世に執着しないで生きていた人なんて教科書で習ったような気がするが、それも覆されたようなところもあり。なにより、筆者は、六十年前の戦争のとき、東京大空襲の頃、方丈記を読み、さまざまに考えた。そのあと、「戦後」を「人民」として生きる最中に、方丈記の読みは深まっていった。私は地震、火事と俗にいわれる五大厄災を公式記録の意味合いに強い貴族が日記には記せども、乖離した(わざと?)世界を「幽玄」として表現した、という筆者の解釈が興味深かった。貴族にとっては、福原遷都は自分の政治生命にとっては重大なことなれど、民衆の…はなんとやら。現代に通じるか(苦笑)。私は、今まで、鴨長明はいろいろなことを達観した俗世から離れた吉田兼好よりも隠者らしい隠者だというイメージを描いていたが、歌人であり、西行などと違って階級意識の、家意識の非常に強かった世、時代にあって、ある意味コンプレックスのかたまりで、俗世というものをそれなりに長明らしく見ていたのだな、と、作者の解釈に認識を持った。やはり、五大厄災のリアリティはすごいし、冒頭の文章は名文であり、深いと、私ごときは思ってしまう。
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http://ameblo.jp/kurenainoneko/entry-10150291478.html#main
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日経新聞「忘れがたき文士たち」で堀田善衛が紹介された。東日本大震災では方丈記を思い出したので「方丈記私記」も読んでみようと思い購入。
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1. 方丈記および鴨長明について
2. 堀田が経験した第二次世界大戦と、昭和天皇について
3. 平安末期の文化(和歌)と、現代日本が今なお抱くその影響について
本書は、大きく分けると上の3つの内容が交錯して成立しており、これらを描きながら「無常」とはなにかを浮かび上がらせる。
私はこれまで和歌や王朝文学史というものに興味がなかったのだが、この時代の有りようと、ひとびとの心の動きに興味が出、和歌をすこし齧ってみようとの気持ちになった。
「乱世」という言葉があるが、その表わすところを知っているのだろうか。ひとが時に抱える闇は、その時代が抱えるものではないだろうか。そして、それは平安末期だけでなく、どの時代にも、もしかしたら今も、当てはまるのではないか。そんな気がして、なにか確かめられるかもしれないとの思いから、次の本を手に取りたいと思う。
---(以下は読中の感想)---
鴨長明の生きた時代と、堀田自身の経験を重ねることで、日本人の心の奥底にあるであろう何かに近づいていく。
私にとって、方丈記にある平安末期の描写は心に迫るものこそあれどもどこか他人事のようであったのだが、第二次世界大戦下の日本の描写が重なることではじめてその情景を推し量ることができ、私が持っていなかった感情のようなものがどうどうと迫ってくる。
まだ途中だが、この本に出会えてよかったと思っている。
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ジブリの「定家と長明」展に触発されて。本当に映画化してくれないかな。ツンツン定家とおじさん長明のコンビが見たくてしょうがないです。久々にぐっとくるコンビだったんですが。せめて絵コンテ集とか出してくれないかなあ。
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(2012.12.06読了)(2012.11.26借入)
【平清盛関連】
『方丈記』を読んだので、前から気になっていたこの本も読んでしまうことにしました。
著者は、書き出しで、以下のように記しています。
「私が以下に語ろうとしていることは、実をいえば、われわれの古典の一つである鴨長明「方丈記」の鑑賞でも、また、解釈、でもない。それは、私の、経験なのだ。」(7頁)
読者としては、鴨長明や『方丈記』について、あまり語られることのない本なのか!?と思って読みだしたのですが、そんなことはありませんでした。
堀田さんの大東亜戦争体験(東京大空襲、戦時下や戦争直後の生活、等)と『方丈記』の記述内容を比較しながら、鴨長明のすごさを述べたり、同時代の公卿たちの書いた日記と『方丈記』の記述を比較しながら、両者の関心事の違いを述べたりしています。
鴨長明の鎌倉行きについては、堀田さんは、目的が不明としています。この本を読む前に読んだ本では、就職活動に行ったと書いてあったのですが。
鴨長明による藤原定家の歌論批判については、ほかの本では触れていなかったようなので、新鮮でした。
【目次】
一 その中の人、現わし心あらむや
二 世の乱るゝ瑞相とか
三 羽なければ、空を飛ぶべからず
四 古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず
五 風のけしきにつひにまけぬる
六 あはれ無益の事かな
七 世にしたがへば、身くるし
八 世中にある人と栖と
九 夫、三界は只心ひとつなり
十 阿弥陀仏、両三編申してやみぬ
対談 方丈記再読 五木寛之・堀田善衛
●日本は衰えた(53頁)
人民はつねに、「日本国は衰へにけり」とか「日本国ノ有無」などと言い出す連中に対しては、長明にならって「疑ひ侍る」眼を持つべきであろう。
(野党第一党の代表が、そのようなことをいっているようですが)
●新たなる日本(92頁)
戦時下の、当時において私が考ええた新たなる日本とは、煎じ詰めて言えば、要するに天皇なき日本、という、ただそれだけのものであった。
●鴨長明の時代(161頁)
怖るべき生活難の時代であった。それは難であっただけでなく、積極的に、「戦乱で、泥棒をしなければ生きられない、あるいは人を傷つけなければ生きられなかった。」時代であった。すさまじいまでに、「狂せる」かと思われるまでに、近親者を蹴落とさなければならなかった。
●日野山(181頁)
長明が隠れて入り、親鸞がそこで生まれ出で、その後の事としては中世から近世へかけての政治の攪乱者たち(日野冨子・等)を京へ送り込んでいる。
●生活四条件(184頁)
兼好法師は、人間生活のギリギリの条件として四つの事をあげている。そのミニマム四条件は、衣、食、住、医である。
●本歌取り思想(222頁)
本歌取り思想、文化に必然的に伴ってくる閉鎖的な権威主義は、批評をも拒否するものは新たなる創造を拒否するものである。
●有職故実(224頁)
この時代の、兼実の玉葉日記、定家の明月記に、最も情熱をこめて書かれてあることは、世の移りかわりでも何でもない。それは宮廷の、儀式、典礼、衣裳、先例、故実、行���の順番、席次など、まとめて言って有職故実であり、それらの事を事細かに書かれた日記は、実は子孫に伝える大切な財産でもあった。子孫は、この日記にしるされた先例、故実の知識を振り回して威張り、かつ飯の種にすることができる。
☆関連図書(既読)
「方丈記」鴨長明著・武田友宏編、角川ソフィア文庫、2007.06.25
「鴨長明『方丈記』」小林一彦著、NHK出版、2012.10.01
☆堀田善衛さんの本(既読)
「ゴヤ 第一部」堀田善衛著、新潮社、1974.02.15
「ゴヤ 第二部」堀田善衛著、新潮社、1975.03.20
「ゴヤ 第三部」堀田善衛著、新潮社、1976.03.20
「ゴヤ 第四部」堀田善衛著、新潮社、1977.03.25
「スペイン断章」堀田善衛著、岩波新書、1979.02.20
「情熱の行方」堀田善衛著、岩波新書、1982.09.20
「スペインの沈黙」堀田善衛著、筑摩書房、1979.06.20
「時代と人間」堀田善衛著、日本放送出版協会、1992.07.01
「バルセローナにて」堀田善衛著、集英社文庫、1994.10.25
「路上の人」堀田善衛著、新潮文庫、1995.06.01
(2012年12月7日・記)
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これは強烈。平安京の大火と東京空襲を対比させ、軽く貴族階級にジャブ。こんな境遇が人をひねくれさせるのだな。鴨長明は風流人でこの辺の話が面白い。
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人間臭い鴨長明。
現代の就活生みたいなことを言っている。
「世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれのところを占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。」
堀田の戦争体験と鴨長明が生きた混乱の時代がオーバーラップする。
古典を再解釈することで、そのみずみずしさをよみがえらせている。
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宮崎駿が敬愛してやまない堀田さん。
次回作という噂があり読んでみたものの、古文が難しく大苦戦。
半分理解できたかどうか...。
冒頭の東京大空襲について書かれたところや、堀田さんが思う鴨長明について書かれた部分はとても興味深く、
「現実を拒否し、伝統を憧憬することのみが芸術だったからである。」といったように、煌びやかな部分のみ取り上げ語り継がれている歴史に対しはっきりと否定したり、
東京大空襲のあと、誰もが乞食に近い状況の中、天皇が小豆色の自動車で、ピカピカの長靴を履いて、荒れ果てた土地の上を歩く姿を見て「こういうことになってしまった責任を、いったいどうしてとるものなのだろう。」「こいつらのぜーんぶを海のなかへ放り込む方法はないものか。」などと言える潔さにとても好感を持ちました。
そういう鋭い眼をもった堀田さんから見た鴨長明がまたとても魅力的で。
方丈記、いっかいちゃんと読んでみようと思いました。
方丈記を読んでから、また方丈記私記を読んだらもっとこの本の魅力がわかるような気がします。
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鴨長明はなかなか一筋縄ではいかない人であったようである。「どうにもトゲがのこる。いつまでたっても、出家をしても、世を捨てても、六十になってもトゲののこる人であった。」おのれの思想と感性を信じ、他に妥協しない強い意思をもつ人との印象を持つ、だからとても惹かれてしまう。堀田氏は、天皇制存続の根源を本歌取りの思想、すなわち、生者の現実を無視する政治のもたらす災難を無理やり呑み下されながら、人びとの伝統憧憬に吸い込まれたいという文化に根付いている、そこのところに置いている。ここにもトゲがある。
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方丈記私記 堀田善衛 筑摩書房
堀田善衛という作家の人生観と生き様を支えたであろう
方丈記と鴨長明の人生が選択した前向きで凄まじい
反逆児の道楽
後ろ向きに生きる所有と利権に依存した貴族社会の欺瞞に
溺れる虚栄心の中に収まり切れずにはみ出した
鴨長明も美意識に挑発された堀田善衛
又それを確認している私自身へと
大自然に対する人間社会の逆行に逆らって
大自然を視野に入れた前向きの本流に戻ろうとする
マイノリティーが延々と何千年も続いてきたらしい
末法三千年説とも重なる話でもある
釈迦もイエスもマホメットも後ろ向きの物理的な力に利用されて
今では陰ばかりの存在に成り果てているけれども
その中で活き続けている調和によって自律を目指す
個の集いへの求心力がいつ日の目を浴びれるものとも知らずに
世界中にアウトサイダーとして脈々と息づいているのであろう
まさに今何千年の時を通して
方丈記に描かれた姿形が世界中に再現されている最中であることを
この本が示している
何かを学んできたとは思えないこの悪魔的社会という組織は
個々の人間にとって大事な反面教師としての必要悪なのだろうか?
文中で気付かされた所を抜書きしてみよう
48ページ
近衛文麿の書いた天皇に対する上奏文である
これによると軍人の多数も右翼も左翼も官僚も皆共産主義者であり
と言う
資本家と貴族以外は共産主義者だと恐れている様子がうかがえる
「遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候」とも言う
近衛文麿は共産革命を防止し国体を守るためにのみ戦争終結を急いだ
この国体とは天皇と貴族社会を指しているのであるり
こうしたわけで
責任の全てを転嫁することで逃げる依存心が支配階級に蔓延した
223ページ
藤原定家は実朝の求めに応じて曰く
言葉は古きを慕い心は新しきを求めと言う
この本歌取り文化は連綿として我々の文化と思想の歴史に生き続けた
こうして知識だけで意識の欠けた社会が今に至るまで植え付けられてきた
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鴨長明の方丈記の冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず…」はあまりにも有名で、著者はこれが1945年3月10日の東京大空襲の後の阿鼻叫喚と重ねており、気が付かなかった事実に目が開かれた。方丈記に記録されている京の大火災が治承元年(1177年)4月28日、長明23歳とのこと。これはやはり戦乱の結果だからだろう。長明は鎌倉時代の人であり、飢饉、自然災害を頭に描いていたが、これは源平争乱の時代だったのだ!2つの災害には768年の隔たりがあるが、著者には長明が過去の人とは思えないような身近な存在と感じている模様。著者の直截的な表現が長明の人となりを彷彿とさせる。また和歌の偉人・定家、西行、後鳥羽上皇などにも詳しく触れており、方丈記そのものではなく、この時代を著者の経験と重ね合わせた評論というべき内容。