紙の本
歩き聞いたキャラメル男の記録
2023/06/30 21:43
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投稿者:サンバ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「キャラメルのような男」宮本常一のエッセイ。しかし、エッセイと表現すれば不正確なほど「実に写実的」な言葉で彼の物語は振り返られていく。
幼少期、祖父は歌や旅を与え、父は人々と暮らす背中を見せ、母は信仰で迷いなく生きる姿を彼に示した。
母はすごい。ふらりと立ち寄った旅のものを無償で泊める。兵隊たちも受け入れ、その後戦地での食事に困らぬようお供えする。素直な信仰は人の心を遍く律するのだ。
農村は名家も病気の発生源と「見なされれば」没落する。また、宮本が用を足すために入った丘の松林に祠があった。人々は、「宮本が稲荷様にお参りしている」と噂をたて、しまいには「宮本の肺病を治した稲荷様」が大流行した。
宮本はとにかく歩く。用もなく歩く。そこで人と出会い話す。学位をとり立場ができてからも「私を何も知らないものと思って教えて欲しい」とある種わがままな態度で人の話を聞いていく。そして、人もまた話を聞いて欲しいのだ。
「傍流でよく状況を見ていくことだ」という言葉がでてくる。傍観ではなく、川の底にあるキレイな石を拾う少年といったニュアンスが近いだろう。
今まで宮本常一を知らなかったことに驚いた。本とは、こういうもののことを言う。
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この本読んで「あー自分の価値観や考えはこれでもいいんやわー」って背中を押してもらえたような気がして何度も涙が出そうになった。私の価値観ときっとすごく近い。
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”私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う”
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民俗学者・宮本常一がいなければ、現在の和太鼓の隆盛はないと言っていいかもしれない。
「佐渡と言う日本の片隅にいてもその芸能がすぐれたものであれば、正しく評価されるであろう。都会だからすぐれている、田舎だから劣るという概念を、こうした運動を通じて破ることができたらどんなに地方の多くの人々を勇気づけるであろう。」
という願いのもと、田耕氏に協力し、佐渡に鬼太鼓座が誕生するのである。
「地域社会に住む人たちが本当の自主性を回復し、自信を持って生きてゆくような社会を作ってもらいたい。地域社会の中にそういう芽を見つけたい。」これが宮本民俗学の本質であろう。
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所々に彼が人生の中で忘れる事のなかった
「良い言葉」
がちりばめられている。
父の言葉、母の言葉、柳田国男の言葉
その一つ一つの言葉がしみてくる。
決して重い言葉ではなくて
柔らかな空気に包まれた生きた言葉。
彼は出会う人に恵まれ
たくさんの人と話しながら生きてきた。
それは出会いの数ではなく
出会いからつながりへと変えた数に違いない
フィールドワーカーとして
極上の生き方をしていると思う。
人間の生き方を見て
自らも人間として生きてきた
たくさんの民俗学者達
それは決して郷愁の念に端を発する訳ではなく
当時(いま)を生きる人にとっての
一番正直な生き方を示してくれるのだと思う。
フィールドワークをやっている人には是非お勧めしたいと思った。
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民俗学者として著名な宮本常一氏の自伝的書物。
中には人生の訓解が、これでもか! というほどおさめられている。
しかもその訓戒が、自分の経験から生まれるものばかりなので、白々しくもなく、押しつけている感もない。
都度読み返して、人生の訓戒にしたい本。
素晴らしい出来です。
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過去を正当に評価できることこそ自らが優秀であることの証である。
なぜその農具はそんな形をしているのか?なぜそのような漁法を行うのか?…
地方の農村の生活様式が見せてくれたのは、中央から政策を支持したり、東京でビジネスマンをする人間からでは決して見えない、土着の最も適した方法であった。
過去があって、現代がある。その現代から未来が始まる。すなわち、過去から未来が始まるのである。その過去を正確に見定めてる事が未来を創るためには必要ではないだろうか?
最後に、本から抜粋。
「過去を掘りおこすことは、われわれの先祖の姿を矮小視することではない。過去のすべてを掘りおこすことを目指さなければならないと思う。過去が矮小なのではなく、今生きている自分自身が矮小なのである。」
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日本各地を巡り現地の聞き取りから地域の風習をまとめあげ集約することで、忘れられた日本の姿日本人の姿を蘇らせた民俗学者の宮本常一先生による一書。
宮本常一自らも踏まえながらも祖父や父についてが大変詳しく語られ、さらに戦争を跨ぐ時代のなかで如何に日本の食料問題を解決するのか、日本の農業をどうするべきかなど考えられていた非常に色鮮やかな一書であった。
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民俗学とは、「それぞれの集団社会のもつクセの研究と平易に解釈して説けばよい」
郷土を研究するのではなく、郷土で研究すること
自分を育て深く関わりあっている世界をきめ細やかに見ることによって、解決の問題も見つけ、拡大して考えることもできるようになる
高いところへ登ってみよ、お宮や寺目につくものを必ず見、周囲の山々を見ておけ、目をひいたら必ず行け
人の見残したものを見るようにせよ、あせることはない
汽車に乗ったら外をよく見ろ、人の乗り降り、荷物、服装をよく見ろ、その土地が富んでるか貧しいかがよくわかる
自然をよくみると、ほとんどが人間の手が加わっており、そこに人の生きていた姿があり、歴史があった
一般社会は必ずしも階層的ではなかった場合が多い。(→)封建社会時でも
仏像は触ってみなければならない(→)仏像の生命力
食料を自給し得ている国は、外国の干渉を排除することができる
「漂泊漁民」
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自らを「大島の百姓」と称した民俗学者、宮本常一氏のエッセイ。
恩師渋沢敬三氏との関わりについての記載が多く、いかに渋沢氏を慕い、また同時に渋沢氏がいかに宮本氏を気にかけていたかが伝わってきます。
宮本氏が父から贈られた言葉のうち、「人の見残したものを見よ」は、私自身の訓辞にしたい言葉です。
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民俗学シリーズ第3弾。著者の履歴を辿りながら、様々に思考は巡る。いつかもう一度読んでみたい一冊。次は「忘れられた日本人」(岩波文庫)がいいかな。
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心に響く言葉に満ち溢れている作品です。これもそのひとつ。「進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。」 日々の生活に少し疲れたなと想ったときに宮本氏の人を自然を愛する言葉に触れてみればそれで良い。
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未来社から出ている宮本常一の著作集は、今も刊行が続いている(未来社のサイトを見たら、最新刊は第50巻「渋沢敬三」、別集の私の日本地図は「瀬戸内海II 芸予の海」が今年になって出ている)。著作集をむかし図書館で借りてみたこともあるが、あまりに膨大なのでとても読めず、私がもってるのはほとんどが文庫本や新書、ライブラリー版など小さいサイズで出たもの。
こないだ久しぶりに本棚から出してきて、『日本の村・海をひらいた人々』、『ふるさとの生活』、そして『民俗学の旅』を読んだ。なんど読んでも、読みふける。前に読んだときには知らなかった土地の名を、再び読んで(ああ、こんなところにあそこの地名が)と思ったり、(あの人が住んでるところやなあ)と郵便の宛先で知っている地名を思ったりする。
道のないようなところまで、日本の各地をくまなく歩いたといわれる宮本常一。旅にでた先を歩き、風景と人の暮らしをよく見つめ、人の話を聞いてきたものを記録にとどめ、あるいは心にとめて、また別の地で出会ったものと照らしあわせたり、書きのこされたものと比べたりしながら、それぞれの土地で、そこを住みよいものにしようとしてきた先祖の人たちの暮らしや働きを考えている。
▼ひとり歩いていて、まったく人手のくわわっていない風景に出あうことがあります。海岸に波のうちあっている所とか、山の中の木のしげっている所とか、または川のほとりなどですが、そういう風景は何となく心をさびしくさせます。しかし、人手のくわわっている風景は、どんなにわずかにくわわっていても、心をあたたかくするものです。海岸の松原、街道のなみ木みちをはじめ、植林された山もまた、なつかしい美しさをもっています。そうした所に見出す一本のみちも、こころをあたためてくれるものです。(『日本の村・海をひらいた人々』、pp.11-12)
宮本が小学校教員をしていたときに、子どもたちによく話したというこの言葉も、なんど読んでも心にのこる。
▼「小さいときに美しい思い出をたくさんつくっておくことだ。それが生きる力になる。学校を出てどこかへ務めるようになると、もうこんなに歩いたりあそんだりできなくなる。いそがしく働いて一いき入れるとき、ふっと、青い空や夕日のあたった山が心にうかんでくると、それが元気を出させるもとになる」(『民俗学の旅』、pp.75-76)
戦後、大蔵大臣をしていた渋沢敬三から、幣原首相が大変なことを考えておられる、これから戦争を一切しないために軍備を放棄することを提唱しようとしておられると聞いた宮本は、渋沢とこんな問答をしている。
▼「軍備を持たないで国家は成り立つものでしょうか」とおたずねすると「成り立つか成り立たないかではなく、全く新しい試みであり行き方であり、軍備を持たないでどのように国家を成立させていくかをみんなで考え、工夫し、努力することで新しい道が拓けてくるのではないだろうか。一見児戯に等しい考え方のようだが、それを国民一人一人が課題として取り組んでみることだ。その中から新しい世界が生まれてくるのではなかろうか」と言われた。(『民俗学の旅』、pp.146-147)
「原子力に���る発電をなくしていくこと」は、電気がタリナイ、原発はアンゼンという人たちからは、「児戯に等しい」と思われているのだろう、と思う。「成り立つものでしょうか」と思う人もたくさんいると思う。「原発をもたない」ことは、全く新しい試みではなく、原発をもたないでいた経験がある。経験があるから、そういう行き方は容易かというとそんなことはないと思うが、パチンコ屋の表の看板が暗いぐらいでちょうどいいのではないかと、やや薄暗くなっている駅前を見て思う。
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宮本常一が父親から故郷を離れるときに送られた言葉「旅の10か条」と言うものがあります。私もこれを読んで出来るだけ真似したいと思っているのですが、凡人なのでなかなかです。でも高いところは出来るだけ登ろうとしていますし、車窓から見える屋根の形などはいつも気をつけています。韓国では江陵からソウルに向かう途中、一山を越えると屋根の形が綺麗に変わったのが印象的でした。村で屋根の形が統一されているということは、その村の求心力が強いということです。都会に近づくとばらばらになったのでした。
旅の10か条
(1) 汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。・・・
(2) 村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。・・・
(3) 金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
(4) 時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
(5) 金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
(6) 私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。・・・しかし身体は大切にせよ。・・・しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。
(7) ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。
(8) これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
(9) 自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。
(10)人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。
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ご存じ(というか,このレビューを読んでいる人はご存じのハズ)民俗学者として地道な活動をしてきた宮本の自伝的エッセイです。「なんで,こんなことまで覚えているの?」と思うくらい,小さいときの思いでも昨日体験したような表現で書かれています。
宮本が,渋沢敬三(渋沢栄一の孫)ととても深い関係を持っていたということは本書で初めて知りました。敬三が宮本に対して,再三,「しっかり研究するために体も時間も大切にしろ!」と言っているのがよくわかります。敬三を見ていると「そんなに人の人生に介入するなよ」と思ってしまうくらい,宮本の就職等に対してもあーだこーだと助言?をしています。
本書には,能登半島にある時国家に赴いたという話も出て来ます。能登も民俗学にとっては「宝の地方」だったんですね。