サンバさんのレビュー一覧
投稿者:サンバ

シアン 稲葉浩志作品集 SINGLE&SOLO SELECTION
2023/05/29 23:38
B'zと稲葉浩志のあいだを感じる
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
インタビューやどきりとするほど素敵な写真だけでも税別3,800円に納得する内容ではある。しかしやはり、詩がすごい。時代で区切られているので、B'zの時と、ソロの時とが混在する。いかに、違うか。きれいで伝わるメッセージと混沌としながら情念キラめく言葉の螺旋。じっくり何度も読みたい。

ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた
2022/11/20 23:30
安住せず「学び捨てる」 現場に出たマルキスト
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
毎日新聞の月一連載を増補しまとめ、さらにアイヌ資料館訪問の記録を追加した本。ウーバーイーツ、男性メイク、水俣…。マルクスの研究者である斎藤幸平氏は、日本にあるさまざまな課題に現場へ赴き、時には自ら試みる。
テーマはテレワークからアイヌ差別まであり、目次だけ見ると歴史も地域もテーマ性も広範に見える。しかし、斎藤氏は「資本主義の暴力性」や「近代化による分断」といった本質で横串を刺していく。読みながらつながっていく感覚、一気読みはもったいない。
「あとがきに代えて」も白眉。書かれている、マジョリティに「安住しない」、「学び捨てる(unlearn)」(別の視点を一から学び直す)姿勢は少なくとも本書で貫かれている。
本書で読者が辛いのはここまで説得されると行動への気運が高まることだろう。

暇と退屈の倫理学
2022/05/08 10:28
退屈は嫌、決断はしたいの不自由をスケッチ
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
暇のなかでどう生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかという問いの中で読解していく本。
暇と退屈の概念を、「時間があること」、「事件が起こることを望む気持ちをくじかれたもの」に峻別。人が習慣を求め、「考えなくてすむ」生き方を実現しようとする一方、今日と明日を区別する出来事が起きないことに気持ちがくじかれる(退屈する)。このアンバランスをハイデガーの退屈の分類などを活用しながら解き明かしていく。
筆者は、退屈と気晴らしが絡み合う「第二段階」の退屈こそが、人間がいるべき段階とする。「第一=第三段階」の退屈は、決断となんとなく退屈の循環の中で自己喪失をする熱中の奴隷化の危険があるからだ。
40万年の歴史の中で、ここ1万年定住生活を強いられた人類の能力過剰は哲学を生み、また退屈も深刻なものにした。「とりさらわれている」状態にならず、人間「本来の」姿を願望込みで定義しない。
人は自由である。他の動物より環世界も相対的にかつ圧倒的に移行を楽にできる。それが退屈の原因でもあり、気晴らしのきっかけでもある。その自由を、失わない。ファジーな姿勢で人生を楽しむことを、退屈する人生で実践すべきこととして提示する。退屈もし、気晴らしもする。その中で、楽しむことができれば、「苦しいのに、暇なのに、熱中しているのに」救われない私たちに、その先へ行く実践のチャンスを与えてくれる。

ゼロからの『資本論』
2023/05/02 22:55
暮らしの中のコミュニズムから
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
家にきた友人の子とご飯を食べて、その代金を請求しない、こんなことも実はコミュニズムの動きである、と本書は説明する。(本書には「贈与」という言葉が出てくる。内田樹氏が何度も言及する原始的な人の行動原理「贈与論」ともつながる。)
20世紀の「常識」が通用しなくなりつつある今、空想的なアソシエーション的社会の構築こそが危機に対応できる。そして、資本論を読もう、と。
富の商品化が資本主義の本体とわかるだけで救いのある本だが、それ以外にもマルクスへの批判の批判なども頭のスッキリする論理が展開され非常に面白い。

現代思想入門
2022/06/05 11:02
二項対立を使いこなす
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
二項対立は善悪のように、+対-で語られることが多い。本書は、-で語られる部分の重要性を指摘し、マイナスとされる方にも相応のエネルギーがあり、時にはプラス側を支えていると指摘。その上で二項対立からの逃走を指南する。物事の複雑性を認め、共通認識を仮固定しながら、相対的に生きることが見えてくる。
2022/04/18 00:40
作者の内蔵を見るかのように色とりどり
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
映画のような恋物語、世にも奇妙な物語のような不条理、優しさ溢れる夫婦劇…。どの話も「武田節(楽な話にゃしないぜ感、と言ったらいいのか)」は通底する一方、本当に色とりどりの物語が揃う、いわば武田登竜門先生の内蔵のような短編集。漫画で作品一つ読むごとに間を開けないといけなかったのは久しぶりだった。

思考のレッスン
2022/06/21 23:20
「書きたいこと」を突き詰めた男の対話
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
書きたいこと、伝えたいことがあって初めて言葉は意味があると筆者は指摘する。そのために、ロジックがあり、ロジックを明確にするレトリックがある、と。文章を作る時、考える時間が短いから、書く時間が長くなるとも。つまり、私たちは書くことが目的化する倒錯状態にあり、言葉で伝える何かを大して考えていない。咳き込んだような穏やかなような不思議な口調で紡がれる対話集。

民俗学の旅
2023/06/30 21:43
歩き聞いたキャラメル男の記録
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「キャラメルのような男」宮本常一のエッセイ。しかし、エッセイと表現すれば不正確なほど「実に写実的」な言葉で彼の物語は振り返られていく。
幼少期、祖父は歌や旅を与え、父は人々と暮らす背中を見せ、母は信仰で迷いなく生きる姿を彼に示した。
母はすごい。ふらりと立ち寄った旅のものを無償で泊める。兵隊たちも受け入れ、その後戦地での食事に困らぬようお供えする。素直な信仰は人の心を遍く律するのだ。
農村は名家も病気の発生源と「見なされれば」没落する。また、宮本が用を足すために入った丘の松林に祠があった。人々は、「宮本が稲荷様にお参りしている」と噂をたて、しまいには「宮本の肺病を治した稲荷様」が大流行した。
宮本はとにかく歩く。用もなく歩く。そこで人と出会い話す。学位をとり立場ができてからも「私を何も知らないものと思って教えて欲しい」とある種わがままな態度で人の話を聞いていく。そして、人もまた話を聞いて欲しいのだ。
「傍流でよく状況を見ていくことだ」という言葉がでてくる。傍観ではなく、川の底にあるキレイな石を拾う少年といったニュアンスが近いだろう。
今まで宮本常一を知らなかったことに驚いた。本とは、こういうもののことを言う。

サル化する世界
2023/04/27 23:24
(せめて)自分だけは、が自分を育てた世界を枯らす
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
サル化する、とは本書冒頭にあるように「朝三暮四」の逸話におけるサルと同一化していくことを指している。つまり、上が渡す資源を減らす際、直近ものだけを維持する(次から減る)詐術に騙されて、その「今が一番もらえる」状態の保存に躍起になる人だ。
「自分だけ」分かち合うことをやめれば、自分の取り分は最大化されるという考えだが、自分以外は今まで通り分かち合うはずだという思い込みを内包している。このような人は、「自分のような人間がいない世界」を望んでいる。そう喝破する。
「人口減少の中で成功したモデルはない。過去の成功者に従うのではなく、やりたいことをやればいい」道はないが、視界は開けているのである。

モモ
2023/02/20 22:30
時間はあなたの、そして人と過ごすためのものと知る
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
モモは物語でたった1人、時間泥棒に貯金をすることもなく、決して時間の自由を失わなかった。ホラから過去、現在、未来の指南を受けたことは言わば解説にすぎず、モモが人のいざこざや自分の想像の世界に褪せることなく時間を過ごしたこと、何よりすごいことはこれだ。
ベッポじいさん、ジジ、子どもたち、大人は皆、「それによって苦しめられているのに、その発展を願う存在」に一度押し込められる。それとは正に近代であるが、この行き過ぎを抑制する人間中心主義(この物語では子どもたちのデモ)は、無惨にも組み敷かれてしまう。
モモが一度も揺らがず貫いたこと、限られた選択肢の中で選ぶ自由を失わないこと。まるっきり真似できなくとも、少しでも実践したい。ジジとベッポを目指して。

もう牛を食べても安心か
2023/02/03 18:09
狂牛病を生んだ、動的平衡の無視
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ある雑誌で、肉骨粉を最初に作った科学者は「廃棄に困った牛の食物連鎖を目指した」のであり、行きすぎた私たちがしっぺ返しをくらった、とあった。本書を読めば、肉骨粉が食物連鎖の環から外れたバランスブレイカーだったことが分かる。
本書では、そもそも生物は「分子の留まる場所」に過ぎず、あらゆる環境と不可分であると指摘。その中で、動的平衡を取ろうと日々変化調整が行われていると解説する。つまり、「廃棄に困った牛」は人間の都合であり、この時まだ食物連鎖の中にいた。「牛から牛」へと、そのステップを破壊的に踏みにじった肉骨粉が初めて、食物連鎖から牛を追い出したのだ。
2004年の本書時点で狂牛病の原因はプリオン説が「有力」であり、未だ検証の鍛錬の中にいるとある。現在のリスクだけで軽視するのではなく、予防的な取り組みや検証が今後も必要と本書は教えてくれる。

はじめてのスピノザ 自由へのエチカ
2023/01/10 21:53
ありえた「もう一つの近代思考」で自由になる
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
17世紀の哲学者スピノザの人生と思索を追いながら、「意志と責任」がまとわりつく現代的思考と異なる思考法を提示し、現代的思考から距離を取ることを試みる本。
本書にもある通り、スピノザの考えは現代とは「思考のOS」が異なる。そして、17世紀という近代直前の時期に、デカルトなどと異なる方向を示しており、こちらが主流となっていれば、いまの私たちなら思考の「常識」は変わっていたかもしれない。それくらい、ありえた「もう一つの近代思考」だったと分かる。
スピノザの3つの名前の由来など、物語としても引き込まれ、神の表現としての私たちという考えは読むと非常に説得的。率直に面白い本。

私家版・ユダヤ文化論
2022/12/24 21:37
非ユダヤ人は「ユダヤ」をどこまで語るか
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
本書で繰り返されているように「ユダヤ」周辺の問題はその定義から解決まで分からない。分からないが故に、いかに語るかがその人自身を自ずと語ることになる。内田樹氏は、「当事者からの分析を想定し、赤の他人に『仮の』断定的説明をできる人間」ということを自ら暴露している。
ユダヤ人は「遅れてやってきた人」であり、彼らのあらゆる受難は、行為の前に存在する有責性にある。これにより、神に「やらされた善行」ではなく「神の遍在の証明としての善行」を志向でき、世界が欲望する知性を獲得した。
ヨーロッパを中心に人々の欲望がエスカレートすると「反ユダヤ主義」として、「ユダヤ人の証明はユダヤ人であることを否定すること」、「自分たちが選び苦しんでいる近代は、ユダヤ人による搾取のための陰謀」、「日本人はユダヤ人の起源は同じで、しかもユダヤ人を導かなければならない」という知性に欠けた論理、言説による迫害が発生する。
上記の論理、言説は、一部は今も通用するし、言葉を換えればかなり多くの事例と同じスキームだ。ユダヤで思考することは、自らの構造をかなり解き明かす、最後は分からないテーマだ。

コーヒーを飲んで学校を建てよう キリマンジャロ・フェアトレードの村をたずねる
2022/06/05 19:45
持続可能なコーヒーはここで始まった
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
コーヒーのフェアトレードの話。村の人たちがやりたいコーヒー栽培や学校建設を実現するために、話し合い辿り着いた適正価格。単に以前より高く買うのではなく、人とのつながりを構築し、どちらもの暮らしも豊かにする試み。
世の中のSDGsは、環境負荷(問題)の外部化にすり替えられがちだ。本書を読めば、誤魔化さず一生懸命問題に取り組むことが持続可能性の近道と学べる。