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- カテゴリ:一般
- 発行年月:1996.3
- 出版社: NTT出版
- サイズ:26cm/449p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-87188-443-0
- 国内送料無料
紙の本
情報の歴史 象形文字から人工知能まで 増補 (Books in form)
コミュニケーションとメディアの織りなす情報の歴史は、人間のユメとウツツの物語である。時代を結び、情報をつなぎ、歴史を編集する前代未聞の情報文化史大年表。【「TRC MAR...
情報の歴史 象形文字から人工知能まで 増補 (Books in form)
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商品説明
コミュニケーションとメディアの織りなす情報の歴史は、人間のユメとウツツの物語である。時代を結び、情報をつなぎ、歴史を編集する前代未聞の情報文化史大年表。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
名著にして大著
2002/06/16 18:35
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のらねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
さて、この本についていいたいことは山ほどあるのだが、いざ書こうとすると、どこから手をつけたらいいのかと躊躇する始末。
とりあえず、わたしが持っているのは奥付によれば「1990年4月26発行」の第一刷。いわゆる初版というやつである。やれやれ。気付けば「十年ひと昔」というやつである。
無論、その後の版で細部の記述が補遺されたことは知っているが、こんな大きくて高価な本、おいそれと何冊も買えやしません(苦笑)。
NTT出版社が展開していた「情報は生きている」というシリーズの仕事を順番に読んでいいたので、これが出た当時は既に「松岡正剛と編集工学研究所」の視線と仕事の確かさに対する信頼は、わたしのなかで不動のものになっていた。
で、実際に本書をとってみるたときの実感というのは、「ああ。真打が出やがった」とむしろ打ちのめされたような感じを受けたもんだ。
情報量、デザイン、コンセプト。などなど。
なんというか、これほど「隙」がない書物も、ちょいと、珍しい。
いわゆる、「年表」の形をとった本なのだが、いわゆる「学問的な歴史」が扱いそうな政争や権力交代劇には、あまり注目していない。
むしろ、宗教や哲学、芸術、あるいは技術の進歩などのソフト面が、洋の東西を問わず、かなりツボを押さえた記述のされかたをしいる。
「読む」というより「眺める」のにふさわしい本なのだが、何度「眺め」なおしても、新しい発見がある。
英訳版の話もボチボチ出てきてはいるようですが、その前に、これは是非、なんらかの形で電子データ化して、一般に公開していただきたいものです。
紙の本
一家に一冊『情報の歴史』
2003/07/13 19:45
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある人が、一家に一冊『情報の歴史』と書いていて、いたく共感した。常備薬ならぬ常備本としては、これに白川静の三部作『字統』『字訓』『字通』のどれか一冊を加えたいところなのだが、残念ながら未購入。「生命の発生が情報史の発端である」にはじまり「年表を歩くことは時間の旅人になることだ」に終わる、歴史の節目ごとに挿入された松岡正剛の文章は、それを通読するだけで「宇宙史」「生物史」「文化史」「社会史」を概観できる。目次、見出し、ヘッドライン、引用等々、それらのことごとくが圧縮され織り畳まれた情報の坩堝で、ちょっとカテゴリーが違うけれど、利用できないのは鳴き声だけという豚を思わせる。
増補版で1889年から1995年の情報が付け加わった。その最終頁左側に次の書き込みがある。「阪神大震災。ストロングな都市は崩れ、ボランティアの活躍。フラジャイルな歩行が残る。」「イチローと野茂。オウム事件に対抗した二人。」いずれも未聞の時代の幕開けを告げる年にふさわしい評言だと思う。
西暦200年代の頁の左側には、次のように書かれている。「九世紀のエリウゲナ主義から十九世紀の観念論まで、西欧哲学の大半はオリゲネスの遺産の修正史にすぎなかった。」「新プラトン主義とグノーシス主義、あらゆる神秘思想がここに出所する。」思いおこせば、私の霊性神学熱はここから始まったのだった。──その後、前者の出典をつきとめた。フリードリッヒ・ヘーアの『ヨーロッパ精神史』(小山宙也・小西邦雄訳,二玄社)がそれだ。
《マイスター・エックハルトとスピノザは、オリゲネスの近くにいる。バロックの陶酔、そして数学、ことに幾何学を手段として、神のうちに確実性に到達しようという彼の試みは、オリゲネスの切望したことを再生させるものである。(中略)東方教会の指導的な神学者は、何らかの意味でオリゲネス主義者である。アリウス主義、ペラギウス主義は、オリゲネス主義に基づいている。西方においては、九世紀のエリウゲナの精神主義から、一九世紀の観念論者まで、この人物の遺産の一部にすぎないのである。》