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投稿者:MMM - この投稿者のレビュー一覧を見る
…人々が真理だと信じているものが、実は歴史的な根拠から作り上げられたものにすぎず、普遍的なものでも、絶対的に正しいものでもないということを示すことによって、自明で見慣れたものと考えていたものを覆すこと、これはフーコーの終生の課題であった。…
これは表表紙に書かれていた言葉である。たしかにそのとおりだ。ミシェル・フーコーはこのことを意図して、自らの思索的な人生を過ごしてきたのだ。
さて、彼の仕事はいくつかにわけることが出来る。だが、それは一貫して先に述べたことを意図して形成されているのだ。
狂気、監獄、主体、快楽、言葉、そのどれもが彼にとって、歴史の欺瞞性を解き明かすのに十分な手がかりとなり得ると彼は信じていたのではないだろうか。
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現代思想系の本を読むとよく名前が出てくるのですが
この人の考え方など知らなかったので
どうしても理解が浅くなってしまいがちだったので
それなら読むかと思い
まず手にしてみたのがこの本なのですが
これが非常に面白かった。
フーコーの思考のテーマとなっていたのは
本文から引用するなら
「人々が真理だと信じているものが、
実は歴史的な根拠から作り上げられたものに過ぎず、
普遍的なものでも、絶対的に正しいものでもない
ということを示すことによって、
自明で見慣れたものと考えていたものを覆すこと、
これはフーコーの終生の課題であった。」
って部分でしょうか。
フーコーの理論に説得力を感じる一つの所以は
自身がゲイであることを公言しているところにあって
自分にとってはそれが当然のことなのに
社会的には性的異常で逸脱した人だと見なされることに対して
自由であろうとするところが大きいように感じる。
上記の引用文と合わせて言うならば
ゲイが異常であると見なされるのは歴史的な根拠から作りだされたものであって
別の文脈・別の世界においてはそれが当てはまらず普遍性はないということを
古代ギリシャでは性愛の対象の性別が問われなかったことから明らかにしている。
そして、多くの場合は歴史的な根拠から作られた真理というものは
政治的な意味を持ち権力に使用されるということである。
この辺はニュアンスが難しいので実際の文章に触れてもらうのが一番なのですが
外在する権力だけでなく人の内部で働く権力の構造であったり
人間そのものへの洞察であったり
ニーチェと同様な考古学的な手法の活用であったり
どれもこれも深くて面白いです。
僕が普段から考えていることへの答の一つがそこにあり
さらにとその先にものまで描かれているような感じです。
僕が以前に書いた「主観と客観」という日記でいいたかったことは
真理が歴史的な根拠に基づく以上は
普遍的・絶対的な真理などなくて
個々の真理は自由な主体の行為としてしかあり得ない
というフーコーの考え方に近いですし。
これはこの人を研究しなきゃいかんなって感じです。
もっと深く知って、自分で考えた結果が
すべてフーコーと同じなのかどうかはもちろん分かりませんが
思考への一つの道しるべとして
フーコーの思索は僕にとって非常に価値あるものだし
現代というものを考える上でも非常に役立つと思います。
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フーコーの全体像を見渡す。 フーコーの人となりから、どのようにして彼がみずからの哲学を形成していったのかが、客観的に理解できる。フーコーという人物が自然発生的に突如として現れたのではなく、現れるべくして現れたというように納得させられる。さまざまな近代学問の発生状況、近代的「人間」の構造的説明などとても分かりやすい。もっとも印象に残ったのは「近代国家と司牧者権力」の章である。魂の救済という建前の下、実際に行われるのはひつじたち(信者)をみずからの支配下に置くということである。そして、そのことに司牧者は気がついていない。このような状況は日常生活のあらゆる場面で見受けられる。例えば「私利私欲を捨て」がんばるような人である。これは他人たいし権力を振るうやりかたである。日常生活にあふれるこのような、無意識の権力のやり取りをやさしく理解させてくれる。
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エピステーメーに因って揺らぐ真理。権力構造の分析に拠って明らかになるエピステーメー。権力と真理は不可分のものなのだろうか。
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約10年ぶりに再読中。昔読んだ時にフーコーの着眼点に素直に感心し切ってましたが、今は少し違和感持ちつつ読んでます。その違和感が何に起因するのか、その解明を楽しみにしつつ、読破目指してます。
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読み始めは「なーんや、つまらん本やなあ」と思ってたんですが、『監視と処罰』についての紹介あたりから面白くなって一気に読了。フーコーというと、『管理と処罰』やら『知への意志』やらのあたりの、絶望的とも言えるクラーい〈権力〉イメージしか知らなかったもんですから、そういう行き詰まりを突破する「出口」をどう構想しているか、というのは、この年齢にしてようやく知りました(恥)。しかしこの本、あらかじめフーコーの思想について基礎知識を持ってないと、たぶん読めません。ちょっと「看板に偽りアリ」じゃないですかね(苦笑)(20070115)
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哲学、社会学、政治学に生というトピックから影響を与えたフーコーに関する入門書。政治学でも生・政治という概念がフーコー以後注目されるようになった。個人的には哲学にも興味を持っているのでフーコーの価値観、考えはおもしろく感じた。また、自身が同性愛者であったことから、性に関する哲学的、政治学研究として有名なフーコーが(知らなかった)古代ギリシアや初期ローマ帝国における同性愛に関する価値観をキリスト教的価値観と比較しているのも面白かった。
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いろいろなことを勘違いしていたかもなぁとしみじみした一冊。
と同時に、監視社会論でのこの人の引用の仕方は
何か変な解釈が混じっているようにも感じるけれど。
フーコーの流れはざっくりわかった気がする。
フーコーの本も読んでみようかな!
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フーコーなど、過去の偉人の本を読むときには入門書が欠かせません。
また、一体どの入門書が良いのかを選ぶ事も大切です。それは難しい事です。相性もあるし、情報の少なさもあります。
このような入門・解説書を読む時でさえ、その時のテンションに依っては、わざと難しい表現にしてあるんではないかと疑う事もあります。
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難易度としては、中〜上級者向け、という印象でした。
講談社現代新書の「ミシェル・フーコー」よりは格段に分かりやすい(著者の考え方は別として)。
著作と章をつなげて解説してくれているので、ある著作について理解を深めたい時は、そこだけ読む、というやり方もありだと思います。
この類の本を読むたびに、やっぱりフーコーの考え方は「現実的で飛んじゃってる感じ」という、パラドキシカルな考えに行きあたってしまいます。でも、それでいいんだろうと思います。「考古学」というキーワードは、慣例的な用法とフーコーの用法では違います。そこが、まさにフーコー理解にとって一番のキーであるようなないような。
「エピステーメー」と一言で言ってしまえば簡単ですが、内容は、この本や他の本を何冊読んでも頭を抱えるぐらい、深い。まだまだ、フーコー探求は続きそうです。
「真理の理論においてニーチェが傑出しているのは、「真理とはなにか」という〈本質〉を問う形而上学的な問い方を否定して、「真理を語る者は誰か」という政治学的な問い方に転換したことである」(p130)
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知と権力には深い関係があるそうです
「人間は死んだ」
フーコーは狂気の研究を進めるうちに近代ヨーロッパ学問全体を支えている価値観に切り込んでいくことになった
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フーコーの思想を、著作を追いながら解説。わかりやすいが、結局のところはフーコー自身の著作にあたらなければ・・・入口にはいいかもしれない。
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5/19
ルネサンス→古典主義に至って「まなざし」の覇権に。
監視の視線の内在化による抑圧。
「普遍的な真理」の欺瞞→「真理ゲーム」
ちくま新書の「○○入門」シリーズは質が高い。
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フーコーの思想に興味を持ち斜め読みしました。筆者は下記のようにサマライズしています。
フーコーは、哲学のつとめは真理が自明なものでも普遍的なものでもなく、歴史的に作られたものであることを暴露することによって、その真理の絶対性を崩壊させることにあると考えていた。
我々が当然と思っている事項は長い歴史によって作られてきたものが多いのでしょう。
我々はそれを学校教育などを通して学んで当然のように受け入れているが、当然でもないよ、ということでしょう。フーコーはゲイだったそうです。彼は、異性愛が普通で同性愛は異常のように思われているが、それも歴史的に作られてきたものだ、というのも特に言いたかったのではないでしょうか?
フーコーの有名な概念として、エピステーメー、があります。知の枠組み、といった概念であり、中世とルネッサンス、古典主義時代、近代、と3つのエピステーメーに変化していることを考古学的に分析しています。エピステーメー、納得感があります。我々が無意識のうちに捕らわれている思考の枠組み、といったものは確かにあるでしょう。またこれが大きく変換するときが来るのでしょうか。
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[ 内容 ]
「真理」「ヒューマニズム」「セクシュアリティ」といった様々の知の「権力」の鎖を解きはなち、「別の仕方」で考えることの可能性を提起した哲学者、フーコー。
われわれの思考を規定する諸思想の枠組みを掘り起こす「考古学」においても、われわれという主体の根拠と条件を問う「系譜学」においても、フーコーが一貫して追求したのは「思考のエチカ」であった。
変容しつつ持続するその歩みを明快に描きだす、新鮮な人門書。
[ 目次 ]
序 現在の診断
第1章 人間学の「罠」
第2章 狂気の逆説
第3章 知の考古学の方法
第4章 真理への意志
第5章 生を与える権力
第6章 近代国家と司牧者権力
第7章 実存の美学
第8章 真理のゲーム
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[ 参考となる書評 ]